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 トラベルライターとは、海外旅行や国内旅行で訪れた場所の観光スポットやグルメ、ストーリーなどを紹介する仕事のことを言う。掲載先は雑誌やガイドブックなどの紙面に限らず、インターネット上の旅行サイトやアプリ、SNSなどを利用する場合もあるそうだ。

 当然外国に行く際にはその国の言葉、もしくは世界共通語の英語を使わないといけない。

 ということで、本日はナツさんを目の前に英語の課題をこなしている。現在進行形である。友人のお母さん、というだけで緊張するのだけれど、更に勉強を教わるとなると、さらに緊張が増す。汗が滝のように流れている。

「母さん、ここの文法あってる?」

「ん? ああ合ってるよ。けどこっちは単語間違えてる。今回は別の物を使った方が良い」

「そうか……じゃあこっちかな」

「そうだね。そっちが望ましいかな」

 雫玖くんは自身の母親だからなのか、疑問に思ったことや不安に思ったことはどんどんと問うている。ナツさんも彼の疑問に優しく、けれど自分から答えは決して出さない様に、丁寧に教えていた。

 この教え方、どこか面影が……。

 親子の方を見ていれば、ああ、と思い出す。雫玖くんの教え方によく似ているんだ。やっぱり親子なんだな。

「曙美ちゃんは何か聞きたいところある?」

 くるっ、とナツさんが私の方へ顔を向けてきた。二人の方へ目を向けていたので、自然と顔があってしまう。思わずビクッと肩を揺らしてしまった。

 えーっと、と視線を少しだけ泳がせて、彼女の視線から目を逸らす。

「い、今は大丈夫、です」

「了解」

 思わず顔を伏せてしまって、印象が悪く見えてしまったかもしれない。そんな杞憂を一瞬で抱えてしまったけれど、ナツさんは全然気にしないで、優しい声色で頷いた。

「じゃあいったん休憩しようか」

 ぱん、とナツさんが手を叩いて合図をし、私と雫玖くんは同時に顔を上げた。

 ナツさんはにこにこと笑みを浮かべながら、座卓に組んだ両腕を乗せて、少しだけ乗り出し気味な体勢になった。

「私、曙美ちゃんと少しお話してみたかったんだよね」

「え?」

「ふふ、やっぱり息子が初めて連れてきた友達だからさ~」

「母さん!」

 ナツさんが嬉しそうに、けれどどこか面白そうに口元に手を添えながら言えば、雫玖くんが顔を真っ赤にして叫んだ。

 何だろう、ちょっとデジャヴを感じる。

 夫婦は似てくる、とは言うけれど、他人同士とは言えナツさんとアオさんも似てくるんだろうか。少し小言を言っている雫玖くんを見ても、ナツさんはにこにこの笑顔を止めない。母は強い。

「父さんにも言われたみたいだし……はあ……曙美さん本当にごめんね?」

「え、ううん! 全然大丈夫。それに、前も言ったけれど、友達を家に招くのって緊張すると思うし……何より、今は毎日楽しいから」

「そっ、か……それなら良かったんだけれど……」

「……曙美ちゃんも友達をあまり家に呼んだことは無いの?」

 ナツさんの問いかけに思わず肩を跳ねらせた。どくん、と心臓も大きく跳ねたような気分がする。

 私が必死に、必死に抑え込んで心の奥に、奥に押し込んでいる何かが、出てきそうになってくる。それ必死に抑え込むように、薄く笑みを浮かべた。

「はい、そうなんです」

「そっか~奇遇だね。私もだよ」

「え?」

 ナツさんが自身を指さして、私の言葉に同意した。驚いて間の抜けた声を零すけれど、そういえばと思い出した。私とナツさんは、どこか似ている所があったって。

「私は田舎生まれなんだけど、そこの世界の狭さ? そういうのが本当に嫌で。更に両親が変に厳しくてさ。友達を呼ぶとか作るとかそんな暇ないでしょうって」

「わ、かります……!」

 ナツさんの言葉に、思わず賛同してしまった。

 服の胸元を握りしめて、少しだけ緊張したけれど、考える事も無く彼女の言葉に同意を示した。

「私も、親が厳しくて、一回友達を招いたら、その日の夕食時機嫌が悪くなってて……いけない事なんだって、思っちゃって」

「そうなの?」

 隣に居た雫玖くんが少し驚いたような表情で聞いてきて、こくりと首を縦に振る。

「そっか、だから、俺の事も理解してくれたのか……」

「そう、なのかな? まあ、雫玖くんは家に招く、という行為が難しいからかもだけど」

「それは一理ある」

 小さく笑みを零せば、彼もつられて小さく笑みを零した。

「でも、お母さんとかにムカつかなかった?」

「え?」

「何でダメなの~! って。結果として私は窮屈な家を飛び出してるわけだし。色々と限界を迎えて、あとアオさんに促されてね」

 ああ、少し人の所為っぽくなっちゃったかな? とナツさんは思わず口元に手を添えて、周りに目を配らせる。アオさんに聞かれていなかったか、探しているのかもしれない。

 運が良いことに彼は居なかったので、彼女は安堵した表情をしてから、再度私の方へ顔を向ける。もう一度言葉にして聞かれなかったけれど、雰囲気で問いかけられているのはハッキリと分かる。

 ムカつく。そう思う事は、今まであっただろうか。

「私は出来損ないなので。怒る資格なんて、無いんですよ」

 言葉をつぶやきながら、ゆっくりと頭が下がっていく。

 両親が共に居る家は、重圧と畏怖に満ちた法廷そのものだった。その家に居る事が怖くなって、途中で長期休暇でも家に帰ることを辞めた。

 そして私は、そんな自分を、両親に怒りを抱きたくなる自分を、何よりも嫌った。


「怒っちゃいけない人なんて存在しない」

 スパン、と何かを斬り捨てるような真っ直ぐな言葉が、私の中の何かを真っ二つにした。

 思わず顔を上げる。私が抱えていた、大きな何かを斬ったような言葉を述べたのはナツさんだったようで、彼女は真っ直ぐと私達の方を見ていた。

「良い? 雫玖も聞きなさい。怒るというのはマイナスなイメージを持つかもしれないけれど、己を守る大切な感情の一つよ」

 胸に手を添えて真っ直ぐと言葉を述べる。

 私と雫玖くんは二人揃って目を開き、ぱちくりと瞬きをしてしまう。

「確かに意味も無く怒鳴り散らかすのはあまり良い物ではない。自己満足の為に相手を恐喝させる怒りも褒められたものじゃない。だけれど、抑えすぎないで。君達は仏様でも何でもないの。ただの人間で、感情を持って生まれた存在なんだよ。己自身の事を否定されたら怒って良いの。ムカついて良いの」

「……仏の顔も三度まで、って言うしね」

「そう! 仏様ですら4回目は無いぞ、怒るぞ! ってなるのに、人間である私達がそこまで自分を苦しめる必要はないのよ」

 ナツさんの力説に雫玖くんが小さく笑みを浮かべて言葉を述べれば、ナツさんが賛同した。

 そんな二人の姿を見て、思わずぽかんと間抜け面。

「見る限り二人共怒りって感情を諦めてるところあるからなあ。二人はもっと感情を出して自分に正直になっても良いんだよ?」

「そんな事言われても、ねえ?」

 雫玖くんが私の方を見てくる。彼の視線による問いかけに、こくこくと何度も頷いた。

「ん~……じゃあ、怒りまでは言わないから、気持ちを口に出す練習しよう!」

「え?」

「私も昔は苦手だったんだけど、アオさんに特訓させられたの」

 たはは、と頭の後ろを掻きながらナツさんが言う。

 何だか、この夫婦の関係図が分かってきたぞ。何だろう、アオさんってナツさんを女性(妻)としても愛しているけれど、親子みたいな保護者的な意味でも愛しているんじゃないか?

 でも、アオさんに特訓させられているナツさんを想像すると、何だか可愛らしいな。なんて。

「じゃあ、そうだな……雫玖。曙美ちゃんに思ったことを口にしてみて」

「え? は!?」

「よーい、どん!」

「急すぎるだろ……!」

「あ、ちょっと怒ってる。良いぞ良いぞ~」

 にこにこと笑みを浮かべているナツさんは無敵だ。ぐ、と雫玖くんは悔しそうに歯を食いしばった。母は強し、だ。

「あの、雫玖くん嫌だったら大丈夫だよ……?」

「嫌なわけがないよ! っと、ごめん。えっと、そう、だな……」

 顎に指を添えて、私の方を見ている雫玖くん。なんだか気恥ずかしくて、心というか、何かムズムズする……!

「曙美ちゃん不快だったら怒って良いんだよ~」

「え!? ぜ、全然大丈夫ですよ!?」

「あら、そっか~。じゃあ雫玖続けても大丈夫みたいだよ」

「母さん……!」

 ナツさんが温かい目をしてこっちを見ている。怒っても良いとは言ったけれど、全然不快じゃないし、怒りはわかない。多分、これが他人だったら不快感を感じたんだろうけれど。

 雫玖くんはと言えば、ナツさんを少しだけ睨んでから、今度は私の頭のてっぺんから膝(今は正座しているので)見ている。すると、あ、と声を零して、私の手を取った。

「曙美さんの手、凄い綺麗だね」

 しん、……と部屋が静まり返った。

 それと同時に、雫玖くんの顔に熱が集まっていくのがハッキリと分かる。だって顔が真っ赤になっていくんだもん。普段は冷静な彼がここまで真っ赤な顔になるの、初めて見たな。

「ご、ごめん! ていうか、セクハラだよね! 異性に、じろじろ見られたし、勝手に触れられてるし……!」

「だ、大丈夫だよ。もう何度か触れ合ってるし、お泊りをさせてもらってるくらいの仲、だし。男でも雫玖くんは特別だよ」

 だから気にしないで、と小さく笑みを浮かべれば、彼はきょとんと少し目を丸くしてから、片手で自身の口元を覆った。

「それはずるいな……」

「え?」

「いや、何でもないよ……」

「でも、ありがとう。褒められて凄い嬉しい」

 これは素直な気持ちだ。手が綺麗、と褒められるとは思ってもいなかった。今までこうして褒められたことがあまり無かったし、私だって女子だし、見目の一部を仲の良い彼に褒められれば嬉しいに決まっているのだ。

 彼は少し驚いたような表情を浮かべるけれど、すぐに優しい瞳になって、再度私の手を眺めた。

「じゃあ、続きなんだけど。白くて、指が長くてすらりとしてる。爪の形も綺麗だし。魅力的な手だね」

 勿論、手だけではないけれど。最後に、にこりと笑みを浮かべながら爆弾を落とす。そういうところですよ本当に。

 ぐ、と唇を噛んで、その顔面の良さに何とか耐える。そんな私を見て、彼は慌てて私の顔に彼の綺麗な顔を近づけてきた。

「どうしたんだい。噛んじゃ駄目だよ」

「くっ……!」

 唇は噛まないようにしたが、思わず小さな声が出た。くっ、なんて生まれて初めて言った。まさか自分が言う日が来るとは思ってもいなかった。

 ごめんなさい、と謝って、口内での力を抜く。そんな私に満足して、彼は私の手を再度眺めている。そんなに、面白い手だろうか……。自分でも自分の手を眺める。

「……私の手、褒めてくれるけど、雫玖くんの手も、綺麗だと思う」

「ん?」

 今度は私の番だ! 反撃開始だ! と言わんばかりに、彼の手をじっと眺める。

「なんというか……スラッとしてる? って感じ。指が長くて、けれど細すぎはしないで。大きくて。上手く言えないんだけれど……見てて、あ、綺麗だな~好きだな~って」

「え?」

「ん? ……あ、いえ、あの、手が……っ!」

「あ、手! そっか!」

 変な誤解を与えてしまっただろうか。思わず目線を逸らせば、汗がドバっと出る。目がぐるぐると回る気分がする。

 ごめんなさい! と両手を上げる姿勢になって、慌てて彼から手を離す。私こそセクハラになるんじゃないか!?

 うう、と小さくなりながら頬に手を添えて、少しだけ顔を伏せる。

 二人揃って顔を真っ赤にして、気恥ずかしさから思わず目をそらしてしまう。確かに自分の気持ちや感情には素直になったけれど、これは本当に恥ずかしい。

 自分の気持ちを伝えるのって、やっぱり難しくて恥ずかしいことなのだと、久方ぶりに思い出した。けれど、これも練習だし。自分の気持ちを素直に言ったり、感情に素直になる練習だし……!

 でも、恥ずかしいな……!


「……いやあ、二人とも素直で良い子だねえ。ブラックコーヒーでも飲もうかな」

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