カニ
俺は毎朝電車に乗って、会社に向かう。その時間帯が早朝であることや、都心から離れる方向に向かうため、ほとんどの場合で俺は座席に座ることができる。だから俺は、毎回座ることにしている。なぜなら工場で働く俺の仕事は、基本的に立ち仕事だからだ。移動することがほとんどない。ベルトコンベアで流れてくる製品を検品していくのだが、限られた狭い範囲をちょこちょこと、あるいはじっと構えて、手と目だけが素早く動かされる。俺が仕事を終える頃には、足が棒のように固くなっている。
この立っているだけでほとんど体を動かなくてもいい仕事は、一見すると楽そうに聞こえるが、しかし動かないというのはそれはそれでまた疲れてしまうというものだ。だから俺は電車で座るし、俺の一日の移動の9割以上は電車で行われる。俺自身は体を動かしてはいない。しかし、俺自身は移動している。そういった意味で、電車は俺の第二の足とも言える。そして、俺は毎回座席に座る。椅子に座るとどうしても進行方向に対して体が横を向くことになる。この移動スタイルを俺は知っている。
カニだ。まさにカニの横歩きだ。一日の移動のほとんどを俺はカニのように移動する。つまり俺はカニだ。俺はカニなんだ。そうやって俺が何者であるカニ気づくと、仕事中の動きもカニ歩きだったことに気づく。ベルトコンベアに合わせて、俺は体を右とカ左とカニ動かしていた。だから、やはり俺はカニだった。カニと言えば、硬い甲羅とカニ覆われている。俺の体自体は硬くもなく、(仕事終わりの脚は固くなっているが)むしろどちらかと言えばぶよぶよとしている。しかし、俺の心に関しては甲羅のように硬く閉ざされている。なんていったって花の独身貴族。おまけに友人も少ないと来たもんだ。職場の同僚と話していて、顔が笑っていても、俺の心は硬いまま。カニカマ。しかし、その硬い心の内側はまさにカニの身のように柔らかい。まさに、カニカマ。やはり俺はカニなんだ。
そして。
俺はカニが嫌いだ。見た目もそうだし、味もそう。生臭いし、食いづらい。そして俺は、カニと同じくらいに、自分のことも嫌いだ。しかし、俺はそんな自分をどうにかしたいと思っている。
ある日の俺は、スーパーでカニクリームコロッケという商品を見つけた。恥ずかしながら、人生でこんな料理があるということをその時に初めて知った。その場で買って帰り、その日の夕食のおかずにする。味の感想は、正直にいうとあんまり美味しくなかった──けれど、悪くはないと思った。
見た目は丸くてかわいらしい。味は甘くて、甘いのはあまり得意ではないが、カニの生臭さは感じなかった。そもそもあまり身は入っていないのかもしれない。それなのにカニクリームコロッケなどと、名前の先頭に持ってきてもいいのかは疑問だが、まあ、入っているには入っているのだからいいのだろう。
そうして俺は、その存在を知ってからというものの、朝昼晩の三食をカニクリームコロッケにしている。
相変わらず、この味は好きにはなれない。
けれど、もしもこの味が好きになれたのなら、きっと自分のことも好きになれるんじゃないかと、そんな気がしているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます