第20話 彼女と彼女の夜
彼女の深い緑の瞳と目があったように感じて、ヴァロージャはハッと目を開けた。
ドッドッドッと、心臓の鼓動が聞こえるぐらい速くなってる。
「……なんだ!?……今の」
「ん? どうかしたかい?」
スミスが顔を上げてヴァロージャを見る。
「あ、今……」
とヴァロージャは言いかけて、これをどうスミスに説明していいか分からず言い淀む。
「あ……何でもないです。すみません」
咄嗟に濁した。スミスはモニターに目をやるとキーボードを叩く。
「ん……悪くない。じゃあ、次は……」
その後、スミスから出されるいくつかの課題をこなしてから作業を終えると、ヴァロージャは「はぁ……」と大きく息をついた。
思ったより疲れたなと言うのが、彼の正直な感想だった。なんだかんだと30〜40分ぐらいだろうか。
「疲れた?」
「いえ……まぁ少し」
そう言ってヘッドセットを外す。
「そのヘッドセットは、ヘルメットを被る時につけておいて」
「え? 邪魔になりません?」
「大尉が用意したのは、それ用のスーツだから心配しなくていい」
スミスはヘッドセットと端末からケーブルを外してクルクルとまとめ、端末の上に載せてから、ヴァロージャの前に膝をついて説明を始めた。
「ヘッドセットをつけたら、この本体のスイッチを入れて、デバイスのこのメニューを起動して、同期確認」
そう言ってヴァロージャのデバイスを操作してみせた。
「ラディウが使う、入れ替えたレーダーと同期させている。上手く行けばこの脱出行で、君の手助けになるかもしれない」
「そうなってくれると、助かります」
ヴァロージャは立ち上がり笑った。
特に何事もなく、チームは5時間程かけて、会場となる宙域に到着した。
パドックエリアには、中央に設けられたタクシーウェイを挟んで、明日からのレースに備えた多数の船が停泊している。ラグナス1もその一角に薄いクリーム色の船体を並べていた。
ヤマダやロナウドはブリッジで参加確認などの受付を済ませ、夜は皆でテーブルを囲み食事をした。
調理済みの冷凍食品をキャビン内のギャレーで温めて、トレイに乗せて配膳する。所謂「機内食」だ。
今回はサムソンの他に4人のメカニックがいた。皆ヴァロージャの顔馴染みだ。
彼らにはラディウは試乗の為の客だと言う事になっていて、ラディウもそれに合わせた会話を心がけた。
食事の後は全員で、明日以降のタイムスケジュールの確認を行った。壁のボードにヤマダが連絡事項を書きつけていく。
「明日の予定は……9時に1回目のテスト飛行、13時に2回目のテストだ。2日目は9時から予選1回目。13時に予選2回目。公式検査は15時から18時。用意が出来次第向かう。検査終了後に機体は
キュッキュとマーカーの音が響く。
「それといつもの事だが、船外活動では全員必ず安全索を使用する事。明日の朝食は7時。では解散」
パンパンとヤマダが手を叩くと、それを合図に各々が気ままに過ごし始める。リビングに移動してテレビをつける者、シャワーに行く者がいるが、殆どは好きな飲み物を手に、ダイニングテーブルでおしゃべりをしていた。
ヴァロージャも楽しそうに皆との話の輪の中で笑いあっている。
一方でラディウはユキを手伝い、食事のトレイを回収してギャレーに入ると、彼女の指示を受けてトレイの残物をゴミ箱に入れ、食器類を洗浄機にセットした。
「ヤマダさんから、明日ドローンの操縦をすると聞いたけど……」
ユキは冷凍庫から明日の朝食用のミールセットを取り出し、焼く物、温める物、冷蔵しておく物を、それぞれオーブンやヒーターにセットしていた。
「そう、得意なのよ。ここの誰よりも上手く飛ばせる。ホビー機より上手よ」
そう言って笑いながら胸を張る。
「だから……後の事は心配しないで行って頂戴」
肩でトンとラディウを押す。
「心配……しているように見えます?」
「あなた、嘘つくの下手って言われるでしょう?」
ユキの指摘に、ラディウは苦笑する。
「こちらの都合で、巻き込んでしまったのは、とても後悔してます。今もこうして、ヤマダさん達の好意に甘えていることも……」
表情を曇らせるラディウを見て、ユキは困ったような笑みを浮かべた。
「ウチのパパは世話焼きな人なの。困っている人を見ると放って置けない人なのよ」
ユキは棚からプラスチックのグラスを2つ取り、冷蔵庫から紅茶のボトルを取り出して注ぐと、一つをラディウに渡した。
ラディウはトレイを片付ける手を止めて、それを受け取る。
冷たい紅茶を一口含んでから、ユキは作業台にもたれかかった。
「昔からそうよ。会社にもパパが助けてきた人たちがいる。雇って、世話して、自活できるようにして……自分の親ながら、すごいよね」
ラディウは黙ってうなずく。
「多分だけど……知らない所に一人で漂流してきたラドを、パパは放っておけなかったのかな」
確かにあの日救助された後、コロニーで降りると伝えたら、ヤマダが放っておけないと言って、自分を引き止めたことを思い出す。
何かと気を使ってくれた事、コクピットコアの事、ここ何日かの出来事を思い出すと、その心の暖かさに鼻の奥がツンとしてきた。
「見ず知らずの私に、こんなに良くして下さって……本当に、ヤマダさんとチームのみなさんには感謝してます」
油断すると涙が溢れそうになる。ラディウは何度か目を瞬かせて天井に目をやって堪えた。
ユキは作業台にグラスを置くと、ギュッとラディウを抱きしめる。
「いつか落ち着いたら、またヴァロージャと一緒にここへ帰ってきて。歓迎するわ」
「……はい」
ラディウも機会があれば、今度は普通にここに来たいと思った。ただし彼女の立場上、それが叶うかどうかはわからない。それよりも、事情を抱えている自分たちを受け入れてくれる気持ちが嬉しかった。だから、ちゃんと伝えようと思った。
そっとユキの腕から離れ、きちんと彼女の目を見て告げる。
「ユキさん私、もう一つ隠し事があります。私の名前はラディウ。ラディウ・リプレーと言います」
仕方がない状況だったとは言え、最後まで自分の正しい名前を明かさないのは、彼女に対して不誠実だとラディウは思った。
だから明かさなくても良い名前を明かした。それはラディウができる彼女に対しての誠意だった。
「ラディウ、素敵な名前ね。忘れないわ。必ずまた会いましょう」
ユキはもう一度ラディウを抱きしめた。
ラディウはユキの肩に額を乗せて「はい……」と答えた。
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