第24話(第一部最終話) 鑑定士カラット・アルデバランの秘密
その後しばらくは美味しい紅茶とライラが持ってきたラングドシャやチョコレート、前回も出してくれた焼き菓子を食べながら雑談を楽しんだ。
その雑談の中でカラットの思惑通り、ライラとユーリエは明確な形の友人になった。そしてそれはカラットが何か口を挟んだりしていない。つまり、あんなことがあったからあの日に友人となりきれなかっただけで、二人は出会ったときに友人になると決まっていたのかもしれない。
「あの、ユーリエ、よければまた、こうやってお話とかお茶とかしない……?」
「私と……?」
「うん。ユーリエともっと仲のいい――って言うとちょっと薄っぺらいかもしれないんだけど、もっといろんな話がしてみたいし、一緒に何かご飯に行ったり遊びに行ったりもしてみたいの」
「……うん、私も、私もライラともっとお話ししてみたい」
「ほんと? やったあ!」
カラットは中身のなくなったティーポットを持ってそっと立ち上がった。
カラットが追加で紅茶を入れて戻ると二人の話もちょうどキリが良いところだったので、そろそろあれを返さなくてはと話題を変えた。
「そうだ、あの短剣、詳しく調べてみたんだが、どうやら認識阻害の魔法もかかっているようだった」
「え、認識阻害?」
「ああ、あの短剣を本当に必要としている人にしかそこにあることを思い出せないというものだ」
カラットは短剣を預かっている間に短剣に刻まれた魔法を詳しく調べておいた。それは完全に彼の趣味の範囲だったが、興味深い事実が判明した。
流石に勝手に魔法族研究所魔法道具研究収集保存課に短剣を出して魔法道具認定を進めるわけにいかないが、短剣を細かく見ていくと魔法陣と刻まれた魔法を解析することができた。それを魔法について書かれた本と睨めっこして分かったのが「認識阻害の魔法」だったというわけだ。
「認識阻害……あ、もしかして……」
「何か思い当たる節があるんだね?」
「はい。私が何か売れるものがないかと家中を探していた時にあたり一体を探して、もう何もないと思ったんです。それでふと顔を上げたらその短剣がしまわれていたタンスの引き出しが目に入って……。でもその時までそのタンスに短剣が仕舞われているなんてことすっかり忘れていたんです」
ライラは一度見れば忘れないような短剣のこと一度見ていたはずなのに忘れていたという事実が不思議で仕方がなかった。
「なるほど、それはこの短剣が本当に困っている君を見て、思い出させてくれたのかもしれないね。それが私のところに導くためか、本当に売られても構わないと思っていたからかは、分からないが……」
「あ、じゃあもしかして鍵のかかるところにしまっていなかったのは……」
「あの短剣はそこにあることを知っていれば思い出すことも容易いが、存在自体を知らない場合、そもそも見つけることが叶わないだろう。しかし、たとえば空き巣が鍵をかけた引き出しや金庫をこじ開けたとしてそこにこの短剣が入っていたとなれば流石に見つかってしまう。だからなんでもないタンスにしまっていたのかもしれないね」
鍵のかかっているところに何かあると思うのは簡単だが、鍵のかかっていないところには何もないかもしれない。そこにあると知っているか強く思わなければ見つけることはできないので例え盗みが入ったとしても見つけることは叶わないだろう。
「じゃあ、お父さんはこの短剣がそういうものだと知っていたんですね……」
「おそらくは、だがね」
「でも、じゃあなんで私は短剣を見つけられたんでしょう」
「これもおそらく、だが、お父上が亡くなってしまわれたからだろう。それで短剣の所有者がライラちゃんに移った。それで短剣の方から君に姿を見せたのかもしれない」
「そう、ですか」
「よし、それじゃあ短剣を持ってくるから少し待ってて」
そう言ってカラットはまた席を立った。
「お待たせ、君の、ライラちゃんの短剣だよ」
カラットは短剣の所有者が誰であるのかをライラにも短剣にも言い聞かせるようにして一つ一つ丁寧に音にしながらライラが差し出した両手のひらの上に紫の布に包まれた短剣を手渡した。
「ありがとうございます」
ライラは短剣を受け取ると、素手で触れないようにそっと紫の布の間から短剣を覗いた。
「……おかえりなさい。帰ってきてくれて、ありがとう」
ライラは少しの間短剣を眺めるとそっと紫の布にくるみなおし、バッグから取り出したタオルでさらに包んでバッグにしまい、それを椅子の上に置きながらそっと立ち上がった。
「カラットさん、ユーリエ、改めてほんとうに、ありがとうございました」
ライラは一歩後ろに引いて深々と頭を下げた。
ユーリエはそれにびっくりしてライラとカラットに何度も視線をやったり戻したりしていたが、カラットは軽く目を見張っただけで、しかし優しさを含んだ視線をライラに返した。
「いや、こちらこそ、とても素敵なものを見せてもらったよ」
ライラはゆっくりと頭を上げて目を細めるようにして笑った。せっかく今日は二人に会うために、この短剣を迎えに来るためにいつもより時間をかけてお化粧してきたのに、涙がこぼれ落ちそうだった。
みんなしてもう一度紅茶を口に含み、誰がしたかふうと息を吐く。
「そうだ、こんなに長い時間お邪魔してしまってすみません」
「ああ、いやいいんだ、今日はなんというか、あまり仕事を受けるつもりではなかったしね」
「そう言っていただけると助かるんですが……。あ、そうだ、ユーリエ、連絡先の交換しない?」
「うん、したい。スマホ、持ってくるから待ってて」
ユーリエはティーカップを音を立てずにティーソーサーに戻すとそっと椅子をひいて奥にスマートフォンを取りに向かった。
その背中をしっかり見送ったカラットは視線を動かさないまま内緒話をするような、独り言にも取れるような声音でそっとつぶやいた。
「ユーリの友人になってくれてありがとう」
「え?」
「いや、今後もユーリと仲良くしてくれたら私も嬉しいよ」
「――はい」
ユーリエはすぐに戻ってきた。いつもさらさらと流れる髪はどこか弾んでいるように見える。
「お待たせ、その、どうすればいい?」
「あ、えっとね……」
ライラは席についたユーリエの両手に握られたスマートフォンの画面を覗き込むようにそっと椅子を寄せた。
「このアプリを開いて、右上のプラスをタップして……そう、それで次はそれをタップして、で、そうしたらこれ、私のQRコードを読み込んで。うん、これでオッケー!」
そう言ってライラは新しく追加された友人のトーク画面を開いてよろしくという旗を掲げた毛玉のようなデフォルメされた猫のスタンプを送った。
ユーリエはトーク画面の猫をしばらく眺めるとぎゅっとスマートフォンを握り込んだ。そして何かを決意したような表情をして顔を上げるとライラと目を合わせた。
「あの、ライラには、教えておきたくて」
「ん、なあに?」
「ハッ……ユーリ、それは……!」
そこで今までずっと二人の会話に口出しをせずに紅茶を飲んでいたカラットが初めて口を出した。
「カラットさん、いいの。ライラなら、大丈夫」
「それは……、そうだろうけれど……」
ユーリエはカラットの訴えかけるようにその星雲にほど近いあたりの宇宙を閉じ込めたような瞳でじっと見つめ返した。
カラットは少し眉間に皺を寄せてしばらくそれを見つめ返したが、やがてそのバイレットサファイアを瞼の裏にしまって嘆息した。
「分かった、君のことだしね。任せるよ」
結局のところ、カラットはどこまで行ってもユーリエに弱いのだ。
ユーリエは再びライラと目を合わせる。ライラも二人の様子から何か深い話であることを察して背筋を伸ばしてユーリエに向き合った。ユーリエは二、三度言いかけて止めるのを繰り返したが、すぐに思い切って口を開いた。
「あの、あのね。私、私も、そのマジックイミテーションなの」
「え、ユーリエが!?」
「そうなの。あの、それで……、えっと」
ユーリエは自らがマジックイミテーションであることを打ち明けるのは初めてではないものの、ほとんどなかった。それも今までは必要に駆られて、というのが多く、自らの意思で、知っていてほしいから打ち明けたことはなかったかもしれない。
それで言葉に詰まって結局助けを求めるようにカラットに視線を移した。
カラットはそれに苦く笑って、代わりに口を開いた。
「さっき、ユーリが防犯カメラの映像を見て髪の色や長さが違ったことに気がついたと言っただろう? サンドロー警部も言っていたがあれは見てそう分かるものじゃない。でもユーリは映像記憶に特化したマジックイミテーションだからあの精細とは言い難い映像を見ても髪型の変化に気づけたんだ」
「それは、なんというか……。でも、少し納得しました。私はその防犯カメラの映像を見たわけではありませんが、サンドローさんリアクションが、なんと言うか、やっぱり怪訝に思っているようだったので……。あれ、じゃあ、もしかしてサンドローさんは……」
「ああ、彼はこのことを知らない。と言うのも、ああー、うん、ついでに共犯者になってもらおうかな」
ライラはびっくりした。共犯者ってなんだろうと怖くなったのだ。
普段の会話で出てきたものであれば、例えばダイエット中の甘いものを友人と一緒に食べちゃおうか、とか、ちょっとした秘密を共有するときに使われるものだが、まだあの日から数日しか経っていないので、まだ少々そういったことに過敏になってしまっていた。
カラットはそんな少し青白くなったようなライラの表情を見て(しまった言葉選びを失敗したな)と思って慌てて両手を振った。
「ああ、いや、なんと言うか、もうひとつ秘密を共有してもらおうかなと思ってね。まだ会うのは二度目だが、ユーリエがこんなにも早く仲良くなれて心を開いている君が言いふらしたりとかしないというのは分かっているんだが、それでも、念には念を入れておきたくて……要するに秘密の内容を大きく重くして抑止力を高めたい、というわけさ」
ライラはユーリエの方をチラリと見て、もう一度カラットの方に視線を戻した。ユーリエはもうおどおどとしていなかった。
「そう、秘密を共有してほしいんだ」
そう言ってカラットは目を伏せて囁くようにして言った。
「ミスターカラットは僕ではないんだよ」
ミスターカラットといえば、サンドローがカラットを呼ぶときに使っている呼称だ。そしてそれは、事件を解決してきたカラットの側面をサンドローがそのように呼んでいたようだったが……。
困惑した表情のライラに少し困ったような顔をしてカラットを続きを口にした。
「そもそも、初めにサンドロー警部に協力をしたとき、僕はほどんどサンドロー警部と話をしていないんだよ。その時は僕の依頼者だった人が被害者で、それで僕の話を聞きにきたんだ。サンドロー警部の部下のテリー・メルローさんではない人がね。その時に助手としてユーリエも同席していて、幾つか見せられた写真から事件解決につながるものに彼女が気づいたんだ。それで、あー、その時ユーリはフルネームで名前を名乗らなかった。それで、僕がミスターカラットになってしまったんだ」
「え? えっと、ユーリエのフルネームって……」
「――私は、ユーリエ・カペラ・カラットというの」
「え、カラット!? じゃあ、もしかしてユーリエが名乗ったファミリーネームの『カラット』とカラット・アルデバランの『カラット』を間違えて……」
「そう。僕が鑑定士で、大人で、この店の店主で……あと不本意ながら男だから勘違いされたんだろうね。『此度の謎を解き明かしたのは、カラットという人だ』という情報から大人である僕に目が来てしまった。それで聞かれたんだ。あなたはカラットさんですか? ってね。僕はまさか謎を解き明かしたカラットさんですか? なんて聞かれているとは思わなくて、鑑定士のカラットさんですか? って聞かれているものだとばかり。当然イエスと答えたよ。だって僕の名前も間違いなくカラットだからね」
しかし実際に謎の解明につながる発見をしたのはカラットではなくユーリエだった。
「それでカラットさんが『ミスターカラット』に……?」
「そういうこと。でもまあ、ユーリが人、というか他人や知人程度の人間とコミュニケーションをとるのが苦手でストレスになってしまうことを考えると結果的には良かったのかもしれないとは考えるようになったかな。まあ、あんまりミスターカラットに依頼は来ないで欲しいんだよなあ。いつユーリがミスターカラットってことに気付かれてしまうか分かったものでは無いからね」
カラットは一口紅茶を口に含んだ。
「あーあ、本当に僕が『ミスターカラット』になれればいいのに」
そうすれば、あの少々どころか多分に異常な興味と好奇心と執着から、完全にユーリエのことを守ってやれるのに。
「ま、そういうわけで、ユーリにサンドロー警部の執着心が向かないようにユーリがマジックイミテーションというのは黙っていて欲しいんだ」
「はい、それはもう」
ライラはチラリとユーリエの方を見た。もうすっかりいつもの表情に戻っている。そしてもう一度カラットとしっかり向き合って誓いの言葉を述べるように続きを口にした。
「――だってユーリエは私の大切な友人ですから」
カラットはそれを聞いて肩の力を向いて、好きな人の前ではあまり見せたいとは思わないような情けない笑みを浮かべた。
今日はオダマキ商店街で買い物をしていこうと思っていた。なんだか怖かった裏通りだって今はもう怖くともなんともなかった。それはもっと怖い思いをしたからというのもあったが、それ以上にカラットやユーリエのことを知ったからに違いなかった。だからライラはオダマキ商店街で夕飯の買い物をする前に端から端まで歩いてみることにした。
「なんだ、大したことなかったや」
そりゃあ表の通りに比べれば変わった店は多いが、都心の裏通りの方がもっとよっぽど怖いお店とかがあるのをライラはもう知っていた。それどころか今のライラにしてみれば興味をそそられるようなお店もあった。
「今度、ユーリエにも聞いてみようっと」
ライラはユーリエと、カラットの連絡先も追加されたスマートフォンに気になる名前の店をメモしながらアルデバラン鑑定所の反対まで歩いた。
「今日の晩御飯、何にしようかなあ!」
もう空はオレンジ色に染まっている。柔らかく吹き抜けた風がライラのお気に入りのワンピースの裾をフワッと膨らませた。
魔法もどき(マジックイミテーション)—鑑定士カラット・アルデバランの秘密— 曙ノそら @akebononosora
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