第10話 ホタルの光に誘われて

 ほうきを物入れにしまって、一仕事終えてホッとしたところ。


『うっ……』


 苦しそうなうめき声が聞こえて、イーリスは肩をびくりと震わせる。


(気のせい……よね)


 そう決め込んで、物置の部屋から出ようとする。


『ううっ……』


 また、聞こえてきた。

 シヴァンでも、スレーでもない声だ。じゃあ、一体だれ?

 まさか、おばけだろうか。


(こ、こわい……!)


 想像すると、体が冷えてきた。

 なにもなかったと素通りはできない。正体が確認できないとこわい。


(魔法使いがいるんだもの、おばけがいたって不思議じゃないわ!)


 そう心に決めて耳をすませると、うめき声は店の奥から聞こえてくる。

 声に意識を集中して追いかけると、ある部屋の前だった。それは、シヴァンから入るなと口酸っぱく言われていた倉庫。


(入っちゃだめ、だよね……。でも、気になる……)


 迷ったあげくに、好奇心に負けた。

 ドアノブにさわると、いとも簡単に扉が開いてしまったのだ。

 カギはかかっていなかった。


 中に入ったら薄暗くて、倉庫というだけに何列も棚があった。薬品のようなにおいが鼻をかすめる。

 ぼんやりと緑色の光が見えて、その光に吸い寄せられるように歩いていく。

 ガラスケースにホタルが入れられていた。綺麗だと思ったのも束の間、イーリスの脳内に声が流れ込んでくる。


『う、うう……』


「そこに誰かいるの?」


 イーリスは問いかける。

 その声の主は、一瞬ためらったあとに話し始めた。


『……これはこれは。かわいらしいお嬢さんじゃないか。この薬屋にふさわしくない』


(しゃべった……)


 意思疎通のできる、なにものかがいるようだ。

 もう、あとには引けなくなった。


「この声は、ホタルから聞こえているの?」


『……いかにも』


 スレーが黒猫になるのを見てしまった以上、ホタルが話してもあまり驚かなかった。普通の人の感覚がまひしてしまったのだろうか。


『ホタルの声が聞けるとは、珍しい人間もいるもんだ』


「他の人には聞こえないの?」


『この闇の薬屋の店長には、聞こえないだろうな』


 シヴァンには聞こえないらしい。だとしたら、スレーは聞こえるのだろうか。それよりも気になるのは。


「どうして、わたしにあなたの声が聞こえるの?」


『……さあ。知らんな』


 わからないことだらけで、質問してばかりだ。

 なぜかイーリスだけに聞こえる、ホタルの声。

 このホタルの正体もわからない。


『なにはともあれ、人と最後に話ができてよかった。……この光が途切れて、わたしはまもなく死ぬだろう』


「あなたは人間だったの?」


『そうだ。何でも願いを叶える薬を使って、ホタルの姿に変わった。君は闇の薬屋にいるべき人間ではない。早く逃げろ。きっと殺されてしまう――』


 もっと聞きたいことはあったのに、ホタルの光はあっという間に消え失せてしまった。この人は死んでしまったのだ。見た目はホタルなのに、少し前までは人間だった――。


「ここには入るなと言っただろう」


 ピシャリと冷え切った声で言われた。シヴァンだ。厳しい視線で倉庫の入口に立っている。

 あまりに厳しい顔で、イーリスは「カギがかかっていなかったのよ」と言い訳はできなかった。


「ホタルを見たのか?」

「……見たわ」


 この部屋に入ったのを見られている以上は、嘘をつくことはできない。


「このホタルは、なんでも願いを叶える薬を使った人のなれの果てだ」


 それは、さっきの声の主に教えてもらった。なんでも願いを叶える薬を使った人がホタルになることを。


「なぜこの部屋に入った?」

「それは……」


 誤魔化すことはできず、「声のようなものを聞いたからよ」と答える。

 シヴァンは意外そうな顔をした。


「声? 彼らは何を言っていた?」


 幸いなことに、ホタルとの会話の内容は聞かれていないようだった。

 イーリスは決めた。逃げろと言われたことは黙っていようと。もし言ってしまったら、自分の身がどうなってしまうかわからない。


「うめき声のようなものを聞いただけです」

「……そうか」


 イーリスは、それ以上のことをシヴァンから聞かれずにすんでホッとした。


* * *


 蒸し暑い夜で、眠りが浅かったのだろうか。シヴァンはベッドから体を起こして、水差しからガラスのコップに水を入れる。

 喉をうるおすと、肺から息をはき出した。

 眠れなかったのは、きっとイーリスが倉庫に立ち入ったせいだ。


「あいつがホタルの声を聞いた……?」


 人間からホタルになったら、知能も虫レベルに落ちると言われている。脳が小さくなって、食べる、休む、寝る、くらいしか頭が働かないはずだ。


「何も言わないはずなのに……?」


 うめき声を聞いたらしいが、そんなことはありえないのだ。シヴァンは一度も聞いたことはない。

 考えても答えは出ない。しかし、イーリスの言うことが本当ならば、彼女には隠された力があるのかもしれない。


「気になることを言いやがって……」


 まだ眠たい目をこすって、シヴァンは再びベッドの中へ入った。

 しかし、眠気はまったくやってこなかった。

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