第17話『小説とカラスとりんごジャム』

 人工精霊オリヴィエから拳大こぶしだいのダイヤモンドを押し付けられたサシャ・バレットは、翌日皇太后こうたいごうが住まう王宮の離れへ呼び出されていた。

「ひえ……」

 少女は警察へ届ければ済むと思っていただけに、とんでもない事態になったと顔を青くしていた。サシャの横にはカラスの騎士たちがきちっと並び、主人の三歩後ろを歩く。


 二人組の王宮の憲兵に案内されしばらく庭園に囲まれた花壇の道を進むと、ティーテーブルの前で皇太后こうたいごうが待っていた。

「いらっしゃい、可愛い花嫁さん」


 非公式とはいえ皇太后こうたいごう主催のお茶会へ招かれてしまった十五歳の少女は、緊張でガチガチになりお茶の味などほぼわからなかった。

「そうねえ、どこからお話ししようかしら……」

 皇太后こうたいごうから微笑まれ、サシャは笑顔に応えるつもりで口の端を引きつらせた。そばに立つ騎士二人のほうがよほど落ち着いている。

「国史で習ったと思うけど、我が国も何度か王家の断絶にあっているのよね。それでね、血の繋がりがきちんと証明されているのは実は今の王家よりもベルフェス家のほうなの」

とんでもない話が来たぞ、とサシャは焦った。

「時代が古いと神話と史実が曖昧あいまいだけれど、それでもベルフェス家のほうがよっぽどちゃんとさかのぼれるのよ」

「そ、そう、なんですね」

「ええ。王族というのは貪欲どんよくでね。あの血筋まほうもほしいこの血筋きせきもほしい、とあっちこっちと結婚してたら国もまたぐしどんな属性でも生まれるようになってしまったの」

混血が進みすぎた、と皇太后こうたいごうは示す。

「その影響で、王家からは太陽神や月神の生まれ変わりが誕生しなくなってしまった」

「生まれ、変わり……?」

サシャはその言葉の続きを聞きたくなかった。オリヴィエのあのセリフが間違いだと言って欲しかった。

「黄金の花、天の花嫁。天空の女主人」

誰とは言わずに、それでも皇太后こうたいごうの瞳はサシャへと向けられていた。

(やっぱり私がそうなの!?)

「あ、でね。王家はもちろん、太陽神ゆかりの品々や月神ゆかりの品々を保管しているの。でもねぇ、やはり盗難にって。嘆かわしいことですけれど……」

皇太后こうたいごうはニコニコと微笑む。

「時代の節目にこの世から消え、しばらくすると戻る。そんな不思議な宝物もあるのよ」

「す、すごいですね……」

「そう。でも今回太陽神ゆかりの品々は良い意味で消えていなくて。所在がいくつか掴めないのよね……」

皇太后はサシャの首にかけられたオリハルコンの首飾りをチラリと見た。

「よかったわ。二つ、所在が掴めたから」

(やっぱりあのデッカい宝石とこの触媒しょくばいセットなの!?)

皇太后は言うことは言った、と紅茶で口を湿しめらせる。

 サシャが冷や汗をかいているとカラスの騎士たちはお互いを見やる。

(太陽神の生まれ変わりだから太陽騎士団が守ってたのか)

(その話がガチなら主人マスターがイチャイチャしてる月の坊ちゃんが月神の生まれ変わりか? 神話で夫婦だったよな、太陽神と月神)

 騎士たちの考えを聞き、サシャは気が遠くなるのを抑えるため紅茶で喉を湿しめらせた。


 本来国宝として王城に保管されるはずの宝石が手元にあるなんて。サシャは部屋に持ち込むしかなかったダイヤモンドの塊を前に二の腕を組んだ。

「使えばいいだろ」

「杖の一部ならいいんじゃないすか?」

「気軽に言うなぁ……」

自分が太陽神の生まれ変わりだと言われただけでもびっくりなのに、その宝石はあなたのものだから王家は黙認しますよなんて。

「あー……」

 サシャはダイヤモンドを袋へしまい、気分を切り替えるために精霊学の教科書を手に取った。




 太陽寮のとある四人部屋。昼間のうちは太陽属性の男子生徒は表へ遊びに行ってしまうため、寝室の中にはマシューと使い魔のジェミニしかいなかった。マシューは自習を進めながら、ふっと微笑む。

「サシャさんを守る意味でも早めに婚約をしておくべきだと思うんだけど」

主人のマシューがそう言うと、少年のベッドに腰掛けていた白フクロウの精霊の騎士ジェミニは読書の手を止めた。

「多分、今の彼女の気持ちとしてはそれどころじゃないだろうし、タイミングに悩むね」

「……坊っちゃま、あのことはお話ししないのですか?」

「どれ?」

あえてすっとぼける主人のあざとい笑顔を見てジェミニは溜め息をつく。

「そちらも早めにお話ししておくべきかと……」

「話って言えば、俺は君とアミーカのその後を聞いてないんだけど」

「今それは……」

「関係ない? あるとも。君がアミーカと上手くいけばサシャさんにいい効果が出る。外堀も埋めやすくなるし」

マシューが勉強の手を止めて振り向くと、ジェミニは中性的な顔を寂しげにかげらせた。

「“お前は俺のツラが好きなだけだから一ヶ月もすれば飽きる”、と……」

「そろそろ一ヶ月じゃない? 飽きた?」

「いいえちっとも。むしろ、どうやったらあの危なげな男の心を引き留めておけるか常に考えております」

「そう。まあアミーカの場合“押して駄目なら引く”をやった瞬間別れたと勘違いするだろうから、引いてみるってのはナシだね」

「ええ……」

マシューはあごに手を添えてうーんと中空を見上げる。

「あとは……こまめにプレゼントをするとか」

「いくつか用意したのですが、勘付かれたようで絶妙に避けられていまして……」

「うーん、そっか……。あ、俺が渡してこようか」




 マシューは精霊寮の掲示板を通してアミーカを単身、学園の西の森に呼び出した。

「んだこりゃ」

アミーカは差し出されたリボン付きの本と、マシューの顔を見て眉をしかめた。

「ジェミニが好きな小説なんだ。君もどうかなって」

「フン、ストリート育ちのカラスへのプレゼントがそれか」

アミーカは人間の文字が読める。それも大戦中、敵陣へ突っ込んでいって相手の暗号文を盗んでくることを生業なりわいとしていた。小説くらいは造作もない。ただ、文学とは無縁だった。

「うーん、サシャさんがこの場にいないから本意の翻訳が難しいな。“小説とは縁がないからもらってもどうしたらいいか分からない”、ってところ?」

アミーカはマシューの顔を冷たく見下ろす。

「ジェミニとしては色々贈り物をしたいようなんだけど、君が一向に受け取ってくれないから。かなり気にしてるんだよ」

カゴ育ちのフクロウとは趣味が違うんでね」

カゴ育ち”とは、自然生まれの精霊たちが愛玩あいがん動物出身の精霊たちへ使う侮蔑ぶべつだった。

「これ、俺がジェミニへプレゼントしたんだ。だから俺は内容を知ってる。面白いよ? 小説の読み方がわからないならサシャさんに教えてもらうといい」

少年が月の微笑みと共に本を差し出しても、カラスは受け取るどころか背を向けて羽を広げてしまった。

「アミーカ」

呼んでも時すでに遅し。カラスはプレゼントには目もくれず主人の元へ飛び去ってしまった。

「……うーん、サシャさんとの距離の縮まり方は本当に特例だったんだな……」




 カラスの愛しい少女は室内運動場で柔軟体操をしていた。アミーカが戻るとサシャは首を傾けて騎士を見る。

「マシューなんだって?」

アミーカは口頭で説明することすら面倒で、主人へ見たままの情景を共有した。

「小説? 貰えばよかったのに」

「坊ちゃんに可愛がられたカゴ育ちの嫌味だろ」

「あ、こら! 何てこと言うの!」

要領がいいフラターと違ってアミーカの交友関係はごくごく狭い。サシャも放っておけば彼のペースで友人が増えていくだろうと思っていただけに、最近は介入する必要性を感じ始めていた。

 体操後のストレッチを終えたサシャは己の騎士の前で腰に手を当てた。

「どうして仲良くしてくれる人の手を払うようなことをするの?」

叱ってもアミーカはツンと顔をそむけている。

「アミーカ?」

「……家族以外の関係は要らない」

サシャは目を丸くした。

「私とあなただって最初は無関係だったでしょう? フラターだって最初から仲が良かったわけじゃない」

主人おまえ相棒あいつも交流の必要があった。それだけだ」

「まあ、素直じゃないんだから」

サシャには一目で忠誠を誓ってもいいと思った。フラターは弟分だから。

アミーカの本意を感じたサシャは哀しい気持ちになった。

「これから家族になってくれる人だっているのに……」

主人が悲しげに瞳を揺らしてもこれだけは譲れなかった。

「お前を守る上で必要だと思った関係は構築する。ほかは必要ない」




 主人にはそう言いつつ、気に入った人間はそれなりにいた。

 スタンドコーヒー店の若い店主は、今日もカラスの騎士がコーヒーを買いに来ないかと学園の入り口を気にしていた。

 王立魔導学院の入り口から少し離れた表通り。店舗を構えるには金が足りず屋台形式で始めたコーヒー店。若い男はコーヒーを買ってくれるなら誰でもよく、試飲を気軽に配った。試飲をもらうだけもらって立ち話をするおばちゃんたちにも愛想良くしたし、買い物中の使い魔だろうがとにかく配った。そのおかげか、最近チラホラと固定客がついた。カラスの騎士もその一人だった。

(……きた!)

 騎士がこちらに向かってくることを確認した店主はカフェオレの下準備を始める。

「いらっしゃいませ!」

「カフェオレ。砂糖なし、ブランデー入り」

「かしこまりました!」

ブランデー入りは有料オプションで一番金が取れる。店主はカラス相手にニコニコとして雑談を振る。

「そろそろ夏ですねぇ。最近暑くて、半袖にするか悩み始めてます」

カラスにしては無口な客は雑談を振っても応えないものの、話を聞いていない訳ではない。こちらが話しかけるのを楽しみにしているようなので声をかけ続ける。

「カラスさんって換毛期かんもうきとかあるんですか?」

「人間に“お前服着替えるのか”って聞いてるようなもんだな」

このカラスの言い回しは独特で、肯定こうてい肯定こうていと言わずに“その発言を自分が向けられたらお前はどうする?”と返してくる。

店主はカラカラと笑った。

「あるんですね! 何月ですか? そろそろ?」

「他の毛の動物と一緒で夏にはあると考えていい」

今のはかなり素直な返答だった。

 カラスの騎士はカフェオレを手渡すと必ず店の前で一口すする。それから会釈えしゃくをして帰っていくのだが、今日は違った。

 カラスは店主の目の前でカフェオレを口にし、数秒空けて口を開いた。

「お前は欲しくもないプレゼントを押し付けられたらどうする?」

 初めて雑談を振られた! と店主は喜んだ。

「物が欲しくない場合ですか? それとも嫌いな相手からの?」

「物も要らないし、相手もかんさわる」

「あー、一番困るやつですね。そのお相手はカラスさんのこと好きだったり?」

カラスは黙って頷いた。

「うーん、迷惑って正面から言うとこじれるパターンか。難しいですねえ……」

カラスはちまちまとカフェオレを飲み込む。

 見た目は体格がいいワタリガラスなだけに、飲み物をちょこちょこ飲む様子は可愛らしく見える。最近は特に、香水でもつけているのか花の香りがする。主人が女性であることは推測できた。

(いいところの美人なんだろうなぁ……)

「あら、アミーカくんじゃない!?」

 店主はえっと驚いた顔で振り向いた。試飲を飲むだけ飲んでコーヒーを一度も買いに来なかったおばちゃんが、嬉しそうにカラスへ手を振りながら寄ってくる。

(え、こことここ知り合いなんだ?)

「どうも」

 カラスも会釈えしゃくを返す。それなりに親しいようだ。

「丁度いいところに! あのね、ジャム作るからりんごいっぱい買おうと思ったんだけど、旦那がね〜! いつもなら買い物付き合ってくれるのに今日に限っていなくて〜! すぐそこの市場! ね、欲しいもの買ったげるから!」

カラスの騎士に買い物を手伝え、と言い出したおばちゃん。

(いやいや良いところの淑女しゅくじょの騎士がそんな雑用手伝ってくれるわけ……)

「リンゴはどれくらい?」

「山盛り! それでも鍋いっぱいにならないのよ!」

「ジャムくれるなら」

(いいんだ!?)

 カラスは店主に会釈えしゃくをしておばちゃんについていく。

(へええ〜、意外……)

 コーヒー屋の店主はカラスの騎士の名前と、案外気さくに人の手伝いをする側面を知り二の腕を組んでうなった。

「人は、いや、カラスは見かけによらない……」




 その日の晩、BAR『妖精の栄光アールヴレズル』。カラスの騎士がいつも通りグラスを拭いたり食事を運んでいると、昼間に偶然出会でくわした常連のご婦人が夫と近所の知り合い二、三組を連れてやってきた。

「お待たせ! これジャムね! 皆さんもどうぞ!」

 大量のりんごジャムの瓶を見て店主のオーレリアン・コルトーは驚いた。

「これどうしたの?」

 店主がアミーカに状況を聞く前におばちゃんは経緯を全て喋り出す。

「へえ、アミーカくんお気に入りのコーヒースタンド? 気になるなぁ」

「表通りの学園そばに」

「ふうん! 今度寄ってみようかな」

「あれブランデー入ってるのね! 知らなかったわ〜。私も旦那と寄ろうかしら」

 アミーカはりんごジャムの瓶を見つめ、サシャが喜ぶ顔を想像して口の端を上げる。

「あら、ジャムそんなに好き!?」

「ええ、主人が」

「まあ!」

 アミーカは珍しく嬉しそうに、主人は甘いものが好きだとご婦人たちへ話した。その様子を見た店主コルトーは客には見せないように渋い顔をする。

(サシャ様主体すぎて、自分の幸福を勘定に入れてないんだよなぁ……)

このままでは危険だと思いつつ、コルトーは現状を打破する手段を持っていない。

(他のメンバーの言う通り、頑張って口説くしかないか……)




 後日。コーヒースタンドの店主は急な客の増加に驚きつつ喜んだ。客らに話を聞けば、お気に入りのBARの店員がここの常連らしい。

(アミーカさん、君はうちの吉兆の星だよ!)

また来てくださいね、とコーヒースタンドの若い店主は学園の入り口方面へ向かって満面の笑みを向けた。

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