第7話 彼女の事情 2

 ラディウは案内されたエアロックに続くスーツ室で、自身のパイロットスーツを脱ぎ、所属と身分を示す徽章類を全部外すと、アンダースーツの上から借りたツナギを着込んだ。外した徽章はまとめてツナギのポケットに突っ込む。後で鋏を入れて粉々にしよう。


 重要なデータメディアは二つまとめて認識票IDのチェーンに通す。これで身柄を確保されない限りは大丈夫。


 スーツ室に隣接するリビングスペースでは、一足先に着替えたヴァロージャとロナウドが、テスト飛行の際のデータをチェックしていた。


 入ってきたラディウに気づいたロナウドが、用意しておいたゼリー状の経口補水飲料を、彼女に手渡した。


「飲まず食わずだろ? これ飲んどきな」

「ありがとうございます」


 封を切り、口をつける。微かな甘味が忘れていた喉の渇きと空腹を呼び起こす。


「美味しい……」


 彼女の安堵した表情に、ロナウドは人懐っこい笑顔を見せた。


「それが美味いってことは、脱水が進んでたな。もう一本飲んどきなよ」

「いただきます」


 ロナウドが流したパックを受け取り、二つ目の封を切る。ゆっくり飲みながら、ラディウは今後のことを考える。


 ラス・エステラルの港湾警備隊に捕まる事も、エスペランサ政府の公安や軍だけではなく、他勢力にも見つかってはいけないと考えると、ラディウは助かった事を安堵している場合じゃないなと思った。


 さて、どうしたものかと一人で思案していると、ブリッジにいたヤマダとサムソンがリビングスペースに入ってきた。


「ラス・エステラルに着く前に、幾つか確認したいんだが、いいかな? お嬢さん」


 ラディウは居住まいを正し、ヤマダと向かい合った。


「ラディウです。ラディ、またはラドと呼んでください」

「OK、ラド。まず1つ、本当に警備隊に連絡しなくていいんだな?」

「問題ありません」


 ヤマダはウンと頷いた。


「次に、アレはどうする?」


 アレとは、彼女のコクピットコアの事だ。ラディウは暫し考えると


「可能であれば処分をしたいですが、万が一見つかった際には当局に引き渡しても差し支えありません。ただ、私が居た事を隠していただきたいのです」

「わかった。アレは後でシートをかけて廃船置場に混ぜておこう。暇を見て解体すれば、お前さんの滞在費ぐらいにはなる」

「感謝します」


 真っ直ぐにヤマダへ目線を合わせて礼を述べる、ラディウの軍人らしい立ち居振る舞いに、ヤマダはうーんと唸ると、


「最後に……もう少しフランクに話してくれないか? 俺はお前さんの上官じゃない」


 少し困ったようにヤマダは頭を掻く。そんな二人のやりとりに、ヴァロージャが噴き出して声を上げて笑った。


 ラディウは綺麗な直立姿勢のまま、困惑した表情を浮かべた。




 ロナウドはこのチームのメインライダーで、サムソンはチームメカニックを勤めている、他にも何人か従業員やチーム関係者がいると、ヤマダ達はラディウに説明をした。とはいえ、突然女の子が1人増えているのも不自然だから、当然ラディウの身分をどうするか? という話しになる。


 少し人が多くて心配ではあったが、ラディウは「ホビートライアルに興味を持った高専の学生が、ラグナスに自主研究に来た」という事にしてはどうか? と彼らに提案した。丁度良いことに、世間の学生は夏休みに入るところだ。ヤマダは少し考えると、大きく頷いた。


「悪くない、それで行こう」




 数時間後にラグナス2は、ラグナス商会がコロニーの外壁に所有する、専用のバースに到着した。その隣にはもう少し大きめの船が泊まっている。


「アレもウチの船だ。仕事でも使うが、他所のコロニーや大きなレースの時はあのラグナス1を使う」


 バースのあれこれを説明しながら、ヤマダはラディウを連れて住居を兼ねたチームの事務所へ戻り、ロナウドとヴァロージャ、サムスンの3人はロナウドの機体を工場に上げると、明日すぐに作業にかかれるよう、台車とシートを船に積み込んでから事務所に戻った。




 その頃になると日が暮れて、星の代わりに対岸の街の灯りが雲の隙間から見える。


 ピザのケータリングとストックされていた食材で簡易な夕食を摂りながら、来週末のレースの事、セッティングの話し、今日の練習の反省と話題で彼らは盛り上がった。


 ラディウはそれらの話しに耳を傾けながら、疲れた身体の負担にならなさそうな物を選んで食べる。


 ヴァロージャがジュニア時代に獲ったタイトルの話し、ロナウドとヴァロージャが幼馴染で、かつてはライバル同士だった話しと話題は尽きない。


 ニコニコと話しを聞き続けていたが、丁度会話が途切れたタイミングで、流石に強い疲労感を覚えたラディウは、「今日はありがとうございました。明日からよろしくお願いします。おやすみなさい」と礼を言って場を辞した。


「おやすみー!」「また明日!」「朝ごはん8時な!」という声を背に、ギシギシ鳴る廊下を進み、貸し与えられた部屋に入った。


 疲れているがまだ眠れない。




 機体から下ろしたサバイバルキットのケースを、ベッドの下から引っ張り出して開けた。


 中には3日分程度の非常食や救難信号用ビーコン、予備の弾薬、応急キットなどが入っているが、それらに目もくれずにケースの取り扱い説明のシールを引き剥がし、その裏にあるハガキ大の封印されたパウチを取り出して開封した。


 中には現金と偽名の身分証、クレジットカードが入っている。


 偽の身分証は、ラディウが提案した高専の学生証だ。


「これを使う事になるとは思わなかった」


 薄暗い部屋の床に座ったまま、薄いカーテンがかけられた窓を見上げる。


「みんな、心配してるだろうな」


 その時、コンコンとドアをノックする音と同時に、ヴァロージャが「まだ起きてる? 今いいかな?」と声をかけてきた。


 身分証をポケットに入れながら「どうぞ」と返事をする。


「何してたんだ?」

「中身の確認です。もう終わりました」


 そう言いながらケースの蓋を閉める。


「社長が渡し忘れてたって、予備のTシャツ」


 そう言って、タオルやパーツメーカー協賛品のTシャツなど数枚を、ラディウに渡した。


「それと、俺の身分。味方だって嘘じゃないだろ?」


 ヴァロージャはそう言って自分の身分証と軍のIDカードを差し出した。


 ラディウは受け取った衣類をベッドに置くと、生真面目な人だと思いながら確認する。そして笑顔でヴァロージャに戻した。


「嘘だなんて思ってませんよ。正規の手順でハッチ解放できるのは、FAを知っている敵か味方かの2択です。少尉のおかげで適切な処置ができました。感謝しています」


 そう言って、アンダースーツの上からIDタグを握りしめる。


「ここでは階級は無しで。ヴァロージャと呼んでくれ。その方が自然だろ?」

「了か……はい」


 慌てて言い直す。


「あのコクピットコア、メテルキシィだろ? 俺もアレのパイロットなんだ」


 あぁやはり同業者か、とラディウは思った。


「そのうち機体談議しようぜ。おやすみ!」


 そう言って、ギシギシと床を鳴らして、彼は二つ先の部屋に帰っていった。


 ラディウはヴァロージャの後ろ姿を見送るとそっとドアを閉め、ふぅっとベッドに倒れ込んだ。


 考えなきゃいけない事が山ほどある。


 今は出来るだけ親切な彼らに迷惑をかけずに行動すること。


 それから……


「あんなに眠らされたのに、まだ眠いのか……」


 そう思いながら、ラディウは目を閉じた。


 頭が痛い。

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