第19話『天空の大樹(前編)』

 真夏の気配が近付いてきて日差しの強い日が多くなった。

 この時期になると月属性の姫の多くが日焼けを防ぐためつばの広いレディースハットを被り出す。ゆえに、貴族社会では五月後半のこの時期を“二週間の白い帽子”と呼んでいた。

 そしてこの時期日焼けを防ぐ必要があるのはマシュー・レインも同様だった。制服とローブを着る場面ではなるべくフードを深く被り、私服の時は長袖長ズボンで白い帽子をかぶる。姫たちより頭一つ背が高い少年は、少年と言うだけで月の姫たちと生活の基本はほとんど変わらなかった。


 月の少年マシューは夏へ向けて健康的に焼けていく愛しのサシャ・バレットをまぶしそうに見つめた。

「マシュー!」

 月と太陽の合同授業。この時期外での運動は月属性にはつらいものの、合同授業は必須ひっす。太陽属性たちは走り込みを増やし、月属性たちは彼らを見学しつつ屋外で柔軟体操という内容になっていた。

 トラックをすでに三周しているにもかかわらず笑顔でこちらに手を振るサシャ。余裕だなぁと呟きながらマシューは柔軟を中断して手を振り返した。

「今日も金の花が麗しいですね」

「ええ、本当に」

金の花とは太陽を指す言葉であり、花という単語から特に女性を指していた。

月の姫たちはサシャの笑顔を見て和やかに微笑む。

 四周目に入ったサシャは、一周遅れになったナルシス・モンテへ振り返りながら声をかけている。ナルシスはすでにヘロヘロだが、サシャの顔を見ると闘志を燃やして両腕を精一杯振った。

(ふーん、何だかんだいい関係には落ち着きそうかな? あの二人)

 マシューは息を整えると、柔軟を再開した。


 次の日の土曜日。マシュー・レインは手持ちの中で最上の、星空のようにきらめく藍色の一枚着に袖を通した。

 四人部屋の寝室兼私室でマシューが着替えているところを見たルームメイトの太陽男子二人は、おやと声を出す。

「珍しい服着てる!」

「ああ、これは……」

「レイン家当主の服だ」

 寝室に戻ってきた幼馴染のオルフェオが補足を入れてくれて、マシューは微笑む。

「そう、次期当主だからね」

「へえ! さすが本家。そっか、跡取りって大変だなー。おれ分家の分家だしそう言うの無縁」

「あれ、でもレイン家って女性当主だったよな? お下がりなの?」

「いや、さすがに俺の背丈に合わせてあるよ。もう少し伸びるだろうしって母さんが」

「まあそうだよな。男性と女性じゃ体格違うもんなー」


 マシューはその格好で校内を歩く。年齢に関係なく月属性や光属性の生徒たちは当主の格好をしたマシューを前にすると淑女しゅくじょの礼をした。

 彼女らに会釈えしゃくをしつつ、マシューは魔法薬学の教室へ訪れた。

「リー・イン?」

魔法薬学担当の教師の名を呼ぶと、彼女はすぐに現れた。闇属性の魔法使いリー・インはマシューの前へ早足で歩み寄ると片膝をついた。

 マシューは己を守る月花げっか騎士団の団員に微笑む。

「お疲れ様。その後の報告を聞こうか」

「は。サシャ・バレット様ですが、太陽神としての意識の変化が見られません」

「やっぱり? 俺に月神の意識が芽生えてきたから彼女にも現れるはずなんだけどな」

マシューはあごに手を添えてうーんと口をとがらせる。

「ちょっと周期ずれって言うか。いつもなら彼女のほうが目覚めが早いはずなのにおかしいな……。太陽騎士団はなんて?」

「意識変化の兆候ちょうこうが見られないので様子見だそうです」

「あー、やむなしって感じか」

月神マニの生まれ変わりであるマシューは首をひねった。

「やっぱり外側からつつくか」


 マシューはジェミニを介してサシャの騎士であるアミーカとフラターを東の森へ呼び出した。マシューが当主の服のまま白銀の月のごとく微笑むと、カラスたちは顔を見合わせる。

「二人に大事な話があってね」

 マシューは自分に月神マニの生まれ変わりの自覚があることを暴露ばくろした。アミーカは驚きもしなかったが、フラターは素直なので目を丸くする。

「やっぱそうなん?」

「そうだよ。と言うか、本来サシャさんのほうが早々に太陽神らしい風格が出てるはずなんだけど、一周遅れてる感じがしてさ」

 オリハルコンの杖を取り戻した辺りで自覚が出るはずなのに、とマシューがつぶやくとアミーカとフラターは頷く。

「あいつは杖を使うのを渋ってる」

「オレたち的には早く使えばいいのにって感じ」

「ああ、自覚が足りないことを無意識に理解してるんだね。そっか……」

「しかし古代金属オリハルコンか。通りで」

主人マスターの思考にスムーズについてくるのも太陽神うんぬん関係あったんだな」

「と言うか、彼女じゃないとあれは反応しないよ。通常はほかの人が触っても黄金アウレムと判別つかないからね」

「お前のもあるのか?」

「オリハルコンの杖? うん」

「持ってなさそうだけど?」

「俺のはまだ取り戻してないよ。サシャさんが先だからね」

「順番とかあるんだ」

「月は常に太陽に微笑まれて輝くのさ」

 マシューは当然のことを言ったつもりだったが、カラスたちは気障きざだなと笑う。

(と言うか君たちもまだ目覚めてないんだよね……)

マシューは双子のように瓜二つなカラスたちを見比べる。

(アミーカが思考フギン、フラターが記憶ムニンなんだろうけど、二人の誕生時期が大きくズレてるのも気になる……)

「おい、何見てんだ」

「うーん、君たち本来は双子なのになと思って」

「は?」

「こいつと双子だぁ? 同じ卵の中からこんにちはとか願い下げだな」

「それオレのセリフ」

「息がピッタリなの、自覚してるでしょ?」

 マシューが茶化さずに言うのでカラスたちは冗談じゃないんだ、とお互いの顔を見て嫌そうに顔をしかめた。

「俺みたいな奴がもう一人いると思ったら」

「はー? 何? オレの小狡こずるい感じから愛嬌あいきょう引いたみたいな印象間違いじゃなかったワケ?」

「誰が無愛想だ」

「だってそうじゃーん」

 フラターが口をとがらせるとアミーカは片割れの脇腹を肘でついた。

「イテッ。こんにゃろう」

「うーん、これは悠長にしていられないかも……」




 マシューはさらにアミーカとフラターを通してサシャを太陽と月の共同談話室に呼び出した。

「いつも使ってる枕?」

「そう、必要だから持ってきて。過去生をのぞくための催眠術なんだけど練習が難しくて。付き合って欲しいんだ」

「いいけど……私よりオルのほうが良くない? 同性だし」

「異性の練習相手が欲しいんだよ。ティアラ姉妹はもう相手してもらったし。頼むよ」

「ああ、そう言うことなら」


 と、理由を適当に作ってマシューは保健室の個室を借りてサシャをベッドへ横たわらせた。

「念の為アミーカとフラターには見張っててもらうから」

アミーカとフラター、ジェミニは扉の内側で門番のように立つ。

「うん。でもマシューなら大丈夫……」

マシューは無意識に信用してくれているサシャの気持ちが嬉しくてくすりと微笑んだ。

「一応、淑女レディへ失礼のないようにね。さ、始めるよ。足は肩幅より少し狭いくらい。手の平は内側を天井へ向けてね」

 マシューはサシャに目をつむらせて催眠を行使する。他愛のないお喋りをし、サシャがリラックスして眠る寸前になった辺りでマシューは彼女のまつ毛をじっと見つめる。

「俺に見つめられてるのわかるかな?」

「うん」

「じゃ、見つめられてるなって思いながらゆっくり暗闇へ降りていって。階段があるよ。一歩ずつね」

「うん……。かなり暗いよ。足元が見えない」

「じゃあ足元は照らそうか。俺が月の光で照らすよ。下からふんわり……どうかな?」

「ちょっと明るい」

「良かった。慎重に降りてね」

階段の一番下まで降りたと言うサシャに対し、マシューは次の誘導を入れる。

姿見すがたみが置いてあると思うんだけど、探してくれる?」

「えっと……ああ、ある」

「そこにサシャさんそっくりの、年上の女性が映ってると思う。どう?」

「うん、いる」

「彼女を鏡のこちらへ招いてくれる?」

サシャは目をつむったまま肘先をスッと持ち上げる。

「そう。彼女は君、君は彼女だ。……彼女に耳と口を貸してあげられる? 彼女、鏡の向こうにいたから階段の上の音が聞こえないんだ。彼女に耳を貸してあげたら、階段の上にいる俺に集中してみて」

 マシューは数秒待つ。失敗すればサシャは目覚めてしまい意識の切り替えは出来ない。

(どうかな。手応えはあったんだけど……)

 サシャのまぶたがピクリと動いた。


「……わたくしを起こすのが随分ずいぶん遅いのではなくて?」


 マシューはやった! と勝ちほこった笑みを浮かべた。

 アミーカたちは口調が変わったサシャを見て静かに驚く。

「ごめん。俺が先に目覚める羽目になった。原因はわかる?」

「分かっていたら対処していてよ」

「まあ、そうだよね。でも良かった。催眠で起こせるくらいには下地が出来上がってるね。問題は顕在化けんざいかまでの距離だけど……」

サシャ、もとい太陽神ソルはふむと唇をとがらせる。

「目覚めが遅い原因、感覚的な答えでいいかしら?」

「うん」

いて言うなら、まぶたの上にかさぶたがある感じかしら? 何か邪魔なものがあるの」

「かさぶた……。そう。わかった、調べてみるよ」

「貴方のほうでも、ね。わたくしも騎士たちへ指示しておくわ」

「出来る?」

「貴方が表層まで連れてきてくれたから、明日の朝には自己催眠も出来るでしょう」

「それを聞いて安心したよ。夏至げしまでに杖を完成させなくちゃ。もう五月後半だよ。一ヶ月切ってる」

「分かってるわ。わたくしももどかしいのよ」

太陽神ソルはくすっと口の端を上げた。

「いつもわたくしが先に目覚めて貴方をかすほうだから、新鮮」

「ああ、そうだね。俺も君に会えるのが待ち遠しいよ」

「婚約はしたの?」

「まだだよ。君が自覚したらと思って」

「全く、貴方はいつもワンアクション遅いのよ」

「君は喋る前に行動しすぎだよ。さて、じゃれてる場合じゃない。もし夏至げしまでに覚醒が起きなかった場合、対策はどうする?」

「わたくしの目覚めが完全でなかった場合を考えるなら、思考フギン記憶ムニンの覚醒が先ね。杖だけでも完成させましょう」

「そうなるよね。具体的にどうしようか? 無理矢理でも駄目だし」

「わたくしに雷魔法を覚えさせて」

雷と聞いてアミーカは思わず首をすくめる。

「ちょっと、それってだいぶ荒療治あらりょうじだよ」

「自覚のない槍に意味はないわ」

「うわ、自分の武器ものなのに容赦ない……」

「わたくしのものだからよ。思考フギン記憶ムニン。そこで聞いてるわね? わたくしより先に原初の記憶を取り戻しなさい」

催眠状態ではあるものの、明確な命令であったためアミーカとフラターは主人へ向かって騎士の礼をする。

御意イエス我らが女主人マイ・レディ

「よろしい。必ずですよ。言いつけましたからね」

 太陽神ソルは頭の位置を動かして枕の心地いい場所をさぐり、腹の上に両手を置く。

「戻るわ」

「うん。……またね」

「そんな声出さないの。すぐに会えるわ」

太陽神ソルはふっと微笑むと静かになった。

「よし。……サシャさん聞こえる? 鏡の彼女と別れたら、階段を上がってきて。ゆっくりね」

 しばらくするとサシャがまばたきをして両腕をぎゅっと頭の上へ伸ばす。

「んー……」

「お帰りサシャさん」

「ただいま……。成功した?」

「うん、出来たよ。練習、付き合ってくれてありがとうね」

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