桜のつぼみ
森川文月
桜のつぼみ
八月下旬。金曜日の昼過ぎだった。夏休みの部活は午前で終わる。文化部に属し、来る必要のない佑樹は、運動部のクラスメートの練習風景を木陰で見守りながら時間を潰していた。昼前で練習が終わり、みんなでコンビニに昼飯を買いにいった。学校に戻り、校庭の木陰でパンやおにぎり、弁当を食べた。食べ終わると、いつまでも馬鹿話をした。
「きょうの練習のとき、オレ、目立っとったやろ?」
「そうか? けっこうミスってたで」
「そうかな。それより、隣で女子らが練習しとったやろ?」
「ああ、ソフトボール部な」
「あの中で、ひとり彼女にするいうたら、だれがエエ?」
「ええー。やっぱ、フジサキかな?」
「へー、そうなん。ヨシはフジサキがエエんや?」
「そういうサブは、誰なんや?」
「オレか。オレは、ちゃんと指定席が決まっとる。誰もおれへん」
「ちぇっ。ずるいヤツ。ひとのだけ聞いといて。じゃあ、ユウは?」
友人の聞き役に回っていた佑樹は突然訊ねられ、「オレか。オレは……。アヤノ。アヤノがだめならメグミ」と意中にない女子の名を適当にあげた。
「あ、ずるいわ。二人なんて。それに、メグミはオレが狙とるんやで」
「ホンマにぃ。ヒデの本命がメグミやったとは知らなんだ。あしたの朝、黒板にふたりの名前をかいて、ハートで囲んだるわ」ヨシはふざけながら、笑った。
「すぐに消されるから、意味ないやんけ」
「エエの教えたるわ。ケンタと付きおうとるマサミから聞いた。自分のノートに好きな相手と自分の名前を並べて書く。互いの名前を8の字を描くように線を引いて絡めるねん。結ばれろ、って念じて何重にも引く。何度も、何度もやぞ」
「なんか、ウソっぽい」
「サブは疑りぶかいからなぁ。ユウのいうたん素直に信じてみ。オレはやってみるで」ヒデは佑樹の話をすっかり信用していた。
「さ、そろそろ帰ろうぜ」サブロウが威勢よく声を発した。
みんな揃って南陽中学校を出た。先程の続きで友人をからかいながら、いつものように中三の佑樹はふざけて下校していた。ちょうど、新幹線の下をくぐったときだった。瞬間、物凄い地鳴りが地下から響き渡った。「な、なんだよ」誰かが映画の場面でも観るように弱々しく呟いた。見ると真下の地面がパックリ割れ、立っている場から大地が崩れ去っていく。慌てて割れ目から飛びのいた。ゴゴゴ―。音はやまず、地下から聞こえていた。「たすけてー」背後で悲鳴に似た呻き声がした。立ち尽くした佑樹の脊椎に電撃が走った。友人は、バラバラにうろたえ、慌てふためいていた。悲鳴を上げ、一目散に割れ目から逃げ出すもの、腰をぬかして尻もちをついたままのもの。地割れが終わる間際、佑樹は、地面がぐにゃぐにゃと湾曲するのを体ごと感じた。同時に、大きな揺れが町を襲うのを目の当たりにした。付近の家並みが根っこから揺さぶられ、電信柱が頼りない棒切れのように左右に振られている。何本かは根元でボキッと折れ、あっけなく倒れた。その勢いで、ねじれた電線の束が別の電柱を引きずりねじ伏せた。割れた地面は波打ち、砂煙が方々で上がるのを見た。それが大地震の起きた瞬間だった。映画のセットの破壊シーンのようで信じがたかった。携帯を見た。二時三十六分。
「午後二時三十五分。マグニチュード七・二の大地震が発生中。大きな揺れが起こる可能性があります。大至急、安全な場所へ避難してください」
すぐ緊急地震速報のメールが携帯に入ってきた。佑樹は現実を次第に受けとめ、恐怖のあまり腰がぬけかけた。足はガクガク震えていた。境界線のように南北に走る、幅一メートルぐらいの割れ目に目を覆った。北村と会えなくなる……。佑樹は絶望の淵に立たされたと思った。目の前の大惨事は別次元で恐ろしかったが、這うようにゆっくり歩き、どうにか自宅まで辿り着いた。駅の西広場に聳えるペリヨンの鐘はメチャクチャにぶつかり、不気味な不協和音を立てた。あとで、その恐怖の音色と地震の凄まじさは語り草になった。翌日の朝刊には、「大地震、震度七、犠牲者は県内で数百人」と記事が載った。幸い、南陽中の生徒に関しては、先生からの安否確認のメールがその日に回ってきて、クラスメートは怪我人もなく、大丈夫そうだとわかった。夏休みで自宅や遠方にいた人も多いこと、日ごろの防災訓練のお陰と立地の良さで、古い木造家屋の倒壊で死んだ生徒はいなかったと九月下旬に担任から聞かされた。
思えば、あの日以来、佑樹は性格が行動的になった気がしていた。川添佑樹は市内の南陽中学に通う中三だった。細身の佑樹は、話が面白いとクラスで評判で、友人は何人かいた。そのうち、妙ないじめがクラスで流行りだした。大人しい生徒が対象になった。佑樹は無視していたら、いつのまにか佑樹もいじめの対象になった。あれは五月の土曜日だった。古墳の近くで同級生の仲間に小突かれていた。佑樹の目に入った大男は彼を放っておかなかった。見かねたのか、大きな体が咄嗟に動いたかと思うと、ちょっかいを出した一人を片手で持ち上げ揺さぶった。その人は野太い声でこういった。
「こらぁ! なにしとんねん」
「なにしやがんだ、オッサン! 放せよ、くそぉ」
「うるさい! よってたかってひとりを狙うんは、男らしゅうないっ!」
他の仲間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。大男は持ち上げた生徒を投げ下ろし、片足で蹴り飛ばして撃退した。びっくりして尻もちをつき、俯く佑樹に向かって、優しげな瞳で語りかけた。
「なんでやり返さへん。叩かれても、殴られても、立ち向かえよ。男やろ?」
檄を飛ばすその人に黙るしかなかった。佑樹の反応は薄かった。
「よし、決めた。このチラシに書いてある場所に来い! 未来が変わるから」
「あ。オジサンの名は?」
「ああ、おれ? 北村保。グラウンドで待っとるから」
いじめた男子がいないのを確認し、北村が差し出したチラシを受け取った。【ラグビー体験イベント】。対象年齢は小五から中三。西斗Aグラウンドで五月最後の日曜日に開催、と書いてある。そのときの佑樹の体は、ひ弱といわれてもおかしくなかった。当然ながら、体力は人並以下だった。
「ラグビーで体と心が強くなる」北村は肩を叩き、力を込めて握手をしてきた。二人はその場で別れた。あれが全ての始まりや、と佑樹はのちに思い返した。
ラグビーワードカップ開催の年、記念イベントが各地で催された。西斗で開かれるラグビー体験イベントの七日前、参加したいと親に申し出た。参加費を親に出してもらった。朝早くに目覚めた佑樹は、母に付き添われてジャージ姿でAグラウンドにやってきた。佑樹が姿を現したのは九時半だった。十時になり、さっそく体験イベントが始まった。まず、大人たちの自己紹介から。全員が元西原大学のラガーマンだった。グラウンドは、そのうちのアツシと名乗る北村の親友の練習場所だった。続いて、名前と学年だけの簡単な自己紹介を参加者の少年らがした。自分の二人前あたりから、緊張した。
「中三の川添ゆうきといいます」
名乗るだけで体がビクッとした。最後に有村元監督が祝辞を述べ、イベントの成功を祈り、怪我しないよう無事に終えてください、と挨拶した。北村やアツシらが先頭に立ち、簡単なストレッチの手本を見せ、すぐ体験イベントが始まった。体験といっても、簡単なルールを教え、さっそく各自が楕円球のボールを手に取って触らせてもらえた。その場でペアを組み、ボールを投げる練習をした。佑樹は、けっこう本格的やと思った。一人ひとりの触り方、投げ方を元部員らが回って指導した。十五分ほど続いた。次に、実際のボールの回し方を教わった。北村は、ランやパス、キック、タックルなどの基礎動作を解説した。正直、初めてボールに触れてまもないのにかなりラグビーに詳しくなった気がした。最後は実戦だった。グラウンドいっぱいを使い、タグラグビーの紅白戦を十五分やった。赤チームは、用意された赤いゼッケンを胸に下げ、白チームとボールを追いかけた。最初はボールに触れず、地面を見て俯きがちだった佑樹も、走り回ってパスを要求するうちに、何度かボールに触れた。パスをもらって走り、相手をかわした瞬間、少し顔つきが変わった気がした。前向きになれたような爽快感が身を包んだ。このときから桜を目指す夢が始まったとあとで佑樹は振り返った。桜とはラグビー日本代表ジャージに描かれたエンブレム。元西原大ラグビー部員のコーチは、「桜を見るたびに闘志を燃やすねん」と熱かった思い出を語ってくれた。
佑樹は北村に、なぜだか、親しみというより、他人とは思えない不思議な縁を感じた。誰にも洩らさなかった。ただ隣で見ていた母の真紀は顔を背け、ときに隠すようにして俯いたのが、いつもの母らしくなく、佑樹には不自然で不可思議に思えた。イベント終了後、タオルで上半身の汗を拭う佑樹に、北村が近寄ってきた。北村は自信満々に肩を叩き、話し掛けた。
「おい。これからも練習、続けるよな?」
「は、はい」なかば強制的に肯定を強いられ、断り切れなかった。
翌週末、公園を通りかかった。目にした顔を見つけた。挨拶しておこう。足が自然に相手の方へ動いた。ベンチにどっかと腰を下ろす大柄の男に近寄った。
「北村さん!」
「きみは、あの古墳で会った……」
「はい。記念イベントに参加したゆうきです。たまたま通りがかったら北村さんがいたので、礼を述べに来ました」佑樹は頭を下げた。
「ときどきいじめられていたオレを助けてもらい、有難うございました。ラグビーが好きになりました。毎朝、銀犀川の土手を走って体を鍛えています。力もついた。イベントに参加して良かった」
佑樹は胸を張り、語った。目を細めて聞いていた北村は体を揺らし、いつでもグラウンドで待っとるで、とだけいった。
それからは、体力づくりを兼ね、市内の三ツ星グラウンドに顔を見せた。練習に参加させてもらうチームは、アツシの指導する社会人チームの支援を受けていた。何人かは父親が社会人チームに属していた。みんな高校で本格的にラグビーに取り組みたいと語っていた。組織がちゃんとしてない分、会費はいらない。チームの規定など細かいものはなく、大会や交流試合には出られない。その代わり、年に数回、アツシらのチームとの交流はできた。大人から直接、トレーニングの仕方や練習法などを学べるのは魅力だった。彼らの計らいで、他市チームとやる練習試合も、特別に組んでもらえた。練習は週に三回、火、木、土の夕方だった。火と木は大学生が教え、木と土に北村がやってきて指導した。北村は佑樹と同じ町に住んでいた。大雨だと中止になったが、六月から八月にかけ、蒸し暑さの中、二時間行われた。北村はラグビーコーチとして最適な人やと佑樹は思った。練習前のミーティングで彼はこういった。
「ラグビーに一番欠かせないのはコミュニケーション。学校。練習場。どんな場所、どんなときでも、誰に対しても、大きい声を出し、元気よく挨拶する。友だちや仲間に声をかける。楽しく取り組むことも大事やで」
北村は体力作りを重視した。成長過程の中学生に無理な筋力強化はさせない。準備運動のウォーミングアップと、五十メートルダッシュを数本やらせ、走りを中心にメニューを組んだ。少し休ませ、試合形式を前後半三十分かけてやらせた。それがラグビーの楽しさ、好きになる醍醐味や。北村の言葉を耳にした。参加者は二十名ほどいた。少年ラグビーは一チーム十二名で試合を行う。不足した分はコーチが加わった。ノックオン、スローフォワード、オフサイド、オーバーザトップ、ノットリリースザボール。この基本的な五つの反則をまず教え込まれた。
「英語が苦手やろ。笛を吹かれたあと、レフリーのジェスチャーで反則を覚えろ」
北村はいった。実際、みんな、試合形式を重ねて反則を理解した。具体的な動きは最初のうち北村が手本を見せた。少年らを二チームに分け、彼自身がボールに触って、パス、ラン、キック、コンタクト(モール、ラック、タックル)、スクラムの基本動作を少年らに繰りかえしやらせてみた。理解できた数人に対し、「わかっているヤツはわからないヤツを教えてやれ」と指示を出した。誰かがおかしな動きをしていれば、一番いい動きの少年を呼び、「こうやるんや。教えてこい」と命じた。直接教えて萎縮させるより、同じ世代間でコミュニケーションをとりながら覚えさせる。そういう練習のほうが、将来けわしい場面に立っても仲間で解決できる。練習前のミーティングで、そう語った。足の速い子、遅い子。力の強い子。成長がバラバラで、まだ、誰がどれほどの力を持っているか、佑樹には見極められなかった。コーチらはすぐに見抜いていると思った。頭の中でおおよその特徴と名前は一致してきた。佑樹は足が速く、すばしこかった。タックルもうまかった。同じように足の速い子がボールを持って走ると、必死になって食らいつき、スピードを上げて追いかけた。
「ユウキ、フォローに回れ!」
北村から檄がとぶ。少し後ろまでくると、ボールを持った味方に距離をあけて並ぶように走った。その味方に敵のバックスがタックルをしかける。
「こっちだ」
佑樹は叫んだ。ボールは宙を舞い、斜め後ろに放り出される。両手でしっかり受け止め、敵のタックルを手で突いて振りきり、ラインめがけて一目散に走りこんだ。そのまま倒れ、トライがきまった。
「ナイストラーイ! よくやった、ユウキ」
振りかえると、北村が叫んで拳を突きあげていた。味方チームの何人かとハイタッチをかわした。試合形式の紅白戦は楽しかった。その前にやる基礎体力トレーニングが、佑樹らには鬼門だった。まずグラウンドを五周走る。休む暇もなくダッシュを三十秒間、二十回繰りかえす。コーチの笛で、五、十、十五、二十二メートルの位置に引かれたラインまでダッシュをし、元の位置にゆっくり戻る。この時点で、かなりへとへとになった。コーチは、「まだまだこれからや。終わらへんで」とハッパをかける。体重が同じ人と組み、おんぶしてのスクワット、手押し車、ジャンプ、腕立て伏せなどをやる。少し休み相撲を取る。さらに、パスを受けるひと、送るひと、ディフェンスするひとの三人で連係し、パスを受けたひとがディフェンスを抜き去る練習を交代で四本やる。最後に、コーチ二人の抱えたタックルバッグに助走なしでぶつかる。ハードでタフなトレーニングだと思った。息が上がった。
「オレ、もうバテバテやわ」
「はじめは半分の力でいかな、持たへんなぁ」
「そうか。オレはけっこう余裕やで」
「ホンマにバテる。キツうて、キツうて。はよ、試合したい」
佑樹は体力に自信があり、休めば平気だった。ただみんなに嫌われないよう、合わせるような言葉で応じた。暑さよりも、じめじめした空気が嫌だった。空気は体の熱と混じりあい、顔も手足も火照った。汗でべとべとになってシャツに纏わりつくのも気持ち悪く、不快だった。はやく土の上を駆けたかった。走って、走って、走りまくりたい。五分も走れば湿ったシャツも乾いてしまう気がした。佑樹にとって、ひっこみ思案の自分が積極的な性格に変わった(とよくいわれた)のと、体がひと回り大きくなったのが嬉しかった。トライをきめる爽快感もたまらなかった。ラグビーに出会えた機会をくれた北村には、口ではなかなか伝えられないけれど、心の中で、ラグビーをやらせてくれて有難うございます、といつかお礼をいいたかった。毎週三回も顔をつき合わせていると、メンバーとすぐに親しくなった。練習する一人ひとりの顔つきや態度で、感じている気持ちが読み取れた。北村のよく口にする、コミュニケーションを欠かすな、という教えを忠実に守った。試合中、「パスを回せ」、「こっちに走るで」、「タックル、まかせた」など、トレーニングの時間も、「大丈夫か」、「無理すんなよ」、「ファイト!」、「もうちょっとや、頑張れ」、「きょう、元気ないで。どないした?」と積極的に呼びかけた。俯くものがいれば休憩時間に仲間を誘って話しかけた。軽い話や学校であった失敗談などから入り、気軽に話せる場面を作ってやった。すると、相手も、「実は、こんなことで悩んでいて」と打ち明けてくれた。学校同様、いつしか、佑樹はリーダー格の主力選手になっていた。ラグビーをするグラウンドに通うのが楽しみでしかたなかった。北村がしばらくコーチをはずれ、休んでいた間、別のひとがコーチを担当していたので、佑樹は久しく北村の顔を見てなかった。
やがて夏休みに入った。練習は午前に週二回、二時間行い、それとは別に、佑樹は自主練と称し、足腰強化のため銀犀川をランニングした。八月最初の日曜の昼、町中で北村に出くわした。
「練習に行くようになって銀犀川を毎日走っています。グラウンドへ通うのが楽しみです。学校にはラグビー部も同好会もないですから」
「そうか。それはよかった。勉強もしっかりせえよ」
北村の顔に安堵の表情を見て取った。体も大きくなり、自分でも、なんだか誇らしげだと思った。北村は近くの喫茶店へ連れていってくれた。好きなものを頼んでいいといわれた。しばらくして、店員がお盆にコーラとアイスコーヒーを運んできた。喉が渇いていて、早速、コーラに口をつけた。二口ほど飲み、いおうかと迷っていたことを素直に打ち明けた。
「北村さん。オレ、夏休みの宿題で悩んでいて」
「なんだ?」
「市内の何かをテーマに、原稿用紙五十枚書いて発表するんです」
「ほう。大した量やな」
「テーマがまだ浮かばなくて」
「そうか、テーマねえ。おれ、歴史好きやから行基なら詳しいで。行基をテーマに取り組んだらどうや? この町の古い成り立ちがわかると思う。調べてみろ」
「行基?」
「そう。菩薩と呼ばれた高僧。荒れた台地に溜池を作り、水田を引いた。例の古墳で開墾を祈願したらしい」
「あそこですか。でも、できるかな……」
「為せばなる。図書館で調べろ。博物館の館長や郷土史家の方も紹介してやるよ」
「本当ですか?」
「ああ。頑張って書き上げてみろ。みんながビックリするような文章を」
「なんだか心強いですね」
「よし。夏休みは、ラグビーの練習と宿題。文章にまとめたら、見てやるで」
「はい。オレ、頑張ります」
佑樹は宿題のテーマを行基と町の関わりに絞り込んだ。古墳で仲間に小突かれていた佑樹は、初めて北村と出会った場所に出掛けてみた。
それからしばらくして、彼が呼び出しを受けたのは、八月の第三日曜日だった。北村は白いティーシャツ姿でアイスコーヒーを飲んでいた。佑樹を見つけ、おう、と片手をあげ手招きした。彼はマクドナルドの二階で成果を丁寧に説明した。
「古墳に行って調べてみました。あそこが丘になっているのは知っていたけど、神社があるんですね。道路から小さな橋が架かり、堀に石造りの燈があった。橋を渡って、グルっと砂の道が一周していた。真ん中に鳥居と階段があった。丘全体が緑一色に包まれて、そこだけ別の空間のように涼しかった。図書館で調べましたが、帆立貝式の前方後円墳らしいです。そういえば、公園みたいな広場があった。あれが前方部なのかなぁ」
知識を一気に吐き出すように喋り、そこでひとまず息を切った。カップに入っているコーラをがぶがぶと飲み、ごくりと喉を鳴らして続けた。
「帰りに三ツ星のグラウンドに寄ったら、歩いて十分でした。改めて広いなぁと。土曜や平日の夕方、仲間と汗を流すいつもの場所が、誰もいなくてがらんとしていた。風もなく、ただ陽射しの照り返しを受け、乾いた匂い、砂だけのさらさらした匂いがした。人のいないグラウンドって、もったいない。やっぱ、土は足で踏み荒らされて価値があると思った。うるさいぐらいの声の飛び交うグラウンドの方が好きですね」
ふうと深呼吸した彼は、カップのふたを開け、中の氷をしゃぶった。
「別の日に、ぽんぽこ寺から鴨池にかけて旧街道も歩いた。八月でとても暑かった。水筒に冷やした麦茶を入れて、出掛けた。バスで辻野に着いた。コースの計画は、まずぽんぽこ寺を見学し、街道を東に向かい、鴨池の西口に着く行程にした。寺の真っ赤に塗られた正門はとても立派に見えた。大きな門構えで、両隣に仁王の像があった。境内が意外と広くてあちこちに見所があり、歴史を感じた。参道に進み、本殿でお参りした。奥に行基殿があり、赤い衣の菩薩が置かれていた。寺を出て、地図を見ながら旧街道に入り、北にいくと、鴨池の西の入口に着いた。一息いれようと、中に入った。冷たい石の上に腰掛け、水筒の麦茶を全部飲み干した。喉が渇いていてうまかった。鴨池には行基の胸像があるとインターネットに出ていたのに、どこにもなかった。白鳥や行基、鬼貫、酒樽の彫られた石版はあった。多分、昔はそこに行基像があったのかな。池は市民の憩いの場のような気がした」
喋り通しの佑樹は、喉を潤そうとコーラに手を伸ばし、話が途切れた。
「そうか。市役所の方針かもな。行基の功績を前面に押し出すより、いまの市民感覚に合わせた都市計画をした結果やろ」北村は口をはさんだ。
「鴨池のようなでかい溜め池を作るお坊さんは、修行のためとはいえ、なかなかおらへんと思った。できたときはもっと大きかったらしいから大工事ですよね。旧街道には、行基の跡は目立たないと思いました」
佑樹の報告はそこで終わった。
「よく喋るな、ユウキ。それだけ熱心なら、きっとエエ文章が書けるやろ」
北村は腕組みをし、納得したように、太くてがっしりした首を動かした。
「そうですか、嬉しいな。本もよう読んだし、インターネットでかなり調べた。行基や町に詳しくなった気がします」
佑樹は、まるで教壇で発表を終えた生徒のように、興奮冷めやらぬ状態だった。
ラグビーの練習で疲れが残ることはなかった。よく食べ、よく寝て、よく学んだ。夜遅くまで、たまに朝の時間も遣って、史実とつき合わせ、ルーズリーフに文章を埋めていった。原稿用紙ではたして何枚分かなと思うと、嬉しくなった。
二日後、佑樹の望んでいた、郷土史家と会う機会が得られた。練習の合間を縫い北村に連れられてやってきた。郷土史家の宇佐森さんは、いま住む町と行基の関係について、知っていることから本に書いてないことまで教えてくれた。佑樹は、研究者独特の雰囲気を感じ取った。服装は白のポロシャツ姿だが、ひとたび喋りだすと学校の先生より風格があり、物腰が丁寧でわかりやすい。民衆の目線でものを見ているようなひとだった。
「行基に関して、図書館の本やインターネットを使って調べました」
佑樹は照れ臭そうにいった。なにせ、相手は歴史の専門家だ。宇佐森さんは、学者の最新の説から俗説まで知っていた。書棚の中から一冊のファイルを取り出すとページを繰って、目の前の座卓に広げてみせた。
「ああ、これだ。これ。ここにあるように、『行基の祟り』という民間伝承が存在する。確かに、当時の行基は、町の元となる開墾を行った。政府の融和政策より前に開墾に着手した。だから、七百十七年の養老の詔以降も弾圧を受けていたのは、史実のとおりだ。が、その三年後の七百二十年に、ピラミッド状土塔を稲丘古墳に建てたとか、土塔の下に、災いを招くとされる『大蛇の銅鐸』を埋葬し、古墳頂上の神社に同様の『大蛇の剣』を奉納したとかいう事実を記述した公的書物など、どこにも存在しない。さらに、その俗説が地元の百姓らによって広まり、政府に反感を抱く行基が、古墳の土地を汚した者、許可なく調べようとした者がのちに出れば、銅鐸と剣に封印された大蛇の怒りにふれ、千三百年に数度の天変地異を引き起こすと百姓らを脅した、と書かれているのは、明治時代の地方新聞に小さく出ているだけだ。当時の新聞取材の精度や文献調査の進展具合からいって、ワシにはどうも信じがたい。いわゆるガセネタでは、と。いくら弾圧されていた高僧の行基といえども、民衆を救うどころか、民に災いを招くかもしれぬものを入手した経路、稲丘古墳に埋葬する必然性や理由など、まったく思い当たらない。そもそも、そのような政府に反感を抱く人物が、後年、大仏造営に勧進などを行うわけがない。ワシはそう思う。これは、昔のこの町にいた不満分子らによって捏造された虚構だと信じとる」
宇佐美さんは困り顔で眉をひそめ、伝承を受け入れなかった。
「おれもその意見に賛成ですね。古墳や行基と天変地異の伝承は、無関係です」
佑樹の隣で聞いていた北村も、間髪入れずに否定した。佑樹は、二人に同調するようにフンフンと頷いた。が、思春期の複雑な心理は、好奇心も手伝い、恐ろしい事件がこの地で起きたら町はどうなるだろう、と他人事のように考えた。祟りを完全には頭から消し去れなかった。むしろ、SFXかアニメ映画のように、退屈な日々に、突然大きな変化が訪れるのを味わってみたい気持ちが勝っていた。行基の祟り、か……。自分の調査は正しいと胸を張れる自信はあった。行基の祟りを内心恐がりながら、逆に見てみたくもあった。座卓に出された麦茶に手を伸ばしコップから啜ろうとして、思わず蒸せた。
休みもあと一週間となった。練習終わりに、北村の自宅へ寄った。宿題の出来栄えを見てもらうために。北村家は、駅からさほど遠くない閑静な住宅街の一画にある高層マンションだった。クリーム色をした綺麗な外観がお洒落で、手入れが行き届いていると思った。家に招かれ、早速、原稿を見せた。北村は無言でしばらく頷き、鉛筆で薄く線を引いた。
「全体に荒削り。でも行基の功績と町の関係を上手にまとめている。町の成り立ちを知らない人も理解しやすい」北村は素直に褒めてくれた。
「そうですか。嬉しいな」佑樹は頭を掻いた。
「ただ、この辺の言い回しは変えた方がようなるで」北村はメモに走り書きをして渡してくれた。
「有難うございます。残りの休みで仕上げます」
「体がひと回り、でかくなったな」
友人にもいわれた。ただ一つ、気になることがあった。あの宇佐森さんの口にした行基の祟りは本当に起きないだろうか、と。それを思うとソワソワして、おでこにできたニキビを思いきり潰してやった。
町を中心とした大地震が起きたのは、北村家を訪ねた翌日のことだった。千三百年に一度。それに近い年だ。あのとき感じた危惧が夏の終わりに的中したと気づいた佑樹は、行基を調べたのを悔やんだ。短絡的に、行基の祟りと大地震を結び付けてしまった。そもそも、町の成立はともかく、行基の年代にまで遡って調べる必要があったのか。提案したのは、もっとも親しみを覚え信頼を寄せていた人物、北村だった。まさか、こうなるのをわかった上で、オレらを破滅の道に……。本当はそんなことを想像したくもなかった。小さな憎しみの火は、すぐに収まった。北村自身も被害にあったはずだから。古墳で助けてくれたのは北村だ。では、なぜ助けた? 古墳の秘密を、行基の祟りを宇佐森さんから以前に聞いていた。たまたま通りすがりの、いじめられていた佑樹に近寄り、今回のような試練を与えたとしたら? 考えすぎて、フーっと大きな溜息をついた。大地震で北村と連絡も取れず、地割れによる通行止めで北村に真意を確かめにいけなかった。その不安をメールで友人に打ち明け、気持ちは少し軽くなった。自分を信じろ。なにか困ったら、また相談してかまへんで、と頼もしい文面を返信してくれた。ふだんなら佑樹が相談に乗っていた。互いに励まし、ただ不満や悩みを聞いてやるだけで、多くの友人らは安心した。メールで悩みを打ち明けられ、一夜を明かしたときもあった。中学生らしくもあり、なんだか将来、会社の偉いさんに出世してしまう妄想に浸り、妙にほくそ笑んだ。ともかく、北村と少し離れていようと考え直した。最初に抱いた印象と別の顔を持っているのかもしれない。少し警戒心を持った。心は複雑に揺れていた。
数日、家の中は倒れたままの家具や食器棚で乱雑とした。割れた食器やガラスを外の道端に運び出した。割れてないものは、洗おうにも水が出ないので洗えない。新聞紙にくるみ、段ボール箱に詰めて床に置いた。床に投げ出された衣類のほこりをはたき、父と協力して家具を起こし、中のものを詰め直した。佑樹のできることは限られた。それらに加え、ゴミ出しぐらいで、あとはすることもなかった。充電が切れるまで、携帯のゲーム三昧の日々を過ごした。ガス、水道、電気。全て止まっていた。
「電線は切れた。ガス管や水道管も地割れで折れた。長引くとかなわん」
父の信一郎は、溜息まじりに虚空を見つめていた。それは佑樹も同感だった。給水車が回ってきた。水が有難いと思ったのは、生まれて初めてだった。飲むのとタオルで体を拭くのに使った。近くの工場のプロパンガスを使用して、温かい食事を提供する公民館に食べにいけた。電気のない暮らしは、家の日常を一変させた。太陽の出るうちにやれることをする。夜はロウソクや非常用電灯の暗い生活に変わった。まるで絵本の中の世界だと思った。二日後には、携帯の電池が切れた。情報はラジオでしか入らなくなった。サラダはすぐに食べ尽くし、他は全て腐らせて捨てた。電気のこない冷蔵庫はただの箱で、中は腐敗臭が充満していた。スーパーもコンビニもその日のうちに弁当やパンはなくなり、食べ物が入ってこない。菓子も売り切れ。野菜や魚肉は調理できない。米も炊けない。町を走る配給の車が命の綱と思った。それが来るまで、腹を空かせるしかなかった。ひもじい思いをした。幸い、町の井戸水は残っていた。それを求め、水汲みの長蛇の列ができた。給水車の割り当てだけでは不充分と考えるひとが群がっていた。樹液を舐める虫のように見えた。家の柱もへし折れ、屋根の一部は壊れた。父がブルーシートをどこかから借りてきて、屋根の上にのぼって雨漏りしないよう応急処置を施した。当然、中学校も校舎が崩れ、壁のあちこちにひびが入った。二学期は延期になった。
生活の目途がたたない中、余震の影響を父は心配し、川添一家は四国の伯父さん宅に身を寄せた。母の兄の伯父さんだ。それまで何度か遊びにいったこともあり、土地に違和感はなかった。少し田舎風の感じを受けるだけだった。伯父さんの家には畑があり、野菜を植えていた。新鮮な野菜を口にすることができた。いつもと変わらぬ暮らしが保証された。小太りで銀色のメガネをかけた伯父さんの、いつまでいてもいいんだからね、という温かい言葉が胸に沁みたが、かえって佑樹の行動に気を遣わせた。伯父さんの家族には息子が二人いた。小学生と中学生だ。小学生の従弟の方と相部屋になった。プライバシーという点で、思春期の佑樹は、ひとりになれる場所がほしかった。トイレと風呂、納屋ぐらいしかなかった。苦痛だった。ひと息つける部屋が欲しかった。腕白な小学生の従弟は、「一緒にキャッチボールしてよ」だの、「近所にアイスクリームを買いにいこう」だの、本当に生意気盛りやと思った。もうひとりの従兄は中二で、年も近い。話が合うかと期待したが、オタクっぽく内向的な感じだった。星や惑星に興味があり、夜になるとベランダに出て、ひとり黙って何時間も望遠鏡で夜空を観るのを習慣にしていた。佑樹は泊めてもらうのを恩に感じていた。態度で示したかった。伯母さんの車に乗って町まで買い出しについていき、腕白坊主の宿題を教えた。四、五日もたつと、夕飯に使う野菜を畑からとってきた。みようみまねで、包丁で切った。洗い物を手伝った。
ある晩、食事を終えて佑樹が洗い物をし、一人、台所でテレビを観ていたとき、真紀がやってきた。正面に座るよ、テレビ消すよ、といった。母は佑樹に面と向かい、意を決したかのように喋り始めた。
「実はね。お前の本当の父親なんやけど、川添じゃないの。あのラグビーのオジサン、北村さんなんやで。昔の話やけど、働きに出て、学生の北村さんとお付き合いが始まってね。すぐに別れてしもたんやけど、子どもを身籠ったんや」
「もしかして」
「ええ、そう。それがユウキ、お前なんよ。許しておくれ。いいそびれて」
「そんな……」
「私は会社員を辞め、未婚の母になった。祖母に世話になりお前を育てた。二歳のとき、縁あって、川添信一郎と巡り会い、子連れで再婚したんよ」
「そうか。だから、北村さんには不思議な縁を。母さんも……」
「とにかく、そういうことやから。これは紛れもない事実やで」
真紀は、いつにもまして真剣な表情で、語尾に力を込めた。
「でも血液型は?」
佑樹は疑問を呈した。通う塾で学習した遺伝の法則が頭にあった。
「それはたまたま、両方ともO型で、私がA型やから、お前もA型なんやで」
母は実に単純明快な説明をした。
母の言葉は俄かに信じがたかった。なぜ、いま、出生の秘密が母の口から飛び出したのか。疑問に思った。川添家が北村と親しくなり、これ以上隠し通せないと覚悟を決めたのかもしれなかった。佑樹の心を察したかのように、台所の引き戸がガラガラと音を立てた。伯父の姿が目に飛び込んできた。すべてを聞いた、すべて知っていたといわんばかりの、釈迦のような穏やかな笑みを浮かべ、近寄った。
「ユウキ。お母さんの話は全部本当だ。伯父さんもみんな知っているよ。妹の真紀が未婚の母になったとき、真紀からいきさつをすべて聞かされ、相談を受けたのはワシだ。ワシは、真紀の幸せと将来を考えて、子連れの嫁でもいいと首を縦に振る相手を必ず見つけて連れてくる。そう真紀に約束した。その男が、いまのお前の親父さん、川添信一郎さんだ」
伯父さんは、肩を優しく撫でて話し掛けた。
「知ってて、黙っていたわけや」佑樹は横を向き、言い返すのが精一杯だった。
「ああ。早いうちにユウキに話した方が、とワシは思った。けっきょく真紀に任せることにした。信一郎さんは、働き者で実直な人だった。事情を話したうえで、すぐに真紀に会わせてほしい、と向こうから頼んできた。二人とも若かったし、なんとかなった。まさか、かつての父親、北村さんと同じ町に暮らしているとは知らなかったが。それを真紀から聞かされたときは、ワシもビックリしたがなぁ」
伯父は淀みなく、当時といまのことをとうとうと語ってくれた。ようやく、佑樹の頭にも、おおよその事実だけは理解できた。北村が母と別れた理由など、中三の彼にとって思いも及ばないことだった。もっと大人にならないとわからないだろうと彼自身も思った。それでも、本当の肉親がすぐそばにいて、ラグビーや宿題の面倒をみてくれたことに、身内以上の親近感を覚えたのも事実だった。
「これでわかったやろ? いままで黙っていてゴメンな。本当のお父さんも、いまのお父さんも、どちらもエエ人なんよ」
彼の母は、動揺させたのを詫びるような口ぶりで佑樹の瞳を見つめてくる。
「もうエエ。説明は。北村、いや、産みの父さんは、尊敬できるひとや」
佑樹は胸を張って答えた。それだけは揺るぎなかった。もう北村に抱いた妙な不信感やわだかまりは、霧の晴れるように消失した。立ち尽くしていた伯父は、佑樹の隣に腰掛け、肩をポンポンと叩いた。
「なあ、ユウキ。大人になるといろんな事情が生まれるものだ。それより、お前の町も今回の大地震で相当の被害らしいじゃないか。余震が収まって、ひと段落ついたら、北村さんの家へいってこい。挨拶しに。お前の本当の父親なんだ。会えるときに会っておけ」
「うん。そのつもりでおるわ」
佑樹は、北村のなにもかもを自分が受け継いでいるように覚え、気分が昂揚した。早く会い、もう一人の父さん、と呼びたいと願った。佑樹の決意は固まった。
地割れが元に戻ったのは、九月の半ばだった。町中をトンボが飛び交っていた。空気も澄み、気持ちよかった。中学校は十月から仮設校舎で授業を再開した。川添一家は九月末にそろって実家に戻った。佑樹は元の南陽中に通い始めた。十月の日曜日、北村の家を訪ねてみた。道順のあちこちに「工事中」の札が掛かり、迂回した。北村に電話すべきと思った。中三の頭では、そこまで考えが回らなかった。きっといてはるやろ。胸を躍らせ、一抹の不安もなかった。自宅のマンションに着いた。川添です。インターホンでいった。奥さんは、どうぞ、とマンション内へ入れてくれた。三階に上がり、玄関のチャイムを押した。ドア越しの奥で声がして、奥さんが出てきた。用事の途中の様子だった。少し気が引けた。北村はいるか、恐る恐る訊いてみた。いつもなら、佑樹の声を聞いただけで、北村がぬっと姿を現すはずだった。が、シーンとしていた。奥さんのナミさんは、申し訳なさそうに、旦那は福岡へ転勤したのよと告げた。そうですか。じゃあ、と立ち去った。あ、ちょっと。後ろで甲高い声が聞こえたが、振り向く気にはなれなかった。あの人は、北村の二番目の奥さんなんや。本当の奥さんになるはずだったのは、うちの母や。そう思うと、悔しさかなにかに体を引き裂かれ、心まで張り裂けそうだった。募る思いが高じてマンションから外へ佑樹を追い出した。
仮設校舎で受ける授業も、先生の声は頭を素通りした。どこかに反射するか、頭の良い子にだけテレパシーかなにかで通じているのでは、と思うくらいに。ラグビーのグラウンドは閉鎖されていた。地盤改良工事だと近所のひとがいっていた。意味はわからなかった。大きなショベルカーがゴーゴーと音を立てているのを二、三回見かけた。行く気が失せた。たまっていた鬱憤のはけ口は、友人へと向かった。仲の良かったサブロウに因縁をつけた。
「お前の成績、オレよりエエやろ? 生意気なんや。その程度の頭で」
「なに言うてんねん、ユウ。急にテストの点が悪なったって嘆いとったやないか」
「うるさい。誰でも、調子悪いときぐらいあるわい」
「じゃあ、なにが言いたいねん」
「どこに行くんや」
「高校か? 市高や」
「それが腹立つんや。いっちょまえに」
「なんでやねんな」
「オレなんか、進路指導で、『公立は無理ですね』なんていわれたわ」
進路指導の先生の、苦虫を噛み潰したような顔を思い出し、急にむかむかしてきた。いい終わると同時に、右の拳を振り上げていた。なにかに当たったのは、手が痺れてわかった。見下ろすと、サブロウが頭を押さえ蹲っていた。オレが手でやったんか。体は素早く反応した。すぐ、その場から逃げ出した。後先なんて考えない悪になっていた。成績が全てではないが、環境の変化と不安定な心理が自分を急変させたのかもしれないと思った。背景には、北村に会いたい気持ちを阻害された状況を耐え切れなかったからと感じていた。心が落ち着くまで時間を要した。佑樹は後悔した。もっと素直なときに北村の過去を知るべきだったと。しかし、それは叶わなかった。相手が教える保証もなかった。コーチが知り合いの少年に、過去を洗いざらい打ち明けるなんてあり得ない。
成績は落ちた。定期テストの点数も芳しくなかった。先生に指摘されるまでもなく、進路を変えた。それが逆に、この町を飛び出す好機だとすぐに開き直れた。ラグビーをやっている私立高校なら、偏差値とかは充分満たしているらしい。佑樹は、県内の稲瀬高校へ入るのを真剣に検討した。勉強は相変わらずだったが、資料を取り寄せたり、先生相手に面接の練習をしたりと、忙しくなった。その分、ラグビー自体から遠ざかった。二月を迎え、ラグビーの名門、稲瀬高校を受験し、合格した。
春が来た。佑樹は真新しい制服を着て、稲瀬高校に通いだした。当然のようにラグビー部に入部届を出した。しかし、名門校だけあって、部員数は百人をこえた。中学からラグビー部だった部員、高校から始めたが図体のでかい部員などが、レギュラーの座を狙っていた。ライバルは多い。内心やっていけるか不安になりかけた。トレーニングの基礎のできている部員は、おのずと体幹の鍛え方が違っていた。佑樹のようにトレーニングに重きをおいて体作りをしていた選手は、筋力、持久力、スピード、いずれも他を寄せつけなかった。強者同士でプレーを高めあい、褒めあうのはとても魅力的で楽しかった。
監督は体こそ熊のように大きいが、銀縁メガネの奥に優しい瞳をたたえた冷静な人だった。
「たとえ弱くても、下向くな。かっこつけろ。王者らしくふるまうんや」
試合前、選手に必ず、同じ言葉を使った。三年生の主将は、チームをコントロールするのにたけていると思った。どんな状況でも、劣勢を立て直す。チームが冷静になるよう指示を与え、一人ひとりの選手に、いまなにをプレーすべきかを考えさせる。そのお陰で各選手はゲームを把握し、試合ごとに判断力が上がっているのを、傍で見ていてわかった。主将のポジションはフルバックだった。
高校生になってから二度目の夏が巡ってきた。秋の県大会予選に向け、夏合宿でしのぎを削り、先輩たちのプレーを真似して、佑樹は成長した。
合宿が終わった。休みの日も三ツ星のグラウンドに通った。近くの同級生部員を誘って、技能の向上とプレーの確認のため、有効に時間をつかった。単に自分の目標を達成するための練習ではない。相手を信頼し声をかけあいながら、思い描いた動きを確認した。楽しんでボールを回しあい、ミスしても怒らず、すぐにカバーに入った。協力してこそ、力を出せるよう工夫した。いろいろなアイデアを出し、互いに研究した。地道なトレーニングと基本動作の繰りかえしが、最大の力を出せる秘訣だと先輩は口々にいった。どんな練習試合でもメンタル面で圧倒されないよう、士気を高めて芝に立った。強敵にも、格下にも、気を抜くようなプレーは声に出して注意した。
三年生の指示は厳しかった。司令塔の沢野が、一、二年に喝を入れる。
「そこ、あきらめるな。もっと全力で走れ」
「マツミヤ。早くタックルに入る!」
「おい。いつまでたったら、サインプレーを覚える気や?」
注意を二回受けると、ダッシュ十回を課せられた。
「相手になめられんな! すぐ点差が開くんやで」
たまに、いいプレーをすると、主将も沢野もほめてくれた。
「よっしゃ、ナイスパス」
「ようボールキープしたな。えらいぞ、イザワ」
タックルの苦手な選手を集め、沢野のもと、夜の公園で連日特訓を重ねた。
「まずは、バックスの動きだしからや。イザワが走りこんで、マツミヤがマンツーマンでタックルする」
指示通り、松宮は井澤にタックルをしかけた。井澤は必死に片手で松宮を突き飛ばして振りきった。
「よし、すぐに、一年のゴトウとニシモトの二人でタックルをかませ」
後藤と西本の思い切りのいい同時タックルを受け、さすがの井澤も態勢を崩し、ドスンと音を立てて背中から地面に叩きつけられた。井澤はボールを放した。ボールは地面に転がった。ノックオンだ。
「よし、そこからフォワード三人入ってスクラムつくれ!」
倒れた井澤に次々に選手が集まり、最終的にラックまでいく形を確認した。走る方向や距離などのパターンを変えて、一連の動きを数回反復した。スムーズにいくようになったのを互いに確認し、その日の特訓を打ち上げたのは、一時間以上たったころだった。汗をかいた選手は肩で息をしていた。服をその場で脱いだ。タオルで腹や背中の汗を拭い、カバンから出した洗いたてのシャツに袖を通した。
「あー、すっきりした。気持ちエエな」
「練習、どうやった?」沢野が訊ねた。
「よかったです。タックルの精度が上がったのと、潰されても突破されても、次の仲間がおると思うと心強い」
「そうか。それは何よりや。ところで、いま何時? 腹減らへんか?」
「先輩、食いにいきましょう」
「もう十時過ぎですよ。駅前のマクドナルド、閉まっとる」
「じゃあ、カラオケやれへん? 歌ってフード注文しまくろう。チキン五十ピースとか」沢野の顔は笑みで弾けていた。
「オレは、歌うより聞いときます。その代わり、ラーメン二杯注文します」
「よし、じゃあ、駅前まで行きましょう」
「きょう、マネージャーは?」
「ああ。主将とデート中や。夜の映画館で」
「けっ。余裕こいて。一緒になってボール追いかけんと、チームがしまらんやろ」
「そう怒んなって。全体練習で誰かが休んだことは、一度もないんや」
深夜のカラオケで盛り上がり、佑樹らはのぼせたまま帰宅した。まだ脳が興奮状態で、当分眠りにつけそうにない。テレビをつけても気が散り、すぐリモコンで消した。起きているあいだは、授業中も、食事や風呂の時間でさえ、ラグビーの戦術や自分に足りない点、練習試合で露呈したまずいプレーなどが頭を駆けめぐった。寝るのは夜中の二時を回るなんてことも多く、そんなとき、佑樹は部室に置いてあった解説本を読み返しながら物思いに耽った。
「ラグビーは、食べる、練習する、よく休む。自己管理が求められる、か」
自己管理といえば、二年前に自分の宿題を手伝ってくれた北村はどうしているのか。急に恋しくなった。周囲も落ち着いたので、冬休みを利用して北村の顔を見に、福岡を訪ねることにした。
奥さんに北村の携帯アドレスを教えてもらい、メールで連絡を取り合った。年末の土曜日に予定のないのを確認し、会う約束をした。
新幹線で福岡駅に降り立った。小雪が舞っていた。駅の改札口に、なじみ深い巨漢の北村が見えたときは、嬉しかった。
「北村さん」
「おう。久しぶりやな、ユウキ。自宅を訪ねてくれた、あの夏以来か」
ハイタッチをかわした二人は、歩いて駐車場に回り、北村の運転する車に乗り込んだ。ファミレスで食事をしたあと、北村の住む、独身寮の部屋にお邪魔した。
訪ねてくる以外、目的を知らないはずの北村は、妙に落ち着いていた。年末だからか、部屋は片づき、ゴミ一つ落ちてない。温かいココアを入れてくれた。
「なに、突っ立っとるんや。はよ、ソファーに座れ」
ソファーを勧められ、佑樹はかえって緊張した。関係のない話から入ろうと思い、好みの女性のタイプを喋った。
「オレ、高二やけど、年上のひとに憧れるんです」
いってしもたと思った。なにも年上に設定しなくても。後悔した。
「ほう。おれもその頃はそうやったで」
ぎくりとした。受け取りようによっては、母の話に進展してしまう。母は、たしか北村よりひとつ年上のはず。慌てた佑樹は、
「憧れいうても、アイドルの話やけど」
と誤魔化した。関係のない方向に行けば。そう期待した。
「アイドルか。おれもそうやったな。部室の壁にアイドルのポスターを貼っとった。自分の部屋にも飾っとった」
「ハハ。北村さんでもそうなんや」
「そらな。でも、実際に付き合うと、そのひとしか見られへんようなるで」
「そうですかね。オレにはまだよくわからへん。学校の女子は、みんな子どもっぽく見えて」
「ところで、稲瀬高校の生活はどうや?」
佑樹は大柄の体をソファーに沈め、やや緊張した面持ちで、
「規律正しい高校生活を送っています。いい高校です。雰囲気もラグビーの施設もいいです。先輩部員や監督、コーチには礼儀正しく、尊敬の念で接しています。後輩や同級生には、こちらから世間話や様子を聞いて、積極的にコミュニケーションをとっています」
と流暢に喋った。別件だから、挨拶代わりの話が本題の前にスラスラと口をついて出る。佑樹は本題に入ろうとして、少しモジモジし、壁や床に視線を這わせた。落ち着きのなさが、これから語りあう中身の重要さ、高二の彼の人生の今後に与える影響の大きさ、不安感を示唆していた。
「で、きょうは、そういう話をしにわざわざ来たのか?」
「え?」核心にふれられそうで、佑樹はたじろいだ。
「大事なことを訊ねたいと、顔にかいてある」北村に心を読まれたと観念した。
「実は、母さんのことで」
「うん、そうか。お母さんのことか……。やっぱりな。もう、知っとるねんな?」
「父ですね? オレのもうひとりの父さん。いや、産みの父親」
「そうや。おれは佑樹の父親や。学生の頃やった。町でユウキのお母さん、マキと知り合うた。偶然、その日、映画館で隣に座った。おれが横顔に惚れたんや。それが縁で、ひとりで来ていたマキに交際を申し込んだ。結婚なんて頭になくてな。子どもができたとき、マキから結婚をせがまれた。でも、おれは学生やし、養われへん。ラグビーに賭けた青春も途中やった。それで申し出を断った。マキと赤ん坊を残して去るのは、卑怯なようで心苦しかった。が、しゃあなかった。当時、結婚はまだ先の話やった。悪いことしたと思とる。スマン、堪忍や」
北村は少し項垂れた。それでもゆっくりと顔を上げた。
「たしかに、おれとユウキは血のつながった親子や。眉や目、額がよう似とる。なにか、感じんかったか?」
「そういう外見より、他人とちゃう気がしとったよ、父さん。でも、お互い家族がある以上、それぞれの家族を大切にしましょう」
大人びた物言いの裏に、どれほどの恨みや葛藤があったことか。佑樹は体の芯が熱くなった。
「そうやな。いまは別々の家族で暮らしとるんやもんな。会いにきてもエエけど、ユウキはもう川添家の人間や。おれはお前を少しも育てとらん」
「とう……北村さん……」
「大人になると、好き嫌いだけでは動けへんときがぎょうさんある。おれはコーチとして見守っとるで。家族にいえない問題があれば、いつでも相談せえ」
「……」
「どうした? 返事は? コミュニケーションやろ」
「はい!」
まっすぐ北村の目をみた。北村は手を差し出し、握手を求めた。握ると、別の手で祐樹を引き寄せ、軽く抱きしめた。佑樹は、もう心の中のわだかまりがとれたと思った。実父に勝手な不信感を募らせた馬鹿さ加減に呆れてしまった。
「わざわざ福岡まで来たんやし、少し外の空気でも吸いにいかへんか」
北村は近くの遊歩道に連れ出した。冬の北風が吹きすさぶ川沿いの遊歩道を、一緒に歩いた。ラガーマンとして同じ道を歩むにせよ、すでに人生は別々の道を歩んでいるんや。北村はいった。肩を並べて歩く佑樹は、実父を責めなかった。責めるどころか、血のつながった恩師のような存在だといった。小雪は肩の上で止まっては溶け、ジャケットに濃いシミを作った。それも少したつと乾き、また舞い降りる小雪が止まっては溶ける。ひとの思いも誰かにシミを作って、乾いてなくなるのか。佑樹は少し感傷に浸った。佑樹の沈黙に合わせるように無言だった北村は、最後に口を開いて励ました。
「ユウキ。お前には、ラガーマンの血が流れている。おれ同様、強い男になれ。なにが起きても動じない男。家族を守り、支える男。弱いものを助ける男。ラグビーの精神にのっとり、チームのためになることを実行する男。そんな男になれ」
佑樹はきっと口を結んで、力強く首を縦にふった。親子と認めあい、男同士の誓いを立てた。話がすむと、新幹線の駅までタクシーで送ってもらった。
高校三年生になり、チームの主将になった。監督から指名された。去年の準優勝高である稲瀬高校を率いて、花園を目指した。ラグビーの基本理念は三つの精神。犠牲、協調、闘志。チームワークを保つため、チームに奉仕し、情熱をもってすべてのプレイヤーのために尽くす。逆に、すべてのプレイヤーも、ひとりのために持てる力を惜しまず出しきる。勝つより、楽しみ、喜ぶためにプレーをする。笛が鳴るまで諦めない。そのことを試合やミーティングのたび、ヘッドコーチに話し、みんなに確認させた。同じ意識を持ち、チームみんなで作り上げた戦術プランを共有した。
夏合宿を終えると、すぐに秋がやってきた。十月の県大会予選を迎えた。西斗に帰っていた北村に同行し、例の古墳に必勝祈願に訪れた。小さな社殿で参拝し、時間をかけて勝利を祈った。
「必ず初戦を突破し、決勝まで勝ち進めますように。仲間を信じて芝に立ち続けられますように」
佑樹は深く礼をして祈った。社から連なる階段を降りていくうちに、なにか特別なオーラに包まれるのを感じた。不思議な霊的パワーが、乗り移った気がした。それを北村に話すと、神社の持つ霊験やろ、といった。
入場行進の前、監督は鷹揚に微笑んでいた。
「たとえ弱くても、下向いたらアカンぞ! かっこつけて歩け。王者のようにな」
例の口癖だった。初戦が始まった。僅差のシーソーゲームだった。途中から、面白いように流れがこちらにきて、勝利を収めた。練習以上の力が出せたと思った。いつもより、テクニック、ステップ、スピードなど、体の切れがよく、勢いがあった。行基の後押しだと思い、嬉しかった。
そのあとも破竹の勢いだった。対戦相手を次々に撃破した。
迎えた県大会の決勝戦。相手はなんども花園を争った強豪校、楢﨑高校。その大事な試合に十二番のジャージを身に着け、バックスの左センターとして出場した。リードした前半の十五分、佑樹は左膝に違和感を覚えた。力が抜け、立てなかった。担架で運ばれ、負傷退場となった。足の痛みがじんじんと体を痛めつけた。試合も逆転を許し、負けを喫した。
「くっ、くそぉ。悔し過ぎる……」
ベンチに下がり、テーピングをした佑樹は呟いた。主将として、敵の反撃に立ち向かえなかった悔しさがこみあげてきた。
「ユウ、下向くな。ノーサイドや」
戦い終え、芝の上にいた選手が近寄った。親友のダイスケだ。彼が肩に手をかけた。ベンチにいた佑樹は立ち上がった。テープをぐるぐる巻いた佑樹は後輩の肩をかり、グラウンドまで足をひきずって歩いた。一列に並んで相手と向き合う選手たちに混じった。対戦した楢﨑高校の選手と握手をし、言葉をかわした。
「あのパスはナイスパスやった。花園でも活躍せえよ。来年の後輩は負けへんで」
「有難う。十二番もよく守ったな。稲瀬の戦い方を参考にさせてもらうわ。エエ試合やった」
互いを称える儀式がすんだ。痛みは激しくなり、先生の車で病院に向かった。
病院で検査を受けた。医者は固い表情で告げた。
「左膝前十字靱帯の断裂です。大怪我ですな」
「先生、治るんですか?」
「手術を受けて、リハビリすれば、またスポーツに復帰できるでしょう。リハビリはしんどいですよ」
「オレ、手術受けて、リハビリ頑張ります」
医者は、しばらく、選手としてプレーするのを禁じた。佑樹は従うことに同意した。手術は全身に麻酔をかけて一時間で終わった。三時間後、歩行器を使ってベッドから立ち上がった。別の筋肉の腱を切り取り、切れたところに繋げたぐらいしか理解できなかった。
心配して付き添ってくれた副主将の飯倉とマネージャーの安野は、膝の怪我を彼らなりに気遣ってくれた。選手の父兄に高校まで車で送迎してもらった。テストで赤点を取ったとき、飯倉と安野のノートが補習の参考になった。
半年が過ぎ、大学生になった。花園の夢が絶たれた佑樹は、関西の私立大学に入った。五月の終わり、ようやく膝が元通りに動かせるようになり、筋力トレーニングを再開した。練習にも加わった。
佑樹は練習の休日、母校を訪れた。OBとして出向き、監督や後輩に挨拶がてら頭を下げ、感謝の気持ちを言葉に表した。
「いままで有難う。いろいろ後輩たちに面倒かけて、スマンかったな」
「いや、エエですって。ユウキ先輩は、みんなのために精一杯プレーしたんですから。支えるのは当然です。先輩後輩なんて関係ないです。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンですよ」
何度も耳にしたフレーズが、そのときは胸にじんと沁みた。
大学二年の春にやっとレギュラーを獲得できた。気持ちは上向いた。が、悪い夢はまた彼を地獄へ連れ戻した。久しぶりに試合に出たが、相手選手と接触して、同じ左膝を痛めた。左膝前十字靱帯を損傷した。目の前が真っ暗になった。こんどは手術こそ必要なかったものの、医者から再度のリハビリと練習の自重をいいわたされた。二度のリハビリは佑樹を精神的に苦しめた。傷を克服してプレーを続けてきたのに、また振り出しか。地道な練習の積み重ねと怪我再発の悪循環や。高校時代から続く、辛く、苦しいリハビリ。ほとほと嫌気がさし、疲れていた。そんなとき、大学の部室を北村が訪ねてきた。仕事中やけど、と前置きして、佑樹の近況や愚痴を聞いてくれた。北村は、
「自分を追い込もうとすんな、ユウキ。もっと気楽に構えろ。悠然と、な」
と励ました。すでに監督とは話してきたともいった。
数日たち、監督からポジション変更を告げられた。左センターからフォワードのフランカーとして再起を図ることになった。しかし、体格と練習量に勝る二年、三年の選手からレギュラーの座を奪うのは容易でなかった。古傷は、充分に完治しない状態のままで長引いた。くすぶっている選手生活に、心は腐りかけた。陰に北村の支えがあったのも忘れ、佑樹は不満足な体を持て余した。リハビリ訓練をさぼり、日がな一日パチスロに興じて時間潰しをしたこともあった。大学の後輩を強引に誘い、山道をドライブさせて車に揺られた。ドライブに飽きると、山頂の展望台を目指そうと提案した。展望台に着いた。車を降り、足をかばうように引きずりながら歩いた。展望台の柵にもたれた。曇っていた夏空の隙間から、わずかに夕陽が顔を覗かせた。ビルの谷間と空や雲を赤く染めていく太陽に見とれた。とても綺麗だった。心の中まで赤々と照らされる気がした。リハビリ中に北村と会い、いわれたひと言が耳の中で木霊した。
自分を追い込もうとすんな、ユウキ。もっと気楽に構えろ。悠然と――。
リハビリを頑張れ、と北村はいわなかった。頑張りますといったのも、何でも頑張ろうとするのも、いつも自分のやりがちな行動だった。その傾向が足を引っ張っとる? そうか。頑張らなくてエエんや。周囲は、自分を追い込んでいるように見えるんや。そのときになって、ようやく自分の性格をちゃんと意識し出した。次第に青みがかる空に、一番星が輝いている。よっしゃ、願掛けしとこ。佑樹は、いつか晴れ舞台に立てますように、と星に願い事をした。黄昏が夜空に変わると涼しくなった。旨いものでもご馳走したるわ、腹減ったやろ、と後輩を気遣った。なにかがふっ切れた感覚が、心の中にしっかり根を張った。
それからの佑樹は、リハビリで順調に回復し、膝も元通りに動かせるようになった。痛みもなくなった。フランカーの補欠として試合に起用され、得点する場面も増えた。
監督の信任を得て、フランカーのレギュラーとして試合に出始めたのは、冬を越え春へと移った頃だった。夏合宿で、佑樹はまた一段と成長を遂げた。長いトンネルを抜けたと思った矢先、朗報が届いた。大学三年の秋だった。佑樹は日本代表のフランカーに選ばれたのだ。二十一にして代表チームに召集された。まさかと思った。またとない僥倖に、佑樹は喜んだ。彼の才能に高い評価をつけていた日本代表ヘッドコーチの高藤は、膝に古傷を抱える新人を、敢えて国際親善試合のアイルランド代表戦に出場させると約束してくれた。試合を半年後に控え、日本代表フランカーとして練習を重ねる日々に明け暮れた。
あるとき、主将の宮里ら二、三人がそばにやってきた。宮里が口を開いた。
「川添、噂は聞いている。いま、いくつだ?」
「二十一です。ユウと呼んでください。中高時代、そう呼ばれていました」
「ユウね。ユウはまだ若い。これから伸びる。特にセンスと読みがいい」
「はい、有難うございます」
「しかし、高校のとき左膝を痛めたと聞いたが」
「ええ……」
「大学でしばらく芽が出なかったのも、それが原因か?」
「それは関係ないです。宮里さんは、怪我で戦列を離れたことはありましたか?」
「オレか? ああ、肩を痛めたことはあったな。すぐに復帰できたよ」
「そうですか。メンタル、強そうですもんね」
「まあな。相手にビビっているようじゃ、主将は務まらないし」
「オレは暗示をかける。相手も同じ人間だ、弱さを見せたら一気に潰してやる、と」
「すごいですね」
佑樹は先輩らの台詞を素早くメモした。宮里らの話に気概を感じ、自分も身につけようと努力していた。
「じゃあな」宮里らは笑顔を見せて、クルリと背を向けた。
ラグビーはメンタルのスポーツだ――。代々のコーチ陣から何回も耳にした言葉が脳裏をよぎった。相手のプレーに惑わされてはならない。どんな状況におかれても自分を信じ、チームメートを信じよう。そう心に刻んでいた。
日本代表に選ばれてから、大学時代に経験したメンタルトレーニングを本格的に受けた。コーチから、「闘争心が強く、集中力の高いタイプ。粘り強い努力家。自分を追い込みがちになる精神面を克服しさえすれば、まだまだ伸びる」という評価を受けた。チーム専属のメンタルトレーナーは選手一人ひとりをサポートした。具体的には、特定のプレー目標を設定するよういわれ、個人としてどう取り組むかを紙に書いて提出した。文字を通じてトレーナーとコミュニケーションを図る意味らしい。他のコーチや選手らが、試合の直前に関係ない話で笑わせてくれたのも、緊張がほぐれ、リラックスでき、いい状態で試合に臨めた。海外でスポーツ心理学の研究を長年重ねてきたメンタルトレーナーの大野原は、「年上が多いからと怯むことなく、思った気持ちをはっきり伝えなさい」といった。「萎縮してコミュニケーションをとらないこと、暗黙の了解、連帯意識の譲り合いは、全部禁止。日本式の思考法は捨ててほしい」と厳しく指摘した。一方で、左膝故障の不安を抱える佑樹に対し、「大丈夫。膝は元通りに動くから、思い切ってプレーしなさい」と励ました。フランカーとして力を発揮するため、まず、肉体面を強くする。次に、体重を増やす。大前提として二点を要求された。そのうえで、三つの課題をヘッドコーチから出された。相手にタックルする回数を増やすのが一つ。倒れても起き上がり、追いかけるのを諦めないのが二つ。接点を多く作り、相手に攻撃の的を絞らせないのが三つ。それらの達成のためにコーチと話しあい、残された時間内で出来ることを見つける作業に入った。作業をクリアし、佑樹は周りの信頼を勝ち得て、自信を深めた。日本代表というチームが、組織として充分に働くよう、トレーナーらは選手とヘッドコーチをつなぐパイプの役目のようや。あとになって佑樹は思った。各選手には個別面談の時間が設けられた。佑樹は、「相手が大きくて、タックルにいくときに不安だ」と紙に書いて渡した。大野原は、「そういう漠然とした不安には、ボールをしっかり持つ、サインプレーをよく確認する。ふだんから支配できる事象だけ考えなさい」と諭した。他の不安がる選手も佑樹同様、不安の原因を書き出して対処法を教えてもらったらしい。力を最大限に発揮する動作は、なんのために行うかを確認する話しあいが何回もあった。その目的を明確にするのがもっとも重要視された。
選手別にプレー目標に関する、試合前後の評点を義務付けられた。目標とする具体的な動作を幾つかの細かい項目にわけ、5点内で自己採点を書き記した。佑樹の場合、それぞれの項目は次のように記入した。【タックルするとき相手の動きをよく見る】。【周囲の味方も視界に入っている】。【倒されても追いかける気力がある】。【相手の攻撃を止められる】。【相手にボールを簡単にパスさせない】。【相手にこちらの作戦を読ませない】。【試合の最後まで、諦めずにボールを追いかける】。これらに評点をつけ、どこが悪くてどの調子がよかったかを分析した。この分析法を続けた結果、動作前の準備が充分にでき、動作は安定した。高い状態で動作を維持できるようになった。大野原によって、こうした項目は、「よい結果につながった動作」として記入を要求された。同時に、「その動作の目的」も書かされた。逆に、修正すべき動作をコーチとよく話しあい、項目に反映させた。大野原は、「その動作が必ず結果につながるんだ、と思いこむな。ただそれに集中し、実行するだけを考えなさい」と忠告した。
国内の壮行試合が行われたとき、高藤ヘッドコーチは、
「力が劣っていても、俯くな。かっこつけて堂々と歩けよ。勝者みたいに」
といった。佑樹は高藤の言葉に驚いた。高校時代の監督と同じ台詞を高藤は口にしたから。稲瀬高校の監督が口を酸っぱくしていい聞かせた常套句にそっくりだ。それを小声で伝えたら、相手に飲まれないためだ、と種明かしをされた。ハーフタイムのあいだ、短いやりとりで、後半に向けた修正点をいい合い、結果が伴わなくても、ミスを犯しても、チームで励ましあった。気持ちを切り替えるため、自己暗示をかけてひとり言を唱える選手もいた。
数日して、高藤自ら、「なんのために戦うのか」、「チームとしての目的はなにか」を、選手を指名して答えさせた。「ワールドカップでベスト8にいくため」という選手もいたし、「目の前の相手に勝つため」といった選手もいて、そちらの方をヘッドコーチは高く評価し、より多くの拍手が起きた。
佑樹は高藤から、どんな状況でも、膝に違和感を覚えたらすぐトレーナーを呼べ、といわれていた。
主将の宮里も、年下の佑樹に気を配った。孤立させず、気軽に声を掛け、自分の音楽プレイヤーで好きな曲を聴かせてくれた。緊張していたら肩を揉んでくれた。監督と各コーチ、トレーナーの風通しはよく、スタッフの息の合った相性が、そのまま選手間のチームワークの良さにも通じていた。佑樹はフランカーとして伸びた。大学時代の監督の指導と効率的な練習量の成果に加え、高藤が彼に目をかけ、適度にトレーニングを軽くする日を設け、選手を休ませて自己管理を促すことで花開いた。高藤は、ともすれば筋力トレーニングや走りこみに時間を費やそうとする佑樹に、つねに精神的な余裕をもって取り組みなさい、ラグビーはメンタルスポーツだから、と諭した。
休日は、暇さえあれば自宅で過去の日本代表の国際試合のビデオを丹念に観た。集中すると疲れてきた。ベッドにゴロリと寝転がった。白い天井を見つめた。照明器具以外、何もない天井だ。やがて飽きてきた。視界は天井から壁へと移った。白い壁に大きな写真が飾ってあった。新旧ふたつの写真が並んでいた。ぼんやりと眺めているうちに、撮影されたときを思い返した。一枚は、桜のエンブレのついたジャージに袖を通し、芝の上に誇らしげに立つ日本代表の宣伝用写真だ。知り合いからもらった。もう一枚は、中学時代のラグビーを始めて間もないころの写真だった。北村も写りこんでいた。北村との出会いがすべての始まりやったんや。そう実感した。あのとき、古墳の前ですれ違わなければ、いまのオレはない。文化部にいたまま、スポーツと無縁の学生時代を送ったかもしれなかった。そう考えると、北村の存在と影響はとてつもなく大きかった。ラグビーも、出生の秘密も、単なる青春時代の一コマに過ぎなかっただろう。そう思った。その記憶が、道のりが、写真を見ると蘇る。デジタルの時代になっても、プリントして思い出を残せる良さが、写真の魅力のひとつかもしれない。いまになって気づいた。
古墳、行基、大地震、実父とラグビー。不思議だった。なにかが影響を及ぼし、突き動かされるようにして次の事象に繋がっていくような、偶発的でない連鎖反応のような気がした。天啓なのか、宿命なのか。劇的に、鮮烈に、想像も及ばなかった進路を歩んできたのだ。
苦しいときを乗り越えた佑樹は、いま、日本代表として桜のエンブレム入りのジャージに袖を通し、アイルランドの芝の上に立っている。試合開始前、国歌を斉唱し、日の丸を背負っている。ここまでの道のりに手を貸してくれた多くの仲間やコーチ、ヘッドコーチ、監督、友人らに感謝の気持ちをこめる。目を瞑る。有難う、みんな。試合に出ていいプレーをみんなに見せたい、チームメートのために誇らしいプレーをしたい。心の中でそう願い、笛の音が耳に入る。佑樹の胸は高鳴る。よし、最初のトライを奪いにいくぞ! 大歓声の中、宮里の気合いが耳から鼓膜に伝わり、魂を揺さぶる。
***
「よう! いつ以来や?」
向こうから声を掛けてきた。アツシと再会したのは、桜の舞い散る晴れた平日の午後のことだった。西斗の国道沿いで出会ったアツシは、スーツ姿にリュックを背負い、松葉杖をついていた。
「アツシやないか。どうしたんや、その足」
「ちょっと家の階段で足、滑らせてなぁ。骨折してもうたわ」
目元に照れが見えた。アツシとは大学の友人だ。社会人チームのコーチとして、ラグビーに携わっている。午前は仕事、午後からはコーチとして指導の毎日だ。三十三のとき引退した。いまは営業の仕事をしている。そういうことらしい。仕事も終わり、これから練習先のグラウンドに向かうため、タクシーを捕まえているところに出くわした。立ち話をして、彼が未婚者だと知った。
「生活、たいへんやろ?」表情を窺いながら訊ねた。
「兄貴が自宅に来て世話してくれとる。食事は弁当ですませてんねん」
元気そうな答が返ってきた。さぞかし辛かろう。風呂もシャワーだろうし、ギプスの部分は濡らせないかもしれない。あの負けん気の強かった彼が、まさか松葉杖をついて不自由な独身生活を送っているとは思わなかった。海沿いを走る沿線の青木という駅から数分のアパートに住んでいる。同じ二階にひと回り上ぐらいの男がいて、顔見知りになった。近所の病院や公園などを教えてもらった。一緒に定食屋に行くこともあった。バツイチのオッサン。女連れ込んで同居して、二人で生活している。相手の女とも挨拶程度の面識はある。いまの職場はMBJ銀行の二葉支店。アツシは早口でそういうと、やってきたタクシーに乗り込み、去っていった。去り際に、ここにメールをくれと名刺を渡された。
彼の話を女房のナミに聞かせた。大学時代の友人と会った。ひとり暮らしで、階段で滑って足を骨折した。不自由な暮らしぶりだ。会って聞いたとおりを喋った。すると、「むこうさえよければ家に呼んだら?」と軽くいわれた。そのあとも、ラグビーやアツシとの思い出などの話題が占めた。北村はいつになく機嫌が良かった。早速、もらった名刺を取り出して、自宅に来るようメールで誘った。
アツシを家に招待したのは、四月半ばの日曜日の夜だった。ナミの手料理を振る舞わせたら、案の定、彼は喜んでバクバク食べた。ふだんから家庭料理に箸をつけてない証拠だろう。肉じゃが、白身魚のソテー、春雨サラダ、ニンジンと蓮根のきんぴら、大根の味噌汁、果てはべったら漬けまでボリボリと音をさせて旨そうに食った。アツシは旨い、旨いと連呼し、早く嫁をもらいたいと口にした。隣でその豪快な食べっぷりに目を丸くした基弘は、マイペースを貫いていた。熱々の味噌汁を少し待ち、ハフハフ息をかけては少しずつ汁を啜った。食事が済み畳に寝転がる、腹のふくれたアツシを基弘が揺さぶった。
「一緒に遊ぼうよ」「よし、じゃあ、バンジーごっこだ!」
アツシは、ギプスをはめたまま片膝をついて立ち上がると基弘の両足首を掴んだ。一気に逆さまにして鉄棒でやるように基弘の体をブラブラ揺する。ときどき高くし、畳すれすれにした。まるで人間遊園地のように弄んだ。最初こそ恥ずかしそうにしていた基弘も、アツシがいい遊び相手になると知るや、ふだんは一人でゲーム機をいじり倒す子が満面の笑みをたたえ、夢中になって遊んだ。夜十時を回り、眠くなったのか欠伸をした基弘を北村は風呂場に連れていき、一緒に入浴した。風呂から上がると、基弘は部屋に入り、電気を消した。すぐに寝息が聞こえてきた。基弘の寝たのを見計らって、大人たちは買い置きしておいたチリ産ワインを開けた。アツシは、ラグビーOBで飲み会をやっとる。また、メールを寄越す、といった。
翌日から、またせわしない日々が始まった。会社まで朝の国道沿いを車で走り、定時の十五分前に着いた。机の上には、保険に関する説明書や契約マニュアルなどがどっさり山積みで左半分を占領している。北村は転職したばかりの新米で、まだ仕事の進め方に戸惑っていた。保険の種類も年々増え、覚えなければならない事項や法律は多かった。解約された場合の計算方法などが書かれたマニュアルのページを読み直し、頭の中で復唱した。先輩社員に連れられ、得意先と新規のお客様の外回りに出たのが、午前十一時過ぎ。それから午後三時まで、ずっと得意先と車の中を行ききし、先輩と過ごした。二人きりになると、あれこれと注意する点を指導された。基本的に北村は、先方に口出しせず、先輩がどんな風に営業の話を展開するのか、横で頷きながらメモを取った。先輩の合図で、すぐ資料をカバンから取り出し、具体的な条件に応じて、お客様が受け取れる金額や給付金、月払いの保険料の計算をタブレット端末で計算した。お客様の年齢に応じた金額を、グラフや表にして提示する補助的な仕事を担当した。腹は減るし、お客様に断られると正直がっかりするときもあった。
アツシからのメールが届いたのは、水曜日だった。飲み会の日取りが決まった。北村は久しぶりに飲み会に参加してみようと思った。保険会社に転職し、刷り立ての真新しい名刺を配り、挨拶しなければと考えていた。
飲み会の当日、北村はいつになく忙しかった。待ち合わせの時間に間に合わず、幹事に遅れるのを詫びるメールを送り、最寄り駅からじかに会場に向かった。すでに懐かしい顔ぶれが並び、元西原大ラガーマンたちは酒を酌み交わしていた。
「おう、タモツ。元気やったか?」
「ああ、元気や。すまんな、遅れて」
ビールを注文し、早速、仕事の話から入り、大学の思い出話に花を咲かせた。貸し切りの会場は大入りで、盛況だった。最後に幹事のアツシから提案があった。
「わが西原大ゴールデンバンジーズは長年苦杯をなめてきました。でも有村靖監督が就任して以来、連勝を続け、強いチームに生まれ変わった。有村監督の立て直しがあったからこそ、結束が生まれ、チームがチームとして再生しました。『有村マジック』の異名を取った戦法や基礎トレーニングを、ラグビーを知らない少年たちに伝授したい。未来のラガーマンを育てるべく、おれらと有村元監督が一肌脱いで、ワールドカップにちなんだ記念イベントを開催しませんか。いや、もうそのつもりで何人にも声を掛けています。小、中学生に楕円球を持つ楽しさを、ラグビーの世界を知って欲しいんです」
アツシは熱弁を奮った。少しまを置いて、演壇の端に置かれたコップの中のビールで口を湿らすと、さらに続けた。「そこで、有村元監督に打診して、おれがコーチを務める社会人チームのグラウンドを使った体験イベントを、五月の終わりにやりたいんです。賛同される方は、ぜひ準備を手伝っていただきたい。ご覧のように足がこんな状態なんで」
場内から失笑も起きたが、痛々しい姿で母校の栄誉と未来の桜を背負う世代育成の抱負を語る彼に、温かな拍手が送られた。そのあと、名刺交換が始まった。
「おう、タモツ。転職したんやって? どこ?」
「生保や。西斗の二葉にある、関西中央生命」
「ああ、なるほど」
「生命保険に入りたい人は、是非ウチの会社に回してくれへんか?」
掌を合わせてポーズを取る。すると横から、
「OBの田所さん、知っとるやろ? 田所さん、奥さんに入ったらって勧められたらしい」
「よっしゃ。名簿で調べて、田所さんの会社を訪ねてみるわ。有難う」
こんな調子で、仲間の繋がりが仕事の助けになる。紹介されたら、そちらに仕事を回す。ラグビーで楕円球を回していくように。そういう仕組みが部の強みだ。閉会後、賛同した数名はイベント協力者リストと書かれた申込書に名前と携帯番号などの個人情報を記入した。数日して、準備の話し合いが行われ、イベントの開催を手伝う運びとなった。
五月に入り、仕事にも慣れた北村は営業の外回りに出ていた。コインパーキングに停めた北村は、腕時計を見て、すっかり仕事の時間が押しているのを忘れていた。慌てて牛丼屋に駆け込み、券売機の「牛丼大盛り」のボタンを押した。牛丼を待つあいだ、アツシの語った中身を思い出していた。おれらと有村元監督が一肌脱いで、ワールドカップにちなんだ記念イベントを開催しませんか――。彼は、こうも語った。体験イベントをやりたいんです。賛同される方は、準備を手伝っていただきたい――。先週からアツシらと、記念イベント開催に向けて動いていた。イベントの資金を集めるべく、スポンサー探しを呼びかけていたところだった。西斗近辺でスポンサーになってくれそうな企業やOBらを頭に浮かべていたとき、牛丼がコクのある香りとともに黒のお盆にのって運ばれてきた。北村は牛丼を食べながら、営業回りのついでに、訪問する会社に記念イベントのスポンサーになってもらうのを打診してみようと考えた。
店を出て車に乗り込んだ。最後の会社に向かった。会社に到着し、応接室に通された。保険の話で応対した二名の社員は普通のサラリーマンで、ラガーマンでもなんでもなさそうだった。保険の勧誘を終えてスポンサーの話をしたら、偶然だったが、そこの役員に元西原大ラグビー部のOBの方がいらした。気を利かせて呼んでもらった。OB役員はわざわざ顔を見せた。二十分ほど話しこんで、その会社とスポンサー契約を結び、協賛金をとりつけることに成功した。あらためて、体育会系の強い結束に支えられているんやと喜んだ。
五月のイベントに向け、準備は着々と進んだ。イベント当日、曇り空の中、プログラムが進行した。楕円球を持って走る、落とす、体でぶつかる姿は、遠い日の自分を見ているようやと思った。何気なく助けた佑樹と名乗る少年も来ていた。北村は嬉しかった反面、彼に付き添う母に戸惑いを覚えた。彼女はかつての恋人だ。その子どもが……。初対面のときから、同じ血筋だと直感した。コーチをしながら、佑樹のことが頭を離れなかった。
五月のある朝、早くに目覚めた。ちょうど東の空に太陽が顔を覗かせていた。その日生まれたばかりの円盤は明るい輝きを放ち、遠赤外線ストーブのように赤い目玉焼きだった。きょうも天気がよければ暑くなるだろうと思った。その晩、暑かったので窓を開けた。草いきれの匂いがした。外から虫の鳴き声がする。ジーッ、ジーッ……。子供の時分から、暑くなるのを知らせる風物詩だ。息子の基弘は、「ジージームシ」と呼んだ。静かな夜に冴えわたる響きにじっと聞き入った。平和だなぁと思えてきた。夜通し聞こえる冷蔵庫の機械音とはまた別の、でもどこか相通じる温かみや安心感があるように思った。
「あなた。洗濯物を干すの、手伝うて」
「ああ。やるわ」
ナミに催促され、自分の下着やシャツ、基弘の服などを部屋干しした。晴れが続かず、ぐずついていた。ちょっと晴れたかと思うと、曇りや雨の日が周期的にやってくる。体調を崩したナミは、洟水をシュンシュンいわせて啜りながら、風呂場の窓を開け、タオルやシャツをテキパキと突っ張り棒にかけていった。
「なぁ。夜、静かやな。窓、開けとんのに」
「そうね。ひところは、上や下の階のお子さんたちが賑やかにしてたんよ」
「やろ? 五月の夜なのに、随分物音がしなくて、シーンとして。なんだか気持ち悪いぐらいやで。ところで、上の階の玉田さんの奥さん。最近、見かけへんな」
「あら、そうなの? そうかしら。ときどき出掛けているようやけど。実家に戻ってらっしゃるのかしら」
「まさか。旅行かもしれへんな」
最近姿を見せなくなったといわれる燕がようやく巣作りのために飛び回る季節になったのは、梅雨入りしてからだった。毎日空は曇り、ザーザーと雨が地面を打ちつける日もあった。酷くなると、車から降りて歩いても傘の隙間を縫ってズボンの裾を濡らし、そこだけが濃い色に滲んだ。
脇をすり抜ける人影があった。振りむくと若い女性が傘を持たずに、駅の改札に向かって走っていく。習字の筆のように水を含んだ、濡れた長い髪がブラウスにまとわりつき、見るも哀れだ。思わず傘を使ってくれと手渡したくなるほどだった。歩道にできた水溜まりをスニーカーで踏んで駆けていくその女性は、きっと足もずぶ濡れになっていると想像した。
その頃の北村は、新規の店舗出店のための準備に追われていた。関連会社に告知の電話を入れた。新店舗に度々足を運び、工事の進捗状況を確かめ、責任者と打ち合わせを繰り返した。インテリアを含めた内装、照明の色、配置の確認、看板の大きさ、見やすさ。お客様のいちばん目につきやすい部分を特に点検した。もちろん、後輩社員、業者の方、数人と。当時忙しくて、帰りも遅くなりがちだった。帰ると、女房はなぜかイラついていた。
「ただいま帰りました」北村は基弘を気遣って小さな声で挨拶した。
「本当に遅かったわね」ナミの言葉にとげを感じた。
「ああ、すまん。メール入れたやろ?」
「それは見たわ。そうじゃないねんて」
「え? どういうことや?」
北村は女房のいわんとする中身を知りたかった。ナミは黙り込んでしまった。ソファーに座り、テーブルに置かれた雑誌の記事に目を落としている。
「なあ、なんやねんなあ」北村は本音を語らないナミにじれた。
「うるさいなあ。バカ。自分で考えたらどやの?」
ナミは冷たい言葉を浴びせ、叱るような激しい口調で北村を遮った。北村は背中を向け、クローゼットのある寝室に向かった。なんなんや、あの態度。ボヤキが出た。最近のナミは特に不機嫌な気がした。なぜだろうと首を捻るしかなかった。いまは干渉しないようにしておこうと距離を取るのを考えた。嵐が過ぎ去るまで耐える。ムダな会話を避けよう。そう思った。それから、女房の言動に対しては少し神経質になり、できる限り食べた食器を自ら進んで洗い、ゴミ箱のゴミをまめに集めた。当然、一日も欠かさずゴミの日にゴミを出した。散らかっている基弘のおもちゃ箱まで整理してやった。ナミは最近の北村の努力に気づいたらしく、口では優しい言葉をかけてくれた。が、いまひとつ表情が冴えないままだった。夫婦間でよくあることかもしれないと不安を感じつつやり過ごした。
次の日は、朝から外回りに出た。すでに完成している新店舗に立ち寄った。綺麗な胡蝶蘭がたくさん飾られていた。担当社員に挨拶し、激励してから取引先を回った。国道沿いに車を走らせた。あいにくの曇り空だった。ときおり陽射しが雲間から差し込むと、カーテンのレースのように透けて薄白く輝き、車の前方に光のベールの帯を作った。流れに沿って途切れなく、一定のスピードで走っていた。次第に前が詰まりだし、運悪く北村の車で赤信号に引っ掛かった。杖を突いて歩く老人が、よたよたと横断歩道を渡りだす。その横を、犬を連れた散歩がてらの主婦と思しき女性がサンバイザーをかぶり、犬をリードで引っ張りながら歩いて抜かしていく。やがて、青信号が点滅し、赤になった。上下六車線の広い道路だ。老人は真ん中の待避所に取り残された恰好になった。立ち止まってハンカチを出し、汗をふいている。哀れな老人と思いつつ、アクセルを踏み込み走りだした。幹線道路を左折して、六十分二百円のコインパーキングの「空」のサインが目にとまった。スペースを確認して入り、バックで車を停めた。腕時計で時刻を確かめた。ひとりで商談を持ちかける場合、無駄なく相手の知りたい情報を伝えないと、次の仕事に差し障る。駐車料金などの経費の無駄も、積もれば馬鹿にならない。目的地のビルまで歩いて到着した。歩きながら、さっきの老人のことを思った。老人に家族はいるだろうか。生命保険なんてかけてないのだろうと推察した。おそらく、年金を受け取り、退職金もごっそりもらっているに違いない。うちのように子どもがいて、主たる所得を得ている配偶者の病気や死亡などで困ったときに一番オススメなのが、生命保険だといっていい。いわゆる掛け捨て型の従来からある定期保険のことだ。会社の主力商品は、死亡保険と独立型の医療保険だ。北村自身も、会社で入る健保に加え、独立型の三大疾病保障特約の医療保険と定期保険に加入している。北村の銀行口座から、年間四十万円ちょっと自動引き落としされている。営業にはパートナーがいた。ファイナンシャルプランナーだ。彼らは店舗に常駐し、来客に対面して営業する。が、待っているだけではセールスは伸びない。宣伝もかねてパンフレットを各会社に配って歩くのも、大事な仕事のひとつだ。会社員が対象の場合、資格を持った社員が随行し、若い社員等を相手に、業務の合間の時間をいただく。ファイナンシャルプランナーは、社員の資産や家族の状況など個人的な事情を訊ね、家族設計や将来像を絞り込む。北村も、さまざまな保険の種類を選んでいただけるよう、お客様に適した保険を勧めた。昔ながらのマンツーマンタイプの営業の時代は過ぎた。定期保険などの三大保険以外の、いわゆるガン保険やこども保険、貯蓄保険まできちんと説明した。何歳でいくらもらえ、保険料は何歳時に何円支払うかまで、その場で計算してグラフで示すのが通例だった。お客様に納得してもらってから契約の話に入るのを遵守した。具体性のある数字とグラフをタブレット端末で計算して客に見せる時代になった。北村は詳しい計算法こそ不勉強で強くないが、概要は教育されていた。その気にさせるトーク術も身につけたと自負していた。
転職以前からコーチを引き受けていた少年ラグビーチームに、佑樹が加わって、密に会うようになると、特殊な感情を抱いた。直感は間違いない。やはり、彼はおれの子やろ。そう感じた。佑樹が気づいていたかは知り得ない。夏休みの宿題を手助けしてやろうと思ったのも、そういう感情の現れだった。まさか、不慮の災害で生活全般に影響が出るとは、北村も思いもしなかった。
地震は前触れもなく一家を襲った。幸い、家族は無事だった。北村は、仕事先からすぐにメールを入れた。なにより、家族の安否を確かめたかった。
「西斗でも大きく揺れた。そっち、どないや?」
「こっちが震源地らしいんよ。家は、なんとか持っとる。モトもわたしも大丈夫やで。鉄骨のマンションやし。町は……分からへん」
「そうか。心配やから、早めに帰る。モトに代わってくれ」
しばらくして、少し小さい声が電話口でかすれた。
「お父さん。ぼく、ちょっと怖い」
「もう、大丈夫や。夜までにお父さん、帰ってくるから」
夏休み、平日の昼間だったのが幸いした。家にいた基弘はナミと共にテーブルの下に逃げ込み、地震が収まるまでじっと耐えたそうだ。北村は夕方に帰宅した。会社で、すぐに帰っていい、あのへんは危ないらしいから、と早退の許可が上司のほうから出た。家の中は引き出しに入れた衣類や小物、食器棚のガラス戸などが割れて、危ない状態だった。ナミは気丈に振る舞ったようで、ガス栓はきちんと閉めていた。もしかしてと、台所の水道に手を伸ばし、上下するレバーを持ち上げてみた。水は一滴も出ない。
「ムダよ。屋上のタンクの水で少しだけ出たわ。飲み水用と風呂場に貯めたトイレ用があるけど、すぐに止まった。貯めた分でどれだけ持つか。広報車が回ってきて、『水道管の破裂でしばらく断水します』やって」
ナミはふて腐れたようにいった。夜になる前、ナミが掃除してガラス類だけでも新聞紙にくるみ、壊れた家具類と別にした。家に異常がないので住めるのは保証された。ベッドは元通りで、家具の一部が壊れただけですんだ。しかし、水も出ないし、電気もこない。夏の暑い夜、電気の停止は地獄や。容易に想像がついた。一晩だけなら、寝付くまで車内でクーラーをかける方法も、と考えた。が、基弘やナミが安眠すると思えず、すぐに軽い考えを否定した。不安な一夜を自宅で迎えた。三人が同じ部屋で、ベッドの横に布団を二組敷いて寝た。窓を開け放したが、寝苦しいほどに暑かった。北村は、携帯と非常用のラジオだけは枕元に置いておいた。
翌朝、疲れと不安が酷かった。睡眠不足がたたり、寝坊した。家族の健康を確かめ、仕事に出かけた。車はダメやと思った。動いているのを確認して、電車で通勤した。職場では、昨日の地震で被害を受けた話でもちきりだった。仕事そのものにも影響がでた。被災したお得意様も大勢いた。通信回線が切断され端末が使えず、商売にならない。車は使えないとすぐに知った。道路にひびが入り、迂回路を使っても相手先へ辿り着けないと周囲からいわれた。外回りは大幅に制限され、違う業務に当たった。携帯の災害掲示板に安否確認や被災状況が出ていた。当社で設けた緊急の携帯用伝言板には、被災して怪我されたお客様や入院した方たちから、保険適用に関する問い合わせが殺到していた。その応対に北村も追われた。シーンとして音ひとつたてない、デスクの固定電話がやたら不気味だった。
ひと月たち、病院の見舞金や怪我をした契約者への一時給付金の手続きは落ち着いた。インフラ復旧は時間がかかり、依然として、仕事の中断を余儀なくした。人手は余っていた。北村は、福岡支社に転勤を命じられた。着任して一年目ではあったが、うちの営業エリアの被災状況を考えると仕方のないことや、スマンな、と山本課長に肩を叩かれた。福岡に単身赴任の辞令を受け、北村は福岡支社の寮生活に入った。久々のひとり暮らしで、アツシの気持ちが分かった気がした。九月、十月はまだ慣れない土地で営業がてらに飲み明かす晩が続き、寂しさは感じなかった。それも秋の紅葉を過ぎると、週末に家族と電話する以外、寂しさを紛らわす手段がないのに気づいた。枯葉が道路に落ちるにつけ、溜息交じりになった。西斗と故郷が懐かしかった。福岡の活気はそれ相応に楽しく、賑やかさは営業にもってこいだった。九州人の情の深さに感銘も受けた。が、学生時代から社会人の何年かを過ごした思い出は断ち切りがたかった。福岡支社の同僚は、町に出ようと誘ってくれた。が、黒革の財布に忍ばせた親子三人の写真をついつい見ては、故郷に思いを馳せた。北村の肌は、福岡の夜のネオンより、西斗の青空、緑に映える山々、汗を流したグラウンドや芝の競技場、家族でいったピクニックの明るい陽射しに照らされた情景を、時の流れとともにしっかり刻んでいると思わずにはいられなかった。毎朝起きてひげを剃るたび、日焼けした肌が恨めしかった。鏡の中の自分を見ては、早よ家族の元へ帰りたいで、と呟くのだった。
師走を迎えた。西斗の町は復興の光を取り戻した。ライフラインは二週間で繋がり、電話やインターネットは十月半ばにサービスが再開された。もうこちらは安心して暮らしているとナミからの電話があった。一部の家屋は全半壊し、復興住宅の団地が建設されたともいった。北村は、年末に帰省する、と最後にいった。一通の手紙が届いた。宛名に、「北村保様」と不慣れな文字が並んでいる。大人の字。差出人は女房だ。封を開けると別の字体だった。大地震が起きてから数週間ほど、四国にいっていた。仮設校舎で十月から二学期が始まり、土曜を補習で潰し授業は終わった。ラグビーをできず残念だ。そう書いてあった。届いたのは佑樹からの手紙だった。わざわざナミが福岡まで転送してくれた。課長からメールがあった。仕事はうまくいっとるか。三ツ星グラウンドは液状化現象で地盤改良工事が始まり、無期限で使用不可。使えるまで、しばらく練習も休止や、と。
年の瀬、北村は西斗に帰省した。基弘が、「お父さん、寂しかったで」と抱きついてきた。その晩、外食に出かけた。親子水入らずで楽しく語らい、レストランで団欒のひとときを過ごした。年が明けた。正月、基弘にお年玉をやった。
「モト。お年玉、なにに使う?」
「ひみつやで。エエもん買うため、ちょきんするねん」
貯金。八歳にして、もうお金をためて、有効に使えるとは頼もしかった。
「よっしゃ、よっしゃ。エエ子や。こんど福岡のお菓子を買ってかえるからな」
北村は機嫌よく喋り、息子の頭髪を大きい手でくしゃくしゃに撫でてやった。ラグビーの楕円球より愛おしかった。
福岡に戻ると、年明けは多忙だった。佑樹のことは、いったん頭から消えた。季節を忘れ、懸命に不慣れな土地を回り、客に頭を下げた。既存店では、ファイナンシャルプランナーと連携し、保険の仕組みをかみ砕いて説明した。具体例を挙げ、お客様のご主人が病気になり三大疾病に罹られたとき、月々これだけの保険料をかけておくだけで……と野太い声を抑え気味にして、にこやかに応対した。
三年目の冬を迎え、営業も苦にならなくなった。知り合いやお得意様も増えた。仕事柄、たくさんの人に会い、話をし、相談にのった。赴任して間もないころの寂しさや孤独感は消えた。ただ、この支社で出世するには、相当の年月を要することを覚悟した。春が巡れば、いつ辞令を交付され、全国どこかの支社、支店に転勤するかもしれないという、「会社の駒」にされている気がした。課長に、ひとり息子が小学生で少しでも父の姿を見せたい、三年をめどに西斗支社に戻りたいと希望を申し出た。が、課長の反応は、私の一存で決められない。本社の人事部とかけあってくれ、とすげなかった。本社にメールで丁寧に人事の希望を伝えると、人事部課長は、考えてはみる。望みに沿うか答えようもない、と役人的な玉虫色の答が返ってきた。どうにも難しそうだった。長く勤めあげ、成果をきっちり残し、上からの信頼を得ないと、宙づりのままや。そう思った。冬の寒さと会社勤めの辛さが身に沁みた。
福岡支社に西原大OBはいなかった。お客様に、西原大でラグビーをやっていましたと前置きしても、だれも気に留めない。その意味では、真剣に自分の話術を磨き上げ、世間の裏表を知り尽くし、実力で営業技能を身につける試練とも捉えられた。ただ、福岡も花園の常連校を輩出するラグビーの強豪県であり、気心が知れると、頑張ってね、応援します、と声をかけられる機会もあった。正直、嬉しかった。「見た目より物腰が丁寧で優しいね」、「保険会社って幾つもあるけれど、広告より、担当者に会って、じかに話を聞いた方がいいわね」といわれた日は、喜び勇んで寮の社員を引き連れて夜の町へ繰りだした。
佑樹が福岡を訪れた。年末の雪降る夜だった。家に迎え入れ、父だと認めた。自分を憎く思ったこともあろうと反省した。佑樹は自分を責めず、血の繋がった恩師だといってくれた。その言葉で救われた。大男の北村も心が震えた。
季節は暦を飛ばすように節目なく変わり、ここ最近、頻繁に大雨に見舞われた。集中豪雨が何日も続き、河川から溢れでた大量の水により冠水した道路が足を止めた。車での営業活動は何回も中止に追い込まれた。契約保留中のお客様に安否確認の電話を入れると、礼を言われ、図らずも小さな積み重ねが実を結んで契約にこぎつけるケースもあった。地元のお得意様と距離感が縮まり、少年サッカー大会の応援や地元の祭り、会合に招かれた。核となる営業の外堀の部分で、地域の方との付き合いや連携も多くなった。頻度こそ減ったものの、西斗への帰省は数か月に一度の割合で続けた。家族の様子はもちろん、佑樹のことも気にかけ、彼にもメールを入れて近況を訊ねた。大雨になったのに、いつの間にか梅雨入りしたと思ったら逆に雨が少なくなり、陽射しがきつかった。
陽射しになれたと思ったら、もう季節は真夏だった。佑樹から手紙が届いた。ラグビー部のレギュラーになり、三年生で主将を任された嬉しさが綴られていた。北村も、これは金の卵や、と拳を固めて喜びを体で表現した。手紙には、稲瀬高校のジャージを着た選手らと肩を組む、日焼けした佑樹の写真が一枚同封してあった。そうか。三年になってやっとレギュラー。しかも、主将に選ばれたのか。ポジションは左センター。すごいで、ユウキ。よかった。本当に、よかった――。仕事もさることながら、佑樹への期待に胸が膨らんだ。もし、自分が佑樹のコーチなら、きっと戦術プランはこう立て、こんな陣形を組ませて、と勝手な妄想を描いた。一度でいいから佑樹の出る公式戦をこの目で見たいと強く望んだ。
夏が過ぎ、九月に入った。いよいよ県大会予選のシーズンが始まった。待ちに待った十月最初の日曜日。北村は、全国高等学校ラグビーフットボール大会の初戦に合わせわざわざ西斗入りした。自宅に寄ったあと、試合当日の早朝、佑樹の携帯にメールを入れて稲丘古墳に誘った。古墳の神社で佑樹の活躍と家族の健康を祈った。その足で、北村は車に乗りこみ予選会場へ、佑樹は仲間とバスに乗り込むため駅へ向かった。会場の観覧席から応援した。県大会予選の初戦が始まった。前半はリードされたものの、後半で盛り返し、接戦の末、佑樹のチームの勝利に終わった。佑樹はトライを二つ挙げ、チームの勝利に貢献した。北村は自分のことのように手放しで喜んだ。
「すごい活躍や。このままラグビーを続け、おれのような人生を歩むとエエ」
「はい」
気持ち良さそうな表情を浮かべる彼は、すっかりその気になった様子だった。このまま決勝までいき、強豪を倒して花園で活躍するか、もっと先には日本代表ジャージに袖を通す日を期待し、北村は目を細めた。桜の蕾がこれから花をつけていきそうな喜びをかみしめた。行基の訪れた古墳で出会った血縁上の親子に、ラグビーの繋がりができた。霊験が味方したのか、佑樹は試合で活躍した。どこか不思議な巡り合わせに、北村も驚いた。
そのあと、膝を負傷して花園行きは夢と散ったこと、大学に入り膝の怪我に泣かされてレギュラーから遠ざかったことは本人から聞かされた。北村は、いつか必ず報われる、諦めるなと励ました。たまたま有村元監督の弟子だった大学の監督に会う機会があり、なんとか佑樹を伸ばしてやってくれと哀願した。監督の勇断が奏功したのを知ったのは、テレビや新聞で佑樹の活躍ぶりを見たからだった。
それからほどなく、フランカーとして急成長した彼は、二十一で大学から日本代表チームに呼ばれた。その情報は西原大OBから耳に入った。ユウキの代表ジャージに袖を通す日がついにくる。あれだけ選手として苦労を重ねたのだ。畢竟、結果はついてくる。そう思った。我が息子ながら本当に自慢して回りたいくらい嬉しかった。自分は日本代表の夢に届かなかった。佑樹の代表選抜が正式に発表された晩、アツシらと祝杯をあげた。北村は、親として、元コーチとして、一入の感慨があった。相手はアイルランド代表。屈指の強豪国。決戦の日は近づいた。
試合の当日になった。
少し肌寒そうな空気の中、芝の上に立つ佑樹の姿が画面の中に映し出される。海の遥か先の競技場で、国際親善試合の笛が吹かれた。憧れの桜のエンブレム入りのジャージに袖を通した佑樹は笑っている。
膨らんだ桜の蕾は、いままさに一輪の花を開こうとしていると北村は思った。
(了)
桜のつぼみ 森川文月 @hjk-0731
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