第7話 人の皮を被った獣
収穫祭は二人組の襲撃者を撃退した後も何事もなかったかのように続いていた。死人が出ていないというのもあるが、エボの実力を大衆が知ったためだ。
もはや襲ってくる者はいないと思われたが、程なくして次の刺客は現れた。今度はドレスを纏った女でシャルルのワインに毒物を仕込もうとしていたが、親衛隊に難なく捕らえられる。親衛隊の隊長に勇ましい笑みを向けられると、エボは努めて苦い顔をした。
親衛隊に何の活躍もさせないのは彼らの面子に関わる。エボはわざと女を見逃していた。
毒の盛られたワインを口にしようとしたなら偶然を装い、落としてしまえばいい。そもそも親衛隊は選び抜かれた精鋭たちだ。これまでだって暗殺の魔の手からシャルルを守ってきた。よほどの相手でない限りやすやすと暗殺されることはない。
それを踏まえると先の二人組は優秀だった。もしかするとあの子どもが本命だったのかもしれない。
「やはり悲鳴を上げさせる程度では見せしめには足りませんでした……次は殺します」
「エボ。先ほどはお前の化け物ぶりに度肝を抜かれたが、王家は総じて暗殺と戦う日々を送っている。これくらいどうということはない。どれだけ残虐な見せしめをしたところで、刺客はくる。無駄に殺す真似はするな」
「は!」
甘いと感じたが、エボは自分の腕が買われていると考えることにした。余計な思考は捨て、知覚を研ぎ澄ます。ときおり匂いを嗅ぎ、周囲から火薬や毒物の匂いがしないかを探る。これが襲撃をいち早く察知できる理由だった。
その仕草から犬と呼ばれていることをエボは知らない。
「……ん?」
進行方向にローブの男が立ち塞がっていた。小柄な背丈でエボよりも小さい。これまで気配はなかった。おそらく待ち伏せされていたのだろう。その手にはこの辺りでは珍しい刀が握られている。男は切っ先をエボに向けた。
ようやく自分狙いの相手か、とエボは親衛隊にアイコンタクトを送る。親衛隊はシャルルを背にして更なる襲撃に備えた。エボが剣を抜くと男が口を開く。しわがれた声だった。
「問おう。貴様、猟犬で相違ないな」
「……犬と呼ぶな。俺はエボ・グリムハート。貴様こそ何者だ」
「名乗る名はない。しからば……参る!」
速い。二人の間には三メートルは距離があったが、瞬時に男は肉薄していた。己の慢心をエボは叱責する。男の一太刀は頬を掠めていた。
男の腹を蹴り飛ばし、後方へと跳ぶことでエボは距離を取る。膝をついた男に対し、剣を正面に構えたエボは即座に攻撃へと移った。袈裟に切りかかり、男とつばぜり合いの形になる。エボの剣は男の肩に深々と沈んでいた。
決着。そのはずが剣が押し返され、エボは驚愕する。あたりからも「嘘だろ」「信じられない」と声が上がっている。
「は、はは! はははははは! まことに鬼の子であったか」
(力負けする? 俺がか!?)
エボは困惑を隠せない。剣が弾かれ、男が刀を横薙ぎに振るう。後方へと飛び退いたエボの腹にうっすらと切り傷ができていた。男は肩からぼたぼたと血を流しているが、闘志はますます沸いているように見える。
「愉快! 全くもって愉快!」
大上段から刀が振るわれ、エボは剣を斜に構えた。ギャリギャリと嫌な音がする。大ぶりの一撃だった。そのまま体勢を崩したところを攻めようとしたエボだったが、男は体制を崩すことなく追撃に移る。
エボは攻撃に移していた軌道を無理やり防御に回す。横一文字に払われた一撃を垂直に受けた剣はバキンと砕けた。腕宛ての鎧すら切り裂かれ、血が流れている。
恐ろしい切れ味だった。
「ははは! これにて終幕よ!」
「ーーさせるか!」
「手を出すな!」
助けに入ろうとした親衛隊をエボは静止する。とても彼らに相手できる相手ではない。
首に、腹に、心臓に、男は連撃を繰り出す。エボは右に回り込み、下がり、脇を抜け、避ける避ける避ける。すると次第にかすり傷も減り、遂には当たらなくなった。
回避に専念したことでエボは理解する。この男の弱点を。
「ぬぅ。きいええええええええ! なぜ当たらぬ、なぜ、なぜ!」
見える。分かる。当てれば終わりの一撃。当てることに重きを置いた攻撃。怪力を持ったものの思考。同じだからこそエボには攻撃の軌道が読める。
「あんたが……俺と同じだからだ!」
「ぬうう!?」
大ぶりに合わせて鞘を顔面へと投擲する。男が目を瞑った瞬間を、エボは見逃さない。折れた剣でも首の長さほどは残っている。
エボが剣を薙ぐと、ごとりと地面に頭部が転がった。周囲から一斉に歓声が上がる。
「はぁー……はぁー……」
エボは両腕を広げて地面に倒れる。これまで戦ったことのないほどの強敵だった。
慌てた様子でシャルルが駆け寄ってくる。
「エボ、大丈夫か!?」
「はい、殿下……手こずりました。これまで戦った中で……ぜぇ……一番、強かったです」
「剣を折られてなお、あの立ち振る舞い。感服しましたぞ」
親衛隊の隊長がそう言い、手を差し出した。エボはその手を取り、立ち上がる。
「隊長殿……ありがとうございます。同じ怪力同士、動きが読めましたので何とか勝てました。まともに受けてたら、とっくに死んでましたよ。剣術を教えてくれた義父さんに、これほど感謝した瞬間はないですね」
「カーマインと呼んで下され、エボ殿。しかし、なるほど軍神の剣義でしたか」
「まだまだですけどね……カーマインさん、そちらに気を回す余裕はありませんでした。他の襲撃は?」
「ありません。それにしも……こやつ、暗殺者と呼ぶにはおかしな輩でしたな。さてどんな面を……な!?」
カーマインが転がった頭に被っていたローブを剥ぎ取る。現れたのはその顔は皺の刻まれた老人だった。不釣り合いにも頭髪は生えそろっており、髪だけで言えば十代にも見える。
体の方へと駆け出したエボはその胸元を剥きだす。一見するとただの老人だが、皺だらけの皮膚の下、筋肉が盛り上がっていた。とても普通の体とは思えない。まるで老いた内側から若返っているかのようだった。
「なんだこれ……」
エボが固まっていると、周囲が騒がしくなる。エボとシャルルたちを取り囲んでいた民衆の輪を抜けて、兵士たちがなだれ込んできた。
「無事かーエボ」
やってきた兵士の顔には見覚えがある。
「ヴァーリ大隊長! どうしてこちらに?」
「どうしてって、ここはうちの軍隊の詰所の近くだ。暴動が起これば僕がくるのは自然なことだろう?」
言われてみればそうだったとエボは思い至る。ならもう少し早く来てくれればいいのにという言葉は呑み込んだ。
「大隊長、この刺客は強敵でした。力は俺並みです」
「ほー、そりゃたまげたね。遺体の回収は任せろ。君は早く殿下の護衛に戻れ」
「待ってください。この襲撃者、何かおかしいです。まるで老人の皮を被った獣でした」
「なーに言ってんだ、この爺さんのどこが獣だ」
「こいつは老体で俺の剣を押し返しました。とても普通じゃない」
エボは真剣に説得するが、ヴァーリはまともに受け付けてくれなかった。普段は話しのわかる相手なだけにもどかしい。
「どう普通じゃないんだ?」
「いや、ですから。こんなふざけた怪力はおかしいと」
「じゃあ君だっておかしいよなー。どう違うのか、教えてくれないか」
「いや、それは、その」
言葉に詰まる。確かにその通りだ。自分自身が普通じゃないのに、この老人がおかしいと決めつけるのは間違っている。
「……答えられないなら、この老人だっておかしくはない。ほら、早く戻れ」
「そ、うですね。承知しました。後始末、お願いします」
エボの疑問の靄は結局晴れなかった。そして、自分自身が異物であることを自覚する。
脳裏で理不尽な己が、理不尽な魔物と重なっていた。
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