散歩

水妃

第1話 散歩

僕は学生時代を過ごした地元を数十年ぶりに歩いてみた。


ありきたりなフレーズで申し訳ないけれど

マジであたりの風景はすっかり変わってしまっていた。


虫歯を治してくれた歯科医院は看板だけ残して

潰れていた。

麻酔注射のチクリとした感触が思い出される。


自分が卒業した小学校は閉校になっていた。

取り壊しにはなっていなかったので

スマホを取り出し何枚か撮影した。


運動会やサッカー、ドッジボールをしたことが

思い出された。


この学校で学んだこと、

自分は活かせているだろうか。

先生に怒られた記憶が蘇る。


よく通っていた銭湯は無くなっていて、

今はお洒落なマンションになっていた。


銭湯にはあらゆる世代の人がいて、

自分は小さかったけど仕事の話しなんかを聞いて

とても勉強になった。


自分の両親から学ぶ内容とはまた違い、

今考えると現代よりも地域で子育て感が強かったのかもしれない。


よく家族で行った映画館も閉館していた。

昔は子供達いっぱいで、行列を作り、

座席に座り切れず立ち見で映画を観たこともあった。


昨日のことのように浮かんでくる。


映画館で貰えるおまけが懐かしい。


それから、

好きな子と初めてキスした科学館の裏に行ってみた。


今もあの子の唇や舌の感触を覚えている。


真冬の夜の空の下、何時間キスしただろう。

抱きしめ合っただろう。


お互い不慣れで、不器用で、

愛を確認したくて、温もりを感じたくて。

誰かがそこの場所を歩いていても気にせずに。

あの感覚は凄く新鮮だった。


あのような新鮮さは今の僕にはもう感じられない。


たった一度だからこそ価値があるのかな。



不良仲間と喧嘩した場所に行ってみた。

殴り合った記憶が蘇ってきた。


相手からくらったローキックが

次の日から痛くなって結構辛かったな。



よく友人と語り明かした公園に行ってみた。

タイムスリップした気持ちになった。

学校祭の準備の後、

夜空を眺めながら将来の夢を語り明かしたな。

皆、希望に満ちていた。

何にでもなれると思っていた。

無敵だった。



今日、僕は全てを投げ出して

ひたすら歩いた。


仕事も全て忘れて。


PDCA、逆算思考、論理的思考、

クリティカルシンキング、根回し、生産性、効率、品質改良、

人員計画、決算書、無駄を省くとか全て無視して

車も自転車も使わずに

目標なんて持たずにがむしゃらにただ歩いた。



良い思い出も悪い思い出も

歩きながら思い出したけれど

構わずひたすら歩いた。



そうしたら、

何だか少しだけ、

小さな頃の無我夢中の自分に戻れた気がした。

おもちゃに夢中だったあの頃のように。


帰り際、

昔よく髪を切ってもらっていた理容室に立ち寄った。

そこは今も営業していた。

外観は今っぽくオシャレになっていた。


店から

イケメンの男性が一人出てきた。


互いに軽く会釈して

僕はまた歩を進めた。



昔、社長に髪を切ってもらっていたが、

今も現役なのだろうか?

子どもがいたからその子が継いでいるのかな。


ちょいと悪ガキで生意気な

綺麗な顔をした男の子だったな。


スマホを取り出し

店を検索してみた。


社長は若い男性だった。

良く見ると先ほど会釈をしたイケメン男性だった。


名前を見ると、

あのちょいと悪ガキで生意気な

綺麗な顔をした男の子だった。


大きくなったな。


面影はあまり無いが

そりゃそうか。

お互い中年だ。

彼はあの時まだ幼稚園児だったからな。


歩きながら、

僕は諸行無常を体感した。


時は止まらない。


僕の頭の中には昔の風景が残っている。

今は跡形もない古い団地の風景や、

子供達が公園で遊ぶ姿、

銭湯帰りにアイスを食べる家族。


そして、

目の前には今の風景がある。


未来には未来の風景があるんだろう。


あの銭湯の店主に、

風呂の楽しさを教えてもらったな。

聞くところによると店主はもう亡くなったらしい。

でも、僕の中で生きている。

僕は今もお陰で風呂が大好きだ。


歯医者も今はもう無いけれど、

僕の奥歯の治療痕は今も残っている。

今も僕の中で生きているんだ。

助けてくれてありがとう。



そうそう、

我が息子も、娘も僕に似て風呂好きさ。

そうやって紡いでいくのかな。


今日はたくさん歩けて良かった。

散歩も悪くないな。



時は物凄いスピードで過ぎ去っていく。

全ては止まらない。

全ては移り変わっていく。

自分の身体も心も含めて。


だから、この一瞬、一瞬を見逃さないように

大切に大切に生きたい。


特に父を亡くしてからはそう思う。

父は人生をかけて僕に死を持って大きな学びを与えてくれた。

有限という事を。

僕にはもう父の日が無いんだ。

父の日や母の日はいつもそばに

当たり前にある訳じゃない。



それと同時にやはり、ゆるさも忘れずに

肩の力を抜いて深呼吸して生きていく。

心穏やかに。


こんな一日があっても

悪くないもんよ。


正直忙しい毎日だけど、

それでもこんな日を作り出す価値はあると思う。

数時間でも良い。


そんな時だった。


「あれ、もしかして、りゅう君?」


僕は後ろを振り返った。


「ん? え、君は……あっ 」

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散歩 水妃 @mizuki999

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