第5話 宝石の洞窟の主
カランカラン、と心地よいドアベルの音が鳴り響く。
ドアを押すために突っ張った腕をそのままに、声を漏らすこともしなかった。
ライラは今、自ら光り輝く宝石の洞窟の中にいた。
ライラは呆然としたまま足をずりずりと動かして五十センチ進んだ。いつの間にか右手はドアノブから離れていて鳩尾のあたりで左手と合わせて指を組んでいる。
「おや、いらっしゃい。お客さんかな」
ライラは奥からかかった声に肩を揺らして後退り、またカランカランと音を立ててしまったドアに背中をピタッとくっつけた。ドアベルの音を聞いて奥からこの店の人が出てきたらしい。
それにしてもここは本当に骨董品とか美術品を買い取ってくれるところなのだろうか。現代に存在するはずもないのだから見たことがないはずなのに、まるでまだ魔法族が生きていた時代の魔法使いのためのお店のようだとライラは思った。
外はまだ昼だというのに店の中は薄暗い。いや、実際には決して暗くなく、天井から吊り下げられたたくさんのランプがライラのグリーンベリルをはめ込んだような瞳にさまざまな色の光を反射させている。おそらくランプが照らす範囲に限りがあるせいで明るいところと暗いところのコントラストが強く、特に天井なんかは暗いのでライラは薄暗い、とそう思ったのだろう。
商業施設ではないけれど、こういった店舗などに設けられた照度の基準の範囲内などには収まっているのだろう。しかしこの空間を照らしているのが天井がから吊り下げられたいくつかのランプだから薄暗い印象を抱いてしまったのかもしれない。そのランプだってライラの家にあるような白っぽいシンプルな曲線を持ったものではなく、極彩色のステンドグラスやタイルが使われたもの、ランプ全体が植物を模したもの、はたまた幾何学模様の透かし彫りが施されたランタンなんかもあって色とりどりの光が空間を照らしている。その中でも一際ライラの目を引いたのは月の形を模したランプだった。
店内の空間だけでこれなのに、奥から出てきてライラの前に姿を現したこの店の店員だろう声をかけてくれた男にも何だかそれっぽい、魔法使いの時代にいた人のような雰囲気があるのだ。
ライラは魔法使いの姿を歴史の教科書だけでなく童話の絵本やアニメ、映画なんかで見たことが何度もあるが、彼はこれらの作品のモデルか、はたまた出演している俳優か何かなのではないかと思わせる雰囲気があった。室内を照らしているのは色とりどりのランプなので彼が持つ正確な色は分からないけれど、おそらく蜂蜜色の髪を左側だけかき上げて、細い金属のフレームの丸眼鏡をかけて、グレーっぽい色味のスリーピーススーツを着ている。その上シャツにはサファイアのような深い青色の石にチェーンのついた襟ピンまでつけている。
なんとなく癖のありそうな人だと少し尻込みをしながらもライラは組んだ両手を握りしめて門を叩いた理由を話すために息を吸った。
「あの! 短剣の鑑定、というか、査定! をお願いしたんですが……」
この空間の雰囲気と緊張で、言葉が変に途切れて強弱も不自然になったがなんとか伝えられた。店員らしき男はその勢いに驚いたように三回目を瞬かせたものの、さらに数歩ライラの方に近づきながら言う。
「なるほど……。うちは確かに『アルデバラン鑑定所』という看板を掲げているんだが少し特殊でね。普通は鑑定した所で買取まで行うのが大半なんだけど、うちが買い取るのは私が選んだごく一部の宝石とかで鑑定後はほとんど近くの提携してくれている買取店を紹介してそちらに持って行ってもらっているんだ」
このアルデバラン鑑定所は変な店だった。一応買取を行っているというものの、それはごく一部に限った話でほとんど鑑定のみ行っている。普通、買取店には専属の鑑定士が常駐していなければ買い取りもできないため、わざわざここで鑑定してもらってから他店に持って行く意味はないはずなのだ。
しかし、ライラの目の前の男が言ったようにこの店はただの買取を行うところではない。そのため、鑑定のみの案件ばかり取り扱っていても周りの買取店から邪険にされることはないし、むしろアルデバラン鑑定所の鑑定内容に関する噂を聞きつけて全国から依頼がくるような店であった。
「あ、じゃあ、ここでは買い取ってはもらえないんですね……」
ライラは皮膚に爪を立てるくらい両手を硬く握りしめた。また別に買い取ってもらえる場所を探さなくてはいけなくなってしまったのだ。たとえばバックやアクセサリーなんかのブランド物なんかを買い取ってくれそうなところはさまざまあるが、短剣となると難しくなってきてしまうかもしれない。
「いや、買い取るのがごく一部でさらにそのほとんどが宝石というだけでお嬢さんが持ってきたいう短剣を買い取れないというわけではないんだけど……」
店員らしき男は手に持っていたファイルのようなものをテーブルの上に置くと、メガネのブリッジを左手の人差し指の第一関節でクイッと上げてさらにライラの方にゆっくりと近づいてきた。
ライラは思っていたよりも上背の高い男に思わず右足を半歩後退させようとしてガツンと踵を背後のドアにぶつけながら見上げた。近づいてきたこともあって、男の姿がさっきよりも鮮明に見えるようになる。声と肌の感じからして若そうな男に見えたが、ただの若造という感じでもなく齢三十の頃だろうか。蜂蜜色だと思っていた色は、星すら見えない夜にも照らしてくれる月のような白金色をしていて、シャンパンゴールドの縁の丸眼鏡の奥は父が好きだった桔梗のような落ち着いた紫色をしていた。その瞳からは暖かさも見えたし、冷たさも垣間見えるようでライラは目の前のこの人が少し怖くなった。
「まず自己紹介をしておこうか。私はカラット・アルデバラン。この店の主で少々特殊なものを含めて鑑定をしている」
「カラット、アルデバランさん……」
「ああ。ここ、『アルデバラン鑑定所』では、他の鑑定士では見ることができないものを主に鑑定しているんだ。ほらそこ」
カラットはライラの一メートルほど先で立ち止まるとライラの後ろを指差した。ライラが胸の前で硬く握りしめた両手はそのままに首だけを動かして後ろを振り返ると、さっきは視野が狭くなっていたせいで気づかなかったが、ドアの窓の右上、つまり外から見て左上のところにシールが貼られているのが見える。
「あっ」
ライラはそのシールを見て思わず声を上げた。内側から見ているせいで反転しているが、そのシールの中央に位置するマークを知識として知っていたし、ごくまれに街中でも見かけるシールだった。それでも驚いたのはまさかこんな買取店でお目にかかれると思っていなかったからだった。そして、あのヤンチャな男子小学生たちの言葉を受けて考えてついたことが本当だと知った。
「その様子だとご存知かな。お察しの通り、私は
「普通の宝石や工芸品の鑑定もできるんだけどね」と続けたカラットの言葉はライラの耳を通り抜けていってしまった。
魔法族はもういない。二百年も前に途絶えてしまった。それはこの世界の常識だった。
遠い遠い昔、魔法族は誕生した。その誕生の仕方には諸説あるが、ある時突然特別で不可思議な力を持つ人が現れ、その後各地で散見されるようになったというのが定説である。そしてやがて特別で不可思議な力は魔法、その力を持つ人々とその集いは魔法族と呼ばれるようになっていった。魔法族は魔女とも魔法使いとも呼ばれた。
魔法族は特別な力を持つことからそれを持たない人々から恐れられたりもしたものの、魔法族と魔法族でない人々は適切な距離を保ちながら長い間隣人であり続けた。
しかしそれも二百年前までの話。四百年前から急激に魔法族が生まれなくなっていってしまい、減少の一途を辿った。魔法族は特別な力を持たない人同士からも、魔法族同士からも生まれたがある時それがぱったりと観測されなくなってしまったのだ。
そしてとうとう新たな魔法族が生まれなくなってからおよそ百年余り、最後の一人になってしまった魔法族の予言によって魔法族はその長い歴史に終止符を打つことが分かった。
マジックイミテーションとは最後の魔法族が死んでから十余年経って見られるようになった魔法のような力を持つ人間とその力そのもののことだ。今でも色々と議論がされていて、二百年前に途絶えた魔法族の生き残りだとか、魔法族の再燃だとか言われているがはっきりとしたことは分かっていない。
ただ、魔法族との決定的な違いではっきりしていることがある。それはマジックイミテーションは一つしかその不可思議な力を使えないということ。そしてその力の内容は選べないということ。
その力は魔法ほど強力なものでも便利なものでもないものの間違いなく魔法のような特別で不可思議な力。だから魔法もどきなのだ。
マジックイミテーションの数は少ないが、だいたい街に何人かはいるらしい。その数おおよそ三万人に一人で、三毛猫のオスが生まれる確率とほぼ同じくらいだと言われている。本人が選べないその力はあるとき突然発現するらしい。
今ではマジックイミテーションのような力が観測された場合には速やかに専門の機関で検査の上、届出なければいけないという法律があるので、一応の数は把握できているらしい。ただ、初めて観測されるのはほとんど子供の頃であるものの、時折大人になってから観測される場合もあるため、何らかの目的のために届出をしていない人間もいるらしいという話が一年に二回くらいの頻度で夕方のワイドショーで特集を組まれていたりする。
力が発現したことを届出たマジックイミテーションは成人すればその力を使って仕事をすることも認められており、その場合はまたさらに届出を出した上で承認を受ける必要がある。その承認を受けましたよ、という証明の一つが今ライラの目の前のドアにはられているシールなのだ。このシールはマジックイミテーションが仕事をしていると一般市民に知らしめるためのもので、マジックイミテーションを使って仕事をする人々はこれの掲示義務がある。
つまりこのカラット・アルデバランという男は、マジックイミテーションな上、その力を使って仕事をしており、いわゆるモノの価値だけではないものが分かる、ということらしい。
ライラはつい、肩を落としてしまった。これでは本格的に的外れのところに来てしまったのかもしれない。
自分が持っているのは随分と変わった装飾のただの短剣なのだ。ライラは、マジックイミテーションはその特殊性から仕事にした場合とても繁盛すると聞いたことがあった。ということはこの人もきっと色々な依頼が来ていて忙しいだろうし、何よりマジックイミテーションに鑑定を依頼したらいくらかかるか分かったものではない。元々余計なお金などないが、今のライラは輪をかけてそんなものはないのだ。
「君、さっき短剣を持ってきたと言ったね。どれ、見せてごらん。大丈夫、魔法に関する鑑定を主にしているけれど、実際には関連のないものが大半でね。それに至っては普通に鑑定しているから」
「いや、でも鑑定だけしてもらっても、お金も払えませんし……」
「あはは、いいよ。特別だ。……ほら、私の名前はカラットだと言っただろう? それの縁なのかなんなのか、どこかで湾曲して噂が伝わっているのか『この石は魔法石ですか』って鑑定依頼ばっかり来るんだ。一応ただの鑑定士としては工芸品とかが専門なんだけどねえ……」
カラット・アルデバランと名乗った男は、斜め上の方に視線をやって遠い目をした。ライラは一度唾を飲み込んで、グッと顎を軽く引いて目線だけを上にやってからひとつ大きく呼吸した。
「それじゃあ、お願いします。けど、その、申し訳ないんですけど一応料金が発生しませんって紙、書いてください」
ライラの言葉にカラットは目を見張ってぱちくりと瞬きをしてから思わずといったようにクスクスと笑った。
「フフ、いいよ。ここ最近は特に宝石の鑑定ばかりだったからね。たまには別のを見たくなるんだ。さ、こちらへどうぞ」
そういうとカラットは背の高い彼の邪魔にならないようにバランス良く配置され、動線の邪魔にはなっていないたくさんのランプの間を抜けていく。
ライラは自分のカバンの底にある短剣の姿を思い浮かべて全体的に宝石だかがあしらわれているなと思ったが、いやいや本体は短剣だからと頭を振って、それを黙っていることに多少の罪悪感を覚えながらもカラットの後に続いて店の奥に足を踏み入れた。
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