6 ケルベロスと深い森
ケルベロスのベラが召喚されてから三カ月ほどが経った。
当初ベラは僕に全く懐かなかった、と言うよりも寧ろ敵視していたが、最終的には僕に膝を屈する事になる。
と言っても別に決闘とかをした訳じゃ無い。
多分殺される事は無いだろうけど、かと言って僕が勝てる訳じゃないので決闘なんてやる意味がないのだ。
では何故ベラが僕に膝を屈したのかと言うと、それは単に食事の用意をするのが僕だからだった。
別に反抗的だからって食事を抜く訳じゃ無いけれど、素直に接してくれたらサービスもするし、反抗的ならまあそれなりの物を与える。
またケルベロスは甘い物が好物だとグラモンさんが教えてくれたのも大きかったと思う。
基本的に、仲良くさえしてくれるなら僕は彼女に甘い。
だって昔からずっと犬は飼いたかったし、撫でさせてくれるなら蜂蜜菓子を用意する事位はお安い御用である。
そして一度距離が縮まれば、高位魔獣であるベラの知能は並の人間よりも余程高いのだから、少しずつでも相互理解は出来るのだ。
距離が縮まってすぐに、ベラには僕があの時ああするしか彼女を捕まえれなかったと察した様で、それ以来は態度が一段と軟化した。
怪しい気配を感じた時等は、僕を庇う様な位置に立ってくれる事もしばしばである。
お礼に食後に甘いデザートを用意して撫で回せば、尻尾を振って三つの頭を擦り付けて来るのだから、ベラは僕に屈したと言っても過言じゃないと思う。
さて今日は、そんなベラを連れて塔の周りの森へとやって来ていた。
目的はベラの散歩と、ついでに食料の調達だ。
ベラが塔に来て以降、食料の消費量は以前の比では無い位に増えている。
と言ってもグラモンさんはお金持ちなので、出入りの商人からの購入量を大幅に増やして対応はしているのだが、でも節約出来る所があるなら節約した方が良いと僕は思う。
どうせベラの散歩のついでだし。
多少は運動をさせてやった方がベラの機嫌も良いし、何より番犬としての能力を持つ彼女は、縄張りである塔の周囲に他者が近付けば離れていても察知が可能である。
それに何より、体長1mはありそうな巨大蜂や数百mはありそうな巨木等、森の中は驚きに満ちていて僕の好奇心を満足させてくれるのだ。
ちなみに一人で奥に行くと確実に帰って来れない自信があるので、ベラの存在が本当にありがたい。
指先をクイと曲げ、頭上の、一抱えはありそうな巨大な果実にピンポイントで重力魔法を一瞬だけかける。
重みで千切れ、落下してきた巨大な果実を僕は何とか受け止めて、よろめいたその背を、回り込んだベラが鼻先で支えてくれた。
「お~、ベラありがと。よし、早速味見してみよっか」
魔法を使って水で洗い、更に殺菌してから、手の上で風の刃を使って一口サイズに断つ。
切り口から瑞々しく汁気をあふれさせる其れを一つ口に含むと、シャリシャリとした食感と爽やかな甘味が広がった。
ああ、此れって梨だ。
ほんの少しの違いはあるが、僕が知る梨とほぼ変わらぬその味わいに口元を緩め、僕はベラの三つの口の一つずつに、切った果実を順番に入れて行く。
激しく振られる尻尾が、ベラもこの果実を気に入った事を雄弁に語る。
すっかり果実を平らげて、僕はグラモンさんへのお土産にもう一つだけ果実を重力魔法で落とすと、背負い袋に其れをしまって再び歩き出す。
果実も良いけど、今日の目当ては他にあった。
ベラの鼻を頼りにもう暫く歩けば、森の中の水場へと辿り着く。
別に何らかの特殊な水が湧く場所とかでは無く、極々普通の水場である。
しかし森の中に生息する多くの生き物にとっては、水場はとても重要な場所だ。
水を必要としなかったり、木や他の生物から水分を吸収出来る様な例外もいるが、今回はそんな例外を探してはいない。
多くの生き物が定期的にこの水場を訪れているだろう。
つまりこの水場に残された匂いを辿れば、何らかの獲物に辿り着ける可能性が高いと言う訳だった。
勿論匂いを辿るのはベラ任せになるけれど、そもそも狩った獲物の肉の殆どを食べるのも彼女である。
故にベラの追いたい匂いの主こそが、僕等の狙うべき獲物だ。
二つの頭が周囲を警戒し、一つが地に残った匂いを嗅ぎながら前へと進むベラの後ろを、僕は出来る限り物音を立てないように静かに静かについて行く。
チラと地に残った足跡らしき物に目をやると、前を進むベラと同じか、或いはそれ以上に大きい。
どうやら今僕等が追ってるのは、相当な大物になる様だ。
森の中を大分歩いた。
この森の景色は一見似た物が続く様に見えても、良く観察すれば実際は少しずつ、或いは大いに変化するので然程飽きない。
けれども流石に歩くと言う作業に、心が疲労して来た事を感じる。
だがそんな時だ。
前を行くベラの足が止まった。
僕にはさっぱりわからないが、どうやら獲物を見付けたらしい。
「……居るの? じゃあ打ち合わせ通りに、僕の所に追い込んで来て。あんまり傷付けちゃダメだよ」
僕のお願いに、ベラの三つの首が同時に頷く。
その仕草が妙にコミカルに感じられて、僕は思わず唇に笑みを浮かべた。
さて、戦う為の能力はあっても、戦いを得手とはしない僕が、敢えてベラの獲物をこちらに追い込んで貰うのには理由がある。
ごく単純に敵を倒すだけならベラに任せっきりにした方が効率は圧倒的に良いのだが、彼女の牙、爪、吐く炎のどれもが、狩った獲物をボロボロにしてしまう。
食を握られて僕と仲良くなった事からもわかる様に、ベラは割とグルメだ。
僕が魔法でスパッと狩った方が血抜きもし易く、得られる肉の質が良くなるならば、僕にトドメを任せない理由は無かった。
準備をし、木陰に潜む。
と言っても何らかのワンアクションで魔法を発動させる事の出来る僕が行う準備とは、要するに心の準備だ。
何が出て来ても驚かず、すぐさま魔法を発動出来るように、高鳴る鼓動を抑えて息を殺す。
向こうでベラの咆哮が上がった。彼女の吠え声は三重なので、絶対に聞き間違える事は無い。
そして何かがぶつかり合う音。
僕は心のざわめきを抑えながら、じっと待つ。
ベラが戦いとなれば僕よりも強い事はわかっているが、それでも心配してしまう。
だってベラは僕と違い、不死不滅の存在じゃないのだ。
万が一を考えてしまうのはどうしてもやめられない。
次の瞬間、ガサリと大きく茂みが動いて、その向こうから大きな巨体が弾き飛ばされて来る。
その巨体の主は、大きな大きな熊だった。
それも只の熊じゃ無く、間違いなく魔物の類だ。
だけど精一杯に心の準備をしていた僕はその姿に心乱される事無く、
―ヴァウ!―
ベラの吠え声、合図に、僕は指をバチリと鳴らして風の魔法を発動する。
鋭く研ぎ澄ませた風の刃は、狙い違わず首筋を、その奥に通る頸動脈を断つ。
でもまだ終わりじゃない。
このままにすると、血が抜けて命が消える前に大暴れをし、その肉体がボロボロになってしまう可能性があった。
故に、僕はすぐさまもう一度指を鳴らし、グラモンさんが以前に見せた魔術の鎖に依る拘束を、魔法で再現して熊の魔物の身体を縛る。
僕を見るベラの顔が少し嫌そうだが、……そう言えばこれってグラモンさんが彼女を捕らえた時に使っていた物だったのを思い出す。
でも仕方ないじゃないか。
僕が咄嗟に思い付く捕縛魔法はこの拘束の鎖か、或いは重力魔法のみである。
何にせよ、もう熊の魔物に逃れる術はない。
今日の狩りは大成功と言えるだろう。
ベラの表情も心なしか満足気で、僕等の仲は間違いなくまた一つ深まった。
でもまあ本当に大変なのはこれからで、倒した熊を持ち帰る事なのだけれど、今は狩りの成功を彼女と共に喜ぼう。
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