もうひとつの、舌切り雀

よしだぶんぺい

第1話

もう一つの、舌切り雀





むかしむかし、ある村に、たいそう誠実な男があった。


「あのお方は、さながら誠実が服を着て歩いておるようなお人じゃ」と人口に膾炙する男が……。


村役場に勤務する、小役人の男である。


素直で明るい役場作りーー。


これを標榜する、この村役場には、ここに出仕する者の心得として、次のような戒めがあった。


高い道徳性、心の清らかさや恥じらい、つまりは「廉恥」を欠いて、民の眉をひそめるようなことがあってはならぬ……と、そのように。


男は、この戒めを役場のだれよりも、うっとうしいほど忠実に守って、日々の務めにいそしんでいた。


それと、彼はまた、篤志家でもあった。そこで、困った民を見つけると、進んで親切に接してやった。


このように、彼は、たいそう誠実で、生真面目で、親切で、はた目に見れば間然するところがない男であった。


少なくともそうである以上、彼が有為な人材であるのは明々白々。


とすれば、彼の身分は、もう少し高くてもよさそうなものである。それが、いつまでたっても、うだつの上がらない小役人のままだった。


では、なぜ、彼は、ちょいと首をひねりたくなるような待遇を受けていたのであろう。


もちろん、理由がある。


それというのも、実は彼のその誠実さこそが仇(あだ)となっていたのである。


しかし思うに、誠実さが仇となるとは、なんとも世知辛い憂き世ではなかろうか。それが、たとい度が過ぎているほどであったとしても………。






もっとも、これについては、先達が、次のように戒めているので、あながちそうとも言えないようである。


さて、先達は、どのように戒めているのであろう。


それは、過ぎたるは猶及ばざるが如し、というふうに。


意味は、度が過ぎると、かえって弊害が生じる。なので、なにごともほどほどがよい、である。


彼にとって、これほど正鵠を射た戒めもなかった。


そう、彼も度が過ぎたのだ。さして咎めることもない不正までも、彼は到底見て見ぬふりができなかった。それが、仮に上司であろうとも歳上であろうとも……。


この不条理な憂き世に於いて、そうした男がーーつまりは、度が過ぎるほどの潔癖さをそなえた男が、周囲から受ける待遇とは恐らく、想像に難くないことだろう。


「されどあれよのう。こうも融通が利かんと、うっとおしゅうていかんのう」


「ほんに、儂なぞは、あの顔を見ているだけで思わずえづきそうになってしまうからのう」


「まこと、儂も、あれを見ておると虫唾が走りよる。それゆえ、あれが近寄ってくると、これみよがしにシッシと手を振って、こっちにこんように躍起ぞい」」


こうして、上司から、ほとんど蠅のように疎んじられる。


それのみならず、自らの不得のせいでうだつが上がらぬ同僚からも、「あれのせいで、なんとも息苦しい、働きづらい役場になってきたのう。とっとと、どこぞに失せてくれればよいのにのう」と、ほとんど、割りを食うかのように、疎んじられてしまう。


その挙句、「失せぬなら、いっそのこと、同じ砂を噛ませてやろうぞい」と、むしろ積極的に足を引っ張られる始末。


なにしろ男の嫉妬ほど、面倒くさいものはないのだから。


これが、彼のうだつの上がらない、その所以であった。


かといって、彼が、このような不合理に不遇をかこつことなどは、一切なかった。


それよりむしろ、相も変わらず、涼しい顔をして、うっとうしいほど忠実に、同じような役目を、飽きずに、毎日、繰り返していた。



つづく


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