⛵ 老風満帆 ⛵
医師脳
第1話 終の棲家に迷う
満帆に老い風うけて「宜候!」と老い真盛り活躍盛り(医師脳)
振り返れば、およそ半世紀の医者人生。
「波乱に富んでいたが、やりがいはあった。願わくは、順風(追い風)満帆で宜候!」と、残りの航海を続けたい。
駄文も書きつつ。
*
ゴールデンウィークで仕事は休みだが、コロナ禍とあって何処へも出かけられない。
……と言って、ガーデニングを楽しもうにも「土用に土いじりや草むしりをしてはいけない」と聞く。
土用とは、立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間。
これらの期間は『土公神』が土にいらしゃるため(土いじりや草むしりなどで)土を動かすと、神様の怒りを買い祟りが起こるということらしい。
それならばと、昼食後に小沢の墓地公園までサイクリングに出かけた。
いずれは夫婦で入る予定の墓なので更地だが、岩木山を正面に眺められる自慢の〈終の棲家〉だ。
数年ぶりだったせいか、見つけられずにウロウロする。
でも昔、こんな原稿を書いた記憶はある。
――「終の棲家に」と確保した猫の額ほどの土地。岩木山と向き合う高台だ。
「ずっと更地のままだったらいいのにね」と妻は草取りを続けた。
「両隣がキリスト教だから、我が家も背の低い石造りに」とは決めてある――。
うちの両隣の墓が、キリスト教徒の二区画分と三区画分の広い低い形だった、という記憶は間違いない。
……が、その立派な墓が見つからないのだ。
何度か往復しているうちに、赤土がむき出しになっている場所が、我が家の左側にあった三区画分の広い墓の跡だと気づいた。
そして右側にあった二区画分も墓仕舞いされ、何とその片方の一区画には仏教徒の新しい墓まで建っていたのである。
気づいてしまえば何のことはない話だが、老いの脳は固くて思い込みが強いのである。
妻のあと自転車連ねて墓地公園へ。墓の予定箇所に桜吹雪まふ
加齢によって、記憶力は衰える。
「見へ! あの夫婦。自分の家の墓ば忘れでしまったんだヨ、きっと」
「んだんだ。ボケたぐねっきゃの」などと、遠くで墓参りをしている婆さんたちから指差しされていたのではなかろうか。きっとそうに違いない。
――年寄りは被害妄想にも襲われるのだ。
そもそも「お墓は何十年も同じ場所に存在する」という固定観念がないだろうか。
それが僅か数年の間に、しかも両隣の墓が更地にされていたとは……。
だれも気がつかないだろう。
御釈迦様でも御存じあるまい。
「両側はキリスト教の広い墓だ」と強く思い込んでいたのだから、右往左往したってしようがないではないか。
まだ〈終の棲家〉は建てていないので、更地に腰掛けるわけにもいかず、立ったまま持参のお茶で喉を潤した。
「自転車で頑張りすぎたんじゃない? 上り坂」と妻は笑う。
(2022夏)
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