僕はあの日の君にそっとキスをする
鶯麻呂
僕はあの日の君にそっとキスをする
君が死んだあの暑い日の夜、僕はエアコンの効いたあのコンビニでレジに立っていた。
もし、もしもだ。客なんて来ない、静かで無駄に明るい店内が君に影を落として、そのせいで君が死んでしまったのだとしたら、僕は世界中のコンビニを一軒一軒消し去ってしまうこともいとわないだろう。
それくらい。世界中のコンビニにも負けない、君が。
君が・・・。
夜勤で一人きりのコンビニに君がやってきたのは、梅雨に入るちょっと前の頃。
大量の缶チューハイと、おつまみ数品を持って、レジにどさっと倒れ込んだ。
深夜に酔った客が来ることはそこまで珍しくないので、いつも通りレジ作業を進めた。
そしたら君は、好きな銘柄は何?って、尋ねてきた。
思わず聞き返した僕の、手首あたりのやけどの跡を指さし、君はにやりと笑った。
その笑顔は、お世辞にも整っていたとは言えない。目の下のクマ、薄く黄ばんだ歯、口の端の生々しい痣。
それでも僕は、君の瞳に吸い込まれていった。なぜかはわからない。ただ、見とれていたのだ。
君は僕が選んだタバコも買い、店を出て行った。静かになった店内に聞こえてきたのは、田んぼの蛙の鳴き声と、店先の喫煙所で君がむせ返る声。そんな些細なことまでもが、僕の奥底のさらりとした部分を刺激した。
再び君が店に来たのは、それから1ヶ月後、梅雨も終わりかけの頃だ。
ストロング缶をかごいっぱいにいれた君は、僕と目が合うと、久しぶり、と笑った。
無理矢理つり上げた口に力は無く、顔の痣も増えていた。
そんなめちゃくちゃな君を見てもなお、僕は美しいと感じた。思わず、大丈夫ですか?何かありました?と尋ねた後、後悔した。
大丈夫?と聞かれて、大丈夫じゃない、なんて答える人を、僕は知らないからだ。
案の定、君は、ううん、平気とつぶやき、以前買ったタバコを再び手にした。これ、結構味きついよね、なんておどけながら。
その手首にやけどの跡を見つけ、そのやけど・・・。と聞くと、少し照れながら、あなたのそれが、少しかっこよく見えて。と零した。
僕は、思わず笑った。そして、何かあったらこのお店に、とだけ伝えた。
君も、うん、と笑った。
君が死んだあの暑い日の夜、君は交際相手に暴力を受け、携帯も持たずに下着のまま飛び出した。
もし君が、あと1枚でも服を着て逃げてきていたら、君は車にひかれても無事だったかもしれない。
もし君が携帯で、この店に向かっていることを伝えてくれていたら、僕は走って迎えに行ったかもしれない。
あと2つ角を曲がれば、僕がいるコンビニに逃げ込めたのに。
気づけば、外から聞こえてくる音は、蛙から鈴虫に変わっていた。
僕は店に誰も来ないことを悟ると、棚のタバコを手に取り、店先の喫煙所へ向かった。
タバコに火をつけ、一気に吸い込むと、思わず涙が流れた。視界の月が歪む。
言葉は2度しか交わしていない。お互いのことは何も知らない。
それでも、僕は君を必要としている。君は僕を必要としてくれた。
それだけで、僕は十分だった。
タバコの火を消す。煙は空へ空へと立ち上り、やがて霞んだ空へと消えていった。
僕は、君が。
そう言いかける頃には、タバコの火は完全になくなっていた。
僕はふっと笑い、手首の消えかかったやけどの跡に、そっとキスをした。
僕はあの日の君にそっとキスをする 鶯麻呂 @TRYMILLION417
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