転居届

「店長、転居届です。お願いします。」

 そう言いながら、香川愛実は店長である山口美穂に転居届を渡した。

「引っ越したのね。わかった、本社に送っておきます。」

 事務的に受け取った店長の表情はすこし寂しそうだった。

「香川さん、引っ越したって、ひょっとして一緒に暮らし始めたんですか?」

 誠司さんと知り合うきっかけになった合コンに、一緒に行った杉里郁美が聞いてきた。誠司さんと付き合うことは、合コンに誘ってもらったお礼も兼ねて伝えていた。

「まあ、そうだけど。」

 愛実が照れながら答えると、

「おめでとうございます。彼氏さんも知ってるんですよね?」

 何をとは聞いていないが、愛実の体のことについてとは想像がつく。もちろん、愛実の体と性のことは職場の人たちはみんな知っている。それでも、普通の女性として扱ってくれるのありがたくもある。

「もちろん、最初に伝えたけど、気にしないんだって。」

「いいな〜。理解ある彼氏で。私も早くみつけないと。」

 そういって、郁美は仕事に戻っていった。


 その日の就業間際、美穂が

「終わりがけにわるいけど、返品リスト作るので手伝ってもらっていい?」

 愛実にお願いしてきた。今からやると6時の定時には終わらないけど、二人でやればそんなには遅くはならないだろう。

「いいですよ。」

 愛実は答えた。返品リスト作製は口実で、美穂が二人きりで話したいことがあることはすぐにわかった。


 6時を周って他のスタッフは帰ったが、愛実たちは返品リストの作成を続けていた。愛実が返品する薬のロットと数量を読み上げ、美穂がパソコンに打ち込んでいく。案の定6時15分には終わり、二人で休憩室に入り着替えを始めた。

 愛実の体のことを知っても、みんなとくに抵抗なく一緒に着替えている。最初は愛実の方が遠慮して、一緒に着替えないようにしていたが、「遠慮しなくていいよ。」とみんなに言われ、一緒に着替えるようになった。

 時には着替えながら、「その服カワイイですね。」などと話すこともある。


 愛実が白衣を脱いで私服に着替えたところで、美穂が後ろから抱きついてきた。愛実の胸を触りながら、

「やっぱり、愛実も男がいいのね。」

「美穂さん、すみません。」

「最後に、キスさせて。」

 そういって、美穂は半ば強引に愛実に唇を重ねてきた。


 山口美穂は同性愛者であった。2年前、産休に入った前の店長の代わりに異動してきた後、歓迎会の帰りに愛実にそのことを告げるとともに愛実に一目ぼれしたことを告白された。

 突然の告白に驚いたものの、愛実は初めて愛されることの喜びが勝り、美穂の告白を受け入れた。店舗のスタッフに気づかれないように交際を続けて、時には美穂の家に泊まり愛し合った。

 心は女性で体は男のまま、こんな自分を好きでいてくれる人なんていないと思っていた愛実にとって、美穂は新しい世界を開いてくれた。

 誠司と付き合い始めたのを機に別れを切り出し美穂もうけいれてくれたが、今日みたいに二人きりになると、キスをせがんだり、胸を触られたりする。

 裏切った罪悪感もあり、拒否できずに受け入れてしまう。その度に誠司さんには申し訳なく思える。


「私の付き合った人は、みんな最初彼氏がいなかったはずなのに、私と付き合うと彼氏ができて、みんなそっちに行っちゃうんだよね。」

 その言葉の意味は愛実はよく理解できた。最初に誰かに愛されることで、自信がついてくる。自己肯定感ないと恋愛もできない。

「すみません。でも美穂さんのおかげで自分を肯定できたし、おかげで今の彼と付き合うことができたと思っています。」

「まあ、愛実が幸せならそれでいいけど。愛実となら戸籍は男だから、結婚もできると勝手に期待しちゃった。」

「すみません。」

「冗談よ。幸せになってね。」 

 そういいながらも美穂の表情は寂しそうだった。


 美穂とのことがあり家に帰りつくのが、いつもよりかなり遅くなってしまった。慌てて夕ご飯の準備に取り掛かることにする。また誠司さんを裏切って美穂との関係を持ってしまったことへの贖罪で、おかずは誠司さんの好きな煮込みハンバーグにしよう。


 美穂にキスされたことで性欲に火がついてしまい、今日は眠れそうにない。誠司さんがお風呂に入っている間に、クローゼットからセーラー服を取り出し着替える。誠司さんにはコスプレ衣装と言っているが、本当は本物の制服だ。学生時代、女子が着ているセーラー服を着たかったという話を美穂にしたところ、美穂が学生時代に使っていた制服をくれた。この制服を着て美穂とも愛し合ったこともある。

 寝室に入ってきた誠司さんに抱きつく。私の趣味に付き合ってくれる誠司さんに感謝している。愛し合ったと、まどろむ私の頭を誠司さんが撫でてくれる。

 誠司さんに美穂のことはいえない。言えないけど秘密にしつづけるのも誠司さんに悪い気もする。いつか話そう。そう思って、美穂は眠りについた。

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