雨の名前
春雨花時雨
Ep.1 雨恋 | アマゴイ
暑い、ただひたすらに、暑い夏
歴代最高記録を塗り替えるためだけに照り続けているような太陽
各所のラジエーターが性能限界を突破し
発生確率1%未満だった歴史的不具合を引き起こす
画面越しに映る、偉いヒトたちの冷汗
そんな汗臭く熱垂れした夏に僕は
ただひたすらに待ってる
雨が降るのを
Chap.1
七月十五日(金)晴れ
期末テストを、若さと諦めでもってやり過ごし、ある者にとっては成績通知表よりも恐ろしい
高校最後の夏休み。
それはもう長いことそこに鎮座している。
積上げてきた期待と焦燥が織り成す独特の色彩。
夏の強烈な日差しのコントラスト。
それは、いつもしたり顔で待っていた。
僕たちの番を。
先輩たちの眩し過ぎる青春は雄弁だ。高校生活というのは、この夏に向かって進んでいき、そして終わっていくのだと、入学して間もなく皆が知ることになる。早く辿り行いてみたいが、永遠に始まらないでいてほしい。そんな切ない憧れだったはずのそれは、ついに僕たちの番となり、片手で指折れるほど目前に迫っていた。
すでに、これまでのどの年とも比べ物にならないほど、やっておきたい事と、やらなければならない事で飽和している。そして、どの年もそうであったように、その全てをやり切れないままに、あっという間に終わってしまうのだろうことが、始まる前から悔しい。
黄金の果実のような夏だ。
どうしたらそれを余すところなく搾り取れるのか、皆が一様に緊張している教室。
引退という2文字をスローガンに、青春の全てを使い切りたい運動部。
ほぼ全ての最後の夏休みを、勉強に捧げるだろう大学受験組。
専門職志望や就職希望組は、進路面談も長くなりがちだ。
どのグループに所属していようとも、この夏にかける期待値で、各々が発熱している。
その中の紛れもない1人の僕。
チャンスは一度切りだというのに、背負うものが多すぎる。
教室の空調が緩いのは、記録的な暑さだけが原因じゃないのかもしれない。
ー音楽をいっそ仕事にしてみたい
進路について両親に相談したのが去年の秋。それなら芸術大学の受験をと、お世話になっている先生に薦められ、遅ればせながら受験組に参入してから半年。技能試験はまだ分があったが、学力試験はボーダーラインといった実力。スタートが遅かった分、この夏で遅れを取り戻せるかが実質ラストチャンスである。
もう何度目かわからないぶりに、窓の外を見遣る。
—Sine, Cosine, Tangent
今、僕の頭の中で鮮やかに振動する音色は
— SV, SVO, SVOO, SVOC
彼女の声、させる、僕を、切ない夏色に
『ねえ、ユンギヤ。
雨に名前があるのを知ってる?
次に雨が降ったら、答え合わせしよう。
今日の雨の名前。』
— if it was rainy today, I could see you
繰り返される仮定法。
もし今日が雨だったなら、貴女に会えたのに
日照り続きの酷暑。
天気予報は当然のように、今日も真っ赤な太陽を点滅させている。
僕は受験生だ。
勉強に集中しなければならない。
そう、文字通り、
Chap.2
「あぁそうだ、
「はい、わかりました。」
担任からのお願い事は面倒なものが多いが、今日はどうやら運がいいらしい。
呼び出し事項を伝えに足速に教室に戻ると、教室の窓辺に佇む背中を見つけた。
よかった、まだ帰ってなかったみたいだ。
夏ももう本番だというのに、陶器みたいな真っ白な肌。
案外彫りの深い横顔が、相変わらずキレイで羨ましい。
最近よくそんな風に窓の外を見遣っているよね。
少し切なげな表情が妙に大人びていて、それは、声をかけてしまうのが勿体無いほど絵になっていた。
(…カッコいいな、もう)
ユンギに見惚れてるのをクラスメイトに揶揄われるのは面倒なので、仕方なく先生の依頼を実行する事にする。別に私のことなんて、誰もみていないと思うけどさ。
「ユンギ…先生が呼んでるよ。」
振り向き様の少し怪訝そうな顔が好きだと言ったら、友達に笑われたっけ。
でも私にはわかる。ユンギを好きな女の子、結構いる。
表立って騒いだりするタイプはいないけど、こうやって見惚れてる時に、自分と同じ顔した子を何度も見つけたことがある。嬉しいような、悔しいような?クールで物静かな塩王子には、意外にライバルが多いものだ。
眠そうな顔にかかる、長めの前髪が揺れて、ボソボソした声が応答する。
「あぁ、ありがと。でも、なんで俺呼ばれたんだっけ?」
「さすがにわからないよ。私ユンギのお世話係じゃないし…」
担任に呼び出されるのに、心当たりの一つや二つあるものだが、このクラスメイトは初めて会った時からこの調子だ。ユンギのことだからきっとこの時期に最も重要な提出物の一つや二つは簡単に出し忘れているのだろう。
「進路希望、出してないとか?」
「あー、それだ!」
伏せ目がちな角度から、突然向けられる屈託のない笑顔。
心臓に悪いこの瞬間が、何よりも嬉しい。
「ユンギ、先生とこ行ったらもう帰る?」
たまには2人で一緒に帰ったりしたいな、なんて思っているうちに、1学期が終わろうとしていた。
夏休みになったら、あんまり会えなくなるし…
「うん、この後アトリエ行く。」
「そっか…。頑張ってね。」
「リン、サンキュな」
ユンギの進路がどこなのか気になる。
聞いてみたら教えてくれるのか。
別に秘密って言われたらそれだけのことなのに。
(いくぢなし…)
さっきまでユンギが見ていた窓の外は
太陽がケタケタと
Chap.3
1週間前
七月九日(土)晴れ 時々 突然の豪雨に注意
今日も先生のアトリエに行く。
そこは、大学の研究室の一部を間借りした楽曲制作スタジオになっていて、いつも好きなだけ機材を触らせてもらえることになっていた。僕が個人的にお世話になっている先生 ー
廊下を進むと、聞き慣れた声が聞こえてきた。
先生と、もう一人。
「アミ、あのあたりどう思う?帰らないで森へと、のところ…」
「あぁ、好きだよあそこ。情緒的な比喩が美しいと思う。ハルキストらしいというか、ジュニらしいというか。」
芯のある、心地よい波形。
待ち侘びていた音色。
(アミヌナ、来てるんだ…。)
「実は僕も気に入っていて、その次のところにも使おうかと。どうかな?」
「うん、すごい好きだよ、いいと思うな。」
扉を閉めたらいいのに。
先生は、あまりそういう事に細やかではないけど、もう一人の声の主が、そういう事を望んでいるかもしれないじゃないか。
(あぁ、ほら、そんな風に先生のこと見つめちゃってさ。)
「ありがとう、やってみるよ」
「ジュナ、その調子で適宜深呼吸しながら、ね。そしたら…」
ダンッ、という音を立てて入場するには、ここの床は柔らか過ぎるが、これ以上の成り行きをここで見ているキャパシティは、今の僕にはなさそうだった。
「こんにちは、先生。お邪魔します」
「やぁ、ユンギ。いらっしゃい。」
180cmを超える長身に、人好きする優しげな微笑みで、今日も先生は爽やかに迎えてくれる。大きめの天窓から差し込む明るい光と、先生の存在感が相待って、このアトリエはいつも優しい空気が流れている。
その横で佇むもう1人に、僕はそっと視線を移す。
できるだけそっと、音もしないほどさりげなく。
夏らしい薄手のワンピースに、肩まで下ろした髪。
ほっそりとしたシルエット。
直線的な眼差し。
「ユンギヤ、元気にしてた?相変わらず白くて細いけど、ご飯食べてるか?」
彼女がいるアトリエは、いつもより眩しくて、
彼女の声は、僕の中のなにかを動かしてしまう。
ー困るんですよ
だって僕は受験生なんだから、
ただひたすらに勉強するためにここにきてるんだから。
お腹にグッと力を込めて、ヌナを見る。
「食べてますよ…。」
彼女の視線が、僕に向いている事が嬉しい。
少し余裕そうに微笑むキレイな唇。
跳ね返そうとして逆に捕らえられた僕。
勝手にビートを上げていくのはやめてくれないですか。
ーあぁ、だめだ
結局僕は今、貴女に会えて、嬉しい。
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