柴三郎と乕

 1883(明治16)年、30歳の北里柴三郎は東京医学校(現在の東京大学医学部)在学中に見合い結婚をした。

 相手は松尾臣善(後の第6代日本銀行総裁)の次女、14歳も年下の乕(とら)である。


 卒業後の1984年、内務省衛生局の命により(コレラ流行中の)長崎県へ派遣された際に『長崎縣下虎列喇(コレラ)病因ノ談』を報告する。

 この論文が高く評価され、翌年には(内務省衛生局の留学生として)ベルリンのローベルト・コッホに師事するのであった。


 日本の「細菌学の父」とされる北里柴三郎博士。


 彼がドイツ留学中に大きな事件が起きる。


 オランダのペーケルハーリングが「脚気の原因となる細菌を発見した」と医学専門誌に発表した。


 しかし北里が検証した結果では、その〈脚気菌〉なるものはブドウ球菌だったのである。


「ドクトル北里。あなたのおかげで、自分の実験の非を確認できました」と、ペーケルハーリングは感謝する。

 この会見で北里は、公正であるべき〈真の学問の世界〉を知ったのだ。


 これより少し前の1885(明治18)年、日本でも緒方正規(後の東京大学初代衛生学教授)が「脚気病菌を発見した」と公表した。

 これに対して北里は、緒方の発見したという〈脚気菌〉について実験を行い「脚気とは無関係である」という論文を発表。


〈真の学問の世界〉を信じての行動であった。


 ところが東大では(弟子の北里が師の緒方に逆らった)忘恩の輩として非難の嵐が吹き荒れた。

 森鴎外も北里を激しく非難する論文を発表する。


 この後も東大の脚気菌派は「脚気菌説」を主張し続け、日清・日露戦争では脚気により3万人を超える陸軍兵士を死亡させたという。


 結局1897年に「ビタミンB1不足が原因だ」と判明するが、発見者の鈴木梅太郎をさえ批判する東大の学閥は〈ごはん論争〉を続けた。


 ドイツ留学中にはコッホ研究所の「四天王」の一人に数えられた北里柴三郎博士。


 1889年〈破傷風菌の純粋培養〉に成功し、翌年には〈破傷風菌抗毒素の発見〉ならびに〈血清療法の確立〉を成し遂げた。


 1890年には、ベーリング・北里共著論文『動物に於けるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について』を発表する。


 しかし何故か、第一回ノーベル医学生理学賞(1901年)はベーリングだけに与えられるのであった。


 北里の帰国に際して、コッホ博士は研究所への慰留を繰り返す。


 世界中で北里柴三郎の争奪戦が始まった。

 イギリスは「細菌研究所を設立し北里を所長に迎えよう」と働きかける。

 アメリカは「年額40万円(現在の価値で約40億円)の研究費と年額4万円(約4億円)の報酬を」と提示。


 ここでタラレバの話だが……。


 もしも北里がコッホ研究所に残って研究を続けていたら別な展開になっていたことだろう。


 しかし、日本国民の健康増進のためにと、すべての誘いを断り北里は帰国した。

 その際、ドイツ皇帝は北里にプロフェッソル(大博士)の称号を与え、明治天皇に対して北里を絶賛するメッセージを送っている。


 こうして日本に帰った北里なのだが(東大の徹底的な排斥により)ドイツで磨いた技をふるうべくもなかった。


 こんななか、福沢諭吉らの支援により〈私立伝染病研究所〉が開設される。


 1894年(ペスト流行の)香港に派遣された北里は、すぐに「ペスト菌を発見した」とイギリスの雑誌に発表。

 この報告は(コッホの追試によって)ペスト菌と確認された。

 北里のペスト菌発見という業績を世界各国は絶賛するが、日本では「北里の発見したのはペスト菌ではない」と非難する論文が科学的証拠もなしに発表される。


 ここで再びタラレバの話だが……。


 こんな母校の仕打ちに嫌気がさした柴三郎を、もしかしたら妻の乕はドイツに戻ることを勧めたかもしれない。


「世界の北里柴三郎として働いてください。そうすることが、国への御恩返しになるのではないでしょうか」


 プロフェッソル北里が、妻を連れてベルリンにわたり研究生活を始めた。

 ……とすれば、自作の〈北里式細胞ろ過器〉を用いて〈ろ過性病原体〉の研究をつづけたことだろう。


 そんなある日のこと。


 ベルリンの北里家では、柴三郎に妻の乕が、コッホ夫人のエミーから聞いた思い出話をする。


「コッホ先生がお医者さんをなさっていた昔に、奥様は家計をやりくりして顕微鏡を贈ったそうです」


「内助の功というわけか」


「わたくしも、あやかりとう存じます」


 乕の贈ったものが何故か電子顕微鏡だったとしたら……。


 まだ開発中の第一号試作機で〈ろ過性病原体〉を覗いた北里は叫んだかもしれない。


「我ハ微言流素(びいるす)ヲ発見セリ!」



 透過型電子顕微鏡が(ドイツのエルンスト・ルスカによって)発明されるのは、少し後の1930年代前半まで待たねばならないのだが……。


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