第一章
01-01 頼まれたがりの女の子
校庭の木々から緑が生い茂り、キラキラと光を弾いている。
衣替え移行期間中の教室には長袖と半袖が混在し、生徒たちが重だるい午後の授業をやり過ごしていた。
「はーい、今日はここまで」
数学担当の佐藤先生がチョークを置くと、途端に教室が活気に満たされた。
「マミさーん?」
「おーい。朝ですよ~」
しかし、みんな友達同士で集まって、一秒でも長く休憩を味わいつくそうとしている中、一人だけ机に突っ伏し続けている女子がいる。
耳元で呼ばれても、肩をたたかれても、さらにはセーラー服の襟を立てて頭にかぶせられても。
まったく起きる気配はない。
周りに集まっていた仲の良い友人たちは、代わる代わる起こそうと試みていたが、頑として目を覚まさないその女子に、しまいには爆笑した。
「盛り上がってるとこ、ごめんだけどー……って、宇津井さん具合悪いの?」
心配そうに覗き込んだのは佐藤だった。
「違うんすよっ、マミさんっ、ぐっすり寝ちゃっててぇ」
込み上げてきてしまう笑いの隙間隙間で、友達の一人がやっと言葉を絞り出した。
「あー……授業中も船漕いでたからなぁ。ついに沈没したわけだね。普通、休憩時間になったら途端に眠気が飛びそうなものだけど」
苦笑して、佐藤は伸ばしかけていた手をそっと下ろした。
「ところで、古瀬さん」
「あ、はい」
笑いに片足を突っ込んだまま振り返ったのは、集まっている中で一番背の高い女子だった。
小柄な佐藤が並ぶとさらに大きく見える。
逆に、並ぶとますます小さく見える佐藤は、体を丸めてさらに小さくなって両手を合わせた。
「ごめんなんだけど、配る予定だったプリント持ってくるの忘れちゃって。後で取りに行ってくれない? 古瀬さん、回収係だったよね?」
「はい。でも、ホームルーム前にどうせ持ちに行くじゃないですか?」
職員室前にはクラス別の棚がある。
そこに配布プリントを入れておけば、朝夕に各クラスの回収係が取りに行き、教室で配られるというシステムだ。
「それが、私の机の上に忘れてきちゃって、クラスのプリントボックスに入れてないのよ。私はこの後、隣のクラスで授業だから職員室には戻らないし、その後も何かと立て込んでて。そしたら回収前にボックスに入れられないでしょ?」
あー、と古瀬が納得の声をもらした。
「わかりました。じゃあ佐藤先生の机から持っていきますね」
「ごめんね。お願いします」
しかし、それに間髪入れず答えたのは古瀬ではなかった。
「ハアアイッ!」
いきなりの大声、続けてガターンという音。
その場に集まっていた全員が飛び上がった。
勢いよく立ち上がった弾みで後ろに吹っ飛んだイス。
そのイスを気にもせず、ピンッと片手を天に突き上げて直立する少女、宇津井。
突然のことに、周りはその指先からかかとにかけて板でも入っているのかという完璧な直立を、ただ茫然と見つめることしかできなかった。
さっきまで何をしても起きなかった少女が、大声で返事をして、立ち上がったのだ。
そして、なおも閉じられていた両の眼をついにカッと開き、少女は叫んだ。
「お願いされたからには、お役に立てるよう頑張りますっ!」
少しの沈黙。
それから、ゲラゲラという憚らない笑いがわき起こった。
「いや、お願いされたのマミさんじゃないから!」
「マミさーん、おはよー」
「……へっ?」
パチッと瞬きして、そこでやっと宇津井の瞳に世界が映った。
「えっえっ、えっ!? ……え~~~!」
挙動不審に周りを見回し、見上げてみたら自分が手を挙げていることに驚愕し、友達にギャハギャハ笑われているこの状況にも理解が追いつかない。
夢の世界から帰還した宇津井であったが、現実への着地が本人もビックリの下手クソ具合なのだった。
「箸が転んでもおかしい、とはこのことね」
笑いの収まらない少女たちの横で、佐藤が苦笑とともに独り言ちた。
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