第10話 けたたましい着信音



 カラットが鑑定書のフォーマットが印刷された紙を取りに行っている間、ライラはスツールに腰掛けたまま目の前の紫色の布に乗った短剣を睨め付けていた。

 この短剣によってライラは助けられることになるが、父の行動についても謎の残るこの短剣を本当に手放してしまっていいものなのか分からなくなってきてしまったのだ。

 ライラの父は魔法陣における芸術学についても研究をしていたと聞いているし、本人も趣味で魔法具について調べていたことがあったらしいがまさか本物を持っているとは知らなかった。

 いや、そもそも父はこの短剣が魔法具かどうか本当に知っていたのだろうか。知っていたのであればあんな箪笥の引き出しというセキュリティ能力が皆無の場所ではなくもっと鍵のかかる場所、例えば金庫やせめて鍵のついた引き出しなんかに入れるのではないだろうか。

 悶々と考え込むライラに、用紙と先ほどとはまた違う長めの黒い軸の万年筆を持ったカラットが戻ってきて言った。


「それじゃあこれから鑑定書を書くんだけど、どこで買い取ってもらうかは私の紹介でも構わない、かな?」

「あ、はい、それはもちろん。先ほどの金額に近いものを保証してくださるのでしたら……」

「それは大丈夫。いや、私が買い取りをほとんどしていない分提携している骨董店とかを紹介するというので一部収益を得たりしていてね」


 カラットはそのほかに国や自治体などからも魔法具鑑定の依頼が入ったりするので、その依頼料でも収益を得ている。

 国には一応、魔法族研究所魔法道具研究収集保存課があり、魔法道具認定などをおこなっている。そこでも魔法具かどうかの判別は可能なのだが、そこそこの手間と時間がかかってしまう。それに比べてカラットは一目見れば詳細はともかくとして魔法具かどうかの判別が可能なので、魔法具か分からないものはわざわざ魔法道具研究収集保存課で解析するよりもカラットに依頼したほうがよっぽど早く、安上がりになるのだ。

 そしてカラットの目で見て魔法具であるとされれば、詳細にどのような魔法が施されているのか、魔法陣が刻まれているのかを調べる魔法道具認定に回せばいい。カラットも魔法具かどうかの鑑定で物自体の鑑定は行わないのですぐに終わるし言ってしまえばコスパがよく、ウィンウィンの関係というやつなのだ。ちなみにカラットは魔法具の疑いがあるものたちはまとめて持ち込むと割引が効くという制度を導入しているので、急ぎでないものはまとめて持ち込まれている。

 普通の、要するに魔法具以外の鑑定もライラのように持ち込んでくる人がたまにいるがその場合は普通に鑑定することも多々ある。またそのときに受けいている仕事の量によっては他の店を紹介するなど依頼品によってさまざまな対応をとっている。ただそういう魔法具以外の場合、なぜか宝石の類ばかりなもので、多少、ほんの少しではあるがカラットは辟易していた。


 ライラはこの短剣の価値を知って急に悩み始めていた。一応は今の貯金で借金の九百万リムを支払うことは可能なのだ。その後の生活には困ってしまうことになるが、飛び抜けた価値を持つこの短剣は買い戻せなくなると言われると、父の秘密も分からないのに売っていいのか分からなくなってしまった。現在の貯金額、父の遺産を含めて九百十万リム、家賃と水道光熱費などは引き落としがあったばかりなので、謂れのない借金を支払えば十万リムが残ることになる。しかし大学の後期の学費の支払いが控えているし、この貯金には今後の食費や他生活費も含まれている。さらにまたすぐ来月に家賃や水道光熱費なんかを払わなくてはいけなくなるのだ。そうするとすぐに貯金は底をついてしまうことになるだろう。

 日雇いのアルバイトを追加すればなんとかなるだろうか、いや、きっと話はそんなに甘くない。それでは警察の調査を頼りにしてどうしてもダメになったら売るか、しかしそこまで粘ったらこの短剣を手放せなくなってしまっている気もする。

 うだうだと悩んでいる間にカラットはさっさと鑑定書にサインまでしてしまったらしい。ペンを置いて上から下まで目を通して確認している。カラットは確認を終えたのか一つ頷いてライラの方を見た。


「よしそれじゃあ、行こうか」


 カラットにそう声をかけられてライラはやっぱり短剣を売るべきではない気がしてしまった。


「――あの、やっぱり……!」


 プルルルル、プルルルル!


 ひとまず一度待ってもらおうとライラが声を上げた時、けたたましい音がそれを遮った。

 その音はどうやら着信音で、その音源は立ちあがろうと半分腰を上げたライラの膝に乗せられたカバンの中のスマートフォンのようだ。

 ライラは短剣を売るかどうかについて言おうとしたタイミングで鳴り響いたスマートフォンになんの音かとビクッと肩を揺らした。普段ダイレクトメールやチャットなど文字を使うことが多く電話をすることがほとんどないので自分のスマートフォンが電話の着信を知らせる音を鳴らしてるのもほとんど聞いたことがないのだ。しかしライラはすぐにこのけたたましい音の音源が自分のスマートフォンだと気づくとカバンの中から取り出して、その画面を見た。


「なんだろ、知らない番号……」


 ライラのスマートフォンには番号のみが表示されていた。ライラはかかってくる可能性のある番号は大学関係も含めて全て連絡先登録をしていたはずなので番号のみが表示されているということはこの電話先の人物を知らない可能性が高い。

 いや、知っているというと少し違うが、あったことのある人物でライラのスマートフォンに知らない番号から電話かけてくる人物に一人だけ心当たりがある。あの借金取りだ。

 もちろんあの男に電話番号を教えちゃいないが、ああいう、明らかにカタギではなさそうな男が住所も在宅時間も知っていたのに今更ライラの電話番号を知っていたところで大した驚きもない。それであればおそらく、出た方がいいのであろうが普通に嫌だった。

 それでもあんまり待たせて何か言われる方が嫌だし面倒なので、数秒で切り替えてライラはカラットの方を向いた。


「すみません、ちょっと出ますね」


 そう言って店内で通話をしても迷惑かもしれないと今度こそスツールから立ち上がって出口に向かうライラをカラットは引き止めた。


「ああ、いや、ここで出ていいよ。私は奥に行っているから」


 カラットはライラの返事を待たずに奥へ行ってしまったので、ライラはその言葉に甘えて先ほどまで自分が座っていたスツールにカバンを置いて応答ボタンをスライドした。


 プルルル、プッ。


「もしもし……?」

「こちらライラ・リゲルさんのお電話で間違いありませんね?」

「え? は、はい……」


 電話をしてきた人物は、二日前に自宅に来た借金取り男ではないようだった。あの男は変にうわずったような声で間伸びをした喋り方をしていたから、一度しか会ったことがなくても、電話越しでもすぐに分かった。電話をしてきた人物はその声から明らかに男だし、電話というのは肉声と声が違うように聞こえることがほとんどだが、そのかっちりとした喋り方とライラの名前の呼び方からあの男ではない。またこの声に覚えもなくおそらくライラの知らない人物だろう。

 ライラの名前を聞いてきたことから間違い電話ではないようだし、疑問符がついていた割にこの電話番号がライラのものであると確信したように聞いてきたのが不気味だった。


「あの、どちら様でしょうか?」


 ライラは不安で仕方なかった。あの、血だけが繋がる一応母がまた何かをしでかしたのではないかと思ったのだ。短剣を手放すか悩み始めてしまったものの、とりあえずはせっかく押しつけられた謂れのない借金の返済の目処がついたというのに、これ以上の面倒ごとはごめんだった。


「ああ、わたくし、アカモノ警察署のサンドローと申します」

「え、警察……?」


 沈んでいたライラの顔が途端に緩む。まさか、もう調査結果が出たのだろうか。もしそうなのだとしたらライラは父の形見でもあるあの短剣を売らなくて良くなるかもしれない。そうしたら、この短剣を大事に保管して、調べたりできるかもしれない。そうしたら、自分の知らない父のことが少しだけでもわかるかもしれない。

 ライラは期待に胸を高鳴らせて電話口に問いかけた。


「あの、もしかしてもう調査結果が出たんですか?」


 しかし返ってきたのはライラにとって思いもよらない言葉だった。


「調査結果? なんのことでしょう。私どもはあなたに事情をお伺いしたいことがあるのですが、今どちらにいらっしゃいますか? ご自宅にはいらっしゃらないようですが……」


 どうやらこの電話口で警察を名乗るサンドローという人物はあの謂れのない借金の調査については知らないらしい。それに自宅? まさかこの電話口の人物は今ライラの自宅にいるとでもいうのか。でもどうして警察がライラの自宅に来るのか、あの謂れのない借金のこと以外でアカモノ警察署の警察官がライラに電話してくる理由に心当たりがなかった。


「今はちょっと……その、鑑定所に、いるのですが……」

「フム、どちらの?」

「オダマキ通り、の、裏のところ、ですけど……」


 ライラは変な緊張に胃の当たりがグルグルする感覚を感じながらも言葉を使えさせながらなんとか答えた。


「おや、そこはもしやアルデバラン鑑定所ですか?」


 どうしてそんなことがわかるのだろう。いや、このオダマキ通りの裏にはここしか鑑定所がないのか。

 しかし、そもそもこの人は本当に警察の人なのだろうか。なんと答えていいものか悩みながらライラはカラットがいる方をチラリと見た。電話をとってすぐにライラが警察と叫んだのが聞こえていたのか、奥の部屋にいるのものの顔を出してカラットがこちらを気にしてくれている。

 ライラはカラットの方を伺いながらも、おずおずと答えた。


「そう、ですけど……。あの、事情を聞きたいってなんのことですか……?」

「それは会ってお話しします。すみませんが、ミスターカラットに電話を替わってもらうことはできますか?」

「え、はあ……」


 ライラは生返事をして耳からスマートフォンを離すとカラットの方を向いた。


「あの、アカモノ警察署のサンドローさん? が、アルデバランさんに替わってほしいって……」

「え? サンドロー警部が?」


 カラットはこの電話口の人物のことを知っているらしい。ならばこの人は本当に警察官なのだろう。

 カラットは訝しげな顔をしながらライラの元まで歩み寄ると、ライラの手からスマートフォンを受け取った。カラットはすぐに通話には出ずにスマートフォンを持った方と反対の手で人差し指を立てて口元に持っていき、シーとライラに静かにするように伝えると、画面のスピーカーのアイコンをタップして話しはじめた。


「替わりました、カラットです。サンドロー警部?」

「ああ、私です、サンドローです。ミスターカラット。……そこにいる少女は君の知り合いですか?」

「ええまあ……、依頼者ですよ」

「フム……」


 「では君の意見も聞きましょうか」そう続けられた声はカラットの手のひらにあるスマートフォンではない場所からも聞こえた。同時に、ドアベルのカランカランという高い音も聞こえる。

 ライラが振り返った先にいたのはスーツを着た、人相と雰囲気がチグハグな男性だった。その人は容姿だけで言えば二十代から三十代前半の頃であろうに、その雰囲気は壮年の男性のようであってそれが彼の年齢をより分からなくしていた。男性の声は先ほどまでライラの耳に当てられていたスマートフォンから聞こえていた声と同じようで、ああ、この人がサンドローという人なのかとすぐに分かった。

 サンドロー警部と思しき人物は、耳に当てていたスマートフォンを離して操作すると、カラットの手にあるライラのスマートフォンからツーツーという通話が終了したことを知らせる音が聞こえた。彼はライラの方についと視線を合わせると、胸元から手帳を出して中がライラに見えるようにしながら言った。


「ライラ・リゲルさんですね。改めましてアカモノ警察署のサンドロー・アルクトゥールスです。署までご同行願えますか?」



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