決裂
もちろん、「殺そうとした」のはオルフェであって、「殺されかけた」のは、ルークであった。
二人は、目を合わせずに互いに微笑みあった。
なかなかに背筋が寒くなる光景だった。
「お断りだな。」
レティシアは、すっと、体を引いた。何かが、きらと光った。レティシアの剣は、屋内で使いやすい細くて短い剣だ。耐久力よりも一撃の切れ味に特化している。
その斬撃は、見えない。
わたしの新しい目にも全く見えなかった。
眼の前のグラスが、すっとななめにずれ落ちた。
クリスタルのグラスがあんなに綺麗に切断できるものなのか。
転げたグラスの半分から、こぼれ落ちた緑の酒が、テーブルを濡らす。
「やめてくれ! レティシア」
元勇者が叫んだ。
「俺は、テーブルや床に酒を飲ませるのが大嫌いなんだ。」
女伯爵は、ジロリとオルフェを一瞥。そのまま答えずに席を立とうとした。
「まあ、待ってください。伯爵閣下。」
ルークは、笑みを絶やさない。楽しいナイショ話でもするように、少し声を顰めて続けた。
「ぼくは、何もマール公の妹御を害してくれなんて、言ってません。
それができるくらいに仲良くなっていただけないかと、言っているだけです。」
「背後から刺せるくらいに、ということだろう?
いい例えではないし、それだけで十分に不敬だ。」
「これは、確かにご指摘の通りかもしれません。」
ルークは、手を伸ばして、斜めに切断されたグラスをくっつけた。ふわり、と金色の霧が立ち込めてから、グラスを置くと、それは元どおり。グラスを満たした緑の酒も一雫もこぼれ落ちてはいなかった。
「嫌味な手妻を使う。」
レティシアは、唸ったが、とにかく、もう一度席に座った。
「つまらない冗談はそのくらいにしてください。」
わたしは、ルークを睨んだ。まあ、この程度は、ルークにとっては冗談なのだろうが聞いた方は、ただでは済まない。いや、レティシアが言った通り、不敬罪として告げ口するものもいるだろう。
ルークにとっても何も利はないはずだ。
「馬鹿げた理由は、ともかく、わたしたちは、マール公の妹さんが所属するパーティ『百里を駆ける海豹』と近しくなればいいのですか?」
「そうなんだ。」
と、ルークは頷いて、わたしを一安心させたが、またまたとんでもないことを付け足した。
「マール公の妹さんとは仲良くして欲しいんだけど、パーティリーダーの“雪豹”サウザランドとは、仲良くして欲しくないんだ。」
「“雪豹”のサウザランドは、王太子殿下の乳兄弟です。」
わたしは言った。
「そして、マール公の妹御、リーエア姫とは、同じパーティでもともと仲が良い。結婚も噂されるほどだ。その二人の仲を裂けと言ってるようにも聞こえますが。」
「おや、そんなふうに聞こえたんなら謝るよ、迷宮研究家。」
ルークは、また例の緑の酒の入ったデキャンタを取り上げた。酒を注ごうと言うのだろうが
「もう結構です。時期パレス公爵。」
レティシアは今度こそ、本当に立ち上がった。
「どうもあなたは、捨て駒になる子飼いの冒険者が欲しかっただけのようだ。それは別の誰かを当たっていただこう。
わたしたち『迷宮研究会」は、それにはならない。」
「あの、迷宮研究会ではなくて」
「そうか。いずれにしてもバロンヌ伯爵と、時期パレス公爵の密会の話は、皇太子の耳にも入るだろう。」
ルークはニコニコと笑っている。
「そのときの言い訳を考えていた方がよいよ、レティシア。」
レティシアは憤然と、今度こそ席を立った。
腰を沈めながらの、剣の一閃に、今度はテーブルそのものが。両断される。
グラスや皿が、床に散らばり、割れて、散乱した。
「もったいないぞ、レティシア。」
のんびりと元勇者が言った。
「おれは、ジェルで絡めた冷製チキンを、床にぶちまけるのが、何より嫌いなんだ。」
レティシアは、そんなオルフェに見向きもせずに、部屋を出ていく。
続いてモールも。
真っ直ぐな彼女には、ルークの罠を仕掛けるような言種が気に入らなかったのだろう。わたしだって気持ちはわかる。
「そ、それでは」
わたしは、ヘコヘコとルークにお辞儀をしながら言った。
「続きは、日を改めまして。『百里を駆ける海豹』とのコンタクトは近日中に取っておきます。」
出された料理の中で、無事だったのは、ルークがちょうど手に取っていた緑の酒のデキャンタだけだった。
それを持って、相変わらず愛想良く笑うルークは、なんとも間抜けで、ある意味、不気味に見えた。
「なあ、サリア。おれがこいつをぶっ殺したくなった理由が少しはわかっただろう。」
元勇者も立ち上がった。
こちらは、テーブルが両断される前に確保した、鶏の太ももを意地汚く、かじっている。
「サリア。命令だ。伯爵と『蛙』を、おまえのパーティから放逐しろ。」
ルークが、立ち上がったわたしを見上げるように言った。
相変わらず。唇は笑みの形に吊り上がってはいるが、それは単なる形だけであって、無表情と全く意味は変わらない。
「お断りします。わたしたちはパーティです。」
会見は、なんとも後味の悪いものになった。
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