第17話 水の魚



 そう、ただのマジックイミテーションを持った鑑定士がどんなに頭をめぐらせたところで、魔法具の関わらない事件を解決できると思ったら大間違いなのだ。

 結局、自ら捜査協力をすると言ったのに、これといって新しい事実を見つけることなど叶わなかった。そこに願望の入り混じった多少の驕りがなかったとは言えなかった。


「まあ何か気づくことがありましたら今までのようにご連絡ください」


 何もライラの力になることができず、悔しい顔をするカラットはサンドローにそう言われた。何も出てこないカラットにもうお帰りくださいと言っているのだ。

 サンドローのこれは期待外れだったというわけではなく、普段カラットから何かを得られる時は事件の概要を話して数日経ってから、というのがほとんどだったからである。それでこんな表情なのは珍しいなと思いつつも、ひとまず今日はもういいかと思っての発言だった。

 しかしそれは、ライラのために勇んでここまで来たカラットにとって突き刺さる冷たく長い針であることに変わりはなかった。

 そして最後にライラと話すことも出来ず、帰路に着くほかなかった。

 車で送ると言われたのを固辞して、カラットはユーリエとアルデバラン鑑定所までの道を歩いて帰りながら、その脳内を支配するのはやはり此度の事件についてだった。

 先ほど、サンドローが戻ってきてしまったせいでユーリエが言えなかった言葉も聞いたが、防犯カメラに映っていた関係のない女性の髪の色が違うというあまり事件には関係のなさそうなものだった。おそらく、夕日の色が影響してしまったのだろう。


「そう、か」

「……すみません、役に、立てなくて」

「いや、それを言うなら私こそだ」


 二人は小さく言葉を交わした。その会話も長くは続かない。

 そうか、考えてみれば、カラットは知り合いが容疑者、というのは今まで一度もなかった。


 カラットは普段あまりしないこわばった表情でユーリエの一歩先を歩いた。自分の表情をなんとなく自覚して、こんな顔を好きな女の子にあまり見て欲しくなかったからだった。

 あのライラという少女を逸脱しない女性が人が殺めるようには到底思えない。もちろんそんな考えが通用しないのが殺人という行為ではあるが、カラットはむしろ彼女は絶対に犯人ではないだろうというなんの根拠もない確信すらあった。

 しかし、彼女以外の容疑者はみなアリバイがある。彼女が背負わされた、払えと言われた借金は膨大で、そこから見ても動機は十分すぎるほどだった。

 これはあの二人以外の容疑者の名前が挙がるのを待つしかないだろうか。


 実のところ、カラットが今日知り合ったばかりの、勝手に自分が鑑定をすると言い出したおかげで依頼者となったライラの無実を証明してやりたいと思った理由は二つあった。

 一つはカラットがこれまでサンドローによって持ち込まれた面倒ごとという名の事件に関わってきたのと同様に正義感と良心からであった。何せライラは多額の借金の次に殺人の容疑をかけられたのだ。これは普通、可哀想に思うだろう。

 そしてもう一つの理由というのがユーリエとシャンプーの話題とはいえ話が盛り上がっていたからだった。

 別に管理をしているという事実はこれっぽっちもないが、カラットはユーリエの交友関係をだいたい把握している。それは好きな子のことはなんでも知りたいという欲求からではなくて、ユーリエは生活のルーティーンが朝から晩までほぼ決まっているためだった。

 アルデバラン鑑定所は完全週休二日制で、ユーリエは助手という名のアルバイトで、フルタイムではないが一週間のうち五日ピッタリ全部出勤している。近頃は特に業務上ユーリエがいなくては困るということも増えたので社員にするか聞いたところ、少し考えさせてくださいとのことでまだ色好い返事はもらえていない。さらに休日も特に外に出ることなくアクセサリーを作っているというのだから驚きだ。つまり推測も入るが、ユーリエは外にあまり交友関係を持っていない。

 カラットの中にある、彼も自覚しているドロドロとした部分はそれを良しとしているが、彼女の世界がディアンとカラットの二人だけというのはやはり気にしていた。

 そんな中、ライラは今まで成し遂げた人のいなかったユーリエとの雑談をやってのけたのだ。要するに、カラットはユーリエの友人候補としてどうだろうかと思ったわけだ。

 カラットも友が多いわけではないが、友がいてよかったと思ったことは何度もある。ユーリエ本人がそれを望むか、本当に必要としているかは分からないが、本人に嫌がる様子がないのであれば、試してみる価値というのはあると思った。

 カラットはライラに少し嫉妬している。カラットだってユーリエに手を振ってもらったことなどないし、シャンプーの話なんかも自分ではなかなか聞きにくいが同性であればそれもまた違うだろう。それでも、ユーリエの生きる世界が少しでも豊かになる可能性があるのならば、カラットは自分にできることをなんでもしてやりたかった。


 カラットはとりあえず今自分が持っている情報、つまりライラを除く容疑者二人に犯人の可能性があるならば、どうしたら昨夜十九時頃に犯行が可能か考えながら歩いた。


「……あれ、ユーリ、どうしたんだい」


 考え事をしていたせいで気づくのが遅れたが、一歩後ろを歩いていたユーリエが数メートル後ろで立ち止まっている。ユーリエにしては珍しく何かに興味をしめしたらしく、視線は道端にずれていた。ユーリエの視線の先を見るとそこには露店が出ていて、店主が魚を売っていた。

 ただそれは普通の魚ではない。鮮魚や干物などの食べるものでもなければ、金魚すくいなどでもない。いや、そもそも、魚ではない。

 その露店はシンプルで簡素な屋根が立ててあって、縦一メートル横二メートルほどある大きな桶が中央に置かれている。屋根を支える鉄パイプには神社でおみくじを結ぶような形ので格子が正面を除いた三面に設置されている。いや、露店なのだからわたあめの屋台に近いのか。その格子にはよくお祭りで金魚掬いをすると金魚を入れてくれるビニールの袋がくくりつけられていて、その袋の中をが宙を泳いでいるのだ。

 それは普通ではありえない事だった。ただの水が意識を持って空中を泳ぐなど。それこそ魔法のような。しかしこの世界にはそういった不可思議を可能にする、そんな魔法のような力がある。

 露店の中央に置かれた桶の奥で座り込んでいるおじいさんがこの店の店主で、おそらく、マジックイミテーションなのだろう。

 よく見れば、背中を丸めて座るおじいさんの左胸の辺りにアルデバラン鑑定所にあるのとは別のカラーの紙のマジックイミテーション開業・就業許可証らしきものがクリップで止められている。

 マジックイミテーション開業・就業許可証は、マジックイミテーションの能力の内容によってざっくりとだがいくらか分類されている。カラットは「魔法に関すること」だから紫色の紙のマジックイミテーション開業・就業許可証だし、このおじいさんは黄色の紙のマジックイミテーション開業・就業許可証だから「娯楽に関すること」だろう。

 そのほか「科学、化学に関すること」、「芸術に関すること」などがあって、中でも「人間に関すること」は非常に優れ、珍しい能力で人命救助が期待できる能力だが、使い方を誤ればその逆も可能ということで許可証発行までに最も時間がかかるらしい。

 ユーリエはその屋台の真ん前に立ち止まってビニール袋の中で揺れる魚をじっと見つめている。来た道を数メートル戻ったカラットはパチパチと寂しさで手を振る星のように瞬くユーリエの瞳を眺めた。ユーリエはしばらく離れた距離から水の魚を見つめていたが、そろそろと前に進み出て露店の中心から外れた端っこところにしゃがみこんでまじまじと透明な袋の奥を見つめ始めた。


「ユーリ、それ欲しいのかい?」


 やがてそう問いかけたカラットにユーリエはびっくりした様子でカラットの目を見返した。カラットはユーリエがあまり物欲がないことを知っていたものだから、彼女が何かものに興味を示したのが嬉しかった。


「店主、それはいくらですか」


 カラットが隣に来ても視線を逸らさず袋を見つめていたユーリエがパサっと音を立てて髪の毛を揺らしながら左右に頭を振ったのが見えたが、カラットはそれを見なかったことにした。


「ちが、欲しいわけじゃ……」

「いいじゃないか、ユーリ」


 カラットは今回の事件についてつらつらと考えていたが、おそらくライラのことを考えて落ち込んだ様子のユーリエのことも気になっていた。

 だからこんな、と言ってはなんだが、このビニール袋に詰められた魚の一匹や二匹や五匹や十匹でユーリエの表情が、気分が少しでも晴れるなら安いものだしいくらだって財布の紐は緩む。


「ユーリ、どの子が欲しいんだい?」

「いいの、大丈夫だから……」


 幼い子供というのはほしいものを無言でじっと見ることで、親から買ってあげようかの一言を待つことがあるものだ。かくいうカラットにもそういう記憶がないこともない。しかしユーリエのこれは無言でカラットにねだっていたわけではなく、ただ存在が気になってまじまじと見つめてしまっただけなのだろう。

 ユーリエはアクセサリーの販売を続けているし、アルデバラン鑑定所でアルバイトも続けているので、この水の魚を買えないということは決してない。おそらく、ただの水でできた魚とはいえ、いきものを飼うというのに抵抗があるのではなかろうか。

 買ってあげたいカラットとそれを拒もうとするユーリエの問答をしばらく見ていた店主が見かねて口が開いた。しわがれた優しい声がユーリエにこんこんと語りかける。


「お嬢ちゃん、この魚は本当の魚と同じようにずっとは生きていられない。むしろ魚よりずっと短く、二、三日で普通の水に戻ってしまうんだ。私の魔法もどきではそれが限界だからね。でも、何もしなくても、お嬢ちゃんの元に行かなくても水に戻ってしまうんだ。だから、気に入ってくれたなら、一緒にいてくれたら私は、嬉しいよ」


 店主はそりゃあ儲けるために店を開けているのだから、買ってもらえるようなことを言うのであろうが、きっとそれだけ店主がこんなことを言ったのではないのだろうとカラットは感じ取っていた。

 何にしてもユーリエが何かを欲しがるのは滅多にないことなので、その後押しに感謝しつつ、今一度ユーリエに甘さを含んだ声で優しく問いかけた。


「ユーリ、どうする?」

「…………お願い、します」


 ユーリエはカラットの改めての問いかけに視線を右に左にうろちょろとやって悩んだ様子だったが、やがてそう言った。

 それじゃあ、せめて魚が一匹で逝くことがないようにとカラットは二匹以上選ぶようにユーリエに言った。


 それからユーリエは先程悩んで遠慮していたのが嘘のように「この子とこの子」と言って即決した。ああは言っていたがもう直感で連れて帰るならこの子たちと決められるほどにはしっかり見ていたらしい。

 店主は「あいよ」と言って格子からユーリエが指さした小さい一匹用のビニール袋を外してそっと口を開いた。ふよふよと宙を漂う水の魚はそのままゆっくりと浮いてきた。店主はそこを少し大きめのビニール袋でパッと捕まえて移し替えた。もう一匹もパッと移し替えると少し大きめのビニール袋の口をキュッと縛ってユーリエに渡した。

 ユーリエは手渡されたビニール袋の中で漂う水の魚を目の高さまで持ってきて表情はあまり変えずにしかし地球の青を反射した宇宙を閉じ込めた瞳をキラキラと輝かせて眺めていた。

 きっと赤の他人から見れば今のユーリエは無感動に水の魚を眺めているように見えたかもしれない。しかしカラットはユーリエがとても喜んでいるのを察していたし、こんなにも無邪気はしゃぐユーリエを見るのは本当に珍しいことだった。カラットはそんなユーリエを少し眺めて、店主に言われた金額よりも少し多い額を手渡した。

 店主は最初目を見張って多い分をつき返そうとしたが、カラットが軽く首を振りながら目でそれを制したので、肩を竦めて格好つけさせてやるかと手渡されたお金を何も言わずにしまった。

 お金をしまった店主は水の魚をじっと見つめたままのユーリエの方を見て話しかける。


「魚に水に溶かした絵の具とか食紅なんかの水溶性の色素を一滴二滴くらい落としたら、色が変わるからもしよかったら試してご覧。ただ大量の水を与えると溺れてしまうから気をつけるんだよ」

「色が変わる……」


 ユーリエは手の中の魚が様々な色に移り変わるのを想像した。このままの無色透明な魚も綺麗だが、カラットがよく万年筆を使うのでアルデバラン鑑定所にはそれ用のインクなんかもあるからそれを使えばどんな色にだってできるということだ。赤だって青だって紫だって黒にだってできる。オレンジも、そうだ、金粉を溶かしたらどうなるだろうか。

 そこまで想像してユーリエはハッとして息を呑んだ。先程、アカモノ警察署で見たものが、覚えた違和感が頭を駆け巡る。


「カラットさん、色です。髪の毛の、色」


 カラットはユーリエのことに関して少々察知する能力が異常と言っても差し支えないことが度々ある。カラットはユーリエの言葉少ななそれを正確に理解し、同じようにハッと息を呑んだ。

 二人は顔を見合わせて頷くと店主に礼を言ってカラットとユーリエは来た道を引き返す。

 カラットはユーリエを気づかって全速力で走ることはせずに早歩きで警察署までの道を急いで戻りながらスラックスのポケットから引っ張り出したスマートフォンでサンドローの番号を呼び出す。

 耳に当てたスマートフォンが相手に繋がったのが分かるやいないや応対するサンドローの言葉を遮って叫ぶ。


『はい、サンドローで――』

「サンドロー警部! 犯人が分かりました、もちろんライラさんじゃない!」



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