第2章 02 「違うよ、お母さん。これも勉強だよ」

 灯夜が初めて漫画を買って、2ヶ月が経った。あれからまだ少ないが自分の小遣いの及ぶ範囲で漫画を買っては、親に見つけられないように自室の目の届き難い場所に隠して置いていた。

「……えっ?」

 しかしこの日、灯夜が小学校から帰宅すると、隠していたはずの漫画が勉強机の上に積まれていた。

「おかえり、灯夜。この漫画は何?」

 そこに母親の雛多ひなたが部屋にやって来て、灯夜に尋ねた。

「これは、その…………」

「お母さんに話せない物なの? 状況によっては棄て――」

「違う。自分のお金で買ったの」

 雛多が言おうとした言葉を最後まで聞きたくなくて、咄嗟に灯夜は言葉が出た。

「今まで漫画なんかに興味無かったのに、突然どうしたの!? これで成績が悪くなったら灯夜の責任だよ?」

「違うよ、お母さん。これも勉強だよ」

「何訳のわからないことを言って……」

「お母さんさ。私が昔からよく学校で一人でいるの、知ってるよね」

「まあ、うん。それで?」

「何時だったかな、それが突然寂しいって思って。学校は勉強して知識を付けると共に、知らない人たちとの集まりの中で社交性を学ぶ場所だって漫画でも言ってて、その通りなんだなって。だから、漫画の力を借りることにしたの」

「……はあ」

 親として取り敢えずまずは灯夜の話を聞こうとする雛多だが、灯夜の言いたいことが掴めていない。

「クラスの子たちが漫画の話をしてたのが切っ掛けで、最初は下らないと思った。でも漫画の話が出来たら、社交性もこの寂しさも解決出来ると思った」

「それで、出来たの?」

「ううん、駄目だった。難しくて」

「ほら、駄目じゃん」

 呆れる雛多。そこに灯夜は言葉を続ける。

「……どうも私は他の子たちと違うってわかったの。ずっとお父さんお母さんを見て来たから今ならわかるけど、私の感情が薄いの、心配してくれていたよね?」

「う、うん……」

「ごめん、ちょっと待って?」


 …………。


 灯夜は机に積まれた漫画の山から1冊と、引き出しの中のノートも1冊手に取って雛多に見せた。ノートには灯夜が持って来た漫画と同じタイトルが書かれている。

「これは……?」

「ノート、見て欲しい」

 灯夜に言われるがまま、雛多はそのノートをパラパラと捲る。そこには文字や矢印などがまるで授業のノートのように書き込まれていた。

「……………………」

「この漫画の、明るくて私には無い物を持っている女の子のキャラに主に焦点を当てて、行動とか言ったことに対する理由とか心理とか考えてまとめてる。国語の問題の延長線だと思って欲しい」

 他にも別の漫画で同じようにまとめたノートも引き出しから出す。

「色々と分析して得たものを吸収して、私自身を変えようと思ったんだよ。これが今の私への、生きていく上での課題だと思ったから」

「…………それで」

 たじろいでいた最初の頃から一変、実際の所は出たとこ勝負でもあったが堂々とした態度で灯夜が言う。雛多はそれを聞き、ノートを閉じた。

「それで、灯夜は変われたの?」

「それはまだ……。ああしよう、こうしようって考えてはみてるけど、どう学校で実践してくかを模索してて……お母さんだって急に私が変わったら怖いでしょ?」

「頭でも打っちゃったかと思うね。でも、成果が無いのならそんな無駄なことはやめてもっと学校の勉強に専念して欲しいな。お母さんは」

「……正直、学校の勉強は簡単過ぎてちょっとつまらないんだよね。提出する宿題もちゃんとやった上でやってることだし、自分の時間だって欲しいよ。だから……」

 灯夜が一息置く。

「これからも勉強とかやるべきことは今まで通りやる。だから成功するかわからないけど、このノートも引き続き挑戦したいし漫画も棄てて欲しくない。もしも聞かないと言うなら……」

 一旦持って来た漫画とノートを回収し、別の漫画とノートを雛多に手渡す。初めて表紙買いした『Like a――ライク ア』の1巻だ。

「これが一番よく出来てると思う。興味の無いことに付き合わせるのは悪いけど、試しにもっとちゃんと見てみて欲しい。それでも無駄だと思ったらもう棄てて良いから」

「……………………」

 灯夜にとって、それは決死の覚悟だった。気付けばそんな覚悟も人生の中で初めてかもしれない。だからこそ何て言われるのか、雛多の無言が怖かった。

「……わかった。そこまで言うなら……」

 そして放たれたその言葉に、まだ許されたわけでは無いが安堵した。

「うん。有難う」


 雛多が漫画とノートを持って部屋から出て、取り敢えずは一難を凌いだ灯夜。

「えっ……?」

 その時、得体の知れない疲労感が彼女の体内を襲う。今までずっと淡々として生きていた灯夜の、初めて振り絞った勇気。慣れないことを勢いでしてしまったので、その心労がドッと来たのだ。

(……5分くらいで良いかな? 少し休んだら勉強しよう)

 そう決めるとベッドに仰向けになり――そして、指を組んで祈った。

(お願い、蕾花らいか。私に力を貸して――!)

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