第22話 グリーンのシャツワンピース、手土産はラングドシャ



 ライラはお気に入りのパフスリーブでストライプの柄が入ったグリーンのロングシャツワンピースを着て、襟に花柄レースのつけ襟を重ねて、エナメルの黒い紐靴に足を通した。靴下は白い糸とラメの糸でシルバーに輝いて見える。袖口の縦に二つ付いたボタンを止めると、ライラは玄関の全身鏡の前でくるくると回った。


「変じゃない……?」


 ライラは一つに縛ってから三つ編みにした髪が変にぴょこぴょこ飛びてていないか、アイシャドウはよれていないか、リップの色は濃すぎないか、ガラスボタンのピアスのキャッチはきちんととまっているか、見直したらキリのないことをまるでデートにいく前の少女のようにくまなくチェックした。

 カバンにはスマートフォンも財布も自宅の鍵も入っている。ハンカチもティッシュもある。リップも入っている。

 別で持った手提げの紙袋の中に有名どころのラングドシャの箱と、花の形のいろいろなフレーバーのチョコレートが詰まっている袋、OPP袋に入れた白いふわふわの布が入っていることを確認する。

 ライラはもう一度鏡の前でくるりと回ってよしと頷くと玄関の靴箱の上の写真たての中の父に「いってきます」と言って家を出た。

 ライラは今日、父の形見を迎えに行く。



 ライラはあの日、夕方に警察署から家に帰って、ずっと家の前に立っていたわけではないにしろ、向かいの家の窓からライラが帰宅したかどうか心配してくれていたミゲルおばさんに何も話せなかった。

 それは嗚咽でまともに言葉にならず、物理的に話せなかったというのもあるし、テリーに話さないでほしいと言われていたからでもあった。

 それでもライラは無事で、防犯カメラやドライブレコーダーのおかげで助かったのだということだけは話してお礼を言った。ミゲルおばさんは分からないことも納得できないことも多かっただろうに、「ライラちゃんが無事ならそれでいいよ。また話せるようになったら話しておくれ!」と快活に笑って言ってくれた。

 その言葉でライラはまた涙がこぼれた。あの日のライラはやっぱりちょっとおかしかった。卒業式でだって泣いたことのないライラがあんなにボロボロと、しかも人前で泣いたのだ。一種の防衛本能のようなものだったのかもしれない。

 その後も家に入ってからまた涙がこぼれた。それはミゲルおばさんに背中を撫でられて父の葬式のときのことを思い出したからなのか、無事家に帰ってこれたからなのか、借金の心配はもうほとんどなくなったからなのかはもう分からなかった。

 ライラは玄関に立ち尽くしたまましばらくポロポロ泣いて、写真たての中の父に「ただいま」とか細い声でつぶやいた。そっと手を伸ばす。


「おとうさん、ただいま」


 ライラは写真たてを抱きしめてまた涙を流した。

 しばらくして涙が落ち着くとやっと家の中に上がった。まず行ったのは洗面所ではなく父の部屋で、そこで座り込んでまたポロポロと泣いた。

 それでもお腹は空いたので、洗面所に行って手洗いうがいをして、顔も洗って、リビングのソファーに膝を抱えて座り込んでスマートフォンでぽちぽちピザを注文した。

 ライラは父が亡くなってからはピザとかパエリアとかを注文しなくなってしまった。それはピザを注文するときはいつも二人でMサイズで十分だったのに、一人で頼んでも食べきれないと思ったのだ。それと、一人で食べていることを自覚して泣きたくなかった。

 でもこの日は「ああ、今日はピザが食べたい」と思って、マルゲリータとベーコンアスパラポテトのハーフアンドハーフのMサイズを注文した。絶対に多いので半分くらい残ってしまうだろうが、それは冷蔵庫に入れておいてまた明日温めて食べればいい。今日は贅沢をしようと思って食べきれないだろうからサイドメニューは頼まなかったが、デザートにティラミスも一緒に注文した。

 その日、ライラは一昨日のお昼ぶりにお腹いっぱい食べて、一昨昨日の夜ぶりにしっかり眠った。

 翌朝、いつもより少し遅い時間に目が覚めたら目は赤くパンパンに腫れていて、昨日あれだけ泣いたら当然かと鏡を見て苦笑した。あんなに泣いたのは生まれて初めてのことだったが、ずいぶん気持ちがすっきりした気がした。

 しかし今日はしっかり寝れたとはいえ、疲労はすごいし目も腫れているので結局大学は休むことにして、バイトも体調不良で休ませてほしい旨の連絡を入れた。今までヘルプもよく入っていたこともあってこちらのことは気にしないでいいと言われ随分心配されてしまった。体調不良は嘘ではないものの風邪をひいているわけでもないので少しだけ後ろめたさもあったが、多額の借金に殺人事件の容疑者にされたのだからまあいいかと思うことにした。

 冷凍庫に入れたままにしていたケーキについていた保冷剤をタオルで包んで目元に当てて冷やしながらライラはソファーにボスンと体を預け、スマホで一昨日の事件を検索してみた。

 これといった情報が出てくることはないので、やはりまだ規制している部分が多いのだろうか。


「ううん、そうだ、せんたっき、まわしたい……」


 いつもの周期であれば昨日洗濯機を回すはずだったので出来れば今日回してしまいたかった。しかしまぶたが重く、体はどんどんソファーに沈みこんでいく。

 結局そのまま重いまぶたに逆らうことが出来ずに寝落ちしてしまい、起きたらもう昼の十二時だった。ライラはテリーから電話がかかってくる前に起きれたことにホッとして、ひとまずまだ登録していなかったテリーの電話番号を連絡先に登録してから洗濯機を回すために立ち上がった。

 テリーから電話が来たのは十四時ごろで、明日の十一時頃にアカモノ警察署に来てくださいという連絡だった。


「明日はどこの出入り口に行けば……」

『ああ、昨日使ったところと同じところにお越しください。そこまで来ていただければ私がご案内します』

「分かりました」



 そして翌日、午前十時二十分ごろに家を出てライラは自転車でアカモノ警察署に向かった。






「あれ、オープンじゃない?」


 ライラはアルデバラン鑑定所についたが、オープンの札がかかっていない。クローズドの札もかかっていないが、この前来た時より店内が暗く見えるので、あの天井から吊るされたランプは灯っていないようだ。


「今日、水曜日なんだけどな……」


 ライラは試しにそっとドアの持ち手を引いてみた。カランカランとドアについたベルが控えめに鳴る。


「開いてる……」


 ドアに鍵はかかっていなかった。ライラは先日のことを思い出した。カラットは店を出るときにきちんと鍵をかけていたはずだ。つまり、鍵がかかっていないということは中にカラットかユーリエはいるということだろう。

 ライラはドアを頭が入るくらいだけ開けて、そっと中を覗き込んでみた。


「ごめんください、カラットさん、ユーリエさんいますか?」


 何となく雰囲気から声は張り上げずに問いかけた。やはり今日は天井から吊るされたたくさんのランプは灯っていなかった。


「ごめんくださーい。ライラ・リゲルです! カラットさん、ユーリエさんいらっしゃいませんか?」


 今度は奥まで届くように声を張った。

 今日はランプに明かりが灯っていないので奥の方が見えない。この前もカラットが奥から出てきたから今日も奥にいるのだろうと思ったのだが。

 ライラはとりあえず頭だけ店の中に入れるのをやめて、体を中に滑り込ませてドアを閉めた。


「ひゃっ」


 そっとドアを閉めて顔を上げると、奥に頭が浮かんでいてライラはびっくりして声を上げた。


「ライラちゃん? ちょっと待ってて!」


 それはカラットだった。よく見てみれば頭が浮いているのではなく、壁の向こうから頭だけだしてこちらを見ているのだ。おそらく、この前奥に入った時にあった階段の途中に立っていてそこから顔だけを覗かせたのだろう。だからカラットの身長よりも高い位置に頭が見えるのだ。

 あー、びっくりした……。

 薄暗いせいで一瞬状況が掴めずびっくりしてしまった。ライラは胸に手を当てて動悸を抑えた。


「いや、ごめんごめん。お待たせしました」


 五分ほどでカラットが出てきた。今日はスーツのジャケットを身につけておらず、ベストだけをつけている。


「すみません、今日お店開けてないんですか?」

「え? ……ああ、オープン出してなかったか。いや、今日は上で片付けをしていてね。あんまり依頼を受けるつもりもなかったから出さなかったな」


 この店はそんな適当な感じで開けているのか。ライラはこの前普通にこの店が開いていて、すぐに短剣を見てくれたのはもしかして、すごく運がよかったことなのではないだろうか。


「いいタイミングで来てくれたね。ちょうど休憩しようと思っていたんだ。一緒にお茶にしよう。上にユーリエもいるから呼んでくるよ」

「あ、あの、これ……」

「うん? ああ、何か持ってきてくれたのかな。それならこの後ユーリがくるからあの子に渡してくれるかい?」


 そこに座っていて、とカラットに言われたのはこの前座ったカフェテーブルだった。ライラは灯りがついていないランプもきれいなものだなと思いながらその間を縫って行き、椅子に浅く腰かけて二人を待った。


「ライラ」

「あ、ユーリエさん! ご無沙汰しています」

「元気そうでよかった。でも、どうぞユーリエと呼んで?」

「あ、……えと、ユーリエ」


 すぐにユーリエが奥から出てきて声をかけてくれた。ライラはそういえば最初に呼び捨てにしてほしいと言われたのをすっかり忘れてしまっていたなと呼びなれないそれを自分にすり込むようにして音にした。

 それにニコニコとしたユーリエにライラも照れたように笑うという少々くすぐったい空間が出来上がったが、すぐにそうだと思い至ったライラが立ち上がって紙袋から洗濯したあと汚れないようにOPP袋に入れた白いふわふわのハンカチをだしてユーリエに渡す。


「あの、この前はありがとうございました。これ、このあいだお借りしたハンカチと、少しですけどラングドシャとチョコレートです。お二人で食べてください」

「ありがとう、私、ラングドシャ好きなの。あとね、敬語も、なくていい」

「……うん、わかった


 ユーリエは紙袋を受け取って柔らかく笑ってくれた。


「もうちょっと待ってて、今カラットさんが紅茶を入れてくれているの」


 ライラはまたあの紅茶を飲めることが嬉しくて、やった、と小さく声に出した。



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