第36話 その男、コクトー

 黄金城パレス中央に位置する〝止まり木の間〟。


 壁中が書架で埋め尽くされたその部屋に、羽根ペンを走らせる音だけが響いている。

 音の主は、痩せた暗い印象の男。

 東方系の顔立ちに鋭い目つき。

 若白髪が目立つ。


 男の名はコクトーといった。

 重要なポストのほとんどを大貴族が占める王宮にあって、明晰さのみを武器に平民から宮中伯にまでのし上がった稀有な存在である。


『王の意向はコクトーに聞け』


 そう囁かれるほど、獅子王エイリスが彼に寄せる信頼は厚かった。


 コン、コン、と〝止まり木の間〟の扉がノックされる。


「入れ」


 扉から彼の部下が入ってきた。

 コクトーは振り返りもせずに言う。


「もう終わる。少し待て」

「はっ」


 書類に走らせる羽根ペンが加速する。

 やがてコクトーは羽根ペンを置き、部下を振り返った。


「アトルシャンの件か」

「はっ。調査が終わりましたのでご報告を」


 コクトーは頷き、手で続きを促した。

 部下が書類を手に報告を始める。


「まず、死傷者について。王国側の死者は、サウスエンデ砦所属の魔導騎士一名と、それに同行した兵三名です」

「ソーサリエの学生は?」

「負傷者が四名。重傷者も出ましたが、駆けつけた砦の聖騎士パラディンの治療で助かりました。いずれも予後は良好です。砦長は、自身の迅速な判断によるものだと誇っておいででした」

「バカな。最初の魔導騎士が行方不明になった時点で王都へ報告しておれば、ここまでの事態にはならなかった。砦長は格下げだ」


「続いてアトルシャン側の死傷者ですが、兵は半数の千五百名余。魔導騎士にいたってはほぼ鏖殺です」

「ほぼ? 生き残りがいるのか」

「先に離脱していたアトルシャン公子ジョンと、供の騎士が一名」

「ふむ。……赫赫かくかくたる戦果だな」

「は。これを一人の学生がやったとは信じられません」

大魔導アーチ・ソーサリアが参戦した戦場は、極端な結果になりがちではあるが」

「まさか……それほどの騎士であると?」

「さて、な。死者を操ると聞いたが?」

「そのようです。ソーサリエ生、アトルシャン兵の両方から同様の証言を得ています」

「ふむ」


「続いて宮中伯ご懸念のハイランド地下道についてですが……アトルシャン侵入以降の新たな侵入者はいないと見ています」

「根拠は?」

「ロザリー=スノウウルフが、洞窟の扉に極めて高度な【鍵掛け】を施していたからです。調査に同行した魔導院中核魔女騎士ウィッチが、解錠を試みて卒倒したとのこと」

「ほう。それは相当だな」

「現在、魔導院が数十人規模の儀式による【鍵開け】を試みております。扉が開き次第、物理的に埋め立て、後に多重封印術を用いて封鎖する手筈となっております」

「開き次第、か。開きそうか?」


 コクトーが皮肉っぽく笑うと、部下も同じように笑った。


「開けるでしょう。学生のかけた鍵を開けられぬでは、魔導院の沽券に関わりますので」

「確かにそうだ」

「最後にアトルシャン騎士団の装備品、迷彩マントについてですが。宮中伯のご推察通り、【隠者のルーン】の効果を再現した魔導具であるようです」

「やはりそうか。未知の魔術の可能性も考えていたが」

「これで説明がつきます」

「しかし、我が国には存在しない技術だ。現物は?」

「完品を二百以上、確保してあります」

「技師連へ回し、解析させろ」

「ただちに。――アトルシャン侵入についての報告は以上です」


 部下は姿勢を正し、そう言った。

 だがコクトーは、小さく首を捻った。


「……足らんな」

「ご不明な点がありましたか」

「判然としない点がある。全容が見えたとは言い難い」

「ご指摘いただければ調査を継続いたしますが」

「いや――」


 コクトーは静かに立ち上がった。


「――自分で調べよう」


 部下は顔を強張らせ、コクトーの背中を見送った。

 彼が自ら調査するのは、例外なく国の大事であったから。




・調査①――隻眼の騎士カーチス


「ボルドーク様は英雄などではない」


 地下牢の中。

 魔導を封じる魔導鉱ソーサライト製の鎖に繋がれたカーチスは、石床の上でそうボソリと言った。


「十五年前の戦を公子は地獄と表現していたが、俺に言わせれば狩り・・だった。混乱して逃げ惑う我らは、追われる獣同然のありさま。それを獅子の騎士章を着けた狩人たちが粛々と狩ってゆく。ああ、あれはまさに狩りだった」

「ふむ」


 コクトーは膝を折り、カーチスの瞳を覗いた。


「その狩場から、ボルドークは幼い公子を救い出したのだろう? だからアトルシャンの英雄と呼ばれている」

「ふ。ふふっ」


 カーチスは笑った。


「実際は、近くにいた公子を連れて逃げ出すのが精一杯だっただけだ。戦場は混乱を極め、撤退の指示も難しく、残りの兵はそのまま。一緒に逃げた俺みたいなのを除いて、ほとんどが狩り尽されたよ」


 コクトーは首を捻った。


「アトルシャン騎士の多くは、公子でなくボルドークに従っていたと聞いた。その中でも特にボルドークへの忠義に厚いのが貴殿だとも。それは間違いか?」


 カーチスは目を伏せた。

 コクトーが質問を重ねる。


「ボルドークは英雄というほど強くないということか?」

「いや。お強い」

羽根・・は?」

「六枚」

「ほう、それはたいしたものだ。ということは、名の割に弱いからボルドークをそしるわけではないのだな」

「謗ってなどいない!」


 カーチスは立ち上がろうとして、彼を捕える鎖が大きな音を立てた。

 牢番が慌てて近寄ろうとするが、コクトーは手のひらを向けてそれを制した。


「……ではなぜ、英雄ではないなどと?」

「ご本人が常々おっしゃっていたからだ。英雄という汚名を着せられたと」

「英雄が汚名……?」


 そこからカーチスは、アトルシャンの内情について語り始めた。


「ボルドーク様はただの敗残兵にすぎない。しかしまつりごとを託された公妃様は、ボルドーク様を公子を救い出した英雄として祭り上げた。誰もがわかっていた。英雄などではない、痛みから目を逸らすための欺瞞であると。それでも皆が乗った。耐え難い痛みが過ぎ去るのを待つために。……だが、痛みは消えなかった。むしろ増していった」


 コクトーが頷く。


「確かにアトルシャンはこの十五年、衰退の一途を辿っているな。治安も悪化し、国境も守れぬ有り様と聞く」


 カーチスが目を剥いた。


獅子王国元凶が、どの口で言うか!」

「怒鳴るな。獅子侵攻の時代、私は王国の臣ではなかった」

「だとしても!」

「私は貴殿の憂さ晴らしに付き合うためにここにいるのではない。さ、続きを」


 カーチスは歯噛みしながらも、話を続けた。


「……衰退の一途にあったからこそ、王子誘拐は起死回生の策だったのだ」

「それだ。私が聞きたいのは」


 コクトーはカーチスを指差した。


「なぜ王子誘拐などという無謀な作戦を実行に移した? よしんばウィニィ殿下を拉致できたとしても、王国と皇国は休戦中。協定を無視して王族を攫ったとなれば、王国より先に身内から袋叩きに遭うのではないか?」

「北部諸国の中で、立場を取り戻すためだ」


 カーチスの顔に暗い影が落ちる。


「国力の衰えの原因は十五年前の戦だけではない。公子にもある」

「ジョン公子に?」

「公子は成人されてからずっと、反獅子王国を掲げてはばからなかった。休戦協定を破棄し、王国を攻めるべしと公然と主張し続けていた」

「復讐か。無理からぬことではあるが」

「他の北部諸国はこれに賛同しなかった。痛みが癒えぬはこちらも同じ。その中で戦を求めるなど愚かだと。公子の若さも災いし、アトルシャンは疎まれ、軽んじられるようになった。公子が公の場に立つほどに、アトルシャンは孤立していった」


 コクトーが目を細める。


「もしアトルシャンが単独で王国へ侵入し、王子を攫うことができたなら。アトルシャンは自信を取り戻し、公子もぞんざいに扱われないようになる、と?」

「自信ではない、誇りを取り戻す戦いだったのだ」

「私には絵空事に思える。果たしてそう、うまくいくかな?」

「……ボルドーク様も、同じことをおっしゃっていた」


 カーチスはそうボソリと言った。


「ボルドークは反対だったのか?」

「成功したところで、これでアトルシャンが上向くとは到底思えないと」

「ではなぜ作戦に加わった?」

「あの方が公子を生かしたからだ。公子が原因でアトルシャンが衰退するならば、それは助けたご自身のせいでもある。公子を救ったことが間違いであるならば、行く末を最後まで見届ける責任があると。そうお考えだった」

「ふむ。貴殿は?」

「俺か? 俺はボルドーク様について来ただけだ。他のことはどうでもいい」

「そうか。よくわかった」


 コクトーは立ち上がり、牢の扉へと向かった。

 牢番が鉄格子を開ける。

 カーチスがコクトーの背中に言った。


「一つ、聞きたい」

「何だ?」


 コクトーが首だけで振り返る。


「ジョン公子はどうなる?」

「皇都バビロンへ【手紙鳥】を送った。その返答次第だが……仮にも一国の世継ぎだ、ミストラルで処刑されることはあるまい」

「そうか。感謝する」

「意外だな。貴殿は公子を殺してほしいかと思っていたが」

「ぬかせ。……ついでだ、もう一つ」

「何だ?」

「俺はどうなる?」

「ああ、貴殿は――」


 言いかけて、コクトーは牢から出た。

 牢番が鍵をかける。

 鉄格子の向こうのコクトーが無表情に言う。


「――王国法に照らし、斬首ののち晒し首だ」


 牢に背を向け、コクトーは去っていった。

 しばし唖然としていたカーチスが、おかしそうに笑い出す。


「クッ。クハハハハ……」


 自嘲じみた笑い声が、地下牢にこだました。

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