翡翠輝石の名の下に

翠ネギ

第1話 夜明け前

どんな時代、どんな場所であってもそれらを象徴するものには必ずと言っていいほど表裏がある。

表の顔はとてもきらびやかでまさに絢爛豪華の一言で表すことができるであろう。

まるでそれは盛者必衰を全くと言っていいほど連想させない、たとえそれが一時期の栄華であったとしても。

それとは対照的に裏の顔と言うものは実に流動的でそれこそ空気をつかむようなものだと言える。

表の顔が不変的なものであればあるほど、裏の顔と言うものはその何倍いや何十倍ものスピードで時々刻々と変化していく。果たしてその中身は実を伴っているのか…

一時代にて築かれた栄華は、たった一夜にしてその輝きのすべてを失ってしまった。それは宵闇に潜む獣のような、もしくは漆黒そのもの。これは物の例えでも何でもない。その輝きは全て闇の彼方に葬られてしまったのだ。

同時多発的に発生した時空の歪み、そこから多くの魔物と呼ばれる存在がこのように解き放たれたのだ。

その正体は四足歩行のまるで猛獣のような獣であったり、二足歩行の人間よりもはるかに大きい獣…真正面から人間が抗えるほどの相手ではなかった。

それに加え、数十、数百の大群となってそれらが押し寄せてくるとなれば人間が築き上げてきた文明など一瞬で飲みこまれてしまう。

原因のわからない人々はなすすべもないまま、この魔物と呼ばれる魑魅魍魎たちに屈するほかなかった。


この世界にはギルドと言うものが古くから存在した。ギルドとはその道の専門家、職人の集まりであった。

だが時代の流れとともに嗜好色の強いギルドは徐々に淘汰され、現存しているギルドは半ば軍隊と呼べるようなものだけとなった。

自分たちの身を守るため、自分たちの住む場所を守るため、自分たちの長を守るため、その役割は徐々に規模を拡大していくこととなった。人々が魔物と言うものに対抗するため、選んだ道はこのギルドの拡大だった。

人々はギルドに所属することを栄誉なことであると考えるようになっていた。その考えが広まりさえすればそこから新たな社会構造、経済構造が生まれてくる。

中にはギルドに所属するために地方都市からわざわざ移り住んでくるものもいるようだ。もしこれをこの時代、この場所の表の顔だとすれば、裏の顔はもっと泥臭いものになるだろう。

ギルドへの所属には実力だけでなくその人の経歴も考査の基準となっていた。

身分や家柄といったところまで判断基準にするようなギルドあると聞く。そうなればギルドに所属することができなかったものも出てくるのは当然だ。

ギルドに潤沢な人材が揃っているのならば、ギルド側はギルド所属希望者をいくらでも選り好むことができただろう。

だが、魔物との大規模な戦闘が繰り返される最中だ、ギルド内に欠員が多く出るのも自明なことだ。

その結果、ギルドに所属するために必要な実力、能力といったものが徐々に軽視されるようになってきた。

ただの人員確保、戦においてそれはもはや犠牲をいとわないただの蛮行としか言いようがなかった。


多くの犠牲のもとに続いた魔物との終わりの見えない戦闘は、その時代の全てを破壊していった。

人々の暮らし、社会構造、そして倫理観すらも。荒廃しすさみきった都市、どれほどの人が住んでいるのだろうかと思わせるほどかつての栄華はその面影すらもなかった。

それでも路地を1つ曲がればそこには夜な夜な人々が集まるまるでオアシスのようなそんな場所があった。

そこに集まっているのは、癒しを求めた旅人でも、この街と運命を共にすると決めた住人でもない、そこにいるのはギルドと言う受け皿からこぼれ落ちてしまった行くあてもない人たちだった。

彼らはどこかのギルドから単発で依頼を受け報酬をもらう、ときには大きな依頼を秘密裏に受けその報酬を受け取る。

いわば都市の闇に隠れた賞金稼ぎそんな感じだ。

今まで倒してきた魔物の自慢話に興じる者たち、その酒を酌み交わすグラスはいつも以上に軽快なものとなっていた。


そんな酒場の扉がゆっくりと開いた。そこに立っていたのはフード目深に被り見慣れた人影、そのフードをとると銀髪、そして群青の毛並みの狼獣人の顔があらわになった。

彼は酒場の主人のもとに近寄っていくと懐から出した小袋をカウンターの上に置く

「これが依頼のものだ」

酒場の主人はその袋の中身を確認する

「ああ、ご苦労様だった」

そう言って酒場の主人はその狼獣人に少ないとは言えない額の金を手渡す。それを受け取るといつものと言わんばかりに飲み物を注文する。


「あ、兄ちゃん戻ってたんだ」

声の主は酒場の入り口に立っていた。皆の視線が再び酒場の入り口へと向く。

そこに立っていたのは銀髪で、深緑色の毛並みの狼獣人だった。

「マスター、これが言われていたものだよ」

大事そうに抱えていた箱を酒場の店主に渡す

「お前さんもご苦労だったな」

そう言って酒場の店主はお金と2杯の飲み物をカウンターの上に置いた

「お前の分も用意しておいた」

「ありがとう、兄ちゃん」

どうやらこの2人の狼獣人は兄弟のようだ。

兄の糸魚川翡翠、弟の糸魚川瑠璃、彼らはまるで自分達の実力を試すかのように危険度が高い依頼ばかりを受けていた。

そういった依頼は報酬も少なくはない。

だがその分生存率は低くいくら稼いだところで、自身の治療費にそのお金が消えていくと言うことも珍しいことではなかった。

「なぁ、お前たち…」

酒場の店主が言いづらそうに口を開く

「お前たちはまだまだ若い。こんなところにいるべきではない。私にもつてがないわけではない、しかるべきところに話を通すこともできる」

酒場の店主の言うことももっともだ。見た目からも分かる通り翡翠も瑠璃もまだ若い。

ギルドに入ることができなかった賞金稼ぎたちと同じ空気を吸うにはあまりにも場違いすぎる。まだいくらでも可能性がある…だがこの提案を二つ返事で断ったのは翡翠だった。


「よし、今夜も仕事の時間だ」

「今日は何匹狩れるかなぁ』

「あまり意気込みすぎるなよ?俺の分も残しておけ」

賞金稼ぎたちが口々にこう言うと酒場を後にした。

「マスター、これは一体…?」

「確かこの辺で最大のギルドが魔物との交戦を控えていると聞いた。おそらくそれの増援要因だろう。」

「なるほど、ならばしばらくは寂しくなるな」

「しばらくか…」

翡翠は飲み物に1口だけ口をつけると、椅子から立ち上がった。

さっきまで宴会が行われていたであろうテーブルに向かい、テーブル上にあるグラスや食器を片付け始めたのだ、

「これだけの数だ手伝うぞ」

慣れた手つきで食器を洗い場へともっていく。大方片付けが進むと、誰もいなくなった長椅子に翡翠は横になった。

「悪いがマスター、今夜はここで世話になる。今は外に出るべきではないからな」

その雰囲気をなんとなく刺した酒場の主人、もしかするとそれは明日我が身に降りかかってくるかもしれない…だがここで生きていくと決めた以上その程度の覚悟はできていた。

「じゃあ僕も今夜はここでお世話になろうかな」

瑠璃もあいた長椅子に横になる。

「もしかしたらこれが僕たちの最後の夜明けになるかもしれないからね」

夜とは今日と明日とをつなぐ架け橋、だがその架け橋を渡ることができるのは生者のみ。

明日の自分にその橋を渡る権利があるのかどうか、渡りきることができるのかどうか、もはやそれを知るものはここには誰もいなかった。


3人に夜明けを知らせたのは、陽の光でも賑わう人々の雑踏でもなく、地面を伝う地響きと苛烈な破裂音だった。

今まで眠りについていた翡翠も瑠璃もゆっくりと目を覚ます。まるでそれが彼らの日常かのように、眠っていた長椅子から体を起こす。

「マスター、世話になったな」

「ありがとう。久しぶりに良い夢を見ることができたよ」

再び地響きが小さな酒場の室内に響き渡る。もうすぐそばまで戦火が及んでいるという証だった。

酒場の店主も彼らを止めることができなかった。2人は慣れ親しんだ酒場を後にした。

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