第7話 揺れる過去と今


(こんな立派なお風呂があるなんて……)


大変に不本意だが、風呂の湯気を浴びるのは心地いい。

丁寧に頭を洗われていると気持ちよくなって、ついつい船を漕いでしまう。


(そういえば、昔はお姉ちゃんと入ったっけ……)


アナトリアでは神殿巫女といえども贅沢な暮らしは出来ないため、イシュタリア貴族のように個人の邸宅に風呂場はなかった。身体を洗うために個人の家で水浴びをするか、大衆浴場ハーマムに赴いて他人と一緒に入ることが基本だ。


母と父は身だしなみにうるさい人間だったから、シェラはよく姉と来ていた。

お風呂場に行くと肉付きのいい姉は同性からも注目されていて、その横に居るシェラは肩身の狭い思いをしていた。そのくせ湯船で姉がくっついてくるものだから、ついつい嫌味交じりに聞いたのだ。


『お姉ちゃんはなんでそんなに綺麗なの?』

『えぇ~?』


姉のアリシアは困ったように顎に指を当てた。


『そうだなぁ。恋をすることかな!』

『お姉ちゃん、恋なんてしたことないでしょ』

『いやいや。シェラが生まれた時からシェラに首ったけだよ!』

『聞いて損した』


姉に言い寄っていた男は両手の指を使っても数えきれないが、彼女はすべてを袖にしている。恋だなんだと抜かしていたが、彼女自身恋をしたことはないはずだった。


『ほんとなんだけどなー。お姉ちゃんシェラのこと大好きだよー?』

『はいはい。私も大好きだよ』

『えへへ~。嬉しい!』


おざなりに返事をしたのに姉が嬉しそうに笑ったのを覚えている。

そんな風に真面目に受け取られると照れくさくなって、シェラは顔を湯船に埋めた。

ぶくぶくと泡を立ててから、口から上を出す。


『大体、恋なんて幻想よ。男なんて碌なものじゃないし』

『えぇ~? そうかなぁ』

『そうだよ』


天才巫女アリシアに正面から挑んでダメならと、シェラのほうを攻めてきた男は数知れない。

隙あらば身体に触れようとしてくる男の、醜い下心といったら! 

下心じゃなくても、姫巫女の才能の秘密を少しでも知ろうと、色んな人がシェラに近付いてきた。そのたびに「は?」と真顔で言い返していたから、村の中でも孤立するようになったのだけど。それに、彼らはみんなシェラのことは足がかりにしか思っていなかったし、容姿や性格を褒められたことなんて一度もなかった。


(みんな、顔とか才能ばっかり。お姉ちゃんの良さはそんなんじゃないのに)


目的ありきで姉に近付いてくる男なんて大嫌いだった。

姉にはただ幸せになってほしかったのだ。

そのためなら自分が嫌われれるくらいなんでもなかった。


だからシェラは男に幻想を抱かない。

男なんて、みんなロクでもないものだと思っている。

そんなシェラとは裏腹にアリシアは、『そっかー』と天井を仰ぎながら言ったのだ。


『もったいないなぁ。シェラはこんなに可愛いのに』

『え?』


思わず振り向くと、姉は慈しむように微笑んだ。



『いつか誰かが、優しいシェラのこと見つけてくれるといいなぁ』



ゆらゆらと、心地よい感覚がシェラをまどろみに誘う。

過去と現在の境が曖昧になって、茫洋とただよう意識のなかで声が届く。


「うわ、これは想像以上に……」

「磨けば光る石だと思ってたけど」

「ダイヤの原石だったみたいね。いや、それ以上かしら?」

(……何を言ってるんだろう)


目を開けると、夢の中の姉が消えてしまいそうで。

大好きな姉との記憶にしがみつくように、シェラは目を閉じた。

天井から降って来た一筋の水滴が、頬を滴り落ちていく。




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