柔神の愛弟子ッ!!【短編読切】

紅星

【1】



 ――――柔よく剛を制す。


 それは、古の武道家たちが目指していた理想。

 だが、いつからだろう。それが幻想に等しくなってしまったのは。


 数多の武術がスポーツ化され、競技性が強くなってしまったせいか?

 科学的に分析された、データばかりが重視されるようになったからか?

 近代トレーニングが発達し、古来からの修行法が失伝してしまったせいか?

 気付けば勝利だけが重視され、柔の真髄らしきものを見出す事は難しくなった。


 だが、それでも――今も見たいと願ってしまう。

 強大な剛の脅威を、柔の極意によって制す境地を。

 そんな奇跡の如き瞬間に魅せられ、己は柔の道に踏み入ったのだから――


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『――――ワアアアアアアアアアアアッ!!』


 地鳴りのような歓声に、空吾の意識が今に引き戻される。


「……っと、いけない。今はあいつの試合を見届けなきゃな」


 全国中学校柔道大会。女子48キロ級決勝戦。

 眼前では激しい戦いが繰り広げられ、会場には耳をつんざく声援が響き渡る。

 いや、正確には――『彼女』ばかりに向かって喝采を贈っているのだ。


 舞い踊る黄金の髪。きらめくスカイブルーの瞳。凜々しく端整な顔立ちに、しなやかで敏捷な肉体。小柄で細身ながらも、均整の取れた体付き。純白の柔道着を纏うその姿には、神聖さすら感じられた。天狼院サラ――それが彼女の名前である。


 すぐにでも世界を狙えると評される柔道の才能。凡百のアイドルや女優など比較にならないほどの美貌。あらゆる者を魅了するごとく輝く彼女は、中学生にしてすでにスーパースターとしての片鱗を漂わせていた。


「サラちゃーん! 頑張って~~~~!」

「格好いいよ、可愛いよ~~! バシンと決めてくれ~~!」

「オール一本勝ちで、このまま一気に優勝だ~~っ!」


 サラ目当てに押し掛けたファンや、マスコミたちも集まり会場は超満員。

 全中決勝戦は興奮のるつぼと化し、焼け付くような熱気に包まれていた。


「きええええぇぇぇ~~~っ!」


 だが対戦相手である、ツインテールの少女も負けじと咆吼する。

 守りに徹するあまり二度の指導を受けながらも、その瞳の輝きは未だ死んでいない。

 やがてツインテ少女は一瞬の好機を見出したのか、突如その動きを鋭く変化させた。


「むっ……これは……!?」


 空吾の記憶に間違いが無ければ、今大会では一度も見せていない動き。

 すぐさま空吾は、それを隙を突いての左背負いだと見抜く。ツインテ少女が、決勝に備えて隠し持っていた奇襲技なのだろう。タイミングもバッチリで、決まればポイントは確定のはずだった――ここに東城空吾さえいなければ。


「サラ! 左の背負いだ!」

「…………ッ!」


 空吾の声に瞬時に反応し、腰を落としたサラが左背負いを受け止める。

 鍛え上げられた強靱な足腰と、生まれ持った反射神経の成せる業だった。


「な、何ですってーっ!?」


 渾身の必殺技を耐えられて、激しく狼狽えるツインテ少女。

 それから返し技を恐れて、たまらず反転した瞬間――サラが待ちわびていたように、相手の奥襟をガッチリと握った。

 そして黄金のポニーテールが、風を切り裂きながら弧を描き。

 長い脚が天高く放り上げられ、敵の身体が竜巻に巻き込まれたように翻った。

 ――――ズバアンッ!!

 敵が背から叩きつけられた瞬間、思わず空吾は「よしっ!」と拳を握り締める。サラの電光石火の内股が炸裂し――勝敗はここに決したのだった。


「一本! それまで!」


 ――――ワアアアアアッ!!

 審判の宣言と共に、怒涛のような歓声が沸き起こる。

 しかし興奮する観客とは対照的に、涼しい顔で一礼するサラ。それは三年連続の全中制覇という快挙すらも、ただの通過点に過ぎないと言わんばかりの表情だった。


「サラちゃん、優勝おめでとう! 今後の進路はどこに!?」

「東京の名門に行くの!? それともやっぱり地元の武帝学園!?」

「芸能界に入るつもりはないの? たくさんオファーが来てるって噂だけど!」


 試合場から一歩出るや否や、記者たちから嵐のような質問責めにあうサラ。

 彼女の獲得を巡って、日本各地の柔道強豪校が激しい争奪戦を行っており、芸能事務所からの勧誘も引っ張りだこ。その進路に対する関心は、世間でも高まるばかりだった。


「ああもう、うっさいわねぇ! 邪魔だから、どきなさいよ!」


 しかしサラはそんな立場を全く気にしていないかのように、道を塞ぐ記者たちを怒鳴り散らす。そして誰かを探しているのか、周囲をキョロキョロと見回していた。


 そんな態度の悪すぎるサラを、空吾は遠目から胃をキリキリさせながら見守っていた。


「あのアホ! 記者には愛想良くしろって、いつも言ってるだろーが!」


 驚くべきことに――今をときめく天才柔道少女・天狼院サラと、見るからに冴えない男子・東城空吾は、何の因果か幼馴染なのだった。

 東城空吾と天狼院サラの出会いは、十年ほど昔に遡る。

 サラは幼い頃にフランス人の両親を亡くし、日本人柔道家の養女として引き取られた。そして彼女の義父が管理する道場で二人は出会ったのだ。

 それから今日まで二人の縁は続いているのだが――サラのワガママっぷりに、空吾が振り回される関係は今も昔も変わっていない。


「しかし……急にあいつが遠い存在になった気がするな」


 フラッシュの渦に包まれるサラを眺めながら、しみじみと空吾が呟いた。

 幼馴染みの成功を、喜ぶべきなのだとは分かってはいる。しかしこの大会が終われば、二人の道が分かれる事は間違いなく、それは少しだけ寂しくもあった。


「さて……俺は自分の事に集中するとしますかね」


 季節は八月後半であり、もうすぐ秋が訪れる。

 中学三年生である空吾は、本来ならば高校受験に専念するべき時期にあった。

 だがサラに頼み込まれ、この夏は彼女のフォローに奔走することになったのだ。己の協力がそこまで必要だったのか――それが本人としては疑問だったが。


「……でも、けっこう面白かったかもな」


 サポートに尽力した数ヶ月。それは空吾にとっても刺激的な時間だった。

 サラがワガママぶりを発揮して頭を痛めた事もあったが、それでも懸命に稽古を続ける姿を見ているうちに、いつしか空吾も全力で彼女に協力していた。

 そして全中三連覇という最上の結果を残すことが出来た。

 彼女との最後の思い出になるならば、これ以上のものは無いだろう。


「頑張れよサラ。俺はテレビの前でのんびりと煎餅でも食いながら、お前の活躍を応援しているからな……!」


 栄光の道を歩み続けるであろう幼馴染みに背を向け、空吾がひっそりと会場を歩み去ろうとした――その時だった。


「あっ、やっと見つけた! クーゴ~~~っ!」


 サラは――先程からずっと探していた――空吾の姿を見つけると、不機嫌な表情をガラリと一変させて、甘ったるい呼び声を上げる。むろん、会場中の視線が空吾に一斉に集中した。


「ぴいっ……!?」


 千を超える視線に曝されて、空吾は生まれたてのヒヨコのごとく怯える。

 しかし、そんな空吾の様子などおかまいなしに、サラは人波を掻き分け進むと――


「クーゴ、アタシ優勝したわよっ! しかも三連覇っ! 褒めて褒めて~~っ!」


 童女のような笑みを浮かべながら、空吾の胸にダイブしたのだった。

 ――――ザワザワザワザワッ! 一瞬にして、どよめきに包まれる会場。

 だが、それも当然のことだろう。無愛想で知られる柔道界のプリンセスが、まるで子猫のように見知らぬ少年に甘えているのだから。


「最後はちょっと危なかったけど、アタシ頑張ったわよ! ねぇねぇ、すごい?」


 しかし周囲の目などお構いなし。サラの瞳には空吾しか映っていない。ぴったりと身を寄せて、キラキラと瞳を輝かせながら賛辞を求めている。


「あ、ああ……すごいぞ。でもなサラ。少し離れよう? な?」


 だが、会場中の視線を一身に受ける空吾は生きた心地がしない。

 どうにかスキンシップを躱そうとするが、その努力は虚しく砕け散る。


「イヤよ! ナデナデして!」

「ここで!? いやいやいやいや! 勘弁してくれ!!」


 悲痛な叫びを上げる空吾。しかし、サラは全く引き下がろうとない。


「いいじゃないのっ! 空吾の言う通りに、いっぱい練習したし! お菓子も食べずに減量を頑張ったのよ! ごほうびをちょうだいよ~~っ!」

「そういう話じゃないだろ! TPOを弁えろって言ってるんだ!」

「てぃーぴーおー? 何それ。おいしいの?」

「そういやこいつ、柔道以外はまるでアホだった!」


 ついにはサラは地面に寝転がり、駄々っ子のようにバタバタと暴れ出す。


「うわーん! ナデナデして~~! ナデナデしてよぉ~~~~!」

「うわあああぁぁ!? 分かったから! 家に帰ったら思う存分してやるから!」


 柔道界のアイドルにこんな醜態を曝させて『殺されるんじゃないか?』と恐怖に駆られた空吾は、為す術なく脅しに屈してしまう。


「膝枕もして~~! マッサージも~~! ついでにマカロンも作って~~!」

「分かった、分かったから! 何でもやってやるから! 頼むから立ってくれェ!」


 空吾とサラのやり取りは、まさにバカップルそのもの。

 しかし、無愛想で気分屋なサラの一面しか知らない人々は、呆気に取られながらその光景を眺め続けるしかなかった。


「しょうがないわね! それで折れてあげるわっ!」


 今のやり取りで疲れ切り、がっくりと項垂れてしまう空吾。

 逆に自分の要求が通って『むふー!』と満足げに息を吐くサラ。

 しかしここに来て、初めて自分たちを見詰めている者達に気付いたようだった。


「そうだ。丁度良いタイミングだから、ここで宣言しておくわっ!」


 サラは小さな身体で、さりとて威風堂々と記者たちの前に立つ。

 そして胸を張りながら――このあと日本中を震撼させる――問題発言をぶちかました。


「アタシを高校にスカウトしたいなら、このクーゴもコーチとして一緒に入学させること! それ以外の条件は一切受け付けるつもりはないから!」

「「「はああああああああああああああっ!?」」」


 爆音のごとき驚声は、記者たちのものか、それとも空吾のものか。

 ――パシャ! パシャ! パシャッ! 会場中のシャッターが空吾に浴びせられるが、当の本人はプライバシーを気にしている余裕などない。


「ソウカイスポーツの歌森です! ねぇ、サラちゃん。そこの彼は何者なのかしらっ!?」


 特ダネの匂いを感じ取った女記者が、目をギラつかせながらコメントを求める。


「クーゴはアタシの師匠よ! 強いし頭も良いし、めちゃくちゃスゴイんだから!」


 誇らしげに答えるサラだったが、部外者からすれば信じられる話ではない。


「ええっ……本当に? そこの冴えない……ゴホン、そこの大人しそうな彼が、そんな優れたコーチだなんて信じ難いのだけれど……?」


 かなり失礼な感想を述べる女記者だが、それにサラは得意げに返答する。


「ふふ~ん。凡人にはクーゴの凄さは分からないでしょうね。でもクーゴより格好良くて強い男なんて、世界中のどこを探してもいないんだから!」

「そ、そうなの。サラちゃんは、彼をコーチとしてすごく信頼してるのね?」

「それだけじゃないわ! アタシにとってクーゴはね――」


 サラは上機嫌に答えると、くるりと空吾に向き直り――


「世界中の誰よりも大切な――――モン・シエリ(愛しい人)なの♥」


 まるでマーキングするように――その頬に情熱的なキスをした。

 その瞬間、会場中から多種多様な叫びが巻き起こり。

 空吾とサラに、フラッシュと質問の豪雨が浴びせられたのだった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

※『柔神の愛弟子ッ!!』イメージソングをふじしなさんが作ってくれました! とても趣向を凝らした楽しい動画ですので、ぜひ見てみて下さい!→https://www.youtube.com/watch?v=2clppfMHDG4

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