第28話『太陽とオリーブ(前編)』

 マシューとサシャが正式な婚約をし、両親の顔合わせが済んだ話は月曜日の朝までに貴族社会で公然と広まっていた。

 この話を特に喜んだのが、月の女神の生まれ変わりであるジョゼット・フローラ。

「お父様とお母様が今世でも再び契りを交わされて、わたくしとても嬉しいです」

 サシャは日課のジョギングにオルフェオとマシューを誘い、ジョゼットと四人で朝早く喫茶スペースに集まっていた。ジョゼットが女神の記憶を暴露したことで、オルフェオも太陽神の生まれ変わりであるサシャへ己が光明神の生まれ変わりであることを暴露した。

「オルも私の過去生の息子とか……」

「毎回、俺とサシャさんの転生に引きられて近親も転生するよね」

「神様の転生ってそんなホイホイあっていいものなの……!?」

「今回は特例だと思うんだよね」

 マシューは微笑みを浮かべつつも真剣な様子で周りへ語りかける。

「まずサシャさんの覚醒が万全じゃない。杖である思考フギン記憶ムニンの誕生時期が大きくズレてる。俺のほうが覚醒が先。全てがイレギュラーだよ」

 光明神バルドルの生まれ変わりであるオルフェオも腕を組んでううんとうなる。

「確かに。通例であれば太陽たる母上の覚醒が真っ先。覚醒した母上が自ら杖を取り戻し、それから父上の覚醒をうながすはずです」

「そうでしょう? 順序が逆だよね。そして、そうなった原因が存在する」

マシューは婚約者の顔をじっとのぞき込んだ。

「サシャさんの覚醒を邪魔している何かがあるのはもはや事実。だからこそ、太陽は無意識に己のちからを地上へ散らし情報収集を急がせた。そして、覚醒を邪魔している要因によって思考フギン記憶ムニンの誕生時期もズレた」

「な、なるほど……?」

うなずきつつもサシャは理解が追いつかず首をかしげる。

「と、予想しているんだけど、バルドルはどう思う?」

「父上と同じ考えでおります」

「そう。ルーナは今の話を聞いてどう思う?」

ジョゼットこと女神ルーナの転生体はオルフェオと同じようにうなずく。

「冷静に推測すれば、お父様と同じ考えに至ると思います」

「そう。まあ、そんな感じだね」

 一人だけ神の意識と直結していないサシャはこめかみを押さえて渋い顔をする。

「すごい顔してるよ?」

「理屈は理解できるけど感情が追いつかない……」

「今はそれでいいよ。大丈夫、夏至げしまでに覚醒は追いつくから」

「で、でも何かで覚醒が邪魔されてるんだよ? このままじゃ……」

「我が妻ソルの覚醒を阻害するなんて所業が許されると思う?」

マシューは普段の微笑みを浮かべていたが、声色は笑っていなかった。

 月神マニがぶち切れているのを見たサシャ、オルフェオ、ジョゼットはひゅっと息を飲んだ。

「大丈夫。覚醒は

「お、穏便おんびんにね……?」

「それは相手の態度によるかな」




 夏至げし、サシャの誕生日まであと二十日を切った。

 ホムンクルスの娘ソルは父ラウレンツへ断り、彼の執務室で日向ぼっこをしていた。今日は体の調子がよい。長く起きていられそうだ。

 ソファの上に怪我をしないようにとたくさん積まれたクッション。ふかふかの国の王さまだ、と娘はこっそり笑った。

 ノックの音に気付いて扉のほうを見ると、父が作った人工精霊オリヴィエがお茶とお菓子を持って立っている。

 オリヴィエは「失礼します」と身を縮めて執務室へ入ると、ソルが座るソファ横に備え付けられたミニテーブルの上へティーセットをお盆ごと置いた。

「ありがとう……」

 ソルが声をかけるとオリヴィエは首をすくめてこちらを見た。ラウレンツとオリヴィエはよく似ているが、堂々としたラウレンツと違ってオリヴィエは常にオドオドしている。

 オリヴィエはじっとフラスコから生まれた娘を見た。

「太陽……」

「なぁに?」


 オリヴィエは意を決してソルに近付いた。普段はラウレンツからキツく言いつけられ、ホムンクルスとの接触は固く禁じられていた。

「あのぅ、撫でてください」

 ソルは目を丸くしたが、父ラウレンツにしているように膝を落としたオリヴィエの髪をそっと撫でた。

 オリヴィエはソルから撫でてもらいながらオレンジ髪の少女を思い浮かべた。健康的な白い肌、程よく引き締まった腕や足。それに比べてこの娘はどうだろう? 肌の白さは病的で、手首も足首も折れそうに細い。骨と皮といった印象。

(やっぱり、全然違う……)

彼女と似ているのは顔立ちだけだ。

 オリヴィエは満足したとホムンクルスに伝え、立ち上がった。

(あの人に会いたい)

オリヴィエはすぐ煙となって屋敷のある山奥から首都まで飛んだ。


 長い距離を移動すると酷く疲れる。オリヴィエはゴミが散らばる路地で休息のため倒れ込んでいた。じっとしていれば回復するからとうずくまっていると、誰かがオリヴィエに気付いて近寄った。

 見知らぬ男は街中の普通の男性だったが、妙に目つきが鋭かった。

「おい、ここで何をしている」

「……休憩を……すぐ、退きます」

オリヴィエはノロノロと起き上がり壁に身を寄せた。膝を立てて体を小さくまとめ静かにしていても男はまだオリヴィエを見ていた。

「邪魔、ですか?」

「……精霊だな。名前はあるのか? 主人はどこに?」

オリヴィエは体がしびれてつらかったが、男の質問にゆっくり答える。

「オリヴィエ、です。主人はここにはいません」

「何故ここへ?」

「会いたい方がいて……」

目がくらみ、オリヴィエは体を横たえた。

「おい、おい!」

放って置いて欲しいのに、とオリヴィエは沈む意識の中で思った。




 オリヴィエが次に目を覚ますと暖炉と燃えるたきぎがあった。分厚い敷物の上に転がされ、体には薄い毛布がかけられている。随分優しい人に拾われたらしい。オリヴィエは体を起こして室内を見渡した。

 彼のすぐ後ろでは三人がけのソファが一つのテーブルを四方から囲んでいて、その向こうには小さなテーブルが並び椅子が伏せられている。カウンターもあり、奥ではグラスと酒瓶が並んでいた。

(お酒のお店?)

 オリヴィエは毛布と敷物を自分から遠ざけ、暖炉から離れた壁際で膝を立てて座った。

 しばらくすると階段を降りてくる足音がしてオリヴィエはそちらへ顔を向けた。

 灰色のもっさりした髪のメガネの男はオリヴィエが起きているのを見ると口をへの字に曲げた。

「随分おとなしいね」

 オリヴィエは足を動かして両膝をつき、男性へ頭を下げた。

「敷物を、ありがとうございました」

 一つ息をついた男はカウンターの内側へ入るとマグカップを二つ用意し、何か準備を始める。

 しばらくして戻ってきた男は黒く熱々の液体が注がれたマグカップをオリヴィエへ差し出した。

「飲みなさい。元気になるから」

 オリヴィエは初めて飲み物をくれた男を見上げ、太陽の娘を思い出した。

「あり、ありがとう……」

 黒い飲み物は苦かった。普段、無理やり飲まされる薬とはまた違う苦さでオリヴィエは顔をしかめたが、苦さの中に豊かな香ばしさと甘さがあることに気付いて少しずつ口へ入れた。


 BARの店主オーレリアン・コルトーはオリヴィエの様子を見守ってから敷物の上に腰を下ろした。

「それ、コーヒーって言う飲み物。知ってる?」

オリヴィエは首を小さく横に振った。

「初めて、です」

「そっか……」

 オリヴィエはコーヒーで体が温まったからか表情をやわらげた。

 コルトーはほかの団員が調べてきたラウレンツ・ブラックウッドの若い頃に瓜二つなオリヴィエをじっくり観察する。ボロを着せられているのは何故なのか。何故ラウレンツは自分の体から精霊を作ったのか。

(材料なんて闇市場で奴隷を買えばいくらでも揃えられるのに)

「飲み物をくれた人は、初めてです」

使い魔は飲まず食わずでも魔力を与えられていれば死にはしない。しかし、どんな魔法使いでも精霊が気疲れをしていれば多少の飲食は許すものだ。

(これほど扱いがぞんざいなのも何故だろう……)

「美味しい、です」

「……そう。うん、よかった」

 コルトーはオリヴィエにクッキーも与え、彼が落ち着くのを待った。


 オリヴィエは何故か自分をじっと見つめる店主を不思議に思い首をかしげる。

「僕はオーレリアン。オーレリアン・コルトー」

「おーれりあん、様」

「オリヴィエ、君に質問をしたいんだ。いいかな?」

「えっと、はい……」

「ではまず、君の主人はラウレンツ・ブラックウッドで間違いない?」

「は、はい」

「オリヴィエと言う名前は、ラウレンツから名付けられた?」

「はい」

 コルトーはオリヴィエが質問に素直に答えることを確認すると本題を切り出す。

「何故あそこにいたんだ?」

「太陽神さまに会いたくて……」

「ラウレンツから会いに行けと命令された?」

「いいえ。僕が会いたくて。また笑ってほしくて……」

オリヴィエは膝を立ててもじもじと縮こまる。

「太陽神さまは、僕に食べ物をくれました。ありがとうと何回も言いたいから、来ました」

 オリヴィエは店内に飾ってあった一輪挿しを見ると、立ち上がった。

「どうしたんだい?」

「花を……太陽神さまにあげたい」

コルトーはオリヴィエの視線を追い、嗚呼あれ、と確認した。

「オリヴィエくん、その前に君を医者へ診せたいんだ」

「いしゃ? それは何? ですか?」

「怖いものじゃないよ。君の健康状態を確認したいんだ」




 コルトーはオリヴィエをBARの個室へ留まらせ精霊医を呼んだ。コルトーと馴染みの女医はオリヴィエに触診をし、健康状態をカルテへ書き出す。

「本当に最低限保ってる感じよ」

「頻繁にこき使ってそう?」

「かなりね」

オリヴィエは女医から与えられた栄養満点のチョコレートバーを美味しそうに食べている。

「出来たらかくまいたいんだけど」

「もちろん。診断としては療養必須ってところ」

「ありがとう。……オリヴィエくん」

 オリヴィエは食べる手を止めるとコルトーと女医の顔を見た。

「太陽の方と会わせてあげるから、もう少しここにいて欲しいんだ。勝手に帰ったりしないで。いいかい?」

オリヴィエは迷うことなくうなずいた。

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