第19話 王国史

 ロザリーの属する三年生は基本、クラス単位でカリキュラムが進む。


 それは例えば、まじないの授業を聖騎士パラディンが受けても意味がないからだ。

 魔術はもちろんのこと、蓄えるべき知識やとるべき戦略なども魔導性によって違う。

 必然、クラスメイトとばかり行動することになる。


 だが週に数時間は、三年生が一堂に会する機会があった。

 魔導性に関係のない、教養科目の授業だ。

 この時間は王国史。

 担当教官は、陰湿な性格で知られるルナールだ。


「この時間は王国史の時間だが、少し紋章学に触れておく」


 そう言ってルナールは、生徒に紙を配布した。

 紙には百を超える紋章と、その解説が記されている。


「諸君ら三年生は、じきに実習へと赴くことになる。実習先は王国にある騎士団のいずれか。当然、多くの先輩騎士がいる。重要なのは名家の騎士を見分ける知識だ。媚びを売ってコネを作るにしろ、不興を買って疎まれるにしろ、相手を選ばねばならない。この紋章一覧が必ず諸君らの役に立つと保証しよう」


 ルナールは紙が行き渡ったことを確認すると、一人の生徒を指差した。


「ジュノー=ドーフィナ」

「はい」


 返事をして立ち上がったのは、背の高い女子生徒。

 肩にかかる紺青色の長い髪は、豊かで色鮮やかだ。

 ドーフィナ家は、王国一の港湾都市を領地に持つ大貴族。

 貴族ばかりの同級生の中にあって、彼女は筆頭格の高位貴族だった。

 ルナールがジュノーに問う。


「ユーネリオン王家の旗印はなんだ?」

「吼え猛る獅子です」

「その通りだ。では、かつての――王家となる以前のユーネリオン家の旗印は?」

「有翼獅子です」

「素晴らしい! よく学んでいる。さすがはドーフィナ家のご息女だ。座ってよろしい」


 ジュノーが座り、ルナールがまた一人の生徒を指差す。


「グレン=タイニィウイング」

「はい」


 グレンが立ち上がる。


「かつて有翼獅子だった旗印が、どうして吼え猛る獅子になった?」

「翼は皇国騎士の象徴だからです。皇国から独立しユーネリオン獅子王国となった際に、ユーネリオン家は翼を捨てました」


 ルナールは目を見開き、大袈裟に驚いてみせた。


「その通りだ! よく知っているな、タイニィウイング。いや、当然と言うべきか?」


 グレンは黙して答えない。

 するとルナールはさらに質問を重ねた。


タイニィウィングちっぽけな翼。お前の名に翼があるのはどうしてだ?」

「自分が鳥籠とりかご出身だからです。鳥籠出身者はみな、家名がタイニィウイングとなります」

「ふむ。では鳥籠とはなんだ?」

「皇国騎士の子を保護する施設です」

「そうだ。お前は翼を崇める敵国の騎士の子。卵のまま潰すこともできたのに、陛下はそうなさらなかった。鳥籠に入れて、雛鳥のお前を育ててくださったのだ。陛下のご恩情に感謝しているだろう?」

「はい。感謝しております」


 生徒たちの間から、クスクスと笑い声が漏れる。

 しかし、グレンは眉一つ動かさない。

 子供の頃から、この手の悪意を向けられるのは慣れっこだったからだ。

 ルナールは面白くなさそうに言った。


「ふん。まあいい、座れ」


 グレンが座ると、幾つもの好奇の視線が彼に注がれた。

 中には同情的な視線もあり、その一つはロザリーのものだった。


「ルナールに目をつけられるなんて、災難ね」


 誰に言うでもなくそう呟くと、心の中から声がした。


『アノ教官は魔女騎士ウィッチだネ。間違いない』


 ロザリーが声を潜めて窘める。


「ヒューゴ。授業中は口を挟まない約束よ」


 入寮してからというもの、ヒューゴはロザリーの影の中にいるのが常だった。

 しかし影の中からでも外の様子はわかるようで、事あるごとに口出ししてくるのだった。


『いいじゃないか。退屈なんダ』

「本でも読んでて」

『全部読んだヨ。そうだ、今から魔導書図書館グリモワール行かない?』

「ふざけないで。授業中よ?」


 脅すように言っても、ヒューゴはどこ吹く風。


『あァ、なんてつまらない答えなんだ。育て方を間違えたかなァ?』

「こいつ……」


 ロザリーはふと、疑問を持った。


「なんでルナールが魔女騎士ウィッチだってわかるの?」

『陰湿で姑息な男はたいてい魔女騎士ウィッチサ』

「なにそれ。ただの偏見じゃない」

『間違いないヨ、信じなくても構わないケド。それより、この歴史の授業、本当に正しいのかイ?』


 ロザリーは教壇に意識を向けた。

 ヒューゴと会話している間に、王国史の授業が始まっていた。


「――獅子歴元年、始祖レオニードは皇国からの独立を宣言した。皇国はそれを許さず、大軍をもって王国を攻めた。だがレオニードはそのすべてを跳ね返した。三年に渡った獅子鷲ししわし戦争は、無条件で独立を認めるという王国側の完全勝利で幕を閉じたのだ」


 ロザリーが囁き声でヒューゴに尋ねる。


「どこかおかしいの?」

『気になる点はいろいろあるがネ。特に、完全勝利って言葉は聞き捨てならないなァ』

「脚色してるんじゃない? 歴史は勝者が作るっていうしさ」

『ソレにしたって完全勝利は盛り過ぎダ。ボクには王国が勝てたことさえ疑わしいのに』

「そうなの?」

『たしかに獅子王国は、守るに適した土地ダ。しかし、それでも戦力差は歴然だった。レオニードが覆せたとはとうてい思えなイ』

「まるで見てきたように言うのね」

『そりゃ、見てきたからネ』


 ロザリーは一瞬、言葉に詰まった。


「そうか、これって五百年前――ヒューゴが生きていた時代の話なのね」

『キミが【葬魔灯】で見たのは、まさにレオニード独立戦争の最中の光景サ』

「あれが……」

『ボクは皇国側の騎士として参戦したんダ。こんな戦、すぐに終わると思っていたヨ。レオニードは確かに優れた騎士だけど、皇国側には彼に比する騎士が何人もいたからネ』

「ヒューゴってその中でどのへんなの?」

『どのへん、とハ?』

「強さのこと。強い騎士が揃っていたのよね? その中で、ヒューゴは何番目くらいだったの?」

『単純に魔導量でいうなら、三番目くらいかナ』

「それってレオニードくらい強い?」

『そうだねェ。彼と十回やり合ったら、七、八回は勝てると思うケド』

「え、それって相当強いんじゃ……」

『魔導戦って相性があるんだヨ。ボクより強かった二人は、逆に苦戦すると思うネ』

「へえ、そうなんだ」

『でも、レオニード陣営には彼以外に目ぼしい騎士はいなかった。なのに、なぜ皇国は負けタ……?』


 影の中で考え込むヒューゴ。

 そんな彼に、ロザリーは思い浮かんだ答えを口にした。


「それってさ、ヒューゴのせいじゃない?」

『はァ? 唐突に何ヲ言うんだ』

「だって、ヒューゴは皇国で三番目の騎士で、レオニードと特に相性良かったんでしょ? なのにそのヒューゴが戦の最中にポックリ死んじゃったわけでしょ? あてにしてた戦力を失って計画狂うよね?」

『ポックリとは死んでないが。でも……そうだネ、ボクが敗因なのかモ。だとすれば……あァ、なんてことダ……』


 それっきり、ヒューゴは押し黙ってしまった。

 彼を傷つけてしまったかと思い、ロザリーは思いつきを口にしたことを後悔した。


「元気出して、ヒューゴ」

『ン?』

「もう五百年も前のことだよ」

『あァ』

「もう忘れよう? 気にしたって意味ないよ」

『……もしかして。ボクを励ましてるのかイ?』

「そうだよ。しょげちゃったみたいだからさ」

『しょげてなんかいないサ。ボクを誰だと思っているんダ』

「陰気な死霊アンデッド

『……確かに死霊アンデッドは年中落ち込んでるものだケド。ボクはしょげてないヨ』

「でも黙りこんでたじゃない」

『赤目のことヲ考えていたのサ。彼が戦争自体に介入したなら、戦力差も覆るかもしれないってネ』

「あー。……どっちにしたって考えても意味なくない? 戦争は五百年も前に終わってるんだからさ」


 するとヒューゴの呆れ声が返ってきた。


『何を言ってるんダ。終わってなんかいないヨ』

「ん? どういうこと?」

『さっき、あの男ルナールが言ったこと聞いてなかったのカ?』


 ロザリーが授業中の記憶を辿る。が、何も思い当たらない。


「なんて言ったっけ?」


 ヒューゴはまた呆れた様子で答えを口にした。


『皇国のことを〝敵国〟と言っタ』

「ああ!」


 ロザリーは思わず手を打ちそうになったのを、ギリギリで踏みとどまった。


「……グレンをイジメてるとき、確かに言ってた」

『国と国の確執は、まるで価値ある伝統のように受け継がれてしまうものなのサ。特に、最初が最悪だった場合は、ネ』

「そっか、なるほどね」


 頷き、納得するロザリー。

 ヒューゴはそんな彼女にも聞こえぬほど、小さな声で呟いた。


『それに、赤目はまだどこかデ……』

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