嫌いな私の消し方

@himenoaki

嫌いな私の消え方

 「嫌いな私の消え方」 

                             ひめの なぎさ

「嫌いだ、みんないなくなってしまえ」頭のなかで“私”が叫んでいる。

目に映るすべてが嫌いだ。ヒト、動物、虫、なんなら服のような非生物すべて嫌いだ。とにかく目に映るものすべて。守らないといけない時間も守れない、一つダメになったらすべてが嫌になる、また“私”が叫ぶ。「嫌いだ。この世のすべて嫌いだ」。

(なぜこんな風になってしまったのか、なぜこんな風にしかなれなかったのか)答えのない、探そうとするとまた“私”が叫ぶ「嫌いだ、このすべてが」。

いつからだろうこんなことを考えるようになったのは。こんなことしか考えることができなくなったのは。

私は母親と姉と3人で暮らしていた。姉の習い事でいつも母と姉は二人で遅く帰ってきた。小学生だった私は用意されたご飯を食べて先に寝る、これが日常だった。ゲームをしてテレビを見て一日が過ぎるのをまつ、家では一人だったが楽しくないわけではなかった。

初めてこの感情が芽生えたのは、小学校高学年の時だっただろうか、私はいつものように「おはよう」といった。当然同じ言葉が返ってくると思っていた。しかし、何も返ってこない、返ってくるのは軽蔑のまなざしと私には聞こえない声だった。どういうわけか学校ではやっていたシールを私が盗んだことになっていたようだ。全く身に覚えのない冤罪だった。1日前までは数人で食べていた昼ごはんも鬼ごっこしていた昼休みも周りには誰もいなくなっていた。“私”が叫んだ「嫌いだ」。

中学生になっても“私”は消えることはなかった。ある時から私は、部活の部長をすることになったが練習の掛け声は私の声しか響かない。それをみた顧問に注意され部員に伝えても何も変わらない。わざわざ嫌われ者に近よってくるクラスメートもいるはずがない。家に帰って用意されたご飯を食べる。“私”の声が私に響く「嫌いだ、みんな嫌いだ」“私”が私のなかで大きくなっていく。

高校生になって一つの光が見えた。「物理」という教科だ。定期テストで毎回1位、クラスメートが近寄ってくる。私の周りに人が集まってくる。私は嬉しかった、私の存在をアピールできた気がして。もっと話せるように、集まってもらえるように一生懸命勉強した、物理、数学、化学学年1位、全国模試で偏差値75以上、泣きながら頑張った。そんなある日修学旅行の班決めがあった。だれも私には寄ってこなかった。みんなが求めていたのは“私”ではなく勉強ができる私であったのだ。“私”が叫ぶ「嫌いだ、こんな世界嫌いだ」。

 大学入学後一人暮らしを始め、友人こそいなかったが大学で一日数時間勉強をし、家に帰りまた数時間勉強をするこんな日々を過ごしていた。すこししんどいが、充実した日々の中突然“私”が問いかけた「頑張ったお前が苦しみながらまた努力する。頑張っていない人が楽しく遊んでいる それでいいのか」(そうだ。なんで努力した人間が苦しんでいるのだ。おかしいだろうこの世界、なぜだ。)この思いが日に日に強くなる。私の周りには誰もいない。

“私”の声が大きくなる「嫌いだ」。目に映るすべてのものが嫌いになっていく鏡に映る私さえも。“私”は叫ぶ「嫌いだ、このすべてが」。私は“私”がわからない。いや“私”が私をわからない。“私”は叫ぶ「嫌いだ、みんないなくなってしまえ」。しかし周りには誰もいない。消えているのは私だった。

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