第8話 金貨とフクロウ

 調理場に駆け込むと、やかんからは湯気が吹いて、ぐつぐつと煮えたぎる音がした。


「熱そう! 早く下ろさなくちゃ」


 イーリスは布のミトンを手に、薪ストーブからやかんを下ろす。

 それでも、しばらく湯気が出たままで、ゆっくりと収まっていった。

 ホッとしたイーリスは、ふーっと息をはいた。


(間に合って、よかった。こんなところで失敗したら、取り返しがつかない……)


 イーリスが店のカウンターに戻ると、シヴァンがロマニオに薬の入った紙袋を手渡しているところだった。


「なにか手伝うことはありますか?」

「いや、いい――」


 イーリスの申し出はシヴァンに断られ、その場のなりゆきを見守ることにする。


「代金は金貨一枚だったね」


 ロマニオは革の巾着から金貨を取り出して、シヴァンに渡す。

 イーリスは金貨一枚と聞いて、大金が動いていることに驚く。

 花屋の一ヶ月の売上をかき集めても、金貨一枚に届かないときもあるからだ。


(この薬屋の薬は高価なんだわ。……ところで、お客さんからもらった、お金を入れる場所はどこかしら?)


 イーリスはカウンターを見回すけれど、それらしき場所は見つからない。

 花屋では、代金やお釣りはザルに入れて天井に吊るしていた。では、金貨一枚という大金はどうやって管理するのだろう。


「代金はちょうどだな」


 受け取った金貨は、フクロウの口元へエサを与えるように手を持っていく。


(まさか、クーちゃんがこれを食べるの!?)


 そのまさかが起こった。

 フクロウは口を開けてパクリと飲み込んだのだ。


「え?」


 思わず、イーリスは言った。金貨はどうなっちゃうの?

 これで代金受領は完了だとばかりに、フクロウの目は大きくまたたいた。


「フクロウが金貨を食べた!?」


 ロマニオも信じられない、と唇を震わせている。


「ああ。こいつは代金が適正価格だと食べてくれるんだ」


 フクロウの秘密を聞いて「へえ」と感心したようにロマニオは声をもらした。


「じゃあ代金が足りないと、どうなるの?」


 お客さんとして、興味を持ったようだ。イーリスも気になった。


「支払いが完了するまで頭をつつかれる。お金だけじゃなくて、金銭的な価値のあるものも食べるからな。俺が見たことがあるのは、上着を食べられているところまでだな」


 さらりと怖いことをシヴァンは言った。

 置き物のように動かないフクロウなのに、代金徴収のときは、性格が変わったように飛び回るのだろうか。


(服まで食べられてしまうの⁉︎)


「……ま、金がないのに、闇の薬屋に来るなということだ」


 シヴァンはこちらに視線をよこした。


(で、ですよねー!)


 ギクッとする。この前のイーリスのことだ。

 もし、なんでも願いのかなう薬を手に入れたとして、支払いのときに代金不足がわかったら。

 上着だけではすまないはずだ。


 冷や汗が止まらない。イーリスは違うことを考えて、気をまぎらわせることにした。


「代金が足りてよかったよ! 上着が食べられてしまうと、貴族の身だしなみとして、ふさわしくなくなってしまうからね」


 ロマニオは胸に手をあてて、大げさにホッとしたしぐさをした。


(……クーちゃんが食べた金貨は、どうやって取り出すのだろう)


 イーリスはいくつか想像した。

 ニワトリが卵を産むように下から出てくるのだろうか。それともお腹に扉があって開けて取り出せるのだろうか。はたまた口に手を突っ込んでズズズと引っ張り出すのだろうか。


 どの予想が当たったとしてもホラーだ。興味本位で見たくもあるし、怖くて見たくもない。

 ロマニオは革のカバンに薬をしまう。


「僕が買った薬に興味がある?」


 視線が合った。薬の入った紙袋を興味深げに見つめているのがバレた。でも、ロマニオは快く中身を開けて見せてくれる。

 小瓶の中に、とろりとした紫色の液体が入っていた。それが数本。


「この薬は若返りの薬。社交界の婦人がご所望でね。若返りの代償に寿命が減るそうだけど、それよりも若返りたい人が多いみたいだ。……僕はそう思わないけどね」


「わたしも今は長生きできたほうがいいと思うけれど……年を取ったら、若返りたいと思うのかもしれないわ」


「はは、女の子だね。……では、またね」


 軽く笑うと、羽付きの帽子をかぶり、薬屋から出ていった。




「自分のものをベタベタと触らせるのはどうかと思うぞ」


 ロマニオが帰ったあと、シヴァンに忠告された。自分のもの……と考えて、イーリスは首を傾げる。


「ブローチのこと?」

「そうだ。たいして知らないやつに対して、気を許すな」


 言われてみればそうだ。よく知らない人に、自分の大事にしているものを安易に渡してはダメだ。相手が優しく扱ってくれるかわからないのに。それが安物だとか価値は関係ない。


「ごめんなさい……」

「いや、キツく言いすぎた。嫌だったら断っていいんだぞという話だ」

「わかりました」


 忠告してくれたのは、きっとシヴァンの優しさだ。


「そういえば……さっきのクーちゃんが食べたお金は、どうなるんですか?」

「どうなると思う?」


 質問したのに聞き返される。優しいと思ったのに、やっぱりシヴァンは意地悪だ。


「わからないから聞いてるんだけど……卵として産むんでしょうか? 卵を割ると金貨が出てくるとか……」

「それは面白いな。代金の取り出しかたは――企業秘密だ」


 また、シヴァンの意地悪が出た。話を引っ張っておいて、秘密を教えてくれるつもりはないらしい。


「もったいぶっておいて、最初から教えるつもりはなかったのね!」

「よくわかったな。そのとおりだ」


 腕を組んでうなづいている姿に、イーリスはいらだちを隠しきれない。


(もう! ……でも、知らないほうがいいこともあるわよね)


 フクロウをちらりと見て、イーリスは妙にホッとした。




 ロマニオが薬屋から出て、トンネルを抜けると胸ポケットから方位磁石を取り出した。

 方位を差す針がぐるぐる回る。磁場が狂っているようだ。


「黒猫の気配がここで途切れる。あの子……イーリスちゃんと言ったか……一つ細工をさせてもらった。何か手がかりになればいいな」


 くすりと怪しげに笑った。

 そして――革のカバンには小瓶が入っている。さきほど買った若返りの薬ではない、別の薬だ。


 イーリスがコーヒーを入れに店奥に消えた隙を狙って、ポケットに忍びこませた小瓶。

 緑色の液体。『魔力を減らす薬』とラベルには書かれている。


 こっそりと盗んできたものだ。ロマニオがこの薬を手に入れたと闇の薬屋に知られると、いろいろとまずい。


 代金を徴収するフクロウには注意を払っていたが、気づかれなかったらしく、とくになにも攻撃されていない。


 これで準備は完了だ。

 方位磁石をしまうと、闇夜の市場に消えた。

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