第10話 彼と彼女のTea Time

 ロバーツ家の葬儀から数日後、ラディウが受講していた月重力下での飛行資格訓練が終わった。


 訓練期間中、お世話になったスウェン家を後にする前日に、その日たまたま休日だったトムや、同じく明日ツクヨミを立つヴァロージャが訪れた。


 スウェン家のリビングは、いつの間にかお別れティーパーティになっている。


 リビングでは大人たちが話しをする、その背後のダイニングで、ラディウとトムは彼らに背中を向け、並んで座っている。


「休みが殆ど合わなかった。もう少しラディウに会えると思っていたんだ」


 トムはダイニングテーブルで、エレノア特製のストロベリーパイを食べながら、「案内したいところが沢山あったんだ」と残念そうにラディウに言った。


「遊びに来ているわけじゃないから仕方がないよ。でもトムがどんなところで暮らしているのか、知れてよかった」


 ラディウはそう言ってフォークを置くと、ティーカップを手にして一口飲む。


 甘いパイに濃いめのストレートティがよく合って美味しい。


「アーストルダムで窮屈な思いをするより、こっちの方が良いよ。トムが羨ましい」


 エレノアが作る美味しいお菓子も、今日で食べ納めだと思うと少し寂しく思い、ラディウはフォークとナイフを使って丁寧にカットしたパイを、名残惜しそうに口に入れる。


「俺だって、向こうでみんなと一緒にいられないのは寂しいけど……実を言うと俺、ここでの暮らしはとても気に入っている」


 トムはイーガン少佐との生活のこと、基地での仕事や飛行隊の先輩たちを誇りに思っていること、ここに来て始めた趣味のフットサルの事などを、熱心にラディウに話して聞かせた。


「トムはこの環境を、手放しちゃダメだよ」


 彼の話しに耳を傾けて、ラディウは本心からそう言った。


 この1ヶ月をスウェン家で生活をして、できればずっとここに居たいと思うほどに、ツクヨミの暮らしは快適で居心地が良かった。


「ラディウこそ、ここが気に入ったのなら、ウィオラ先生に交渉してみれば良いのに」


 その交渉が上手くいって、ラディウもツクヨミに転属してきたら、きっと毎日がもっと楽しくなる。一年前のようにまた毎日顔を合わせ、訓練して遊んで――そんな想像をするだけでもトムは愉快な気持ちになるが、ラディウの方が現実的だ。


「そんな事してもし希望が通ったら、トムがアーストルダムに戻されちゃうよ? 担当も変わるんだよ? Dr.ウィオラは怖いよ?」

「おっと、それはマズいな」


 トムは慌てて「今の取り消し!」と言って苦笑する。


「それより私は艦隊に行きたい。夏にロージレイザァに乗って思ったの。飛べる時間が沢山あるし、飛ぶことに集中していられる。コロニーより宇宙にいる方が好き」


 FAで飛びたいからと努力し我慢もする彼女を、トムは身近に見てきただけによく知っている。もし彼女が新しい目標を見つけたのなら、それは応援したいと思った。


「飛ぶことが好きなの、変わんないな」

「変わらないよ。これしかないもの」


 ラディウはにっこりと笑う。


「そういえば、帰る前に一度アスワンに寄るって聞いた」


 ラディウはロバーツ家の葬儀に参列できなかったため、訓練終了後にヴァロージャと一緒にアスワン経由でアーストルダムに帰る予定を組んだ。


「彼のご家族のお墓参りをさせてもらおうと思って。ヴァロージャと一緒だからか許可も取れたし。だからアスワンから帰るよ」


 トムはそっと振り返り、背後のリビングでイーガンたちと話をしているヴァロージャを、肩越しにチラリと見てから前を向く。


 新しく加わったばかりの新人なのに、ラディウの関心はヴァロージャに向きがちだし、なにより彼の存在感が強くてトムはあまり面白くない。


 彼への不満を表に出さないように、トムはラディウとの残り少ない時間を楽しむ事を優先する。


「俺……明日は宇宙で仕事だから見送りに行けないけど、みんなによろしく」

「うん」


 ラディウはストロベリーパイを見つめ、寂しくなる気持ちを抑えて頷いた。


 ラディウもトムも、それぞれ納得の上で師事する相手を選んだとは言え、離れて暮らすようになって1年は経っている。


 トムとは同期だ。12歳の時に出会い、一緒に勉強をしたし訓練も一緒だった。


 何をするにもいつも一緒。一番辛い時期も一緒。きっと一人だったら、とっくに折れて壊れていたとラディウは思う。


 時にお互いをライバル視しながらも支え合ってきた。だから、あっちコロニーにいてもこっちツクヨミにいても、トムと別れる時はいつも寂しい。


「それと、ラディウが好きな『お月様サブレ』買ってきたんだ。お土産に持って帰ってよ」


 そう言って、トムは傍に置いていた紙袋を掲げて見せた。その中には丸い缶に入った、彼女の好きな丸いサブレが詰まっている。


「ありがとう。これ美味しくて大好き。みんなと食べるね」


 手渡されたそれを、大切そうに抱えてラディウは笑う。


「……うん」


 本当は、「ラディウが独り占めしていいんだ」とも言えず、彼女が喜んでいるなら良いかと、トムは曖昧にうなずいた。

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