📚 爺医の一分 📚

医師脳

第1話 爺医の一分(じじいのいちぶん)

 東日本大震災のあと…十日目に大槌町へ向かった。

 それ以来、東北道を何往復したことだろう。


 被災地での支援生活は約五年間で燃え尽きた。


 南三陸町から弘前に戻って隠居するつもりが、滝沢市で途中下車して…。

 巨大な縞王スイカ(ガスタンク)脇の老健施設へ、三年前からボケ防止に通っている。

「これを使ってください」と事務長から渡されたのは、ふくろうのロゴが描かれた施設長用の名刺だ。

 それからは「施設鳥」を自称している。


 施設鳥のリハビリは〈ながら法〉である。

「足の鍛錬で転倒予防!」「脳の鍛錬で認知症予防!」という一石二鳥の優れものだ。

 リハビリ室が空いているとき、筋トレをやりながら短歌を詠む。

 五七五七七と指折り数えられるよう、下半身用のマシンを使うのがコツである。


「ゆりかごから墓場まで」は、私にとっての〈人生行路〉でもある。

 老健施設へ勤務する元産科医にはピッタリのフレーズだと思う。


 親の介護を機に老人内科を勉強したが、今では必要に迫られて〈何でも科〉の看板を掲げている。

 こちらの地方では、手当てが済むと両手を合わせるおばあさんが多い。

 そんな時は、照れ隠しに両手を取って握手をする。

「まだ仏様でねぇんだがら、それほんど拝まれでも…」と。


 最近、施設での〈看取り〉を望む家族が増えた。

「最期までお願いします」と頼まれれば、爺医としての〈一分〉が立つというもの。


 死亡診断書を書いた後も家族との語り合いは大切だ。

 入所中の様子を振り返りつつ、労いの言葉を添える。

「長い間の介護、大変でしたね」の一言は、自宅で看取れなかったという蟠りをとかすと信じている。

 同席するスタッフに対する感謝でもある。


○老いたれど医はわが天職ぞこののちも地域医療のささへとならむ


(20191101)

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