第55話 濡れ衣は紅茶の香り

 夜のポートオルカ。

 入り江近くの船着き場の陰。


 潮騒と夜の闇に紛れて、ロザリーとラナが物陰に駆け込む。

 そして人目を警戒しながら物陰から顔を出す二人。

 通りを挟んだ目の前に、三階建ての立派な建物がある。


「ロザリー。本当に行くの?」

「行く。濡れ衣を晴らさなきゃ」


 二人が様子を窺う建物は、ポートオルカの町役場。

 賞金首の張り紙には管轄が記されていて、それがこのポートオルカ町役場だった。

 直接乗り込んで、身の潔白を訴えようというのだ。

 ラナが囁く。


「また捕まりそうになったら?」

「また逃げる」

「今度は魔導騎士もいるかもしれないよ?」

「そのときはぶちのめして逃げる」


 ラナは諦めのため息をついた。


「わかった。私も行くよ」

「ん。じゃあ早速――」

「――その前に確認。ほんとは何かやったんじゃないの?」

「やってないよ」

「命賭ける?」

「子供みたいなこと言うのね……」

「あー? 賭けられないんだ?」

「賭けるわ。足りなきゃラナのもね」

「ちょっと。人の命、勝手に賭けないでよ」

「とにかく、やってないから」

「う~ん。……ほんとにほんと?」

「しつこいっ! やってないってば!」

「しーっ!」


 ラナはロザリーの口を押さえ、周囲を気にする。

 人の気配はない。

 ロザリーはラナの手を払い、仏頂面で立ち上がった。


「行くよっ」


 渋々とラナも続く。

 二人は忍び足で通りを横切り、役場へと入った。

 玄関の扉は開いていて明かりもついているのに、人影がまったくない。


「夜だからかな、人がいない。ツイてるね」


 ラナの言葉にロザリーは答えない。

 玄関ホールを突っ切って、正面階段へ。

 音を立てず油断なく、階段を上っていく。

 二階のすぐ手前までたどり着き、廊下を覗き見る。

 廊下の右も左も明かりは点いているが、やはり人の気配はない。

 ロザリーは三階への階段を上り始めた。

 小声でラナが問う。


「ロブロイ、無事かな」

「……どうかな」


 慎重に階段を上り、三階に着いた。

 この廊下には誰もいない。

 しかし、微かに話し声が聞こえる。


「こっちね」


 二人は忍び足で、声のする部屋へと向かった。

 辿り着いたのは、廊下の突き当りの部屋。

 立派な扉の上に〝町長室〟と札が掛けられている。

 二人は扉に耳を当てた。

 室内の会話が聞こえてくる。


「半端ねえな」「香りの次元が違ぇ」

「入れ方のせいか?」「いや、茶葉の質だろう」


 聞こえてくるのは、同じ声色が二つ。

 間を置かない独特の会話のリズム。

 ロザリーとラナが顔を見合わせる。


「まさか……」

「この声って……!」


 次の瞬間、ロザリーは勢いよく扉を開け放った。

 会話の主の二人が、同時にこちらを向く。


「おー、ロザリー」「遅かったな」

「ロブロイ! 何でここに!?」


 町長室にいたのは、ロブとロイだった。

 対面する一人掛けのソファにそれぞれ座り、優雅にお茶を飲んでいる。

「何って見りゃわかんだろ」「紅茶を頂いてんだ」

「この紅茶、パねえぞ」「さすがは王国一の港町だ」

「いい品は港に集まる」「親父の言ってた通りだな」

「待って待って! 矢継ぎ早に喋んないで!」


 ロザリーは部屋に入り、二人の様子を窺った。

 拘束はされていない。

 顔色は良く、怪我をしている様子もない。


「あなたたち……捕まったんじゃないの?」

「いや、捕まった」「で、紅茶を飲んでる」

「意味わかんない!」


 憤慨するロザリーを押し退け、ラナが代わって双子に言った。


「のんびりお茶飲んでる暇はないの! 今すぐ逃げるよ!」

「「なんで?」」

「ロザリーが賞金首になっちゃったの! 襲われたのはそのせい! なんで賞金かかってるのかはわからないけど……ねえ、ロザリー。ほんとに身に覚えはない?」

「しつこい! 何もやってないってば!」


 反論するロザリーを、ラナがジトリと見る。


「犯罪者って、みんなそう言うのよねぇ」

「酷い! と、とにかく、今は逃げるんでしょ!?」

「そうね。ロブロイ! 逃げるよ!」


 しかし、双子はのんびりを崩さない。


「大丈夫だって」「ロザリーに賞金かかってるのは――」


 そのとき。

 部屋の奥から一人の女性が姿を現した。


「――私がロザリーさんに一刻も早くお会いしたかったからですわ」


 年は二十代後半。

 茶色の髪を肩まで伸ばし、事務職員のようななりをしている。

 物腰の柔らかそうな女性だが、どこか芯の強さを感じる。


「誰?」


 ロザリーが問うと、ロブとロイが答えた。


「カテリーナ女史」「ポートオルカの町長代理だってさ」

「町長代理……」


 ロザリーはこの女性に弁解を試みることにした。


「私、賞金首になってますけど……何かの間違いなんです! 賞金かけられるような悪事なんて、一つも……いや、一つもは言い過ぎかもしれないけど、とにかく身に覚えがないんです!」


 ラナが静かに言う。


「聞けば聞くほど、罪人の言い逃れに聞こえる……」

「やめてラナ! 私も言いながらそんな気はしてたけど! でもやってないの!」


 するとカテリーナは、口元を隠しておかしそうに笑った。


「大丈夫ですわ、ロザリーさん」

「……信じてくれるんですか?」

「信じるも何も、濡れ衣だと知っていますから」


 ラナが首を捻る。


「それ、どういうこと?」

「ロザリーさんにかけた賞金は、ここへ来てもらうための方便ということですわ」


 ロザリーとラナは顔を見合わせた。

 今度はロザリーが首を捻る。


「なぜそんなことを?」

「先ほど言った通り、あなたに一刻も早くお会いするためです」


 そう言ってカテリーナは、ロザリーとラナにも座るよう手で求めた。

 二人が空いたソファに腰かけると、カテリーナは立ったまま語り始めた。


「まず、ロザリーさん。濡れ衣を着せたこと、ここに謝罪いたします。申し訳ありませんでした」


 カテリーナは深々と頭を下げた。


「じゃあ、私にかけられた賞金は――」

「――すぐに取り下げますわ」

「なら、謝罪を受け入れます。でも、どうして……」

「順を追って説明いたしますわ。ロザリーさんはコクトー宮中伯に頼まれて、ポートオルカを訪れたのですよね?」

「頼まれたというか……ま、そうですね」

「私どももコクトー様と親しくさせていただいております。ポートオルカの領主は代々ドーフィナ家ですが、交易港として大きくなってからはコクトー様は第二の領主といえる存在です」

「関係が深いとは聞いています。それで私を問題解決によこしたと」

「そうです。コクトー様から文を頂き、あなたを心待ちにしておりました。コクトー様はあなたをニド殿下に匹敵する魔導の持ち主だと評しておいででしたから」

「えっ?」「マジ?」


 ロブとロイが目を丸くする。

 王位継承順位第一位、ニド王子。

〝黒獅子〟の異名で知られ、王国一の騎士として名高い。

 伝記小説や子供向けの絵本の題材としても人気で、騎士の世界に興味のない双子でも、その名はよく知っていた。


「そんなことはないと思いますが」

「謙虚なのですね。でもコクトー様の品定め・・・は確かです」

「……恐縮です」

「でも、あなたは来なかった」

「えっ?」


 戸惑うロザリーに、ロブとロイが補足する。


「もっと早く来ると思ってたんだとさ」「でも俺たち、年寄り馬の馬車でゆっくり来たから」

「あぁ……」

「時がないのです」


 カテリーナは唇を噛んだ。


「私は町長代理・・です。ひと月前までは、この部屋には町長がいらっしゃいました」


 ラナが訝しげに問う。


「ひと月前まで・・?」

「問題の原因究明のために、自ら船を出したのです。……それから戻ってきません」

「あらら……」

「町長は強く立派な方です。きっと生きておられます。早く助けに行きたいけれど、そのためには強力な騎士の助けが必要。でもロザリーさんは来ない。――そこで、無作法ながら賞金をかけさせて頂きました」

「ちょっとわかんないな」


 ラナが首を横に振った。


「どうして賞金をかけたらロザリーがここに来ると思うの?」

「賞金稼ぎが見つけてくれますわ」

「見つけたって、返り討ちに遭うのが関の山じゃない?」

「捕える必要はないのです。ただ賞金がかかっていることをロザリーさんが知ればいい。ニド殿下に匹敵するほどの方なら、これは間違いだと堂々と抗弁しに来ます。だって、何人が束になろうと捕えることはできないのですから」

「なるほどね。……でも、もしかすれば死人が出ていたかもしれないよね? 今回はたまたま賞金稼ぎに魔導持ちがいなかったけど、いたら私たちだって必死に抵抗するから――」

「――あの金額では、魔導持ちの賞金稼ぎは見向きもしません。追うのは魔導のない賞金稼ぎ、それも兼業の賞金稼ぎだけです。そんな相手なら、あなたたちは無闇に戦わず逃げるはずですわ。そのほうが面倒がありませんし、簡単ですから」

「……どうも、私たちはあなたの思い通りに動いたみたいね?」


 ラナの言葉に、カテリーナは力なく笑った。


「いいえ、失敗ですわ。早く来てほしくて巡らせた策なのに、町に着いてから効果を発揮しても何の意味もありません」

「ってことは……もしかして、もっと早く賞金稼ぎに襲われてほしかった?」

「ええ。張り紙はポートオルカ近郊全域に配布してありますので」

「うええ……」


 ラナが眉をひそめてロザリーを見ると、彼女もまた同じ顔をしていた。

 ロザリーが言う。


「なんで私たち、襲われなかったのかな?」


 するとロブロイが得意げに答える。


「俺たちのお陰だ」「あえて不便な陸路を選んだからな」

「川下りルート選んでたら速攻見つかってたぜ」「船に乗ったら最後、そのまま連行されてたな」

「あれ、不便なルートだったんだ……」

「ロザリーさん」


 カテリーナがロザリーの前に立った。


「このような方法をとった私ですが、どうか、町長を――ポートオルカをお助け下さい!」


 カテリーナの顔は悲哀に満ちていた。

 彼女にとって町長は、よほど大事な人物のようだ。


「ご心配なく。コクトー様との約束は果たします」


 カテリーナはホッとした表情に変わった。


「冤罪も晴れたしね」

「ラナ、しつこい。……で、問題というのは何なんです?」

「少々お待ちください」


 カテリーナはいったん席を外し、奥から一枚の海図を持って帰ってきた。


「ポートオルカから北東に船を進めると、ダミュールという海峡があります。……ここです」


 カテリーナが海図の一地点を指差した。

 ポートオルカの右上、三つの海の交差点のような場所だ。


「ここが通れないのです。いえ、正確にはここを通ろうとした船が行方知れずになる」


 ロザリーが目を細める。


「行方知れず……海賊でしょうか?」

「初めはそう思っておりました。大規模な海賊団がダミュール海峡を封鎖しているのだろうと。町長もそれを念頭に調査に向かったのですが……」

「戻ってこない、と」

「いえ、一人戻ってきたのです。船員が漂流しているのを漁船が発見して連れ帰ってきました」

「へぇ。それで?」

「その船員いわく、船は巨大な何かに飲まれたと。自分はとっさに船から飛び降り、難を逃れたと」

「……巨大な何か?」

「船員は怯えていました。あれはきっと、大いなる魔獣、〝埒外らちがい〟だと」

「〝埒外らちがい〟!?」

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