第18話 彼と彼女とヤマダ父娘
午前8時。
ラディウとヴァロージャは、一昨日とは別の地下鉄駅の近くでオサダ達と別れ、再びメンテナンスハッチから地下通路をぬけて、直接ラグナスのバースへ向かった。
「あなたのご家族の事、何もできなかったね」
早歩きで通路を進む中、ラディウは申し訳なさそうにポツリと呟いた。
初日に図書館で新聞を調べた他、具体的な事は何一つできずに、このコロニーを去ろうとしている。
「君は具合が良くなかったし、俺も変なのに追われてる。却って下手に動かなくて良かったと思ってる」
「うん……」
ヴァロージャの言葉に、ラディウは気の抜けた炭酸のような返事をする。すると、ヴァロージャは足を止めて振り返った。
考え事をするように、俯いて歩いていたラディウは、ぼふっとヴァロージャの胸にぶつかった。ふわりとフラットのバスルームにあった石鹸の匂いがする。
「あぁ、ごめんなさい!」
慌てて身体を離し、彼と目線を合わせる。
そこには、厳しい軍人の顔をしたヴァロージャが、じっと彼女を見つめていた。ラディウは思わず息を飲む。
「今は作戦中。余計な事を考えない。ここを脱出するのが最優先。俺の身内の事は後回しだ。いいね?」
短く簡潔な仕事の口調。ラディウは彼の真っ直ぐな眼差しを受け止めた。
――あぁそうだ。今は作戦行動中。
「了解」
「よし、行こう」
ヴァロージャは踵を返して通路を進み、ラディウはその後を追った。
バースから1区画ほど離れたところで、ヴァロージャはロナウドに状況を確認するメッセージを送ると、程なくして「船周辺は問題なし」と回答がきた。
ラディウは耳にかけている通信機の通話スイッチを押した。
「こちら”
『”
「了解」
それぞれのデバイスが情報を受信する。
『バース周辺に人が向かう兆候を確認した。目をそらすために陽動をかける。急げ。以上』
「Copy」
あとは緊急事態が起きるまでは連絡は来ない。
ラディウとヴァロージャは送られてきた情報を確認する。オサダの言うように、敵を示すマーカーがバースの入口方面に動いているようだ。
「見つかる前に急ごう」
「うん」
2人は用心深く周囲を確認すると、船に1番近いところへ出るメンテナンスハッチに駆け込んだ。
チームラグナスがレース参戦時に使う船は、ラグナス1という中型の輸送船だ。最大でホビー用の機体を4機と、スタッフを20人近く運ぶことができる。
今回のレースに参加するのはロナウドだけ。普段よりは少ない人数だとヴァロージャはラディウに伝えた。
周囲を確認して走って船内に入ると、ちょうど搬入をしていたユキと出会った。
「ラド……ヴァロージャ……!」
ユキは持っていたコンテナを足元に下ろすと、ラディウとヴァロージャに交互に抱きついた。
「よかった……ラドが倒れて先生のとこに運ばれたって聞いて、心配してたのよ」
「ごめんなさい」
ラディウは心苦しさにギュッと目を閉じる。
「昨日、あなたたちの上司だって言う人がパパに会いに来て、その後にパパから事情を全部聞いたの。あなたも連合軍のパイロットで、ヴァロージャをここから逃がしてくれるって」
「えぇ……その、色々隠していてごめんなさい」
「ごめんな、ユキ」
ユキはラディウから身体を離すと、いいえと首を振った。
「いいの。あなた達なりに、色々と心配してくれていたのでしょう?」
ユキは足元に置いたコンテナを持ち上げる。
「俺が持つよ」
ヴァロージャがユキの手からコンテナを受け取る。
「私だけ秘密にされてたのは少し腹が立ったけど、事情を聞いたら納得できた」
ラディウは申し訳ない思いでいっぱいになる。自然と心も体もうつむき加減になる。
「もう気にしてないわ。ラドもそんな顔しないで」
ユキは苦笑しながらラディウの両手を握る。
「ここは外に近いから、奥にいきましょう。2人とも私の作業を手伝って」
「もちろん、喜んで」
狭い通路を3人が縦一列になって歩く。
ユキの細い背中を見ながら親身になって手を貸してくれる彼女達を、これ以上巻き込むことのないように、絶対にこの脱出ミッションを成功させると、ラディウは心に固く誓った。
ラディウとヴァロージャが船内の共有スペースの片付けと、搭載物のチェックを手伝っていると、ヤマダが声をかけ、二人を自身のキャビンに招いた。
「社長……今回は」
「ヤマダさん、本当に……」
2人が口々に謝罪しようとするのを、手を振って制する。
「二人とも謝るな」
そう言ってヤマダは椅子に座り、二人にはベッドに腰掛けるように勧めた。
「昨日、ラドの上司と話しをして決めた事だ。お前達の事情を知っているのは、俺、サムソン、ロナウド、ドクター、それにユキの5人だ」
ヤマダは壁に貼られたユキの写真を見る。
写真の中のユキは、ブリッジの管制員のシートに座って、とびっきりの笑顔でピースサインをしていた。
「特にユキはこの船の通信と管制だから、ある程度事情を知らなきゃならない。それ以外の者にはこの作戦は伝えてはいない。さて……」
ヤマダは作戦計画書を表示して確認する。
「計画では試乗コースでトランスポンダーをダミーと切り替えた後に脱出だな。この辺りの細工は昨夜のうちにサムソンが終わらせた」
チェックリストと役割分担表を示してヤマダが続ける。
「ダミードローンの操作はユキが行う」
資料によると、試乗ルートから出た後の管制応答はユキが行い、ドローンを操作してラグナス1に収容する手筈だった。
幸いラグナス1は試乗コースの出口に近い。ガイドビーコンの誘導を断っても咎められない距離だ。何よりドローンを速やかに回収できる。
「ユキ、いつのまに……凄いな」
感嘆するヴァロージャに、ヤマダはニヤッと笑う。
「俺の娘は優秀だからな!」
他にはロナウド機より先に船外へ出て待機する事などを確認する。
「社長、何から何まで本当に……」
ヴァロージャの目が潤む。ヤマダは「よせよ」と顔の前で手を振った。
「俺たちのことは大丈夫だから気にするな。お前たちは無事に帰り着くことを優先しろ」
「本当に、ありがとうございます」
ラディウは深々と頭を下げた。
「それとヴァロージャ、お前の
え? とヴァロージャはヤマダの顔を見た。
もう、とっくに二人をラス・エステラルで探す事は諦めていた。だからバースへ向かう通路で気遣うラディウを
「……ありがとう……ございます」
感謝の気持ちで声が震える。泣きそうになるのを、天井を睨んでこらえる。
「さぁ、時間がない。続けるぞ」
ヴァロージャは手の甲で浮かぶ涙を拭うと「はい」と返事をした。
出港まで、もうそれほど時間の猶予がない。
すべての確認を終えて、ちょうど二人が「よろしくお願いします」と言ったタイミングで、コンコンとドアがノックされた。
「社長。そろそろ時間です」
サムソンが声をかける。
「わかった。今行く」
ヤマダが立ち上がり、それにつられて2人も立ち上がる。
「いまのところは、ラドのお仲間が上手く抑えてくれているらしいな。いくぞ」
2人は声を揃えて「はい」と答えた。
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