第12話 知らない性の目覚め

 白鳥ボートに乗りたかったわけではない。

 親に甘える小さな子供が羨ましくて、嫌な感情がひしめいていた。

 これは嫉妬だ。自分にはなく、小さな子供が持っている愛情にやっかみが生まれ、自己嫌悪に陥っていた。

 かき消すように、誠一はうきうきとしながら白鳥ボートに乗ろうと誘ってくれ、手に触れた瞬間、忸怩たる思いでいっぱいになった。

 少しのわがままなら許されるかとソフトクリームをおねだりしたところ、デレデレになりながらごちそうしてくれた。

 ものにつられたと思われても、ますます彼が頭から離れなくなった。

 彼との確かな繋がりを求めずにはいられない。




 キッチンで作業を終えると、ちょうど誠一がやってきたところだった。

「お茶はいかがですか?」

「もう充分だ。それよりすまない。任せっきりになってしまったね」

「葉山先生へのお客様なのに、私がリビングにいたらおかしいでしょう」

 今日は誠一の仕事関係者が来ていた。

 二時間ほどで帰ったが、気を張っていたのか誠一の顔色があまりよくない。

「お茶を持ってきてくれた君を見て、一緒に話がしたいと一点張りだったよ。さすがに無理だと断ったが。仕事の話より、断るのに苦労した」

「愉快な方でしたね。光栄ですが、さすがにお仕事でいらっしゃったのに、私が混じるわけにはいきませんから」

 誠一は咲の頭を撫で、頬、首と徐々に下がっていく。

 最後は抱きすくめられ、咲もへ手を回す。

 望まれていることは判っていた。勇気が出なくて、答えを出せずにいた。

「していいの?」

 数秒間無言で、どう反応すべきか返答に困ってしまう。

「最後の砦と申しますか、経験がないのです」

「安心した」

「面倒だとは思いませんか?」

「どうして? 嬉しいよ」

 もう一つ、越えなければならない山がある。

「その……私はとてもドジで、よく怪我をしてしまうのです。身体に痕が残っているかもしれません……」

 苦し紛れだが、後々聞かれるよりずっとよかった。

 予防線を張ることで、父から受けた寵愛の痕も乗り越えられる気がした。

「うん……知ってる」

 咲は瞠目し、背中を回す腕に力を込める。

 彼の前で転んだことは一度もない。すべてを把握した上で呑み込んでくれたのだ。

 父にされていることも、彼はすべて把握していた──。

「大丈夫だから。俺に身を任せて」

「葉山先生……」

「全部愛するよ。心も身体も」




 起こされたのは月明かりか微かな物音か。どちらであっても幸せで目覚めのいい起床だった。

 擦れる音に顔を向けると、半裸で真剣な眼差しをこちらに向ける誠一がいた。鉛筆をスケッチブックに走らせていて、起きようとすると制止される。

「そのままで。今の咲はすごく淑やかだ」

「あっ……なんですか、これ……」

 肌が透けるほどの沙が身体に一枚かかっている。

 一番隠したい部分にもかけられているが、栗色の薄い陰毛も透けて見えている。

 全裸にかけられても何もかもが丸見えで、何もないよりいやらしさがあった。

「こんな格好で……」

「胸を隠さないで見せてくれ。……そう、腕は頭の上に」

 ちょうど腰辺りを描いていて、誠一の目はある一点に集中した。

 それがどこなのか判り、咲は目を閉じて大きく息を吐く。

 太股を擦りつけたくても、紗一枚ではどうなっているかバレバレだろう。

「少し紗が濡れているよ。元気になっちゃった?」

「誠一さんが……見るから……」

 つい数時間前まで喘ぎっぱなしだった声は枯れ、喉が少しヒリヒリした。

「咲、君に相談がある。とはいっても、もう止まらないが」

「一応聞きますが、なんでしょうか?」

 おおよその見当はついていたが、当たってほしくないと一縷の望みをかけて問う。

「君の裸の絵を描きたい。前回みたいにではなく、今のように」

「全裸のままってことですか?」

「そうだ。できれば、個展で発表したいと思っている」

「それはいくらなんでも……前の絵とは違います。今回は……下も……」

「すべてをさらけ出して俺に身を任せて描かせてくれるという、心を開いた君を描きたいんだ。普通だったら許さないだろう? 俺を警察へ突き出せばいい」

「そんなこと……するはずがありません。起きてこのような状況になっていても、実は興奮している私がいます」

「そうだろうね。嬉しいよ。隠さず描かせてもらうよ」

 誠一はもう一度濡れている半勃ちの欲に視線を落とし、鉛筆を握った。

 考えるのは父のことだ。蘇芳のコレクションという自覚はあるが、あの男は孫を望んでいる。だがまさか同性と恋人になったと知ったら、誠一に何かするのではと怖かった。

「じっくり描きたいのに、君のそこに貪りつきたいよ」

「終わってからでもできるでしょう?」

 誠一の息を呑む音が聞こえた。

「好きな人との行為は、こんなに素晴らしいものだとは思いもしませんでした。汚らわしいとさえ思っていたのに」

「欲をぶつけるだけじゃなく、愛を伝え合うまばゆいものだと知ったよ」

 育てた愛を壊したくない。心からそう強く願った。

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