黄昏の箱舟 〜超が付く危険な世界で! 元最高ランクの男は整備士として、和やかに過ごしたかった……が……〜

ネコミコズッキーニ

第1話 整備士ダイン・ウォックライド

「はぁ……。 なんでこうなるかな……」


 俺の目の前ではレヴナント……瘴気の影響で怪物へと姿を変えた元人間が暴れていた。


 人のサイズを超えた巨体を持ち、全身は外骨格状の黒いプレートで覆われている。レヴナントに見られる典型的な特徴だ。


「シャアアアアッ!!」


「!!」


 人の限界を超えた速度で襲い掛かってくる。うるさく鳴り続ける機鋼鎧のアラームを無視し、俺は身をよじって回避した。


「まだ調整したてなんだがな……!」


 対レヴナント用に開発されたパワードスーツ、通称【機鋼鎧】。


 様々な名称のものが開発されているが、今俺が装着しているのは、《トライベッカ》と呼ばれるモデルだ。


 機鋼鎧はレヴナントの放つ瘴気の影響をシャットダウンし、レヴナントに追従する動きを可能にさせる。


 俺は今、この機鋼鎧を装着してレヴナントと相対していた。背中のバックパックから剣を取り出すと、ノア・ドライブを起動させる。瞬く間に刀身は淡い光に包まれた。


「おおおおおお!!」


 迫りくるレヴナントの腕を斬り飛ばす。瘴気に侵された血がトライベッカの装甲を汚す。


「ち……。対レヴナント用の銃なんざ持ってねぇぞ……!」


 俺は不気味に痙攣しながら立ち上がるレヴナントを前に、どうしてこうなったのかを思い出していた。





 ダイン・ウォックライド。それが俺の名だ。年齢は27。たまにバイトをしながら小銭を稼ぐ日々を生きている。


「ん……卵はこれが最後か。帰りに買って帰るか……」


 ここはアルテア帝国政府が管理する、天翔ける超巨大箱舟、《アルテア》。


 今から約千年前、元々俺たち人間が住んでいた世界は滅んだそうだ。そこから異次元航行してこの世界に脱出してきた五隻の巨大な箱舟。《アルテア》はその内の一つになる。


「目玉焼きにコーンフレーク。それに牛乳。……朝はこれでいくか」


 ダイヤルを回すとコンロに火が灯る。そこにフライパンを乗せ、目玉焼きを作り始めた。


 箱舟は「永久動力機関エテルニア」を動力源にして動いている。どういう原理で動いているのか謎は多いが、人類はその恩恵を日々の生活で大きく享受して生きていた。


 朝食を食べながらテレビに電源を入れる。


『今日のゲストはアーキスト社社長、ガイラック・アーキストさんです!』


『年々増えているレヴナントについて、帝国政府は……』


『駆け抜ける喜びをあなたに! ファルゲンから新たな新型車、アジャスティ発売! ただ今先行予約受注、受付中です!』


『なに言うてんねん! もうええわ! ありがとうございましたー!』


 いろいろチャンネルを変えてみるが、特に興味を引くものはなかった。あえて言うとすれば、新型車の宣伝くらいだろうか。


 だがアジャスティはミニバンタイプの車だ。俺の好みではない。俺は朝食を済ませると、倉庫へと向かう。そこで仕事を昼までに済ませるのだ。


「さて、と……」


 机の上には様々な工具が置かれていた。隣には対レヴナント用機鋼鎧、《トライベッカ》が立てかけられている。


 俺はノア・ドライブが埋め込まれた剣を手に持つと、細部を工具で調整し始めた。


 対レヴナント、対ブルート用の武具にはノア・ドライブというユニットが組み込まれている。


 こうした武具は、魔力を持つレヴナントなどに対して有効な唯一の武器だ。形状は剣や槍など、様々なものがある。


 別にレヴナントの全てが魔力を持っている訳ではなく、魔力を持っていない個体であれば普通の重火器でも問題ない。


 だが魔力持ちの個体にはノア・ドライブの武器でなければ、まともな傷をつける事ができない。


 俺はバイトでこうしたノア・ドライブの武具調整を請け負っていた。といっても別に俺個人が、依頼品の持ち主から直接請け負っている訳ではない。あくまで下請けだ。


 しばらく無言で集中していたが、《トライベッカ》自体の調整は昨日終わらせていたため、昼までには作業を終わらせる事ができた。


「少し早いが。まぁ帰りにスーパーに寄ってどこかで飯を食うか……」


 工具を片付け、調整し終えた剣をケースに入れる。俺は服を着替え、髪型を整えると家を出た。


 大型のミニバンに《トライベッカ》を積み込んでいく。これだけでも結構な重労働だ。


「疲れた……。マークガイ工房へは少し休憩してから向かおう……」


 前の仕事を辞めてからというもの、俺はマークガイ工房からバイトで下請けを請け負っていた。


 俺自身、ノア・ドライブ関連の調整にはそれなりに自信がある。前々職ではもっと大きな工房で働いていた事もあるのだ。そこで身に付けたノウハウは非常に高いと言えるだろう。


 今はこうして下請けでその腕を振るっているのだが。


「げ。タイヤの溝、ほとんど残ってねぇじゃねぇか。こいつも古いからな……」


 そう言って改めてミニバンに目を向ける。こいつはファルゲン社製のミニバン《イグナント》。中古で買ったものだが、買った当時でさえ15年落ちだった事もあり、あちこちにガタがき始めている。


 点検に持って行く度にファルゲンの営業から乗り換えを進められるが、中々俺が納得いくミニバンも無く、結局今日まで乗り継いできていた。


 燃費対策の余計なモーターが装着されていない分、中は広く、こうして道具として使う分にはとても便利なのだ。

 

 それに環状立骨構造という他車にはない強固なフレーム造りといい、頑丈さも気に入っている。


 とはいえ車は消耗品の塊、いつかは乗り換えも考えなければならない事は分かっているのだが。


「この際だ。このバイトが終わったら、趣味の方で持ってる車も整備に出すか……」


 マークガイ工房に《トライベッカ》を納めたら、しばらく新しい仕事を請け負うのは止めよう。


 そう考えながらミニバンの運転席で、ポストに入っていた朝刊に目を通す。


「第八地上探索部隊、《アイオン》。近く帰還、か……」


 地上世界は瘴気にまみれている。人はその瘴気の中では生きていけない。


 かつて人はこの世界に逃げてきたが、地上に降りて過ごす事はできなかった。以来千年、瘴気に対する有効な対策も生まれず、人は箱舟の世界で生を繋いでいる。


 これまでも地上世界の探索は長く行われてきた。それに地上に降りなければ、水などを含めた資源は得られない。


 今俺たちが使用している水も、元は地上から運ばれてきたものだ。瘴気に汚染された水を浄化し、日常生活に使用している。


 だが人は瘴気に侵されると、死ぬかレヴナントという怪物に変異してしまう。それに地上には強く瘴気に侵された在来種……ブルートと呼ばれる獣も存在している。


 地上探索部隊は、人類の最前線で戦っている部隊と言えるだろう。


「……そろそろ行くか」


 キーを差し込んで《イグナント》を起動させる。そのまま緩くアクセルを踏みながら俺は公道へと出た。


 目的地であるマークガイ工房は隣の40区。高速を使わなくても、20分もあれば到着する。


 流行りの音楽を鳴らし始めて5分くらいした時、俺は家に財布を忘れた事に気が付いた。


「げ……。帰りにスーパーに寄ろうと思っていたのに……。どうする、今から帰るか……?」


 しかしここから家に帰るとなると、Uターンの時間も含めておよそ7分。車から降りて家に入り、また出てくるまで3分。


 そして車に乗ってここまで戻るのにおよそ5分。さらにこうしている今も、車は目的地に向けて走り続けている。


「…………。はぁ……」


 いろいろ考えたが、このままマークガイ工房を目指すことにした。どうせ昼過ぎには家に帰れるんだ、買い物はそれからでも良いだろう。





「すみません! 今、どういう状況ですか!?」


「なんだ、あんたは……っ!? あ……! し、失礼しました! 対象は今、あちらの建物に立てこもっています!」


 治安維持対応課、通称「治安課」の男性は、女性の制服を見て姿勢を正す。女性の制服は対外来種災害対応課……通称「外災課」のものだった。


 特定有事の際、その権限は治安課よりも優先される。そして今はその特定有事……外来種災害になるかもしれない状況だった。


「対象について知っている事を教えてください」


「はい。対象の名はクラース・サイゼスト。34歳。普段は浄化施設の作業員をしております」


「浄化施設の……?」


 外災課の女性……オリエ・カーライルは眉をひそめた。


 箱舟には地上から持ち帰った水や資源を浄化するための施設が存在する。だがそうした施設の作業員は、だいたいが60区~70区に住む者が多かった。


 オリエの疑問が顔に出ていたのか、男性も小さく頷く。


「はい。クラースは64区に登録されている帝国民です。おそらく輸送コンテナに隠れていたのではないかと……」


 アルテア帝国は、箱舟の地表部分を1区から77区まで区分けしている。そして住民も1区に近いほど所得が高い傾向がある。60区以降はいわゆる貧民層と呼ばれていた。


 そして区と区の間は、特定の区ごとに検問が敷かれている。クラースという人物は、どうやってかこの検問をクリアし、中間層の住む41区まで侵入していた。


「……クラースさんは何と?」


「今は立てこもっているだけで何も。ですが何人か人が取り残されておりまして……」


「それで。未浄化の汚染水を持っているというのは本当ですか?」


「それは間違いありません。計器にも反応がありました」


 治安課の男性から計器の示した数値を見せてもらい、オリエは目を見開いた。


「なんてこと……」


 そこに示された数値は危険域に相当するものだった。少量の水でも被ってしまえば、良くて絶命。悪ければレヴナント化してしまう。


 クラースという男は今から約30分前、とある服のブランド店に入り込んだ。そのまま汚染水を掲げ、これをまき散らされたくなければ金を出せと店員に要求したのだ。


 騒ぎに直ぐに気付いた者は急いで店外へと出たが、それに気づいたクラースは持っていた銃を発砲。以降店内に居た者たちを人質にし、立てこもっている。


「この距離でも計測できるくらいの容器に汚染水が入っているという事は、近くにいる者たちにはすでに影響が出始めている可能性もあります。……41区東部にレヴナント警報の発令を要請しましょう」


「え……? しかし、レヴナントはまだ出ていませんが……」


「出てからじゃ遅いんですよ……! いいから、早く……!」


「まぁ落ち着きなよ、嬢ちゃん」


 そう言ってオリエに近づいてきたのは40代の男性だった。治安課の男性はこちらにも姿勢を正す。


「お、お疲れ様です! マラーク隊長!」


 マラーク隊長と呼ばれた男性は煙草をくわえながら薄く笑う。その態度にオリエは苛立ちを隠せなかった。


「あなたがこの治安課の隊長ですか? 対象はいつレヴナント化するかも分からない状況です。今は一刻も早く警報を出さなければ……!」


「そして警報が鳴れば、店内にいる者たちやクラースの野郎はどうなると思う?」


「え……」


「すぐに殺されると思い込み、自暴自棄になって暴れだす可能性もある。そうなると増々手を付けられなくなる。今は様子を見るべきだ。もう少しすれば、何かしらの要求でもしてくるだろう」


 レヴナント警報が発令されると、腕時計や情報端末のアラームが鳴る仕組みになっている。


 今41区でアラームが鳴れば、店内にいる者たちは全員、自分たちがレヴナントとして認定されたと思う可能性があった。


 一度レヴナント認定されてしまえば、人権は全て失われ、即殺対象とされる。そうなると自棄を起こした者たちは何をしでかすか分からない。マラークはそうした懸念を抱いていた。


「しかし、そうしなければ公殺官の出動要請もできません! ここは私の判断に従っていただきます!」


「残念だがまだ特定有事には至っていない。現場の指揮権は治安課にある。今の嬢ちゃんの発言は越権行為だ」


「私は嬢ちゃんではありません……! いいから、あなたは早くレヴナント警報発令の要請をしてください!」


「若いねぇ。だが一度警報を発令してしまえば、後には退けなくなる。中にいるまだ無事な人はどうなると思う? これからの人生、一度はレヴナント認定された者として、一生まともな職に就けなくなる可能性もあるんだぞ? あんたそうした人たちの責任を取れるのか?」


「そうしてレヴナントが発生してしまえば、より多くの人たちに被害がでるかもしれないんですよ!? そうなれば……!」


 二人が言い合いをしている間に轟音が響く。何事かとクラースの立てこもる建物に視線を移すと、そこには5体のレヴナントが姿を現したところだった。


「な……」


「レヴナント警報発令を本部に要請する! 嬢ちゃん、ぼさっとするな! 早く公殺官の出動要請を出せ!」


 オリエはマラーク隊長の物言いに苛つきながらも、外災課の本部へと連絡を取り始めた。

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