875号線のオマルライダー
千野切手
第1話
故・カダジマ元死刑囚はドライブインの廃墟に降り立った。縄痕の残る首を反らせて看板を見上げる。
ルート578。昭和くさく傾いだ字体で示されたネオン看板は錆びて朽ちかけて、真上を通る高架高速道路のもとで見る影もない。長距離トラックの轟音が遥かに漂う。あとは夜虫が鳴りわめくばかり。
狩猟者にとって、心霊スポットだの都市伝説だのの噂話は最高だ。どこにどんな獲物がいるかを全国すみずみまで教えてくれる。むろんアタリハズレはあるが、時間はたっぷりあるのだから大した問題ではない。
そう、死して怨霊と化したいま、カダジマを縛り遮るものはなにもない。間抜けどもの噂話に耳を傾け、うまそうな獲物がいるとわかれば、飛んでいって確かめて、やれることをやるだけだ。
首をボキボキ鳴らして、あらためて、しみったれたドライブイン跡を見渡す。横に長い平家建ての、おなじみの外観。落書きだらけで窓も割れ、中にはレストランだった頃のテーブルや椅子がごろごろしている。
カタチとしてはまだマシな部類だろう。外壁しか残ってないような廃墟だと、住みついている獲物も大して食べる部分がなかったりする。ここはまだまだ狩りがいがありそうだ。
よく見ると先客がひとり、レストランのくすんだカウンター席に座ってこちらを向いている。白い詰襟を着た、たぶん、男だろう。変な覆面をしている。パーティーグッズでおなじみの、ゴム製の大仏マスク。しかもクリアピンク色。そんな血迷ったスケスケ大仏マスクの中、さらに顔面にはドクロのお面を貼り付かせているのが透けて見える。
カダジマは中指を立てて睨んでみせた。リアクションは……ない。
見てくれはイカれているが、ぼーっとしているだけ。チキンで無害な地縛霊のたぐいだろう。というか、霊的なエネルギーすら感じないので、単に思念が便所のクソのようにかろうじてこびりついているだけかもしれない。
つまりゴミだ。
ドライブイン建物のとなり、外に立つ公衆トイレがお目当ての狩場である。
噂では、小学生の女の子が出るらしい。おなじみ、3番目の女子トイレに。
花子さんといえば小学校と決まっているもので、カダジマもガセネタだろうと思いはしたものの。なんでも、その3番目の個室には便器ではなくオマルが置かれていて、営業当時から封印された開かずの扉だったらしい。
覗き見てしまうと、オマルに縛り付けられた少女が助けを求めてくるのだとか。
営業当時からいわくつき、というあたりに幾らかの信憑性を感じたので、カダジマはここまでやって来たのだった。
はるばる、クソ田舎のシケた廃ドライブインまで。思いのほか時間がかかってしまい、夜明けは近い。気の早い鳥がちくちく鳴き始めている。
いずれにしろ、まずはアタリかハズレかを確かめる。ハズレなら、こんなクソ田舎とはおさらばして、キープしてあるおもちゃのところへ戻るだけ。アタリなら……夜が明ける前にどこかマシな場所まで引き込んで、あとは喰うだけだ。
片脚を引きずりながらだらしなく歩いて、女子トイレの入り口に立つ。扉は3つ。いちばん奥の扉だけ、板が打ち付けられて封印されている。もちろん、なんの障害にもならないが。
カダジマはまず、入ってすぐのひとつめの扉を蹴った。
「隠れても無駄だからなぁ!」
ものごとには順番がある。奥の個室に引きこもっているというガキをたっぷりビビらせてやるのだ。そのほうが肉がうまくなる。
扉が歪むほどガンガン蹴りまくってから、カダジマはふたつめの扉に移った。同様に蹴りまくっていると、隣の開かずの個室のほうで、なにかパチンと音が聞こえた、気がした。
いる。
ガキがいる。
震え上がっているに違いない。
ドライブインの花子さんと噂され、間抜けどもをビビらせてきた自分が、まさかビビらされる側になるとは思ってもいなかったに違いない。ましてや、それ以上の目に遭わされるなどとは。
「チビりそうなら先に済ましとけよガキ」
最高潮だ。
いよいよみっつめの扉の前に立った、瞬間、蹴りつけるより先に扉が外れて吹っ飛んできてカダジマを直撃した。
なんだ、どういうことだ。
扉に押されて壁に背から叩きつけられ、とりあえず扉を脇へ押しやってみてもなお、事態がのみこめない。
オープンになった個室内にはオマル……みたいな、白いビッグスクーターがあって、ヘッドライトがぎらぎらとカダジマを照らしつけた。
話が違うじゃねえかとキレるヒマもないままに。
オマルが滝の激流にも似た唸りをあげ、急発進、壁にもたれたままのカダジマに突っ込む。タイヤの回転は止まらず、壁を破壊してそのまま外へと弾き出した。
オマル・ビッグスクーターのボディは便器さながらの陶器製で、硬く冷たかった。
ひび割れと雑草だらけの駐車場へ転げ出ながら、カダジマはさらに3回は撥ねられて、轢かれて、やっとのことで起き上がる。
オマルも暴走を止めて、カダジマの真正面に停車した。
ごうごうと唸り続けるビッグスクーターのシートには、噂通りの小学生が座っている。
感情の薄そうな細目の丸顔にざっくりしたショートヘア。ザ・イモ小学生のツラだ。ダサいファンシー系のトレーナーに古臭いデニムのショーパン、水色の雨長靴。長靴の足首には左右とも鉄枷がはめられていて、ビッグスクーターのボディと鎖で繋がれていた。
獲物の姿を前にして、カダジマは気を取り直す。余分なものはどうでもいい。だいじなのは喰える部分があることだけだ。
見てくれは田舎ドライブインにお似合いのしょっぱさだが、肉付きはじゅうぶんで、霊気がはち切れんばかりに詰まっているのを感じる。喰いつくせば、かなりのパワーを取り込めるだろう。
「おい便所ガキ。お前はたっぷりいたぶってから喰ってやる。チビるなよ。肉が小便臭くなるからな」
言いながら、ただの中年男並だったカダジマの体躯がひとまわり膨れる。目は飛び出さんばかり、手足は長さも太さも倍に、銀の乱杭歯を並べた口からはヨダレが糸を引いて滴った。
いよいよ食事の時間だ、そうテンションも高まってきた、矢先に、
「リンゴ」
不意に何者かの声が割り込んだ。
カダジマがぎょろりと目を向けた先……先ほどの大仏ドクロ野郎が離れて立っていて、小便ガキのほうへ何かを差し出している。銀の光。鍵かなにかだ。
「いらない。あんたは引っ込んでて」
リンゴという名らしいガキは、声変わり半ば、掠れ気味のハイトーンボイスをぶっきらぼうに放る。クソ大仏は素直に従ったようで、何も言わず後ずさった。
こいつらグルか。だとしたら。
「おいおい、あの変態大仏はパパか何かか? 最高だな。一度やってみたかったんだよ、保護者の目の前でガキを」
「オマル、いくよ」
リンゴの目は異形のカダジマを見据え続けている。オマルスクーターのケツから突き出している八本もの排気管から、青い炎がいっせいに吹き出して辺りは瞬時に熱気に満ちた。
カダジマも吼える。気に入らない。ガキにナメられているのがクソッタレなまでに気に食わない。
オマルがアスファルトを喰い裂き、瀑布音を轟かせ突っ込んでくる。所詮はオモチャだ、こんなものにビビるわけにはーー
「あっ、ぶね……!」
カダジマが咄嗟に横へ跳ぶ、そのすぐ傍を青炎が突き抜けていく。ワープでもしたとしか思えない速度。ミラーが掠めでもしたか、左腕の肘から先がちぎれて消えていた。
過ぎ去ったオマルは白煙を散らして急旋回、ハイビームのヘッドライトがカダジマを捉える。ガトリング砲めいて円形に並んだ電球の痛いほどの光線に、
目がくらみ、
視界がホワイトアウトを起こして、
残ったほうの手で目をこすって無理やり景色を取り戻すと、
そこは。
荒野だった。
夜明けも間近い紫色の空に、わずか消え残った星がまたたいている。
荒野を突っ切ってどこまでも伸びるアスファルト道路、その中央を区切るの薄れかけた白線の上にカダジマは立っていた。
吹き荒ぶ風、砂埃、オマルは変わらずすぐそこに停まっていて、熱気で空気をぐらつかせている。
やられる。
一閃で片腕をもがれた感覚はまだリアルタイムで肌に冷や汗を噴かせている。
あと一秒も経たないうちにヤツは……などと立ち尽くしているうちに一秒はとっとと過ぎている。二秒。三秒。
それでもカダジマはまだ無事だった。
「はやくどっか行って。消えて」
リンゴがうんざりした調子で言った。
聞き間違いかと疑わずにはいられないその言葉だったが、リンゴは「消えて、どこでもいいから」と付け足した。
あまりにも拍子抜けではないか。
カダジマはわきまえつつあったところだったのだ。
死してなお悪党を続けてきた自分にこれほどふさわしい最期もない、と。バイクのヒロインに吹っ飛ばされて消える。様式美ですらある。
もはやこれまでと思ったら、ダサい悪あがきはしない。生前に死刑が決まったときも、いっそすがすがしくすら思って、アバヨとかサンキューとか叫んだりしたせいで、裁判の遺族席は地獄と化していたぐらいだ。
それが、そんな自分が、まさかの放免。
変な話だが、納得できるわけがない。
油断した隙をついて、という様子でもない。ハンドルから離した両手はショートパンツのすそを手持ち無沙汰に引っ張ったりしているばかり。
「お、俺を倒すんじゃないのか……?」
「アイツと、コイツは、そうしたがってる」
アイツとは、クソ大仏のことか。
コイツとは……?
ビッグスクーターのヘッドライトが鋭さを増した。
そこで初めて、カダジマはオマルが放つ霊気を感じた。むろんただのスクーターだとは思っていなかったが、どうやらそれどころの話ではないらしい。
単なる機械、機械的な単なる乗り物では、ない、らしい。
オマルが放っている敵意、殺意、明確な、食欲。わかる。それはカダジマ自身がつい先ほどまで捕らわれていたのとなんら変わるところのない感情、つまり、生きているということだ。
そしてーー金属が弾ける音が重く響いた。
ちぎれたのだ、リンゴの足首を車体に繋いでいた鎖が。
少女がシートから振り落とされて路上に転がり、ブーツの足首に食い込んだままの枷に残っている鎖ががちゃついて軋む。
「だめ、やめてオマル!」
それまでの無愛想でどこか投げやりな口調が一転、悲痛に、叫んだ。
叫びはオマルの爆音に塗り潰され、カダジマは喰われて消えた。
今度こそは一秒も過ぎぬ間に走り去った一部始終。
爆音はまだ鳴り止まない。
飛び出したオマルが急旋回、リンゴを照らしてホワイトアウトへと誘う。
六つの電球を円形に並べたガトリングライトが、手術台を照らす無影灯を呼び覚ます。
頭を抱えてうずくまる。
思い出したくない。忘れていたいことがめくるめくめくり出されて巡り回る。
必死にもがいて叫ぶ身体を、腕を脚を頭を、何本もの手に押さえつけられる。クソ大仏が経を唱えている。過呼吸気味にヒクつく腹に迫ってくる焼印の熱、足首に噛み付く鉄枷の冷たさ、前髪をばっさり断ち切ったハサミと入れ替わりに額へあてがわれる注射器の中の真っ赤な液体。
脚をぐいと引かれた拍子に我に帰る、と、そこは元のドライブイン駐車場だった。
夜が明け始めている。
オマルスクーターの陶器ボディに跳ね散った肉片と飛沫はみるみるうちに吸われて消えた。
リンゴの髪とトレーナー、むきだしのふとももにだけ、いくらかの血痕が残る。
エンジンを切ると、リンゴは鎖を鳴らして片足を地面につけた。鎖は元通り、車体に繋がっている。ちぎれた痕はどこにもない。
「気分はどうだ、リンゴ」
ドクロ大仏がいつの間にかすぐそばに寄ってきていた。線香のにおい。人間の、臭い。
「サイアク。ゲロでそう」
リンゴがステップに乗せていた脚を振り出すが、鎖がぴんと張り詰めて、ブーツの先はぎりぎりクソ大仏に届かなかった。
サイアク。声には出さずにもう一度吐き捨てる。
こんなやつの思い通りにはなりたくなかったのに、結局こうなった。
迷える魂はオマルの糧となり、この身は返り血を浴びた。
くたびれたからだに逆らって、霊気は脈打つほどに漲っている。身を投げ出してどこまでも眠りたくても、ふて寝すらできそうにはなかった。
「もういい。帰る」
ハンドルを切り、大仏ドクロに背を向ける。
「帰る? いったいどこへ」
「……学校」
「学校! 故郷の小学校のことか? そんなカラダで帰れるわけがないだろう」
がちゃり、と鎖が鳴る。
わかっている、帰れるはずもない、どこにも。
リンゴはミラーに映る変態ドクロを睨み、エンジンをかけるやアクセルを全開にした。
景色はすぐに夜明けの荒野に変わった。
ルート875号線の標識板をいくつ通り過ぎても、道は果てしなく続く。オマルの炎を耐えることなくたなびかせて、走っていく。
875号線のオマルライダー 千野切手 @nanase-kitte
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