第242話 追憶

 ハンギングツリー郊外、森の奥。

 老伯が歩き、その後をオズがついていく。

 老伯が「ついてくるな」と命令したので、ここには二人だけ。

 セーロもオズの命令で一行と共に残った。

 やがて森が開け、小さな泉に出た。

 老伯は辺りを見回し、ちょうどいい倒木を見つけてそこに腰かけた。

 そして立ったままのオズに言う。


「オズ。まあ座れ」

「……あんたの横にか?」


 老伯はフ、と笑って言った。


「どこでもいい。そこらの地面でも、儂の横でもな」


 オズは老伯がそうしたように辺りを見回し、泉のほとりの一抱えほどの石に腰かけた。

 老伯に背を向けて、小石を拾って泉へ投げる。

 ポチャンと水音がして、それからオズは背中越しに言った。


「……今さら何を話したって無駄だぜ?」

「慌てるな。聞いてからでもいいだろう」

「何を聞けってんだよ」

「儂が秘密にしていたこと。この旅の目的だ」

「ならまず聞きたいことがある」

「なんだ?」

「おっさんの名だ。俺はまだ、あんたの名を知らない」


 少しの間があり、老伯は言った。


「……ロデリック=ファルコナー。それが儂の名だ」

「ふ~ん。ロデさんね」


 すると老伯は意外そうに言った。


「本当の名かと疑わぬのか?」

「だって本当だろう? あんたらみんな、偽名使ってないじゃん」

「なぜわかる」

「勘だ。でも当たってるに違いない」

「……オズ。お前は本当に鋭い奴だ」


 オズは呆れ顔で言った。


「おっさんは嘘が下手過ぎるぜ。なんでそんな正直者一行が王国に忍び込んだりしたんだよ?」

「それを今から話す。だがどこから話せばよいか……」

「手短に頼むぜ。俺は早くあんたらの元から離れたいんだ」

「わかった」


 そして老伯は語り出した。

 遠くを見つめ、まるで昔語りでもするように。


「ルイーズ=スノウオウル。それが友の名だ」

「……ロザリーの母親か?」

「そうだ。魔導八翼第一席〝白薔薇〟のルイーズ。美しく、気高く、とても強い騎士だった」

「おっさんよりも強いのか?」

「第一席だからな。皇国のどの騎士よりも強いということだ」


 オズはヒュウ、と口笛を吹いた。


「ってことは親子揃って大魔導アーチ・ソーサリアってわけか」

「そうなるな」

「おっさんはどうやってそんなすごい女とダチになったんだ? 年も違いそうだが」

「ルイーズがちょうど今のロザリーくらいの年頃だった頃、彼女に剣を教えていたのだ」

「じゃあダチってか師匠?」

「まあ、そうだ。ほとんど教えた覚えはないがな。その頃のルイーズはまだ大いなる魔導にこそ目覚めていなかったが、その天賦の才は疑いようがなかった。儂には多くの弟子がいたが、一年足らずで下から一気にごぼう抜きよ。さすがの儂も驚いた」

「へえ。それで?」

「ルイーズは一番上の高弟を倒したあと、『もう学ぶことがないので弟子を辞める』と言った。儂は『確かに教えることがない』と思ったので、それを認めた。すると彼女は言ったのだ。『これからは師弟ではなく友ですね』と」

「な~るほどね。それでダチか」

「ルイーズはそれからほどなく、大いなる魔導に目覚めた。彼女に敵う者はいなかった。敵にも、味方にもな。皇国で一番の騎士だから必然、戦場へ赴くことが多くなる。儂は戦場に行くのが楽しみだった。そこでルイーズに会えるからだ。――だが、彼女はそうではなかった」

「おお? おっさん、嫌われてたのか?」

「戦場を嫌っていたという意味だ。ルイーズは戦に向かない人間だったのだ。儂は師として接しながら輝かしい天賦の才に目が眩み、彼女の脆い部分を見落としていた。日に日に感情を失っていくルイーズを見て、儂はやっと気づいた。彼女は優しすぎたのだ」

「……救ってやれなかったのか?」

「彼女は儂が師として振る舞うことを拒絶した。戦友としての助言はしたが……もう、遅かったな。すべてを捨てて逃げてはどうかと提案したこともあったが、ルイーズはそうしなかった。優しいが故、捨てることもできなかった。そうして皇国一の騎士として十余年が過ぎ……ルイーズの命を奪うことになる獅子侵攻が起きた」

「ちょい質問」


 オズが手を挙げた。


「皇国ってそんな年がら年中、戦してんの?」

「連合国と言えば聞こえはいいが、その実は大小数多の国の寄せ集めだ。まとまれば強いが常に内紛の危機の中にある。獅子侵攻の起きたときも、儂は遠く離れた南部で起きた反乱鎮圧に動いていた」

「ほ~ん。じゃ、も一つ質問。こっちが本命」

「なんだ」


 するとオズはずいっと身を乗り出して、鋭い目で老伯に尋ねた。


「獅子侵攻で王国は負けたんだ。皇国一の騎士〝風のミルザ〟の手によってな。だがおっさんはルイーズが皇国一の騎士だといい、彼女はそこで死ぬのだという。まだ俺を謀るのか?」


 老伯は首を振った。


「謀ってなどいない。獅子侵攻より今も、ミルザが八翼一席なのは事実。そして獅子侵攻までルイーズが一席だったのも事実だ」

「あ~……獅子侵攻でルイーズが死んで、ミルザが繰り上がったってこと?」

「多くの人間はそう捉えているが、事実は異なる。獅子侵攻が起こるまで、ミルザはごく普通の、並の魔導騎士だったのだ」

「あん? どういうことだ?」

「ミルザの覚醒は仕組まれていた。それを由しとしなかったルイーズが、供も連れず独断で獅子を迎え撃つべく戦場へ向かったのだ」

「何だよ、覚醒が仕組まれてるって」

「多大な犠牲の上で覚醒を無理やり引き起こすということ。……ミルザの覚醒についてはこれ以上語らぬ。儂もよくは知らぬしな」

「……まあいいけどよ。それで、ルイーズは王国騎士の誰かに討たれた?」

「黒獅子ニドだと聞く。まあ弱っているとはいえ、ルイーズに勝ち得るのは奴しかおらぬだろう」

「弱ってた……? 病気だったのか? それとも怪我を?」

「ルイーズは身重だった」


 オズが目を見開く。


「! ……そうか、それがロザリー」


 老伯はひとつ頷いた。


「魔導は血によって巡る。魔導能力において男女差はほとんどないが、唯一大きな違いが妊娠中だ。腹の子にも魔導が巡り、それは己の意志では制御できぬ。術の発動がうまくいかぬなどはザラで、術が歪んで事故が起きることすらある」

「……何でだ?」

「ん?」

「何でルイーズは、そんな身体で戦場へ行ったんだ? 腹の子が大事じゃなかったのか?」

「大事だっただろうよ。だが今にして思えば……腹に子がいたからこそ、かもしれぬ。当時のミルザは少年だ。運命に翻弄されて不幸な目に遭うのを放っておけなかった。自分にしか救えぬ、自分ならば救える。そう考えたのだろう」

「……なんか難しいな。わかるようでわからねえ。俺が男だからかな?」

「さて、な。儂とてそう考えるようになったのは、この旅の最中だ。皇国より王国西方に入り、この道を囚われのルイーズも通ったのやも、などと思いつつ、な」

「囚われ? ……そうか! ロザリーが生まれてんだから、ルイーズは戦場で死んだわけではないのか!」

「儂もルイーズは戦場で死んだと思っていた。遺体が回収されぬことも、大魔導アーチ・ソーサリアのいる戦場ではよくあることだ。……十五年も、そう思い込んでいた」

「ロザリーが金獅子になって、それが皇国にも伝わって、おっさんも知ったんだな?」


 老伯は深く眉間に皴を寄せ、俯き加減に、苦悩に満ちた表情を浮かべた。

 それはオズが初めて見る老伯の顔だった。


「……ルイーズの娘がいる。儂はそれを聞いたとき、戸惑った。嬉しさよりも戸惑いがまさった。ルイーズは戦死していなかったのか? ならば助けられる機会があったのか? ルイーズはどこでどうやって娘を生んだ? そもそも、本当に彼女は死んだのか?」


 幾つもの問いが豊かな髭の奥から零れてくる。

 そしてオズを見つめ、最後の問いを発した。


「ロザリーは本当にルイーズの娘なのか?」

「わからない」


 オズが言った。


「俺はロザリーのことはよく知ってるが、ルイーズを知らない」

「……そうだな。たしかにそうだ」

「まあ、おっさんの目的はわかったよ。でも俺を雇ったのは何でだ?」

「ロザリーと目される人物に会っても、それが本当にロザリーなのか、儂にはわからぬからよ」

「あ~、影武者がどうとか言ってたな?」

「皇国と王国は休戦協定下にあるとはいえ、敵国同士。『会わせてくれ』と言って会えるものではない。ロザリーの出自を考えればなおさらだ」

「ああ、ね。王宮としては皇国の人間と接触されたくないわな。大事な大魔導を引き抜かれちゃ堪らない」

「とにかく、ひと目会いたい――だから蛮族の侵攻に紛れて王国に入った。そこまでしておいて、会うのが他人では困るのだ。そう何度も機会を得られるとも思わぬし、儂が偽物と会ったと知られれば、本物は隠されよう。間違いなくルイーズの娘であると確証がある前提で会わねばならん」

「その確証が俺か」

「お前の見立て通り、オズモンド=ミュジーニャのことは調べた。ロザリーと特に親しかった同級生の一人で、都合よく西方にいた。選択の余地はなかったよ」

「なんで盗みに入るとか回りくどいことをやらせた?」

「お前の性質を知ったからよ。頼んでも脅しても、首を縦に振る気がしなかった。ミュージアムでの偶然の再会はココララの案だ。彼女はあれで夢想家ロマンチストでな」

「意外でもねーけど。それで、俺をロザリーに会わせてどうする気だったんだ?」

「会わせることが目的だ。そのときのお前の反応で本物のロザリーだとわかった」

「ミュージアムにいたのか? いや、あのとき俺は気を張ってた。おっさんもジャズもいなかったはず!」


 すると老伯はニヤリと笑った。


「オズ。儂は目がいいのだよ」

「片目なのにか?」


 老伯はフッと笑って「そうだ」と言った。


「チッ。ビンスが自信満々に言うから、俺が捕まってもおっさんが助けてくれたんだろうって思ってたのにな」

「ん? どういう意味だ?」

「だって、俺がロザリーに会った時点で目的は達成してたんだろう? あのとき、俺は捕まる可能性もあったんだ。でもおっさんには助ける理由がないじゃないか」

「何を言う、助けるとも。仕込みもあるしな」


 そう言って老伯は立ち上がり、オズの上着のポケットを探った。


「……何だそれ? 皇国の騎士章?」

「それに似せた魔導具だ。使い捨てだが強力な魔導具でな、視界と魔導を乱す煙幕を放つ。遠隔発動が可能で、屋内で使えば効果は覿面。その隙があれば、儂ならばオズを連れて脱出できる」

「いつの間にこんなの入れたんだ? おっさんとジャズと三人で話してるときか?」

「他人から貸してやると言われて借りたときは、借りたものをよく調べておくことだ」

「あ。そうか、このフード付きの上着に初めから……」

「ロザリーが追ってくる可能性もあった。その可能性こそ、最上の結果だったが……まあ、いい。ロザリーが本物と知れた。あとは会うだけ――」


 そこで老伯が、ハッと振り返った。

 森の樹々の奥。

 ハンギングツリーの方角をジッと見ている。


「どうした、おっさん」

「……ロザリーが来る」

「ッ、マジか!?」


 老伯が右目の眼帯の縁を指でなぞる。


「余計なものを連れてな」

「余計なもの……まさか首吊り公!?」

「……仕方ない。逃げるとしようか、オズ?」


 そう言ってこちらを向いた老伯の顔が、オズにはとても楽しげに見えた。

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