第9話 短剣の価値



 そういうわけで、あまり意識されていないが魔法具というのは意外と身近なところに存在している。カラットの実家にはなかったが、通っていた学校の校長室横のトロフィーやシャーレなんかを飾るための棚には魔法具が一緒に並べてあった。ただあれすらも魔法具と知っていたのはカラットだけという可能性が大いにあるが。

 ライラの父がこの短剣を魔法具と知って所持していたのか定かではないが、この短剣はまず間違いなく魔法具だった。それも非常に上質な守りの魔法陣が刻まれているもの。流石にマジックイミテーション開業・就業許可証を所持しているカラットがそう言っているのであれば間違いはないだろう。

 カラットがこの短剣の鑑定に時間をかけた理由というのは分かった、しかし今のライラにとってこの短剣が魔法具であるかどうかよりもはるかに気になるのは――。


「――それで、この短剣の価値は……?」

「……そうだね。ポイントは二つあって、この短剣自体の価値、今回の場合は歴史的な価値や装飾に使われている宝石の価値だね」


 カラットは勿体ぶるようにゆったりとした優雅な手つきで短剣を裏返して宝石がきらめくのを見せるようにした。


「それから魔法具としての価値。これは魔法具だから短剣自体の価値にさらに魔法具としての価値が上乗せされることになる。この短剣自体新しくはないが、古いという訳ではない。装飾が非常に綺麗な状態で残っているが、名の知れた者の作品というわけではない。以上のことを踏まえて鑑定額は二千万リム、といった所かな」

「に、二千万リム!?」


 ライラは周りに気を使う余裕もなく、声を張り上げた。思わず立ち上がった拍子に今まで座っていたスツールが倒れはしなかったものの、ガタン! と大きな音を立てた。


「今回の場合は短剣の価値というより、ついている宝石の価値に魔法具としての価値が上乗せされた形だね。宝石だけなら分解してもそこそこ価値があるんだが、魔法具としての価値は石が一つでも外れた瞬間になくなってしまうから気をつけてね」


 ライラは叫ぶのと同時に立ち上がったもののすぐにスツールに座りはしたが、それは思わず立ち上がってしまったからではなく、ふっと足の力が抜けてしまったためだった。椅子がなかったら地べたにしゃがみ込んでいたことだろう。今のライラには呆然として大声を上げたことを恥ずかしいと思う余裕すらなかった。それほどカラットに告げられた金額が衝撃的だった。

 つまり、あれか、この短剣はあの男に返済しろと言われた金額、合計九百万リムを払っても大いにあまりあるというのか。ライラは今更ながらにこの短剣が鍵もかからない普通のタンスにしまわれていたことに戦慄した。

 ライラの叫びの後に続けられたカラットの言葉は当然ライラの耳をすり抜けて出て行ってしまった。とんでもない金額にもう想像もつかなくなってわけが分からなくなってライラの手はずっと震えたままになって顎まで震えてカタカタと歯を鳴らした。しばらく空を見て口を少し開けてハッハッと早く短い呼吸をしているライラにカラットはそれ以上何も言わずにライラの様子を伺っていた。しばらくしてライラが少し落ち着いてきたのを見計らってカラットはまた続きを話し始めた。


「二千万リム、と言ったが人によってはそれ以上出すこともあるだろうね。世の中にはさまざまなコレクターというものがいて、魔法具も例外じゃない。しかもこれには豪奢な装飾があしらわれていて鑑賞品としても優れているから余計だろう」


 つまりオークションなどを利用できればもっと高い金額で売ることが可能というわけである。しかし今のライラにはそんな時間はない。もし「この短剣にはそれほどの価値があるのでオークションが終わるまで待ってください」とでも馬鹿正直にあの男に言おうものならやっぱり他にもあっただとか利子だとか言われてもっと巻き上げられるのがオチだろう。なんなら短剣ごと持っていかれてしまうかもしれない。

 そして今のライラには借金取りに知られないようにしながらインターネットなどでオークションを開き、取引を進めていく余力がそもそも存在していない。さらに言えばこんな高額のものを、一度だけ、それも大して高くないティーセットを落札した経験がある程度のインターネットオークションの知識で無事に取り扱えると思うほどライラは楽観的ではなかった。それならばカラットに紹介してもらったところで売ってしまうのが早く、確実で安心だろう。


「二千万リムで買い取ってもらうには魔法具であるという証明が、つまり私の鑑定書がいるが、うん、乗りかかった船だ。それくらい書こう」

「あっ、ありがとうございます!!」


 ライラはもう一度バッと立ち上がって九十度を優にこえて百十度くらいまで腰を折り曲げて大仰に頭を下げた。

 これでライラは無事に謂れのない借金の返済の目処がついたわけである。しかも現在の貯金額にさらに、大幅にプラスされることにもなる。

 一周回っていくらか冷静に物事を処理し始めたライラにカラットは話を続ける。


「ただ、これは買い戻しというのが非常に難しくなるだろう。売るよりも買う方が高くなるのはこういうものの常だが、今回は特に売った後に魔法道具認定がされることによって価値が余計に上がることになる。私の鑑定書だけよりも魔法道具認定がされることによってお国のお墨付きのがつくことになるから余計に価値が上がるんだ」


 カラットは自分の鑑定によって魔法具だと特定されたものは国の魔法族研究所魔法道具研究収集保存課にて行われている魔法道具認定を推奨している。この魔法道具研究収集保存課に魔法道具であると認定されるとカラットの鑑定書とは別に国から魔法道具認定証が発行される。つまりさらに価値が保証されることとなるのだ。

 もちろん、カラットは公的にその能力を認められたマジックイミテーションであるため、彼が魔法具だと鑑定したものは全て魔法具として認めれ、扱われるが、やはり国営の機関で認定されたものというのは価値が上がるのだ。

 そしてその認定にはある程度の時間がかかるため、今のライラにはそんなことをしていられる時間がない。そうなるとカラットの鑑定書のみで売ることになるが、売られた側はよっぽどの事情でもない限りカラットの鑑定書をもとに魔法道具認定を受けようとするはずだ。そうすればおそらくもうライラがこの短剣を手元に戻すことは難しくなるだろう。ライラの父の形見の一つはそうしてライラの手を離れてしまうことになるのだ。

 ライラはもう二度とこの短剣が手元に戻ってこないと言われて、どうして父はこの短剣を大切にしまっていたのか、どうして自分に何も話さずに死んでいってしまったのかと考え込み始めてしまった。

 ライラの父の死因は病気だった。その宣告は突然だったが、突然亡くなったわけではなかった。だから入院前には入院準備と共に持ち物の整理をしていたし、入院期間でも体調がいい日には一泊や二泊くらいで家に帰ってきて自分の遺産やら書類やらの準備もしていた。それから自分が死んだ後にこれはどうしたらいい、あれは使えるとかいったことをライラに色々教えてくれていたのだ。それなのにあの短剣のことだけは一度も話に上がらなかった。


「お父さん、なんで……」


 カラットが鑑定書を書くために用紙を取りにいなくなった部屋で一人、ライラの呟きだけが静かに響いていた。



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