第243話 手紙鳥追跡術

 老伯一行が森を逃げる。

 四方八方から追跡者の気配がする。


「――こちらだ」


 老伯が踵を返し、上ってきた道から飛び降りて獣道に入り、それを今度は駆け下りていく。


「静かに」


 老伯が足を止め、一行は身を屈めて息を殺す。

 さっき通っていた道で追手の気配がして、松明の明かりがいくつも傾斜を上っていく。

 明かりが見えなくなって、オズが言った。


「おい、おっさん! 何で敵の位置がわかるんだ?」

「シッ。……長年の経験だよ、オズ」

「嘘つけ! だったら戦場はジジイばっかになるだろう」

「ハッハ、確かに。面白いことを言うな、オズ」


目がいい・・・・、か。そういう能力と見るべきだな……)


 首吊り公の放った追手は、ハンギングツリーの騎士のおよそ半数を当てた大掛かりなものだった。

 それでも小勢の老伯一行ならば逃げきれるはずだったのだが、ここまで肉薄されているのには理由があった。

 ビンスが叫ぶ。


「また来たぞ、【手紙鳥】だ!」

「チッ!」


 枝葉の間から、火に包まれた【手紙鳥】がこちらに向かってくるのが見える。

 斥候役のジャズが素早く手近な木を登り、枝を渡って、飛来する【手紙鳥】を叩き落とした。

 老伯が感心したように言う。


「さすがは首吊り公よ。面倒な策を使ってくる」

「悠長なことを仰ってないで逃げないと! また【手紙鳥】の方角を見て追手が集まってきます!」

「心配するな、ココララ。儂の逃げ足は知っていよう?」


 老伯はともかく、ココララたちの焦りが顕著だ。

 それを見てとったオズが申し出た。


「俺だけ別れようか? 【手紙鳥】の宛名はおそらく俺だし……」

「心配するなと今言ったぞ、オズ? ただついてくればよい」


 そう言って老伯はぐるりと見渡し、道ならぬ道へと駆けだした。

 その後を追い、老伯一行は闇に消えた。



 ――ハンギングツリー近くの小さな砦、その屋上。

 首吊り公は持ち込んだ安楽椅子にゆったりと座り、ロザリーは屋上の端から目下に広がる森を見つめている。


「――落とされました。次の【手紙鳥】を放ちます」

「ああ、頼む」


 ロザリーは手紙に宛名だけを書き、丁寧に折り紙して鳥の形にした。

 そして魔導をわずかに込めてから、マッチに火を点して【手紙鳥】の中に忍ばせる。


「オズモンド=ミュジーニャの元へ。行け」


【手紙鳥】は夜空に羽ばたき、オズの元へと飛んでいった。


「こんな追跡術があるなんて、初めて知りました」


 ロザリーが感心したようにそう言うと、首吊り公はニヤリと笑って頷いた。


「悪くないだろう? こちらにしてみればとても簡単で、相手にしてみればとても厄介な策だ。夜間でなければ火を仕込む必要もなく、連続で放つこともできるのだが」


 火を仕込むのは視認性を上げるためで、ロザリーがわずかにしか魔導を込めないのは速すぎると追跡が難しくなるからだ。


「しかし、よく逃げる……」


 首吊り公が言う。


「追手を率いるのはフィンだ。奴は私が追うのに手を焼くほどはしっこい・・・・・。なのにまだ、影も踏めずにいる」

「しかし、その間にも包囲は狭まっています。時間の問題では?」

「だとよいが」


 首吊り公の言葉に不安を感じ取ったロザリーは、少し考えて提案した。


「では、ランガルダン側への経路を対西域連合騎士団に封鎖させては? 同様に王都側を援軍の方々に封鎖させれば――」

「――袋の鼠か。小勢に対して些か大げさすぎる気もするが」

「ダメですか?」

「いや、面白い」


 今度は首吊り公が【手紙鳥】を作り始めた。

 西域連合と、王都よりの援軍に対してだ。

 首吊り公がこれらに魔導を込めると、二通は猛烈な勢いで空へ舞い上がり、空気を切り裂いて目的地へと飛んでいった。



 ――そして、夜が明けた。

 首吊り公の不安は的中し、未だ覗き魔を捕獲できていない。


「公! どうか今少し! 今少しお時間を!」


 小さな砦の屋上で、小指筆頭のフィンが膝をつき、安楽椅子に座る首吊り公に懇願している。

 彼は諜報・工作を得意とする騎士であり、同時に追跡も得意としていた。

 だが【手紙鳥】による追跡で大掛かりな山狩りまでやって、未だに覗き魔を捕らえられずにいる。

 この事実が彼の誇りを大きく傷つけていた。


「それで捕らえられるのならばいくらでも時間をやるがな。ヴァイルはどう思う?」


 ヴァイルは中指筆頭の女重戦士。

 二メートルを超える均整のとれた体躯に、露出の多い金属鎧を身に着けている。

 彼女は首筋をポリポリと掻いて、それから言った。


「フィンには悪いけど、捕まえられる気はしませんねえ」

「っ、ヴァイル!」

「だってそうだろう、フィン? いつもなら背中を捉えて斬りかかれる。そんなタイミングが昨夜はいくつもあった。なのに今回は一度も姿を拝めていないじゃないか」

「そうだけどっ!」

「逃げに関しちゃフィンより相手が一枚上だよ。残念だったね?」

「~~っ」


 フィンが歯噛みして何も言えなくなったとき、屋上へ上がってきた人物がいた。

 ラズレンである。


「公。ご報告に参りました」

「ご苦労、ラズレン。アン=ぺネットは吐いたか?」


 ラズレンはわずかに頷き、懐から数枚の紙を取り出した。


「皇国側の協力者であることは認めました。特定の任務を帯びているわけではなく、皇国のエージェントが現れたときに便宜を図る役割である、と」

「怪しい人物だとは思っていたが、まさか本当に敵国の協力者だとは。いつからハンギングツリーに忍び込んでいたのだ?」

「初めから。ハンギングツリー生まれで、獅子侵攻の折に夫と子を亡くし、変節したようです」

「なるほど。で、今回のエージェント――覗き魔の名は?」

「それだけは頑として吐きません。五、六名であり、それにオズモンド=ミュジーニャが加わっているというところまでは聞き出せましたが」


 ロザリーは頭を抱え、小声で呟いた。


「あの、バカ……!」


 その様子をチラリと見た首吊り公が言う。


「オズモンドは任せてよいな? 手間取るようなら……」

「いえ、私が必ず捕らえます」

「ならば任せよう。ヴァイル、お前には野性的な勘がある。覗き魔を追ってみて、どんな印象を持った?」

「印象、ですか」

「何でもいい」

「そうですね……虎、ですかねえ?」

「虎?」

「のっそりしてるのに急に動く。見てないふりして全部見てる。余裕があるのは牙と爪に絶対の自信があるから」

「お前はその虎に勝てるか?」

「ご命令とあらば、もちろん勝ちます」


 すると首吊り公はげんなりした顔で言った。


「意気込みを聞いておるのではない。聞きたいのは印象だ」


 ヴァイルは口を尖らせて考え、それから言いたくなさそうに言った。


「私は虎に食われる側です」

「正直でよろしい。それはお前の美徳だ、並の騎士のように誤魔化しをするな」

「……はい」

「この歳になると徹夜は堪える。……う~っ」


 首吊り公は安楽椅子の上で大きく伸びをした。

 そうしてだらけた姿勢のまま、ロザリーに言った。


「どうしようか〝骨姫〟? 私は疲れた、卿の策に従おう」

「策、ですか」


 ロザリーは口に手を当て、考えた。


「覗き魔は虎、供は五、六名、オズがいる……西域連合と王都援軍による経路封鎖は?」

「本日正午には完成する」

「では……正午に追手を引き上げ、私が単独で虎のいる森へ向かいます」

「……ほう?」

「ヴラド様の仰るように覗き魔の目的が私なら、私は虎のエサです。私はエサとして所定の位置に留まり、虎を待つ。虎が来たら足止めしますので、あとはヴラド様とフィン卿、ヴァイル卿、ラズレン卿が駆けつけて下されば、いかに虎が強くとも狩れるかと」


 名前を挙げられた面々は一様にやる気に満ちた顔で頷いた。

 しかし、首吊り公は首を横に振った。


「その策はとれぬ」

「なぜですか? 穴がありましたか?」


 首吊り公は身体を起し、言いにくそうに言った。


「……〝骨姫〟。卿はもう、私にとって戦友だ。ヴァイルにああ言った手前もある。だから正直に打ち明ける」

「はい……?」

「覗き魔のこと、私は王宮に密に報告を上げている」

「は……それは、覗き魔が皇国の騎士であれば外交問題になりますし、そうすべきかと」

「うむ。その上でな、実は私は陛下より秘密裏にご命令を受けている。宮中伯コクトーすら通さずにな」

「密命ですか……どのような?」

「ロザリー=スノウオウルが皇国に寝返るようなことはまかりならん、とな」


 ロザリーは驚いて固まったが、すぐに目を剥いて抗議した。


「ヴラド様は私が裏切るとお思いなのですか!」

「怒るな、〝骨姫〟。私はそう思っておらぬし、陛下とて『避けねばならない』とお考えであるに過ぎん」

「っ、でも!」

「卿は裏切らないだろう。だが例えば、覗き魔が卿の母〝白薔薇〟であったら?」

「!? あり得ません、母は死にました!」

「そうなっているな。だが私は〝白薔薇〟の死をこの目で見ていない。卿はどうだ?」

「~~っ!」

「卿を怒らせたいわけではない。だが〝あり得ないこと〟というのは存外、起こり得ると知ってほしいのだ。……繰り返すが、私は〝骨姫〟が裏切るとは考えていない。だが正体不明の皇国騎士に一人で会う。そこに友人のオズモンドもいるとなると、快く送り出すことはできない」

「……結局、お疑いなのではないですか」

「そう思われるだろうから、言いたくはなかった」


 重い沈黙が流れ、それをヴァイルが破る。


「あの、結局、虎狩りはどうするんです?」


 ラズレンが眉を顰める。


「空気を読め、ヴァイル」

「そうは言うけどさ、ラズレン。虎は日の出てるうちに狩るべきだよ。夜は虎の独壇場さ。今度こそ逃げられるよ」

「まあ、な……」


 また重い空気が流れ始め、今度はそれを首吊り公が破った。


「……〝骨姫〟の策を採用する。だがエサは変える」


 ロザリーが片眉を上げて問う。


「私の代わりになるエサがありますか?」

「アン=ぺネット。彼女には悪いが、虎挟みになってもらう」


 フィンがハッと顔を上げた。


「呪殺界を……?」

「そうだ。かかるかどうかは覗き魔がアンを見捨てるかどうかによるがな。……すぐに場所を決めて準備に入れ。呪詛は私が仕上げる」

「ハッ!」


 吊るし人ハングドマンの面々が屋上から降りていき、首吊り公はロザリーを見つめた。


「〝骨姫〟。気が乗らぬなら来なくていい」

「……いいえ。オズのこともあります」

「たしかに。覗き魔が誰であれ、殺す覚悟はあるか?」

「母ではありませんから。母でないなら覚悟はあります」

「わかった。ならば来い」

「お供いたします」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 本年も〝骨姫ロザリー〟にお付き合いくださり、誠にありがとうございました!

 寒い日が続きますが、皆様風邪など召されぬよう、暖かくして新年をお迎えください。

 よいお年を!

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