第30話 ホワイトキューブ② 悲劇の始まり
ある子坊主が言った。
「こんな世の中にだれがした」
そのことばにある僧侶はこう返した。
「人を憎むのは簡単です。そうして一人一人が他人を憎み憤り作り上げられたのがこの世の中でそう言葉にする貴方もその一人です。」
と。そして別の日に同じ僧侶はこう教えを説いた。
「もし貴方方に他の人の命を救うことが出来ぬなら沈黙をいたしましょう。全ては仏の御心のままと思い世を眺めましょう。」
彼の先代は聡明な僧侶と名高い人だった。自分もそうなりたいと子供ながら父の姿を追い求めようやく跡をついだのは父が亡くなった後だった。彼の父の存在は己だけではなくこの浅草全土が敬い二代目となった彼にかかる期待は相当なものだった。
父が居ればそう何度言われたことだろうか。
そのたび唇をかみしめながら笑みを浮かべる己が醜く感じ何度泣いたことだろうか。
自分もいつか父を超える存在になりたいと何度望んだことだろうか…
必死に父の最後の言葉を何度も何度も思い返し己を叱咤し周囲にもそうあるように伝え続けた。
『人を憎むべからず』
父のその一言だけは自分の一生をかけて守り通そうと心に誓っていたのだ。
先代は笑顔が絶えない人物だったがこの僧侶は涙が絶えない人物だった。
父が亡くなってから己が愛した浅草は狂っていった。父の跡を継いだ自分がなんとかしてその現実に歯止めをかけようとしたが父の存在はあまりに大きかった。そして一度狂った歯車はもう元に戻ることは出来ず悪化の一途をたどった。
必死に皆に父の言葉は正しいものだと守るべきことなのだとそう伝え続けるが人々からの言葉はあまりに冷酷で僧侶は日々心を擦切らせていた。
尊敬していた父がなくなり日々教えを説き住民の安全を確保しようと動いて早4年になった頃だろうか。昨年から町民たちの間で次々と疑念の声が聞こえるようになり、始め囁き程度の小さかった声は木霊となり次第に騒音となった。
『もう年月もたった。我々が我慢する必要はないだろう』
大半の町民がそういう考えになり発言するようになった姿を見ながら僧侶は父の言葉を思い出した。
『人は楽な方に流れるものだ。だからこそ修行の日々があるのだ。私たちは決して楽な方に流されてはいけないよ。』
修行をサボった幼き僧侶に父が叱咤の代わりに話した言葉だった。叱咤を覚悟していた子供の僧侶は父の言葉に驚き単純な話なのに未だに記憶に残っている。まさに今浅草の町民の姿はそれだった。
長年自分たちだけが我慢をしてきたことに不満があったのだろう。何故という言葉はずっと隠してきてはいたがそう思っていたのだろう。
そういう我慢の積み重ねが彼ら自身を守ってきたのだが、先の見えない暗闇に一筋の光さえ失った日々に彼らはとうとう限界を迎えたのだ。
彼らを説得し続ける僧侶は、物を投げつけられ水をかぶり非難の声をかけられ続ける日々にとうとう限界を迎えた。
「浅草寺を閉めましょう」
長年人知れず涙を流す僧侶が初めて人前で涙した瞬間だった。
彼が閉門したことに対する非難は相当なもので、今まで浅草寺に足を運ぶことのなかったものまでもその騒動を聞きつけやってきたくらいだ。
半年後、クラスターが発生したことによりその非難はより大きくなり未だ開かない浅草寺の門には感染者が多数詰めかけていた。
「浅草寺さえ閉まらなければ私たちは感染することはなかっただろう」
そう扉をたたき何度も何度も叫び続けた。
浅草寺の扉の前で日々憎まれた僧侶が一人一人の声を紳士に聞き、泣きながら手を合わせていたことを彼らが知ることはないだろう。
浅草寺は自警団の手によって火の海となり僧侶は涙ながらに手紙を書いた。
『父上どうかお許しください。
私は貴方の愛したこの浅草を死守できず多くの人々を苦しめ続けてしまいました。
最後くらい最善を尽くしたと自負しても良いのでしょうか?
私は自分に出来ることをしてきたつもりです。
もし父上ならこの現実を変えられたかもしれません。
私は私の無力さに苦しみ続けました。
仏が貸した私の道はあまりに険しく私は最後まであゆみ続けることが出来なかった。
昔、父上が言っていましたね。
楽な方に逃げてはならぬと。私たちは苦難の道を歩くのだと。
私はいつまでこの苦難を歩まねばならぬのでしょうか?
最後くらい幸せにありたいと願いましたがそうはいかないようです。
あぁ、ここは地上の地獄だろうかとさえ感じます。
辺り一面が火の海で建物は瓦礫と化した。
人々は泣き叫び罵り怒り悲痛の声が木霊する。
一面に広がる匂いは人が焼ける匂いだろうか…
誰もが己可愛さに身を守り互いを助けず火さえも消す余裕がない。
何故私の愛した浅草がこんな風になってしまったのだろうか。
もし父上ならこんな風になっていなかったのに。
町民がいうように私もそう思います。
もし父上なら人々を導けていたのにそう思わない日はありません。
どうか…どうか…お許しください。
この手紙が天にいる貴方に届くことを祈っています。
そして私を許してくださることを祈っております。』
もう火の手はすぐそこまで迫っていてこのまま己が焼けることを覚悟した。
この火が全てを浄化してくれれば救われるのだろうかと僧侶は一歩また一歩と火に近づき自ら火の中に身を投じた。決して許されない行動と知りながら。
「いつきてもここは…」
浅草寺手前で車を降りたアレックスが独り言のように言った。
彼に続き車から降りたニーナは初めて訪れる浅草の姿に唖然とした。
未だ焼け跡が目立つ建物が多く人が住んでいるか怪しい廃墟ばかりの街だった。
その場は人が住んでいるのかさえも怪しく物音ひとつ立たない街で自分たちが動く音一つ一つが大きく響くようだった。
今回は神楽をのぞく7人全員のミッションとなった。もし人がいて見ているのであれば夕暮れ時の浅草寺の前に烏面が立つ姿はさぞ怪しげだっただろう。
「人は」
「いるわよ。でもきっと出てきはしないでしょうね。」
「ここはいつもそうだ。仕方ねーよ。」
当然のことのように皆はこの静けさに納得していて、現状を不思議に思うのは自分だけだとニーナは知った。
「ベースはこっちだ。」
普段よりかなり多い装備を取り出し両手に抱えながら先導するアレックスについていき浅草寺の中まで入った。
不思議な光景だった。車を停めたのは舗装された道路だったがその先は砂利道が続いていた。何が不思議かというと砂利の真ん中に門がありその門から先の目的地までの長い距離家々を拒むように広々と砂利道が続いているのだ。大抵の道であれば参道はもっと狭く人がすれ違う程度にしか道がないというのにここは車が裕に両側通れるくらい否それ以上のスペースが道であることを忘れたかのように砂利で覆われている。
「こんなに大きなお寺なのに参道が」
砂利ばかりで障害物がないせいかすぐ横を見ると先程見えていた焼け跡がある家々が見える。家々には未だ傷跡が残っているのに何故浅草寺だけが真新しいのか。その光景も不思議と感じさせる一つだろう。
「閑散としてるのは仕方ないよ。」
「過去この砂利道の大半は露店だったんだ。だが5年前に大火事があってそれ以降はこうして砂利道になっているがな。」
「そうそう!また火事が起きても逃げ場になるようにってね」
「知らねーの?結構なニュースになったのに」
「報道みないようにしてたから…」
「聡明な僧侶と愚者の僧侶。」
「二人の僧侶が火事を起こしたってこと?」
「違う違う。この先の本殿にまつられている聡明な僧侶が浅草を導き愚者の僧侶が町民を見捨てたって話。それで町民を見捨てた僧侶を問題視した当初の過激派がこの浅草寺を燃やしたんだ。だけど浅草寺だけを燃やすはずだった炎は街全体を燃やして今もまだこんな状態が続いているってことだ。」
「無駄口はそろそろやめろ。町民の中に感染者がいるらしい。
ここに荷物を置き次第クラスターが発生する前に早急に対処するぞ
二度とこの町で自警団が暴れることなんてあってはいけない」
アレックスが持ってきたバッグを開くと中には複数のドローンが入っていた。普段ドローンは車に装備されているが今回は車に装備することなく小型のものを動かすようだ。
『神楽さん、アレックスです。ハイホースタンバイOKです。』
『了解。飛行テストするからチェックして。』
数十体もの小型のドローンが一斉に飛行してアレックスは動作チェックをし神楽はカメラテストを行った。
『久しぶりですが、問題ありません。』
『いじけてないといいけど。』
先程まで飛行テストをしていたハイホーは一斉に外に向かい砂利の向こうに並ぶ町内へと進行していった。
『先に確認してくるよ。』
『了解。待機します。』
「神楽がハイホーで確認終わり次第、我々も町内に分散する」
闇烏は知らない。
自分たちを見ているめが複数あるのだということを。
姿を隠した目は決して人前に出ることはなかったが、不安に瞳を揺らしたことを。
度々彼らがここを訪れることはあったが、今日のように団体で来ることはなかった。
黒服が複数並んだときはまさかとさえ自分の目を疑ったくらいだ。
遠方には烏のように集団で飛び回るドローンの姿がありその不安が的中したことを告げる。
再び自分の街に悲劇が訪れることを告げているのだ。
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