第5話 ヴァーリ・ヴィルヘルム
気分を変えるべく、ルーナとエボは露店で買った串に噛り付いていた。吸盤のついた赤い職種がまるまる一本刺してあり、ルーナは噛みちぎれずに苦戦していた。食べづらそうにしているが普段は食べられない珍味に顔をほころばせている。
「意外といけるなコレ。でも教会の近くでよくこんなもの売るよ。悪魔の眷属とか呼ばれてたぞ」
「そうなんだ。でもおいしいからいいじゃない。気に入ったわ。教会のミサで出てこないかしら」
「それはちょっと嫌だな……」
聖杖教会は王国で広く信仰される宗教だ。少し賑わいを見渡せば教会のシスターが説法を説いている姿があちらこちらにある。だが中には毛色の違っていた。赤いローブを纏った集団だ。
「神の使いたる魔物は我らの行いを見ておられる。民草よ、ゆめゆめ忘れるな。人が道を誤ったとき魔物は裁きを与えるのだ。西の都は鉛玉を飛ばす兵器を生み出した罰を受けたのである」
偉そうな演説者に続いて赤ローブの取り巻きが「まさに、まさに」と続けて叫んでいる。煩わしい。なまじ聴覚の優れているエボは嫌でも声を拾ってしまう。
道を誤ったなら殺されるならば、父に何の罪があったというのかとエボは心の中で唾を吐いた。
「大丈夫? エボ義兄さん。顔が怖いわ」
「……大丈夫だ。魔物信仰だろうが王国では信教の自由を保障されてる。でもあれなら教会の方がマシだな」
「もう。聖杖教徒がマシだなんて言ったら駄目でしょ」
「俺は無神論者だよ」
ルーナが「そうなの?」と首を傾げる。何度か一緒にミサに行ったから勘違いしたのだろう。ほとんどの国民が聖杖教会の教徒だ。情報収集に都合がいいから名乗っているに過ぎない。
「神様がいるなら、ちゃんと悪人は改心させて欲しいもんだよ。コイツと、か!」
「義兄さん!?」
突如エボは立ち上がり、通り過ぎた男の腕を後ろ手に捻り上げた。するとその懐から財布が零れ落ちる。その財布を見て、往来にいた初老の女性が「ワタクシの財布!」と声を上げた。
「いででで勘弁してくれ!」
「勘弁して欲しいのはこっちだラッドマン。これで何度目だ。俺の見てる前でやるな」
「あれ? 猟犬の旦那かい。こりゃついてないいいいでででで!」
「俺を犬と呼ぶなネズミ野郎」
痩せぎすの三、四十代の男ーーラッドマンが呻く。灰色のみすぼらしい服はところどころほつれており、清潔感に欠けていた。エボはラッドマンをどかし、ルーナが財布を拾って初老の女性に渡す。お礼を聞き届けたルーナがエボの顔を覗き込んだ。
「あの、エボ義兄さん。お知合いですか?」
「知り合いとは言いたくないな……ただの盗人だ。おいラッドマン。遺跡探査の懲役はどうした」
「ああ、探査のほうはそれはバッチリでさ。おかげでこうして牢から出てシャバにぃいでででで」
「ふざけんな。謹慎中なのに仕事する羽目になっただろうが」
エボはさらにラッドマンの腕を捻り上げる。いっそこのまま健を引きちぎってしまえば盗みもできなくなるのではないかと暗い考えが頭をよぎった。
「遺跡探査の懲役って?」
「ん? ……ああ。ルーナは知らないのか。腕のいい罪人は復権ギルドの要請があれば遺跡探査に駆り出される。懲役扱いだな。働きに応じて相応の報酬も出るんだ。釈放されるのは稀なんだけどな。おい、何を見つけたんだ?」
「情報だって大事な商品だぜ旦那」
「ああ。それに体は資本だよな。商品を売らないなら、今掴んでるこっちの資本金を頂くが」
ラッドマンの顔が引きつった。エボの噂をラッドマンは良く知っている。流石に腕を壊される覚悟はないらしく、すぐに諦めた。
「旦那はほんとに冗談キツイぜ……オイラが見つけたのは、こだ……」
「――こんなところで何をしているんだい? エボ・グリムハート」
不意に背後から投げかけられた声にエボは思わず姿勢を正す。すぐさま振り返って頭を下げた。
「ヴァ―リ大隊長! 申し訳ありません。謹慎の身でありながら勝手な真似を……」
「いーんだよ別に。謹慎なんて形だけやってればいい。それより、ラッドマンはシーフの癖に何回捕まってんだ? あはははは」
「うるせーぞヴァーリ!」
黄金の長い髪を後ろにまとめて一本に縛り、へらへらと笑う軽薄さの滲みついた男が立っていた。だがその目は獣。細い眼の隙間、射殺すような視線を周囲に向けている。
彼こそは王国軍最年少の大隊長、ヴァーリ・ヴィルヘルム。グリムハート家と対をなす名門であり、エボが唯一敗北した相手だった。
またしても気配を感じ取れなかったことにエボは自信を失う。ヴァーリほどの実力者なら驚きはない。以前、気配を感じ取れたと思ったのは手を抜いていたのだろうか。もしかすると感覚が衰えたのかもしれないとエボは気を引き締めた。
「ヴァーリ大隊長はラッドマンと面識が?」
「あー……復権ギルド時代のパーティメンバーだ。恥ずかしいことにな―」
エボはヴァーリがギルド復権の立役者であることを思い出す。つまりラッドマンも立役者ということだ。一時期は英雄と呼ばれていたはずだが、この薄汚い男がそうなのか。現実は非情である。エボはラッドマンを見て、大きく肩を落とした。
「お久しぶりです、ヴァーリ様。ルーナ・グリムハートです。こんなみすぼらしい服で申し訳ありません」
「やあルーナ嬢。なに、そんなことで君の美しさは陰らない。どーだい? これからデートでも」
「丁重にお断りします。今はエボ義兄さんとデート中ですから」
「おや、邪魔をしてしまったかー。すまないね」
「大丈夫です。エボ義兄さまには埋め合わせにまたデートしていただきますので」
幼い頃から見ているルーナが貴族らしくすらすらと会話していることが、エボは感慨深かった。いつの間にかユーモアのある会話ができるようになったものだ。
しかし、また家を抜け出すのかとエボは苦笑いする。まあ、今回は自分が原因だから仕方ないとエボは諦める。……本当に仕方ないのだろうか?
抜け出さなければ、こんな人混みの中に来なかった。人混みの中には当然悪さをするものだっている。まさかとは思うが、ルーナはエボがスリ相手に騒ぎを起こさせることさえ狙っていたではないか。
いや、流石に考え過ぎだろうとエボは頭を振った。
遅れてやってきた衛兵にヴァーリがラッドマンを引き渡す。引き留めようと声を出す前に、ヴァーリが口を開いた。
「ところでエボ。ブルバンから僕の部下になる話は考えてくれたかー?」
「いえ。自分はブルバン大隊長を慕っていますので」
「そーいうなよー。力が欲しくないかー?」
ヴァーリはエボの肩に腕を回し、体をぐらぐらと揺らしてくる。酔っているのかと思ったが酒の匂いはしない。素でこの状態なら飲んだくれてたほうがよかったとエボは心の中で舌打ちする。
「腕力ならもう十二分に足りてますので」
「どーしてそんなに強い? 生まれつきか?」
「……どうなんでしょう? わかりません。少なくとも自覚するまで予兆はありませんでした」
「……そーかい。ふーん。ま、気が変わったら来るといい」
ヴァーリはエボの肩を叩くとそのまま人波に紛れて消えていった。
エボはどうしてもヴァーリに慣れることができない。強引なところがテュールと似ているからというのは違う気がする。もっと根本的な部分で相容れないのか、それとも自分と似ているから突き放してしまうのか。エボには分からなかった。
そういえば、ラッドマンの話を聞きそびれてしまったとエボは頬をかく。一体、何を見つけたのだろうか。
「エボ義兄さん?」
「ああ、いや。何でもない。考え事をしてただけ。今日は帰ろうか」
「え? でも、調べ物をしたいって言ってたでしょ」
「それは後日だ。騒ぎを起こした後も連れ回したら義父さんに殺される」
「……ごめんなさい、予定があったのに潰してしまって」
「ルーナは悪くないさ。でも次出かけるときは先に言ってくれ」
エボはルーナと並んで帰る。他愛ない会話を交わす中、ヴァーリの言った力が欲しくないかと言う言葉が脳裏で木霊していた。
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