第4話 再び闇の薬屋へ
闇の薬屋の店長からもらった万能薬のおかげで、父親の心臓病は奇跡的な回復をみせて、町医者を驚かせた。
得体の知れない薬に、最初は難色を示した町医者だった。しかし、イーリスの強い希望もあって、町医者は「わたしは手を尽くしました。他に可能性があるのならやってみましょう」と渋々折れてくれた。本来なら許してくれないだろう。
余命一週間と言われていたのに、今ではもう、父親は花屋の店頭に立っている。無理しないでと言っているけれど、体の調子が良いと言って聞く耳をもたない。どうやら、長年の息苦しさがなくなって、倒れる前よりもはるかに体調が良いらしいのだ。
万能薬の効果が高かったのかもしれない。闇の薬屋に一つだけしかない万能薬をくれた、薬屋の店長は命の恩人だ。
(……あの薬屋の人たちが、喜んでくれればいいな)
市場を歩くイーリスは、木のツルで編まれたカゴを手で握りしめた。中に入っているのは、イーリス手作りのベーコンサンド。自宅で焼いたパンに、ベーコンとレタスをはさみ込んで作った。
それを持って、闇の薬屋へ向かう途中だ。万能薬のお礼のために。
午後の光が薄れて、市場の人通りは夕食の食材を求める人でにぎわいがあった。
そこから脇道を曲がり、前に行ったときの記憶を思い出しながら、トンネルのある場所へ行く。すると、市場のざわめきが耳をふさいだようにいくらか遠くに聞こえる。
ここへ来るのは二度目だ。あのときに道案内してくれた黒猫がいないのは、ちょっとさびしい。
暗闇に足を踏み入れると、体がひんやりとした。
トンネルを抜けると、薄ぼけた暗闇の中に閉店の通りが見えてくる。さらに歩き続けると、イーリスを歓迎するかのように街灯に火が灯った。
闇の薬屋の店先に、ほうきで掃除をしている黒髪の少年の姿が見えた。
「こんにちは」
「この前のお客さん! いらっしゃいませ」
視線を上げた少年は、ふんわりと笑った。
「万能薬をもらったお礼に、差し入れを持ってきたんです」
「差し入れですか! お心づかいありがとうございます。どうぞ、中に入ってください」
少年に招き入れられると、店の奥まで案内された。
「これ、ベーコンサンドなんだけど……口に合えばいいなと思って」
カゴを机の上に置いて中身を見せると、少年は顔をほころばせた。
「うわぁ、嬉しいな。おいしそうなにおいがします。僕、テーブルの準備して、店長を呼んできますね!」
少年が向かったのは、本や紙類がぐちゃぐちゃに置かれているテーブル。それをどこかへ持っていって、三人が座って食べられるだけのスペースを作る。
「別に、差し入れはいらなかったのにな」
店奥の扉から出てきた店長は、ボソリと言った。
そう言われても、イーリスは引けない。
「いいえ、お礼を言わせてください。もらった薬がなければ、父の命が助からなかったかもしれないんです……。こんな差し入れで、いただいた恩は返しきれないけれど、どうか食べてください」
「……それじゃあ、遠慮なく」
イーリスの熱のこもった視線に負けたようで、店長は椅子を引いて座った。
「コーヒーか紅茶、どちらがいいですか?」
と、少年に聞かれて、イーリスは「紅茶をお願いします」と答える。
コーヒーは苦くて、まだ飲めない。砂糖を入れて甘くしても、ミルクを入れても、どうも口に合わない。
用意してもらった紅茶にミルクを入れて、マドラーで混ぜる。まろやかな味が好みだ。
少年も同じく紅茶で、店長はコーヒーだ。店長はブラックのまま飲むようで、そのまま何も入れずにクイと口を付けた。
二人がベーコンサンドを食べている間、イーリスは反応が気になってドキドキした。
(大丈夫なはず。パンは焦げていないし、レタスと焼いたベーコンをはさんだだけで簡単だったし、まずい……なんてことはないよね)
自宅で作っていたとき、父親から「俺のために作ってくれているのか?」と聞かれて、「違うよ」とだけ返事すると、父親はしょぼくれていた。本当のことを言ったけれど、かわいそうなことをしてしまった。
「おいしいです!」
「食べられなくはないな」
少年と店長から同時に出た言葉。おいしいと言われてひと安心したものの、言われたときの印象がこんなに違うのはどうしてだろうか。
「店長、こういうときは素直においしいと言えばいいんですよ」
「そうか?」
「だって、そう言われたほうが嬉しいじゃないですか」
少年は、まるで物わかりの悪い子どもに注意するように言う。少年は店長よりも五才は年下なのに、物怖じしないのはお互い心を許しているからだろうか。
「こんなにおいしいものを、僕たちだけで食べるのはもったいないです。一緒に食べませんか」
「あ……はい!」
少年から言われて、イーリスもベーコンサンドをつまんだ。
(おいしい……! バターの量もちょうどいい。……でも、店長さんが「食べられなくもない」って言ってきたのは失礼じゃない?)
イーリスの反応を見て、少年は「みんなで食べると、さらにおいしくなりますよね」と言ってくれた。
そう言われただけで、店長のいらない一言は忘れられる気がした。
しばらくして、カゴの中身が空っぽになって、それぞれのお腹が満たされたころ。壁がけの木わくの時計がボーンと六回鳴った。時計の小さな針は六時をさしている。
「もう、こんな時間」
「遅くなってはいけないですし、終わりにしましょうか」
少年が手早く、テーブルの上を片付けた。
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