04.立場が逆転しているの?

 驚き過ぎて、呼吸が引き攣った。今、私を「フラン」と呼んだの? そんな愛称で呼ばれたことなんてないわ。恐怖で暴れる私をメイドが押さえつける。簡単に拘束され、口に薬が運ばれた。銀色の美しい匙が私の唇に触れる。


「苦くないわ、ほら」


 公爵夫人が自ら唇に触れさせて、ぺろりと舐める。その仕草も初めて見た。驚いている間に、すっと流し込まれてしまう。ひと匙分の薬が喉を通り、メイドの拘束はすぐに外れた。そこで気づく。ベッドに突いた手が小さいわ。鏡で確認したいけれど、その前に部屋に一人になりたかった。


「一人にして……もう寝る」


「分かったわ。疲れたのね、このジュースを飲んで?」


 公爵夫人が渡したジュースのコップに口を付け、彼女の様子を窺いながら傾けた。こくりと飲んだのを見届け、公爵夫人は微笑む。それから半分ほど残ったコップをメイドが受け取り、公爵夫人に付いて退室した。部屋を出る時に一礼したのよ? 本当に驚いた。


 これじゃ、私じゃなくて妹のアデライダ相手みたい。公爵夫人はアデライダを溺愛していたから、きっとこんな感じで、手取り足取り面倒を見たと思う。私は屋敷の一番隅で暮らしていたから、顔を会わせる機会は少なかった。会えば痛い目を見るから、近づかないよう注意していたもの。


 寝たふりで潜ったベッドで、耳を澄ませた。誰もいないわよね? 恐る恐る上掛けから抜け出て、ベッドの縁で溜め息を吐いた。やっぱり手足が小さいわ。ベッドサイドに腰掛けた足が、床に付かないんだもの。お尻で滑って着地した私は、トイレや浴室がある扉を開いた。


 部屋の作りは全部同じみたい。扉の裏に全身の写る鏡があった。


「……うそ」


 鏡に写るのは、真っ白い髪に赤い瞳の子どもだった。以前は青い瞳だったはずよね。あまりに違和感がなくて、過去の記憶を疑ってしまう。まだ10歳前後の子ども姿の私は、見たことがないほど健康的だった。熱が下がったばかりの頬はほんのりと赤く色づき、ガリガリに痩せた体はふっくらと。


 まるで小さい頃のアデライダみたい。彼女は公爵夫人そっくりの金茶の髪と青い瞳を持っていた。色が違えば、昔のアデライダかと思うほど。そこで扉がノックされて、私はびくりと身を竦ませた。


 もう一度ノックが聞こえて、無遠慮に扉が開く。ちらりと覗いた私は、そこに父である公爵の姿を見つけ、震えながら周囲を見回した。隠れる場所、どこか身を隠さないと。殴られるのも嫌だけど、蔑んだ目を向けられるのも怖い。舌打ちされたり、罵られるのも……。


「おや、こんな場所にいたのか。また具合が悪くなったのかな? おいで、フラン。お父様と一緒にベッドへ戻ろう」


 にっこり笑って私へ両腕を伸ばす。こんな笑顔、私に向けられたことなんてないのに? 怖くて動けずにいると、すぐに抱き上げられた。背中をとんとんと優しく叩きながら、ベッドに載せられる。上掛けを引き上げる手も優しく、最後に頬を撫でて額にキスまでされた。


 あまりの恐ろしさに、目をぎゅっと瞑って耐える。


「可愛いフラン。お前に悪戯をした妹は、しっかり躾けておくから。怖がらなくていいんだよ」


 何を言ってるの? 悪戯をしたって、アデライダが叱られたことなんてない。躾? それは私によく使われた言葉じゃない……もしかして、私と妹の立場が逆転している?

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