第13話 火の宮の隠蔽工作
時は少し遡る。
シェラが脱走を試みてリヒムに引き取られた翌日のことだ。
イシュタリア帝国、火の宮は大騒ぎだった。
五十人以上いる下処理班全員が仕事に追われていた。
「おいクゥエル、あのチビはどこ行ったんだ!?」
「俺が聞きてぇよ! 朝起きたら居なくなってたんだよ!」
「見張りのモルゾフとムラトは何してたんだよ!?」
「だから知らねぇっつーの!」
五角羊肉の解体をしながらクゥエルは舌打ちした。
「あの女、見つけたらタダじゃおかねぇ……!」
クゥエルはシェラと出逢った頃を思い出す。
『こいつぁ後宮の奴隷にするにはチビすぎるし、玩具にするにゃ貧相すぎる。アナトリアに居た奴だから料理は出来んだろ。上手く使ってくれや』
クゥエルは奴隷商人の三男坊で、下働きの人事も担当している。
実家に言われて引き取ったシェラは確かに貧相で女の魅力は欠片もなかったが、妙に手際だけは良かった。だから下処理を任せたのだが、なんと大抵のことはすんなりとやってのけるではないか。こいつは使える、とクゥエルは思った。
元々クゥエルは料理官になりたくなどなかった。
ただ今回
奴隷といっても色々ある。
兵士たちの慰めに使う女や、宮廷で働く小姓の下につく奴隷たちの環境はまだいいほうだ。食事は三食あるし、雑魚寝とはいえ部屋もあり、金を溜めれば奴隷から解放されることもできる。
この時代、奴隷とは確かな労働階級の一つであった。
クゥエルは料理官として働くのが嫌だった。
かといって商売の才能のない自分は実家に戻ることも出来ない。
そんな時に現れたのがシェラだった。
(俺のような料理官になりたくない奴の仕事を買い取れば金になるんじゃないか?)
思惑通りだった。
今やシェラの仕事だけで料理官の給与の五倍は超えている。
奴隷のように斡旋した者達の上前を撥ねるどころか、全部いただけるのだ。
これほど美味しいことはない。
しかもシェラは有能だった。
今期の成果報酬ではクゥエルが断トツ上位に立ち、火の宮の食聖官にも褒められたほど。上手くいけば、
その矢先に、
(脱走しやがって……あのクソが!)
あの女はいずれ捕まえる、とクゥエルは固く決意していた。
同僚からはなじられるわ、副業の収入は減るわ、散々なことばかりだが。
まぁ問題ない。元々は自分たちでやっていた仕事なのだ。
あの女が居なくても仕事くらい余裕でこなせる。
「
「あぁ。クゥエルか」
職場の仕事具合を確認する食聖補佐官は頷いた。
「お前のところはいつも確かな仕事をするからな。確認が楽で助かる」
「どうもです」
「さて。今日も完璧な仕事具合──ん?」
食聖補佐官は羊肉を口に入れ、
「──おぇええええええ」
「は?」
身体を九の字に折って吐き出した。
慌てたように水で口をすすいだ補佐官は叫んだ。
「お前っ!! 一体なにをした!? こんなもの臭すぎて食べられんぞ!!」
「え、ゃ、ぁれ……?」
クゥエルの顔面は蒼白になった。
「いや、確かに処理をして」
「ちゃんとした処理をしているならこんなことになるかぁ! それでも最高料理官か!?」
「や、やり直します」
「当たり前だ!」
クゥエルは持ち場に戻って頭を抱えた。
(くそ、どうなってやがる!?)
確かにちゃんと処理はしたはずだ。
スジは切った。塩は振った。他に何かやることがあるのか?
クゥエルは背に腹を代えられず、同僚に聞くことにした。
「お、おい。五角羊肉ってどう処理すんだっけ……?」
「は? さっきお前がやってた通りだろ」
(さっきのやり方で突き返されたんだよ……!)
不思議そうに首を傾げる同僚にクゥエルは歯噛みする。
そういえば、シェラが入ってから下処理班の技術が格段に向上したとみなされてベテランたちが移籍したのだった。五角羊肉など滅多に入ってくる代物ではないから、誰も処理の仕方を知らないのだ。今までそれを処理していたのは──
(まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまずい……!)
今さら後悔したところで、もう遅かった。
下処理班の誰も処理の方法を知らないのだ。どうしようもない。
食聖補佐官に聞けば間違いなく成績は下がる。
あれは苛烈な男だ。クゥエルを降格する可能性すらあった。
「し、仕方ねぇ。こうするしか……!」
クゥエルは一週間前にシェラが処理した
今までの信頼があるのか、
「さっきのはなんだったんだ。調子でも悪かったのか?」
「へへ。まぁ、はい」
「体調管理も仕事のうちだ。しっかりしろよ。お前には期待しているんだからな」
「はいっ!」
クゥエルは知らなかった。
この隠蔽工作こそが後に自身の破滅を招くことを──。
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