3 日々の生活と魔術、そして魔法


 僕の召喚主にして師匠であるグラモンさんは、お爺さんなので朝が早い。

 悪魔としての僕と彼の契約には雑用が含まれるため、朝食の準備をしなければならない僕の朝も自然と早くなる。

 人間だった頃の僕は朝が弱かったけど、悪魔となった僕にとって早起きは別に然程の苦痛にはならない。

 塔の外に出て、井戸から汲んだ水を水瓶に移す。

 魔術でも水を出す事は出来るけど、身体に取り入れる物は出来るなら自然の物が良いそうだ。

 水分を取ると言う意味では魔術で出した水も井戸の水も変化は無いが、魔術で出した水を飲んでも自分の魔力が体内に返るだけで、自然の気を取り込めないからである。


 この世界に召喚されてから、幾許かの時が過ぎた。

 右も左もわからなかった僕も、この世界に大分慣れたと思う。

 グラモンさんは僕に魔術や、悪魔についてを教えてくれる。

 最初の召喚主が彼だったのは、この身体になって生き延びられた事に匹敵する幸運だった。

 もし性質の悪い召喚主に喚ばれてたなら、何も知らなかった僕は到底無事ではいられなかった筈だ。

 中には悪魔を契約で縛り、その存在を魔剣の材料にしてしまう様な召喚主もいるらしいのだから。


 確かに僕は雑用等の労働力を提供しているが、それでもグラモンさんが与えてくれる知識や物の価値を考えたなら、とても釣り合ってるとは言えないと思う。

 でもそれで良いのだと、グラモンさんは言ってくれる。

 僕がこの世界を知り、魔術を知り、悪魔を知って成長すれば、元の世界との差異が理解出来、その差異は異界の知識となるそうだ。

 例えばそう、初日に僕が口にした重力は、この世界には無かった概念らしい。

 グラモンさんは僕のうろ覚えな重力の説明、リンゴが地面に落ちたって言う、あれ、これって万有引力だっけ? なあやふやな説明を元に、重力魔術を作り上げていた。

 この重力魔術は、この世界では新しい系統の魔術になり、僕ことレプトとグラモンさんのオリジナルとして発表したそうだ。

 

 とまあこの様に、僕が成長すればグラモンさんの役にも立てるとあって、正直魔術や世界の勉強はとても楽しい。

 何せ悪魔の身体は魔術への適性が高く、習った魔術は直ぐに自在に操れるようになるし、知識もスルスルと頭に入って来るのだ。

 いや、もっと正確に言うのなら、この世界での生活自体が今の僕にはとても楽しかった。



 保存庫、素材の劣化を防ぐ魔術の掛かった食材置き場を見ながら、僕は朝食のメニューを考える。

 人間だった頃も一時期、病院に入る手前辺りは自炊をしていたので、簡単な調理は可能なのだ。

 僕は朝食には卵を使うイメージがあるのだけれど、この塔の食材置き場にある卵は僕の知る卵より遥かに大きく一抱えはあるので、僕とグラモンさんの2人だけでは朝食で使い切るのは難しい。

 そもそもこれ、何の卵なんだろう?

 保存庫の中に置かれた食材には賞味期限、消費期限なんて無いそうだけど、ずっと卵をほったらかしにするのは何となく気分的に嫌だった。


 ……よし、マヨネーズにしてしまおう。

 保存庫から卵と酢、食用油に塩等の調味料を取り出して、先ずは卵に殺菌魔術を掛ける。

 この殺菌魔術も重力魔術と同じく僕の話を元にグラモンさんが作った魔術で、解毒と浄化の魔術を掛け合わせて作ったそうだ。

 ちなみに浄化の魔術の効果だろうか、僕が使うと掌がピリピリとしてちょっと痛い。

 こういう時、僕は自分が悪魔である事を再認識する。

 卵黄に酢と調味料を加え、風の魔術で作った渦で混ぜながら食用油を少しずつ入れて行く。

 味を見、調味料を追加してまた混ぜて、出来上がったマヨネーズは朝食のサラダに使う分以外は容器に入れて保存庫へ。


 水の魔術で洗った野菜を手で千切って盛り付ける。

 汁物は昨日の晩のシチューを火の魔術で温め直して皿に。

 と同時に隣でベーコンを一欠けらずつ二人分を焼き、更に並列作業で容器に入れた芋を蒸かす。

 出入りの商人さんがパンを持って来てくれた時は芋の代わりにパンを焼くが、生憎と今は切らしていた。

 個人的にはお米を食べたい所だけれど、生憎この地方では米を生産していないそうだ。



 出来上がった料理をテーブルに運べば、既にグラモンさんは椅子に座り、眼鏡をかけて魔術協会の広報紙を読んでいた。

 グラモンさんの読む魔術協会の広報紙は、ざっくり言えば新聞である。

 協会に属する魔術師の所在地へと空飛ぶ使い魔達が運んで来るのだが、新しい研究発表のみならず、世間の動きなども記載されているのだ。

 この様に魔術協会は己の住処に籠りがちな魔術師達の目を外に向け、その地位の向上と維持の為に励んでいるらしい。

 まあそれはとても良い事なのだが、

「グラモンさん、朝食出来ましたよ。新聞は後にして下さい」

 今は食事の時間である。

 広報紙は言い難いので、矢張り言い慣れた新聞との呼び方になってしまうが、グラモンさんにはもう通じるので特に問題は無い。

「ん? おぉ、すまんの。では戴くとしようか」


 食後、水瓶に蓄えた水を沸騰させて入れたお茶を飲みながらのんびり休憩していると、再び広報紙を読んでいたグラモンさんが「おっ」と嬉しそうな声を上げた。

 視線を向けると、広報紙の一部を指差しながら見せて来るグラモンさんだが、まあ当然僕は未だこの世界の文字には慣れてない。

 辛うじて読み取れる単語を拾うが、何かの魔術に関してのニュースだろうか?

「私とレプトが共作した重力魔術が協会に認められたと書いてあるのじゃよ。それなりの報奨金が出るから、使い道を考えておきなさい」

 どうやら重力魔術の発表に関する記事だったらしい。

 それにしても報奨金か。貰っちゃって良いんだろうか?

 確かに重力の話はしたけれど、魔術を完成させたのはグラモンさんなのに……。


 けれど遠慮すると叱られる事はわかってるので、言われたとおりに使い道を考える。

 と言っても僕は未だこの世界は塔とその周辺の森しか知らない。

 お金を使うのなら町に行きたい所だが、僕は額に、正しくはそこから生える角に手を当てた。

 悪魔になった僕には、人間の頃には無かった角と羽、そして尻尾が付いている。

 だがこれも結構いい加減で、羽や尻尾に関しては邪魔な時には消える、或いは引っ込むのだ。

 例えば服を着ようとすると、羽や尻尾は自然に消えるが、脱ぐと何時の間にか再び出て来てしまう。

 触れば触覚もあるのだけれど、どういった理屈で消えるのかはさっぱり謎だった。


 そして額の角だけは、邪魔になりそうな出来事が無かったので消えた試しも無い。

 グラモンさん曰く、自分で霊子とやらに分解して収納してる筈だそうで、霊子の操作が可能になれば自在に出し入れが出来る様になるらしいけど、今の僕が町に行けばきっと大騒ぎになるだろう。

 そんな僕の姿を見、グラモンさんは一つ頷き残ったお茶を飲み干した。

 ああどうやら、午前中の講義が始まる様だ。



「我々は魔術を行使する際、体内、体外の魔力を拡散や圧縮し、或いは加工して、望む現象を作り出す」

 グラモンさんは解説しながら、指を一本立てる。

 その指からは真っ直ぐ天井に向かって魔力が放出されていた。

 人間が魔術師になる為には先ずこの魔力を見る、魔力視の訓練から始めるそうだ。

 ちなみに僕の目には最初から魔力が見えていて、その辺りが人間と悪魔の違いらしい。

「魔力は霊子と魔素から成るが、魔力視を用いても人間の目は霊子と魔素は見えん。故に人間には霊子と魔素の操作は不可能なのじゃ」

 人間には、とグラモンさんは言う。

 つまり人間でない僕には霊子と魔素が見えて、その操作も可能と言う事なのだろうか?

 角を消すのに霊子の操作が必要って事はその筈なのだけど……。


 僕の目を見、考えた事を察したのかグラモンさんは頷く。

「そう、悪魔は霊子と魔素を操作出来る。つまりの、人間が魔術で炎を生むのには水の要素や土の要素等、不要な物の入った魔力を加工しているが、悪魔はこれ等から必要な物だけを抽出して現象を起こせると言う訳だの」

 もしそれが可能なら、起こる現象は魔術に比べて段違いに規模が大きく、効率も良くなるだろう。

 でもそんな事、一体どうすれば出来るのだろうか。

「霊子と魔素で起こす神秘を、根源の法、神が世界の創造に用いた力、魔法と言う。まぁ実際の所は知らんがの。天使や悪魔等の限られた存在のみが魔法を使うのは確かじゃ」

 ……むぅ、話が大仰になって来た。

 でもつまり、

「つまり私には魔法は教えられん。そればかりは悪魔であるレプトが自身で方法を会得せねばなるまいて。魔術訓練の際に、魔力を良く観察し、霊子と魔素を探しなさい。見えさえすれば干渉出来る。それは魔術と変わらんよ」

 そう、こればかりは僕の努力次第なのだろう。

 何せ、それが出来なきゃ僕は町へと行けないのだから。

 単に町に行くのにも、神が世界の創造に用いた力の会得が必要なんて、異世界は本当にハードルが高い。

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