02

 両親と約束した当日になった。

 雫玖くん一家と共に、寮の前までやってきた。こうして、異世界との移動にも慣れてきたものだ。

 外はあいにくの雨が降り、なんだか今の私の心情を表しているみたいで、少しだけ気持ちが重くなる。雫玖くんに背中を撫でられてから、最後に背中をポンッと押される。無言のエールに応えられるように、少しだけ背筋を伸ばして、先陣を切って寮の中へ向かう。

 寮の中は静まり返っていた。長期休み中、寮に残っていた学生達は学校に行っているのが大半なのだろう。ロビーや玄関では、人の気配はあまり感じられなかった。少しだけ足を進めて、約束の場所である共同スペースに踏み込んだ。

 共同スペースは学生たちの交流場所でもあるし、今回の私のように親子の面談場所としても使われている。実際に、一緒に来た雫玖くん一家もそのようにとらえられるのだろう。まあ、聊か目立つ容姿が揃っているが。

「取りあえず、俺達は君と同じ様に親子面談していた家族設定にしよう。限界だったら目線をくれても良いし」

「……じゃあ、お言葉に甘えます」

「そうしなさい。頼れるものは頼って良いのです」

 うんうん、とアオさんが頷いた。


 そろそろ来るだろうか、とそわそわしていれば『寮まで着きました』と簡易的なメッセージが届いた。これは、迎えを寄越そうとしているな。

 スマホをポケットに仕舞って、彼等へ不格好な笑みを向ける。

「両親が来たみたいなので、迎えに行ってきますね」

「……無理しないで」

「ありがとう」

 雫玖くんの言葉に礼を述べてから、玄関の方へ足を進める。

 全身が心臓になったかのように騒がしい。緊張も大きいのだろうけれど、これは圧倒的に恐怖心が占めているのだろう。どうしてここまで、両親が怖いと思ってしまう様になってしまったのか。幼い頃は、まだ、一緒に遊んでいたような気がするのに。

 玄関に向かうと、両親がそこに居た。私は、娘としての笑みを作り上げて、手を小さく上げる。

「久しぶり」

「あぁ」

 声を掛けると、父が小さく返事をした。母は、噴火寸前の火山の様だった。正直な話怖い。怒られるのが目に見える。

「ここだと話せるのが共同スペースなんだ。そこで良い?」

「良いぞ」

 私が先頭に立ち、話し合いの場所に向かって足を進める。

 さて、何から話せばいいんだろうか。私の気持ちとは、何だろうか。両親に、私は何を望んで、私はこれからどうしていきたいのだろう。

 あれこれ考えていても仕方がない。考えや気持ちは、その時になってみないと分からない。話してみないと存外分からないもんだ。

 扉を開いてみれば、雫玖一家がテーブルを囲って話をしていた。他に人はいない。

 両親は彼等の存在に気が付くと、小さく会釈をして通り過ぎた。

「適当に座って。飲み物持ってくる」

 と言っても、無料なのは水だけなのだけれど。

 思ったより雫玖くん一家と離れた位置に座ってしまった。だが、まあ気持ちは分かる。これから娘を説教するんだろうから、他者に見られたくないだろうし。少しでも距離を取って、できる限り声が届かないように、会話を聞かれないようにしたいのだろう。

 両親が並んで座って、そのちょうど真ん中に位置し向かい合う場所に私は腰かけた。これが、いつもの定位置。二人の分の水を置いて、二人と向き合う。

「……話って、どうかしたの」

「学校から連絡が来たんだ。夏期講習に出ていないそうじゃないか」

 これは想像通り。だが、心の中の先生向けては小さな舌打ちをした。

「うん。最初は出ていたんだけど、途中から友達と一緒に勉強するようになったんだ。だから出てない」

「相手は同じ学生だぞ。意味なんかあるのか」

「あるよ。私に合わせて沢山教えてくれるし、一緒に頑張ってると思うだけでやる気が出る。聞きたいことも、ヒントをくれる。今まで以上に沢山の時間勉強してるんだ。夜も、別の友達と通話しながら、勉強会してるの」

「今までの講習を受けても、成績上がらなかったのにか?」

 ぐ、とテーブルの下で拳を握る。

 両親は、私の学校生活を詳しくは知らない。だから、講習の方が良いと思うのは当然だ。だが、実際は私が先生の話自体についていけていないことも、怖くて質問できていないこともあって、講習では勉強が身に着けられないのを、両親は知らない。

 だから普通だったら、という考えから抜け出せないのだ。

「今回は、結果を出せる。絶対に」

「そう言って、今までずっとずっと成績が下がってるんじゃない!」

 バシンッと大きな音を立てて、母がテーブルを叩いた。思わず肩を跳ねらせる。彼等のコップに注いだ水の波紋が揺れたのが見えた。

 昔からの母の癖だ。怒る時に大きな音を出す。そうすると私がびっくりして萎縮するから。そのまま丸め込もうとして来る。今までそうしてきていた。だから、今回もそうして流れを作ろうと思っているのだと思う。案の定、私の心臓はバクバクとしていて、テーブルの下の手は震えていて、ぐっと拳を握っていないと、身体全体が震え出しそう。

「そう、だけど……」

「はあ……なんでこうなっちゃったかな」

 母の溜息と、呆れたような物言いに、ずぐん、と心臓を何かで一突きされたような気分がした。そのままダラダラと血が溢れて、ゴボゴボと音を立てて血の中で溺れている様な息苦しさ。その間も心臓が痛みを訴えていた。

「中学までは良い子だったのに。その友達が悪いの?」

「っ! その子は関係ない!」

「じゃあ、貴方が全部悪いんじゃない。成績が下がるのも、ダメな子なのも」

 心臓が悲鳴を上げていた。突き刺された後に、まるでぞうきんを絞る様に心臓を締め付けられたような感覚がして、血を全て流してやろうとしている気がした。

 今の私の足元は、もう、血の海で沈んでしまっているんじゃないだろうか。ああ、あの透き通っている青い海が恋しい。

 ダメな子。その言葉が頭に残る。

 知っているよ、それくらい。

 この世界には線引きがある。恵まれた才能と精神を持った人間と、そうじゃない人間。私の周りには、その前者である天才が多く居た。そして私は、後者だった。

 なんで私にはいつも才能が無いのかなあ。努力をしても、どうしていつも全部が報われないのかなあ。どうしていつも、自分は自分の脳力の無さに挫けちゃうのかなあ。

 いつだって中途半端だった私は、いつも諦めて、何も報われなくて、何もできなくて、苦しい毎日だった。

 逃げてしまいたい。ここから消えてしまいたい。

 じわじわと、胸が熱くなってきて、目頭が熱くなってきて、色々な感情と共に涙が出そうになる。


「……それじゃあ、これ以上ダメな子になったら、お母さんとお父さんは、私を、どうしたい……?」

「え?」

 ぽろり、と意図せず口からこぼれ出た言葉だった。

 もう血まみれの心で、死を目前とした動物の悪あがきのようにも思えた。

 涙を必死に堪えて、不格好な笑みを浮かべて、両親の方を見た。

 もう、どうでもいい。

 そんな思いでいっぱいだった。

「もういらないって、放り捨てるとか?」

「何を言ってるんだ」

「っ、! こんなダメな子ダメな子って言うんだったら! どっかから優秀な子供でも連れて来れば!?」

 まるで蹴り飛ばすように椅子から立ち上がって叫んだ言葉が、私の堰をぶった切ったようだった。

「二人の理想通り頭が良くて! 完璧で! 自慢の娘で! 恥なんて絶対にかかないような子供でもどっかから見つけて来ればいい! 私みたいな出来損ないなんかさっさと捨てればいいんじゃないの!? その方が気が楽なんじゃないの!? 私なんていらないって言えば!?」

 頭がぐるぐるする。自分が自分じゃないみたいだ。壁が崩れて貯水が流れ出るダムのように、全てが崩壊する。

 ガタンッ、と音を立てて母が立ち上がった。

「私達は貴方の為を思って言ってるのよ!」

「私はそれが嫌だった! それは私の為じゃない、アンタたちの為の言葉だ! もう止めてよ!」

 カッと母の顔に血が上ったのが分かる。母の手が振り上げられているのが見えて、これは確実に殴られると覚悟をする。目はつぶらない、逃げたくない、と心の中の私が言っているような気がした。

 母の手が振り下ろされそうになった瞬間、


 ――バシャッ、と音を立てて、母と父の顔面に水がかかった。


 突然の事に母は動きが止まり、両親揃って驚いて目を開いている。私も何が起こったのかと固まっていたが、よく見れば、二人に注いだ水が消えている。もしかして、この水が二人の顔面にかかったのだろうか。

「な、に」

「ああ、大丈夫ですか?」

 呆けている母の傍に、誰かが近寄った。カラン、コロンと音を立てながらやってきたのはアオさんだった。そんな彼の隣にはナツさんが立っていて、二人揃って両親の方へ顔を向けている。

 両親は、アオさんを観て心底驚いているようだ。そりゃそうだ。人外レベル(実際に神様だし)の美貌を持つ男性が声をかけてきたのだ。驚くなという方が無理な話である。

「宜しければこれを使ってください」

 ナツさんが鞄からハンドタオルを二枚取り出して、両親にそれぞれ手渡した。二人共、未だに呆けながらもありがたく受け取ったようだ。

「ありがとうございます……あなた方は?」

「家族団欒の所すみませんね。少し話が聞こえてしまったので、気になってしまいまして。私はこちら、うちの息子、希龍雫玖の父であるアオと言います。曙美さんとは友達として、うちの子と仲良くしてもらってます」

 にこ、と笑みを浮かべて、アオさんは雫玖くんの肩を軽くポンと叩いた。家族団欒、なんて絶対に両親に対する嫌味だろう。はは、と苦笑いがこぼれた。

 お母さんは雫玖くんを見て驚いてから、私の方を見る。

「友達って、彼の事なの?」

「……勉強を教えてくれてるのは、彼だよ」

「あ……そう」

 少しだけ声をすぼめた。そりゃそうだろう。先程母は『友達に教えてもらうのなんかー……』とかぼろくそ言っていたのだ。それを聞かれたのかもしれない、と思えば気まずい気持ちが湧き出るのが普通だ。逆に、気まずいと思ってくれたのに安堵している私もどこかいる。私はどこまで両親をひとでなしだと思っているのか。


「少しだけ、我々と話をしませんか?」

「え?」

「息子と仲良くしてくれるお子さんのご両親と、お話をしてみたいとずっと思っていたのです」

 アオさんは胸元に手を添えながら、両親の気を逆なでしないように優しい声色で提案する。

 まるで優しい海のさざ波のように心地よい声に、両親は反論する意思も流されてしまったのだろう。彼の提案に従うように、こくりと頷いた。

 アオさんはそれに満足したように笑みを浮かべて、私たちの方を見る。

「曙美さんも少し気持ちを落ち着かせた方がいいでしょう。雫玖を傍に置きますので、少し休みにしましょう」

「はい……」

 両親は、ちらりと私を見てから、再度アオさんの提案に頷いた。

 彼はまさしく神様なのだと、たったこれだけのことなのに実感してしまう。

「それじゃあ、二人は外で休んでおいで」

「うん。……曙美さん、行こうか」

「……わかった」

 親子に促されて、両親の視線を背中に感じながら私は部屋の外へ向けて歩き出す。

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